30話 告白
ノスタジアから王都までの中ほど辺り。
そこは黒い霧に断絶されたエリアと通常のエリアの境目だ。
そして黒い霧の向こうから出てくる二つの人影があった。
「ふーようやく『神の毒』の効果範囲から抜け出せた」
「なんか霧を抜けたら一気に楽になったわわね……反動からかすごく体が軽く感じるわ」
それはナナシとネムレスの姿だ。
二人は大きく体を伸ばし、新鮮な空気を取り込むように深呼吸していた。
「不老不死にさえあれだけの負荷をかけるんだからすごいよね」
「どうせ死なないんだからと思えばこそ耐えれたけどすごく苦しかったわよ」
「いや、それは本当にごめんね」
ナナシが自らが行使した魔法の効果に感嘆し、ネムレスは彼女にしては珍しくナナシに少し不満そうに文句を言う。
その様子にナナシは苦笑しながらも非を認め謝るのだった。
ネムレスも本気で文句を言っていたわけでもなくすぐに笑顔になって調子のよくなったことを確かめるように飛び跳ねていた。
そしてナナシたちはそのまま王都へと南下する。
一時間ほど歩いてからふと振り返ってみれば、まるで風景の一部を切り取ったかのように真っ黒な何かがドーム状に広がっているのが分かる。
それなりに離れても尚はっきりと見え、端がどこにあるかよく見えないそれはどれだけ広がっているのかがよくわかると言う物だが、それを見てもナナシは特に思うことなく鼻で笑ってすぐに興味を失ったように王都へと足を向ける。
以後は一切振り返らなかった。
一方、ネムレスは内部にいたときに感じた苦しみを思い出し少し顔を顰め、ベーっと舌を出していたが、それ以上なにをするでもなくナナシと共に王都へ向かい楽しそうな笑みを浮かべていた。
それからしばらく歩き、辺りが夕暮れに赤く染まり始めたころになった頃にナナシたちはヘイグラント王国の王都、グランシャの姿を確認していた。
街全体が巨大な城壁に守られていてその城壁の外側にも多くの建屋があった。
城壁越しに見える巨大な城はノスタジアの城とは比べものにならないほどに大きく、立派なもので、その城はナナシが夢でみたソレとまったく同じものだった。
「さすが王都って感じだね。街も今までの街が比べものにならない程大きい」
「んー特に他のところと変わり映えしないわね。でもお城は大層立派なようだけど」
「ああ、そっかネムレスは八百年程生きてるんだったね」
ナナシが王都を見て思わず感嘆の声をあげる。
前世ではこれよりも大きな街並みをナナシは見ているが、殆どを石材や煉瓦によってできたその街並みはまた別の迫力を感じさせる。
中世の西洋風な建物によくわからない憧れを前世で抱いていたというのもナナシが感心する理由の一つであろう。
一方のネムレスにしてみれば今も昔も王都はこんなものだと見慣れていて特に思うことは無いようだったが、ナナシの珍しい子供のような姿を見れて嬉しいのか優しく微笑んでいた。
外から街を眺めるのもほどほどにしてナナシは王都へと入るために足を進める。
城壁の外側に多くある建屋はどうやら一攫千金を夢見て、王都まで来たものの住むところが無い者たちが暮らしているようだった。
だが、スラム街とまでは廃れておらず、兵士も巡回しているようで治安も極端に悪いわけではないらしい。
「さて……門番的な役割を持つ人は……いないみたいだな」
「城壁の向こう側に入るときにはいるでしょう。国もこんなどこからでも入れるようなボロ屋の集まりから警戒していられないでしょうし」
「なるほどね」
ナナシがざっと見たところ出入りを監視するような門番の姿はみえず、それを口にだせばネムレスが大よその予想を口にし、それを聞いたナナシは納得したようだ。
城壁に沿うように扇状に広がったボロ屋群には、確かにいくらでも入るルートがあり、そのすべてに門番を置くわけにもいかないことは一目瞭然だ。
それでもナナシは万が一にも北から来た子供であるとばれない様に認識阻害を使って誰に気づかれることも無くその街のなかへと入っていった。
