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異世界居酒屋「のぶ」  作者: 蝉川夏哉/逢坂十七年蝉


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若侯爵と馬鈴薯(前篇)

「……アルヌ様、自棄(ヤケ)食いは身体に毒です」

「イーサク、違うぞ。これは自棄食いじゃない。英気を養っているんだ」


 そう答えながら小エビのカキアゲをバリバリと頬張るアルヌは、明らかに食べ過ぎだった。

 開店と同時にノブのノレンを潜ってから、サクヌッセンブルク侯爵家のこの歳若き当主はもうずっとテンプラを食べ続けている。


 元々が健啖家で知られるアルヌが無茶な食べ方をするのだから、その平らげる量と来たらちょっとしたものだ。盛られる端から口の中へと消えていくので、相伴しているイーサクでさえ、今日のアルヌの胃袋にどれだけの量のテンプラが収まっているのかを正確には把握できていない。

 厨房の主であるタイショーは慌てることもなく淡々とテンプラを揚げ続けているが、周りの客は慄きながら遠巻きに見つめている。


「タイショー、もう三人前追加だ」

「アルヌ様!」


 思わず声を荒げるイーサクの声も聞こえぬように、アルヌはシュンギクのテンプラを頬張った。

 過食の原因は分かっている。

 馬鈴薯(カルトッフェル)、だ。


 先々代のサクヌッセンブルク侯爵、つまりアルヌの大伯父は紛れもない天才であった。

 筋骨逞しく武勇に優れ、剣をとれば三国一、馬上に槍をとっても向かうところ敵なし。弓を射れば百歩先の的を狙って外すことがなく、戦となれば全軍の先頭を駆ける比類なき猛将。


 かと思えば、歌舞音曲にも秀でていた。

 歌を歌えばその朗々とした歌声に吟遊詩人が赤面して教えを乞うほどであり、弾きこなす楽器は両の手指で足りぬほど。しかもそのいずれも名人級というから凄まじい。

 才能は書画にも及び、手遊(てすさ)びに描いた絵が今でもさる聖堂に収められているというほどである。


 古くから続く名家としてのサクヌッセンブルク侯爵家の家名を広く世に知らしめた中興の功績は、まさに彼のお陰と言うより外ない。


 ただ、統治の才だけがなかった。

 多岐に亘る趣味に掛かる(つい)えを賄うために累代の家産を食い潰し、収益の出る事業は目端の利く商人に借金の形に奪い取られ、税も幾分重くせざるを得なかったという。


 放漫経営を続けた先々代が流行り病でぽっくり亡くなったとき、侯爵家の抱える借財の規模は目を覆うばかりだった。

 跡を継いだアルヌの父は思わず出家して僧になろうとしたほどである。


 しかし、そこはそれ。

 アルヌの父も剛腕で知られる名君であり、その長い統治の間に伯父から引き継いだ負債を何とか人並みの額に圧縮するという離れ業を見せた。

 そのせいで借りを作ったり恨みも買ったりもしたが、アルヌは比較的良い状態の帳簿を元に侯爵としての仕事をはじめられるようになったのである。


「イーサク、このレンコンのテンプラ、シャクリとしていながらほっこりとしていて美味いぞ」

「居酒屋ノブのテンプラが美味なのは私も重々承知しております。ですが、この量は少し度を過ごしております」

「分かっている。もう少しだけだ」


 領地を発展させ、民に今より豊かな暮らしをさせる。

 その誓いを胸に侯爵の位を襲爵したアルヌだが、現状はあまり捗々しくなかった。

 古都アイテーリア周辺に広大な領地を持つサクヌッセンブルク侯爵領の大部分は決して肥沃な土地とは言えない。


 豊かな土地とはつまり、小麦のたくさん実る土地だ。

 換金しやすい小麦を豊富に収穫できる土地とここでは、統治の勝手が少し違う。

 農民の多くは税のための小麦と、自分たちが食べるための大麦や馬鈴薯、豆の類いを作り分け、それで何とか暮らしているという。


 アルヌの領地は馬鈴薯づくりには適しているようで、その取れ高は大きい。

 しかし食うために馬鈴薯を作り続けているだけでは、いつまでも領民は貧しいままだ。民が貧しければそこから税を納める貴族もまた、手元不如意の状態を脱することができない。


 アルヌもイーサクもそれを何とかしたいと思っている。

 領民が大麦の薄い粥と潰した馬鈴薯しか食べられないのなら、領主になった意味がない。

 その為には、馬鈴薯をどうにかするしかないというのが二人の考えだった。


「いっそ、タイショーに知恵を貸して頂くというのは」

「それは私も考えた。だがこれはやはり私たちで解決すべき問題だと思う」


 小麦の収穫量を増やすのではなく、馬鈴薯の価値を高める。

 馬鈴薯を金に換えることができるようになれば領民も潤う。そうなれば、少しなりとも民の暮らしは上向くに違いない。


 何よりも、アルヌもイーサクも馬鈴薯に飽き飽きしているのだ。

 侯爵になってからの渉外でアルヌは精力的に近隣の領邦を巡っている。

 その土地土地に伝わる伝統の料理に舌鼓を打ちながらの交渉は横で見ているイーサクにとっても興味深いが、一つだけ閉口することがあった。


 つまり、馬鈴薯だ。

 肉でも魚も、必ず潰した馬鈴薯が山盛りになって添えられてくる。

 添えられるというのならまだ可愛い方で、馬鈴薯の山の麓に肉が申し訳なさそうに横たわっているという有り様の皿もあった。

 毎日のように交渉事が続く現状では、自分たちが馬鈴薯でできているのではないかと錯覚に陥りそうになる量だ。


 サクヌッセンブルク侯爵家は北方出身の武門の家柄として、出された料理は残らずに平らげる家風を掲げている。当然、一の家臣として司厨長の要職を預かっているイーサクもそれにならねばならない。

 馬鈴薯のことは嫌いではないが、これだけ食べ続ければ飽きても来る。

 毎日のように食べている領民にとっては、なおのことだろう。


「アルヌさん、天つゆに大根おろしはどうですか? さっぱりしますよ」


 シノブに勧められるまま、アルヌはツユにダイコンを擂りおろしたものを入れる。イーサクも試したことがあるが、たったこれだけのことで天ぷらの味わいが劇的に変わるのだ。


 少し前から厨房に立つようになったハンスという若者が、ダイコンをおろしている。鉋で削ったかのように薄く皮を剥き、流れるような手つきで作業を進めていく姿は、イーサクの目から見ても惚れ惚れとするほどだ。


 よほどの鍛錬を己に課しているに違いない。

 この分なら、意外に早くノブの支店を任されることになるのではないだろうか。

 テンプラの揚がるカラカラという音が耳に心地よい。


 アルヌの注文に合わせるため、タイショーはテンプラ鍋を二つ並べて使っている。

 高温の油と、低温の油。

 二つの鍋を使い分けることで、外はさっくり、中はふんわりとテンプラを仕上げることができるらしい。


 二つの鍋でテンプラを行き来させることで、カラアゲの二度揚げのような効果もあるのだろう。

 難しい顔をしながらも美味い美味いとギンナンのテンプラを串から食べていたアルヌの手が、ふと止まった。


「……そうか、揚げればいいんだ」


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