22話 屍食鬼
※カニバリズム的表現があります。注意。
ハイラントの街にあるボロくもなく豪華でもない、この街では中の下といった普通の宿である「吹き抜ける風の宿」という名の宿屋でナナシとネムレスは部屋を取っていた。
二人がこの街に着いたのは日が昇って、地平線と真上のちょうど中間に位置したころだ。
街の入り口でも特に問題もなく北の門から街へと入った二人はそのまま大通りを歩き適当に目についた宿に入ったのがこの宿屋だった。
二人を応対したのは愛想のかけらもない中肉中背の黒い髪を乱雑に短く刈った男で名をライドウと言うらしかった。
彼の名前を二人が知ることができたのはナナシがしつこく聞いたからだった。
ライドウはめんどくさいなと表情にだしつつも名をナナシに教えた。
ナナシはその様子につくづく愛想がないなと思いつつも宿自体はボロくもなく過度に豪華でもない落ち着けそうな場所だったので文句も言わず取りあえず一泊することにした。
それでも客商売として愛想がないのはどうなのかとナナシは思ったりもしていたのだが、これはこれで過度に人付き合いを好まなかったり、上等な寝床さえあればいいと言った人には、必要以上に関わろうともしてこないライドウが営むこの宿屋はそれなりに人気であったりする。
実際、ナナシ自身も必要以上に関わってくることのないライドウの態度に好ましいものを感じていた。
だからこそこういう宿屋があってもいいだろうと納得し、鍵を受け取って部屋へと向かった。
「んー、疲れては無いんだけどそれでも体を伸ばせるってのはいいもんだね」
「そうね。まあ、体が疲れなくても気持ちの持ちようで精神の方は疲れるものね」
部屋に入り、思いのほか柔らかいベッドに腰を下ろして凝ってもいない体を伸ばしながらナナシが思わず言葉を零す。
それに対してネムレスが相槌をうっていた。
二人の様子は落ち着いたもので狂気は鳴りを潜めていた。
それというのもハイラントの街までにあった村々で殺戮を繰り返した二人は一応の満足を得て、落ち着いていたのである。
また、村での殺戮だけでなくナナシは数回ネムレスを殺して快楽を得ていたし、ネムレスは殺されることで愛されているのだと感じて同じように快楽を得ていた。
もし村での殺戮、ナナシとネムレスの歪な行動のどちらかでもしていなければ今頃はナナシもネムレスも狂気に染まり、衝動のままハイラントの街でも殺戮を繰り返していたことだろう。
「まあ、この宿は過ごしやすそうだけど交友を深めるのは無理そうかな?」
「あれだけ愛想がないとねえ……。長く居続ければ別かもしれないけど」
「かもしれないね」
あの愛想のない宿屋の主人とすぐに仲良くなるのはなかなか難しいだろう。
ライドウという男は宿に泊まるにはいくらか幼すぎる外見である二人を見ても眉ひとつ動かさなかった。
あれは宿屋を運営するものとして反応を外に出さないように鍛えられたというものではなく、客かそうでないかが重要なだけだろうと二人はその時のライドウの面倒そうな雰囲気から察していた。
そして事実それは正しい。
ライドウという男は相手がどうあれ金を落としてくれれば文句なく、そのために過ごしやすく部屋もある程度上等なものを揃えている。
だが、必要以上に関わる気もなく客であればそれでよし、そうでなければさっさと帰れというスタンスだ。
さすがにナナシたちが快楽殺人者で何人もの人を殺し幾つもの村を潰している存在だと聞いたのならば何かしらの反応はするのだろうが。
なお、彼は別に人付き合いが嫌いというわけではない。
嫌いではないのだが人付き合いが面倒だとは感じるため対応は必要最低限の言葉だけで済ましているだけだったりする。
そういった人間相手に仲良くなるなら長い時間をかけて互いに慣れていくしかない。
ネムレスが言ったように長く宿に居続けて金を落としていれば、ライドウもある程度気にかけるようになり、そこから仲良くなることは十分に可能だ。
そうして仲良くなるとこういった人間も案外面白い一面を持っていたりするものである。
「でもまあそこまでして仲良くなろうとは思わないけどね」
