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異世界居酒屋「のぶ」  作者: 蝉川夏哉/逢坂十七年蝉


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招かれざる客(後篇)

「何だと? 作れない、ということか」


 呆然とする男爵にしのぶは丁寧にお詫びを述べる。


「申し訳ございませんお客様。作ること自体はできますが、湯豆腐は温かい食べ物です。周りの寒さも含めて味わって頂く料理ですので、最も美味しい状態でお客様にお出しすることができません」

「むむむ……」


 やり込めるつもりはないのだが、しのぶの口調にも自然と力が入った。堂々と営業妨害をされているのだ。これくらいの意趣返しは良いだろう。

 横目で見遣ると、信之は鼻歌でも歌い出しそうな顔をして翌日の仕込みにかかっていた。エーファはまだ状況が理解できていないのか、口をぽかんとあけてこちらを見つめている。


「分かった、こうしよう」


 大きく手を一つ叩き、男爵は椅子にどすんと腰を下ろした。


「ユドーフについては諦めよう。季節に合わない物を無理矢理食べても美食家としての名に傷が付きかねない。かと言ってこのまま帰るには少々腹が減り過ぎている。だから、別の物を注文しよう」

「ありがとうございます」


 深々と頭を下げるしのぶを、昼間の小男が憎々しげに睨みつける。誰にも見られないように、しのぶはペロリと舌を出した。


「シュニッツェルだ」

「シュニッツェル、ですか?」


 男爵が告げた料理の名は、しのぶの知らないものだった。何処かで聞いたことがあるような気もするが、少なくともすぐには出てこない。信之の方を見つめるが、基本的に日本食が専門の彼も小さく首を横に振るだけだ。


「私はシュニッツェルが食べたい。メニューにある料理を提供できなかったのだ。これくらいの我が侭は聞いてくれても良いのではないか」


 そう言われてしまうと応じざるを得ない。一縷の望みを託してエーファを見るが、首をぶんぶんと振るだけだった。


「分かりました、ご用意しましょう」

 そう答えたのは、信之だ。

「ただ、普段の当店では提供していない料理ですから、少し準備にお時間を頂きます」

「結構」


 鷹揚に頷く男爵を尻目に、しのぶはカウンターの中の信之に駆け寄る。


「大丈夫なの、大将?」

「今から衛兵の隊舎に行ってシュニッツェルがどういう料理か聞いてくる。あそこなら常連も多いし、誰か一人くらいは知ってるだろう」

「分かった。じゃあその間、店は私が見ておくね」

「店と、エーファちゃんを頼む」

「なるべく早く帰って来てね」

「遅くなるようなら、賄いは何か好きに作っていいから」

「できれば煮抜きを使ったものを、でしょ? 分かった」


 引っ掴むようにして上着を羽織ると、信之は男たちがひしめく入り口から飛び出していった。


「この店の料理人はシュニッツェルを作るのにまさかわざわざ豚を狩りに出掛けたのかね?」

「いえ、切らしている材料があったようです。この時間でしたら市場もまだ開いていますから、すぐに帰ってくると思います」


 不安そうなエーファを撫でながら答えると、男爵は呆れたように大仰に両手を広げた。その後はこちらに関心を失ったようで、小男たちと一緒にテーブルで即席のカード賭博を始める。

 貴族の考えることは、しのぶにはよく分からない。


 手持ち無沙汰になったので、賄いを何にするか考える。

 のぶの料理にまだあまり慣れていないエーファも食べやすく、かつ、煮抜きを使った料理だ。

 信之から好きにしていいと言われているので、材料に制限はない。とは言っても、この状況であまり手の込んだ物も作る気にはならなかった。


「そうだ。思いっきり手抜きだけど、あれにしよう」

「シノブさん、アレってなんですか?」

「んー、出来てからのお楽しみ。エーファちゃんも手伝ってね」

「はい!」


 たっぷりある煮抜きを惜しげもなくみじん切りにして、マヨネーズと和えていく。エーファには千切ったレタスとトマトの水気を取り、辛子マヨネーズを塗った食パンの上に並べて貰う。