建物はどれもボロいのだがどうやらただ住処がないものが住んでいるというわけでもなく、それなりに商売もされているようだった。
とはいえあまりいいものは売っておらず不良品だったり野菜のクズだったりする。
それでもそれなり盛況で、どこにも暗い様子は見られなかった。
ナナシたちはそれらを全て無視して城壁の内側を目指していた。
やがて城壁が目前まで見えるところまでくるとそこで兵士が門の前で出入りを監視している様子だった。
「ま、関係ないけどね」
「こういうのっていつの時代もどこの街も大体同じ対応してるけど闇魔法使いには無力よね」
いくら出入りを警戒しようともそれを素通りできるのから無意味なものである。
ネムレスに寄ればどうやらどこでも似たようなことをしていて、昔から変わらない対応らしい。
ナナシもこれまでの大きな街は皆出入りを確認しているが、やはりどこも魔法的な結界などもなく、人の手による監視だけだったなと思い浮かべる。
それはヘイグラント王国の王都であるここも変わらないようでナナシたちは気づかれることなく城壁の内側へ入ることに成功した。
城壁を超えたそこは城壁の外とはまるで違う別世界だった。
家は全部が石と煉瓦でできていてどれも造りが頑丈そうであり、一つ一つが日本の小さい一軒家程度の大きさでそれがズラッと並ぶさまは壮観の一言だ。
にもかかわらず道行く人の顔はどこか暗く、暗雲とした空気が城壁の中を流れていた。
いっそ外側のボロ屋に住む人々の方がよっぽど元気だったと思えるくらいに人々には元気がなかった。
「随分と陰気くさい街ね」
「ああ……まあ、原因は予想つくんだけどね」
その様子にネムレスが率直な感想を述べ、それにはナナシも同意見だった。
そして、なぜこんな雰囲気なのかは予想がついていた。
要するに闇狂い、つまりは自分たちのせいなのだろうと。
実際にナナシが聞き耳を立てれば、道の隅でヒソヒソと噂話が盛んに繰り広げられ、闇狂いがどうだの、徐々に南に向かってきているようだのと情報が流れ、それに不安を感じる人が多くいるようだった。
「しばらくすれば僕たちを殺すために用意された軍勢の全滅も伝わるだろうしそうなればさらに暗くなるだろうね」
「外側の人たちは情報を得られてないから元気だったのかしら」
「または今日を生きるのに必死すぎて噂話に構ってられないとかかもね」
今後もさらに空気は悪くなるだろうとナナシは思う。
情報が得られないのか必死なのか知らないがある程度裕福な暮らしをしている人たちが暗く、貧しい暮らしをしている外側の人間の方が元気だというのは皮肉なものだ。
そんな空気を感じてナナシは少しつまらなく思う。
すでに気力の無い人間を殺してもさほど大きな快楽は得られないからだ。
活気付く人間ほど生きたいと強く願っており、そういった人間であるほど死んだときにいい表情をする。
ナナシがみたいのは、感じたいのはそういう姿だから。
「まあ、宿屋に行こうか」
「そうね。このままじゃ私たちまで陰気くさくなっちゃうわ」
暗い空気はしょうがないかと思いつつナナシは宿へと向かうことにしネムレスもそれに賛成だった。
暗い空気は感じるだけでもつまらないものである。
それからしばらく歩き、ナナシたちは宿屋を見つけた。
さすが王都の宿と言うべきかそれなりの値段がしたのだがノスタジアの城や、平原で殺した兵士達から大量のお金を盗み取っていたナナシたちには大した額ではなく、とりあえず三日分払い、そそくさと取った部屋に入り寛ぐ。
しばらくナナシは何かを考えるようにぼーっとしながら黙り込んでいて、ネムレスもそれを邪魔しないように口を開かず黙って体を伸ばしていた。
空気が重いわけではないが外の雑踏しか聞こえない静かな時間だった。
「……ねえ、ネムレス」
「ん、なあに? ナナシ」
やがて何か考えを決めたのかネムレスに視線を向けず天井を見ながら彼女に声をかけるナナシ。
その声に微笑みながらネムレスは返事をする。
「実はさ……僕はあの城に用事があるんだ」
「ふうん。どんな用事なのか教えてくれるの?」