「同感。それにこの街にはとびっきりの相手が既にいるものね」
だが、ナナシもネムレスも長く居続けるつもりはなく、従ってライドウとも仲良くなろうとは考えていなかった。
別段時間をとってまでライドウと仲良くなりたいと思うほど二人は彼に興味を抱かなかったのだ。
それよりも上質な相手がこの街にいるのだから。
とはいえナナシたちはおそらくライドウも殺すだろう。
それは二人が狂人であるがゆえに。
興味を抱かなかったからといって殺す対象から外れるわけではない。
普通に泊めた客に突然殺された時のライドウの様子はそれはそれで面白いだろうとナナシたちは考えていた。
「まあとりあえず昼食を食べようか。ここ最近はひたすら快楽だけ満たして何も食べてなかったしね」
「別に必要じゃないのに食べたくなるのも不思議よね」
すでに日は真上に近く、昼食にはちょうどいいとナナシは提案し、ネムレスがそれに賛同した。
ハイラントの街までの間、途中の村で殺戮の限りをつくした二人だったがその間寝ることも食べることも二人はしていなかった。
ただただ狂気に染まり狂気に支配されていた二人はそれ以外のことをしようとは思わなかったのである。
実はナナシは狂気に支配されていたことを少しだけ後悔していた。
狂気に支配され殺戮していった時の村人たちの恐怖はよかったがその時の自分は少々見苦しい姿だったと今は感じていた。
狂気は自分の中にだけ秘めておかなければならない。
むき出しの狂気はナナシの好みではないのだ。
だからこそ落ち着いた今やることと言えば世間一般の人のように行動することだった。
そうして疑似的に普通の人間を装うことで狂気の臭いを消すのだ。
そのほうがいざ殺したときの相手の恐怖は格別なものになるとナナシは信じていた。
一方のネムレスにはそういった考えがあるわけではない。
ナナシに強く依存し、ナナシこそ絶対と信じる彼女の狂信によってナナシが狂気に支配されたから自分も支配されナナシが狂気を抑えようとしているから自分も抑える。
今回もナナシがご飯を食べようといったからこそネムレスもご飯が食べたいと思い始めたに過ぎない。
ネムレスにとってはすべての理由がナナシがそうしていたから、そうしようとしているからというものに帰属するのだった。
そこにネムレスの私情はないようにも思えるがナナシこそ絶対として依存することは彼女に至上の喜びを与えているのである。
その様子を見てナナシも好ましく感じていた。
自分とは違う形の狂気をナナシはとても美しいと感じるのだった。
やがて二人は無愛想なライドウに部屋の鍵を預けて宿から出て、おいしそうな臭いを振りまく屋台広場へと歩いて行った。
ハイラントの街の東側には巨大な山脈が南北に伸びている。
それはそのままヘイグラント王国の国境にもなっていた。
ただ、山脈の向こう側にある一部の領域だけはこの国の領土となっている。
そしてその領域を内包するのがハイラント領でありその領域にはこの街からしか行くことはできない。
その領域までは山の中を掘り進んだトンネルを抜けることで行くことが可能だった。
領域の名はレゾルス大迷宮。
魔物は魔力溜まりから発生する。
通常であれば、魔力溜まりは発生と消失を繰り返して一定の場所にあるものではない。
だが、ごくまれに魔力溜まりが定着しその場にあり続けることがある。
その一定の場所に定着した魔力溜まりこそが迷宮である。
また、定着した魔力溜まりは通常のものと違いその場所を迷路のように変化させ、その環境に合わせて限定した魔物を発生させるようになる。
レゾルス大迷宮はそんな迷宮の中でもかなり大きい迷宮で発生する魔物はゴーレムだけという少し変わった迷宮だった。
ゴーレムの体は様々な無機物で構成されていてつまりは多くの鉱石を内包していた。
そのため延々と湧くゴーレムは倒しさえできれば有用な資源へとかわるためこの国でも重要な領域の一つである。
ハイラントの街はこの迷宮の管理と監視の役目を担っていて万が一迷宮から魔物が溢れたりなどの問題が起きたとき領主はいち早く対応せねばならない。