 作るのは、到って簡単なサンドイッチだ。たまごサンドだけだと飽きが来るので、レタスとトマトのサンドも作る。

 思ったよりもエーファの手際が良く、あっという間に二人では食べきれないほどのサンドイッチができ上がった。


「娘、先程から何を作っているのだ」


 カウンターの中が気になったのか、カードを片手に男爵が首を伸ばす。


「私たちの賄いです」

「空腹を抱えた客を放っておいて自分たちの賄いを拵えるとは大した店もあったもんだな。ちょうどいい、私たちにもそれをくれ」

「私たちのようなものが食べる賄いですが、よろしいのですか?」

「男爵である私が構わないと言っている。さっさと持って来い」


 作るのが愉しくなって、二人では食べきれない程作ってしまっていたから、男爵たちに分けてあげる分には困らない。

 しのぶは食べやすいサイズに切り分けたサンドイッチをカードのテーブルに持って行った。


「なんだこれは? パンに具を挟んだだけか」

「はい。サンドイッチと言います」

「聞かん名だな。ところで切り分けるフォークとナイフが見当たらないが」

「使いません。サンドイッチは、手掴みで食べる物です」

「手で? そんな物を私に食べさせようというのか」

「はい。今の男爵様にはちょうど良い料理だと思いまして」


 そう言ってしのぶは片手にカードの捨て山から何枚か札を掴むと、もう片方の手で皿から一切れサンドイッチを摘まんだ。


「サンドイッチはこうやって、カードを愉しみながら召し上がることができますから」


 行儀が悪いと思いながらも、男爵の前でたまごサンドを一口齧る。

 口の中に広がるたまごの旨味をエーファに塗って貰った辛子マヨネーズの微かな辛さと胡椒がいい塩梅に引き締めている。


「なるほど、こいつは考えたな」


 そう言ってゲームに戻りながら、男爵はサンドイッチに手を伸ばした。

 一口。そこで男爵の動きが止まる。

 サンドイッチは逃げないというのに、手の中の残りを一気に頬張り、次の一切れに手を伸ばす。

 しのぶは人数分の牛乳をグラスに注いでやると、ゲームとサンドイッチに興じる男たちの横に置いてやった。


 かなりの量を盛ってやったはずが、いつの間にか皿には一切れのサンドイッチも残っていない。

 カードの方を見ながらサンドイッチを求める男爵の手が虚しく空を切る。


「娘、このサンドイッチはもうないのか」

「まだありますけど、これは私たちの賄いです」

「なら、新しく作ってはどうだ」

「作れと仰るのでしたらそうしますけれど、シュニッツェルの方はもうよろしいのですか?」

「シュニッツェルはまた別だ。そう言えばこのサンドイッチとやらはたまご以外の具も挟めるのか?」

「合わない物もありますけれど、他にも挟めます」

「では、もっと腹にどっしりと溜まるものが良い。内容は任せる。なるべく、早く頼むぞ」

「分かりました」


 すっかりサンドイッチの虜になってしまった男爵に、次は何サンドを食べさせればいいかしのぶは考える。

 材料はたくさんあるが、どっしりと腹に溜まるものとなれば選択肢はおのずと限られてくる。


「しょうがないよね、エーファちゃん。お客様の注文なんだもん」

「は、はぁ……?」


 事情の分からないエーファから無理矢理同意を取り付け、しのぶは冷蔵庫からとっておきの豚ヒレ肉塊を取り出した。

 信之が自分用の賄いでヒレカツを揚げるために買ってきた上物だ。これを揚げて美味しくならない道理がない。


 ヒレカツを揚げる鍋に熱が伝わり始めると、店内に油の良い香りが漂い始めた。男爵たちも落ち着かないらしく、カードもおざなりにこちらの様子をちらちらと窺っている。


「お、おい、娘。それは何をしている?」

「サンドイッチの具を作っているんですよ」

「本当にそれはサンドイッチの具か?」

「はい。これがとっても美味しいんです」


 千切りキャベツも一緒に挟む方法があるが、しのぶに言わせればそんなものは邪道だ。強い力を持ったヒレカツなら、それ単品で勝負ができる。

 さっきよりも厚手の食パンに揚げたてのヒレカツ、そこにたっぷりのとんかつソースを掛けて挟めば、しのぶ特製ヒレカツサンドの完成だ。

 包丁で切り分ける手に、ザクリというカツの手応えが心地良い。


「さぁ、出来ました。どうぞ召し上がってください!」


 男爵たちはカードをテーブルに置き、両手でカツサンドをしっかり持つとゆっくりと口に含んだ。


「……美味い。このサンドイッチという料理は、実に美味いな」

「ありがとうございます。光栄です」


 味わいながら食べ終わると、男爵は懐から革袋を取り出した。


「これは今日の代金だ。受け取りたまえ」

「えっ、シュニッツェルはよろしいんですか?」


 驚くしのぶに男爵は口元だけで苦笑してみせる。


「本当は分かっているんだろう、お嬢さん」

「はぁ、いえ、何も……」

「まぁいい。私はここで食事をし、満足した。その対価を払うことには何の問題もないはずだ」

「はい。ありがとうございます」


 受け取った革袋は小さいが、ずっしりと重い。


「ところでお嬢さん、あのサンドイッチというのはお嬢さんの考えたレシピかね? 私はこれまでに聞いたことがなかったんだが」

「いいえ、あれはもっと昔の人が考えたものです」

「そうなのか。お嬢さんはあの料理を自分の考えたものとして広めるつもりはないのかね?」

「そんなつもりは毛頭ないです。こっちでは知られていない料理かも知れませんけど、あれを考え付いた人は確かに昔いたんです。私がアイデアを横取りしたら、その人に失礼です」

「なるほどな。ありがとう、良い食事だった」


 そう言い残して、男爵たちは帰っていった。

 普通の客と同じくしのぶが見送っていると、信之とエトヴィン助祭が隊舎の方角から走って来た。


「しのぶちゃん、男爵さんたち、どうしたの? 折角エトヴィンさんにシュニッツェルの作り方習ったんだけど」

「サンドイッチ食べたら帰っちゃいました」

「サンドイッチ? 賄いの?」


 首を捻る信之に、しのぶは尋ねた。


「で、シュニッツェルってどんな料理だったんですか?」

「ああ、シュニッツェルっていうのはいわゆるトンカツだったよ」


 しのぶは男爵に渡された革袋の中身を確かめる。

 中のコインは、銀ではなく、金色に輝いていた。


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