「ああ。そこに、不老不死の殺し方が記された本があるんだよ。なんで知ってるかはうまく言えないけどそれは確かなんだ」
ナナシはこれからしようとすることをネムレスに伝えることにしたのだった。
だから、ナナシは王城に用事があること、そこに何があるのかをネムレスに伝える。
そこまで言ってチラッとネムレスを見れば特に動じた様子はなかった。
何が言いたいのかほとんど分かっているはずなのに。
それに少し疑問を感じながらもナナシは言葉を続けることにした。
「ネムレス、僕は君のことが大好きだ。本当に本当に大好きなんだ。こんな狂った僕を理解しようとしてくれた。好きになってくれた。殺しても嬉しそうに笑って一緒にいてくれた。本当に大好きなんだってことは分かってほしいんだ」
歪んでいても想いは本物なのだとナナシは伝える。
その声は少し震えていて、分かってもらえないかもしれないと恐れているようだった。
「大丈夫、ナナシの想いはちゃんと伝わってるわ。本当に私を好きでいてくれてるって。私も大好きよ。長い間感じていた孤独の時をあっというまにナナシは埋めてくれたもの。だから私はお返しするんだって決めてるのよ。これからの全部をかけて今度は私がナナシを一人ぼっちにはさせないって」
ナナシの言葉を確かに受けてネムレスは分かっていると微笑みを向ける。
自分もナナシを想っていることを伝える。
今までと変わらず素直な気持ちのままに想いを視線にこめてナナシを見つめて微笑む。
そして全てを捧げてナナシを愛するのだと、伝えた。
「……ネムレス……君は……本当に分かっているのか?」
「ええ、分かってるわ。私を殺すのでしょう? それも不老不死として蘇ることもないように本当の意味で私を完全に殺すのね」
「なら……どうしてそんな表情を……」
ナナシは困惑して震えた声で問いただす。
だが、ネムレスは優しい表情のまま正確に理解していてそれを受け入れようとしていた。
これから殺すと言われて尚、優しく微笑むネムレスにナナシはどこか悲しそうな顔をしていた。
ナナシとて別れたいわけでもない。
それでも殺したい欲求の方が上回っているだけなのだ。
「そんなの決まってるじゃない。ナナシは私にとっての絶対なのよ。ナナシが私を殺したいってことはそれだけ愛されてるってことなのよ。それは嬉しいことではあっても拒むようなものじゃないわ」
ナナシを愛し、ナナシの存在が全てであるネムレスにとっては殺されることに何の忌避感もなかった。
それは狂った思想ではあるが、それを言葉にするネムレスからは一切の狂気が感じられなかった。
ネムレスは随分前からナナシは自分を完全に殺すだろうと薄々気づいていて、気づいたその時からいつでも受け入れる準備はできていた。
「でも、安心して。私を殺してもあなたは一人になんてならないわ。私と同じ孤独なんて味あわせない。死んでも私はあなたを想い続ける。魂が朽ち果てようとも絶対に。死後の存在にあなたは興味を持たないかもしれないけれどそれでも私は傍に居続ける。感じられなくてもずっとあなたと一緒にいるわ。この想いだけはナナシ、あなたにも完全に殺すことはできないわ」
ネムレスはさらに言葉をつづけ、最後に絶対の自信を秘めた顔をして言い切った。
そんなことを言うネムレスから感じる想いは重く、強く、激しくてナナシの心を震わせる。
ふとナナシの胸の奥がカッと熱くなり、ドクンドクンと早く力強い鼓動を打ち始め、血が体中を巡り体温を上昇させる。
先ほどまで別れたくない想いと殺したい想いで悩んでいたナナシだったが今は気持ちが高揚していた。
そして次の瞬間にはナナシはネムレスに飛びついた。
気持ちの昂ぶりから思わず殺しにかかった……わけではなく純粋にただネムレスを抱きしめたくなったからだ。
「えっ、ナナシ?」
急にどうしたのとネムレスは言おうとしたが口に出すのをやめた。
抱き付くナナシは肩を小さく震わせていたからだ。
ネムレスはナナシを優しく抱き返し耳元に囁いた。
「……愛してるわナナシ。だから安心して私を殺して。ね?」
「……あり……がとう……僕も、愛してる」




