鯖定食(後篇)
「……ほう」
カラカラと奥で胃を締め付けるような揚げ音をさせていたカラアゲがついに運ばれてきた。
食べやすい大きさに切って揚げたサバは何とも言えない良い香りを漂わせている。
「さて、食べるか」
魚を揚げると言っても、サバには脂が乗っていることをゴドハルトは知っていた。
ただ揚げただけでは恐らく味がくどくなる。タイショーはここをどう乗り切るのか。
サクリと一口食べて、おほ、と声が漏れた。
青臭さが全く感じられない。
思わずハシが米に伸びるのはどうしてだろう。
「……香辛料か」
生姜で臭みを取っただけでなく、何かの香辛料を加えることで味を調えてあるのだ。たかがヒガワリ、されどヒガワリ。居酒屋ノブは侮りがたい。
そんなことを考えている間にも、ハシの動きは止まらなかった。
これだ。こういう昼飯が良い。
美味い物を食べると徹夜続きの身体の奥底から自然と活力が湧いてくるのが分かる。
がつがつと人目も気にせずに書き込んでいると、硝子戸が開いた。
「いらっしゃいませ!」
「……らっしゃい」
「あ、ゴドハルトさんじゃないですか!」
入って来たのはラインホルトだ。まるでそれが当たり前のようにゴドハルトの隣に座る。
「<水竜の鱗>に行ったらこっちじゃないかって」
「ああ、それは迷惑を掛けたな」
「いいんですよ、それは。私も丁度、美味しいものが食べたかったので。シノブさん、ヒガワリ定食を一つ!」
手を挙げて注文するラインホルトにシノブが先程と同じく二種類あるという説明をする。
「二種類か。ゴドハルトさんは……カラアゲにしたんですね。それじゃあ」
こちらの手を確認したということは注文が重ならないようにミソニで来るか。
青臭かったラインホルトも最近は競うということを覚えてきた。こういう些細なところでもゴドハルトに歩調を合わせようとして来れば興醒めだが、若さに任せて挑戦をしてくるのであれば、いくらでも受けて立とうというのがゴドハルトの嘘偽らざる心境だ。
しかし、<金柳の小舟>の若きギルドマスターの出した結論は違った。
「ミソニとカラアゲ、おかずだけ二種類にしてもらうことはできますか?」
「はい、できますよ!」
「ではそれでお願いします。ゴドハルトさん、ミソニを半分こしましょう。お互いに今はしっかり食べた方が良い時期の筈です」
「お、おう」
確かに、サバのカラアゲだけでは少し物足りなく感じていたのだ。それを見抜くとは、なかなか。
「シノブちゃん、すまんが米をお代わりだ」
「はい、畏まりました!」
ミソニも食べるのなら、受けて立つ米の量が足りない。
ラインホルトの方を見遣ると、にやりと笑う。お互いに腹を空かせているのは同じようだ。
「ゴドハルトさん、目の下に隈ができていますよ」
「そういうお前さんも酷い顔だな」
二人とも、頭を悩ませている問題は同じだった。
ビッセリンク商会。
帝国西方でも指折りの大商会が、古都に支店を築こうとしている。ラガーの密輸で古都を追われたバッケスホーフ商会の商圏をそのまま取り込もうという腹なのだろう。
彼らがただやって来て商売をするだけならば、ゴドハルトにもラインホルトにも何の問題もない。
二人を悩ませているのは、水路の事業にもビッセリンクが絡もうとしているのではないかということだった。
古都から北の海へ、誰にも税を取られない水路を通す。それが成功すれば、古都の産業は蘇るはずだ。そのためにゴドハルトはラインホルトやマルセルと一緒に色々な無理もしてきた。
しかしそこにビッセリンクが入って来るとどうなるか。
出資金の額はその後の発言力に直結する。
現在の市参事会が出している額よりも大きな額を出資して、水路の使用権をビッセリンク商会で占有しようとすれば。
考え始めれば限がない。必要なのは、隙を見せて舐められないことだ。
「鯖の味噌煮と唐揚げ、お待たせしました。ゴドハルトさんにはご飯のお代わりです」
シノブの運んできた定食を受け取ると、ラインホルトは胸いっぱいに匂いを嗅ぐ。その表情は幸せそのものだ。
「ゴドハルトさんも執務室で乾きものばかり食べていたんじゃないですか」
「も、ということはラインホルトさんもそうなんだろう?」
「ばれましたか」
「若いからと言って無理をし過ぎるなよ」
一瞬でも待つのが惜しいと腹の虫が騒ぐので、サバのミソニを乱暴に半分で切り分け、米の上に載せる。ミソニのタレが白い米にこぼれて何とも美味そうに色づく。
はぐりと大きく口を開け、米とサバとを一緒に頬張ると、口の中で混然一体となった旨味に思わず吐息が漏れた。
「美味い」
「美味いですね」
カラアゲを食べながらラインホルトが頷く。食べ方も豪快だ。見ていて気持ちが良い。
線の細い若者だとしか思ってこなかったのが、ここ一年で随分と逞しくなった。
「それでラインホルトさん。ビッセリンクの方はどうする」
「古都に来るのは商会長の長男、ロンバウトみたいですね」
ロンバウト・ビッセリンクの名には聞き覚えがあった。若くて優秀な男だが、相手に回すと厄介だという評判だ。
「煮ても焼いても喰えないという噂の男じゃないか」
「煮ても焼いても喰えないなら」とラインホルトが最後のカラアゲにハシを伸ばす。
「揚げて食ってしまえば、良いってことか」
言葉を継いでゴドハルトはラインホルトに肩を竦めて見せた。
洒落た受け答えだが、特に中身があるわけではない。それでも、苦難を笑い飛ばせるだけの心もちというのは必要な物だ。
「よし、今日のここは私が払おう」
「あ、でもゴドハルトさん、悪いですよ」
気にするなと笑いながら、ゴドハルトはもう財布を出している。奢ろうと思えば機先を制するしかない。
「ありがとうございました!」
シノブの声に見送られながら、二人は<馬丁宿>通りを泳ぐ。
「……いい天気だ」
「ええ、そうですね」
腹もくちくなったが、心も少し軽くなった。
これからは時間を作ってでもノブに昼を食べに来よう。隣を往くラインホルトも、同じようなことを考えているようだった。