そのため街の東側に領主の館があった。
館というよりも砦や要塞といったほうがしっくりとくるような造形であるが便宜上は館と呼ばれている。
そこでゴルド・フィル・ハイラントは最低限の仕事をしてから部屋に籠り、心を鎮めようとしながらも迷宮へ至る道を部屋の窓からじっと監視していた。
そして彼は思わぬものを目撃する。
それはフラフラとした足取りで迷宮へ続く道から出てきた者の姿。
身に纏っているのは一部こそボロボロだがほとんど汚れもなく綺麗な翡翠色のドレス。
そんな綺麗なドレスを着た、少しやつれているようにみえる女性はやがてトンネルから出てゴルドの方を見て安堵したように笑った後すぐにその場に倒れ伏せた。
突然現れて倒れたその女性の姿にゴルドには心当たりがあった。
心当たりどころか彼女の生まれた頃からよく知っている。
「サ、……サラ……?」
目を見開きながら思わずゴルドは呟く。
その心当たりがある人物の名を。
トーレに行く途中で消息を絶った娘の名を。
しばらく驚き固まっていたゴルドだったが倒れた女性に街の兵士が駆け寄ったのをみて我に帰り慌てて人を呼び、倒れた女性を拘束してからここに連れてこいと指示を出した。
ゴルドの表情には喜びの感情は一切なく、怒りで顔を歪め鬼気迫る顔をしていた。
ゴルドは決して無能ではなく情で判断を誤る人間でもなかった。
トーレの街での事件、ハイレムの街での事件その道中でもいくつか事件があったことをゴルドは知っていた。
ハイレムの街で一連の事件が闇魔法使いによるものだとギルドが情報を回してきていたからだ。
娘であるサラは死体も出て来ておらず未だ生死不明であったのだが迷宮への道から現れたことでゴルドはほぼ確信した。
娘は死んだのだと。
そしてあれは件の闇魔法使いによる挑発なのだと。
それでも拘束して連れてくるように言ったのは零にも等しいほどに小さくとも可能性があったからだ。
もしかしたらサラは攫われて密かに迷宮に運び込まれ辛くも逃げてきたのかもしれない。
そんな可能性をゴルドは捨てきれなかった。
領主として判断は誤れない。
それでもあれが娘で生きているのだという可能性も親として捨てられない。
その妥協点として拘束して確認するつもりだった。
だが、その確認の必要はすぐになくなった。
「なっ!? くそっ、こちらの考えが読まれたのか!?」
部屋から倒れた女性を拘束するために近づく兵士の様子を見ていたゴルドは目を見開いて驚愕した。
拘束するための道具を持った兵士が近づいた途端突如、ソレは立ち上がったかと思えば兵士の喉に飛び掛かり噛みついた。
尋常ならざる力で兵士を取り押さえつつ、喉を噛み切って血しぶきが上がる。
ソレは気にする様子も見せずに再び兵士の喉にさらに噛みついては肉を引きちぎり食べているようだった。
周囲にいた兵士は突然のことであることに加え人を食っているその様子に恐怖し数秒固まっていた。
だが、我に返ると全員が剣を抜きソレに斬りかかる。
もはや拘束して連れてくるという命令に従うことは不可能だと判断しこの場で殺すことにしたのだった。
その様子を見ていたゴルドも鎧を着て武器を持って館からでようとしていた。
ただ連れてこいというのではなく相手が闇魔法使いに操られている可能性も伝えておくべきであった。
いや、状況的には即時攻撃し無力化しろとの命令を出すべきだったのだ。
自分の判断ミスで兵士が一人犠牲になってしまったことを悔やみつつも呆けてる暇などない。
幸い兵士たちも持ち直していたので何とかなるだろうと考えつつも言い知れぬ不安に背を押されるようにゴルドは走って現場へと向かった。
そしてゴルドが現場に辿りついた時、目にしたのは兵士たちの無残な姿とそれを食べるサラの姿だった。
「そんなばかな……あいつらは迷宮から魔物が溢れても対応できるようにかなり鍛えられた奴らだったのだぞ!?」
「へえ、やっぱり腕のいい人たちだったんだねえ」
「でも認識できない相手にはその腕も振るいようがないんじゃないかしら」
驚愕し思わず声を荒げたゴルドのすぐ背後から聞き覚えもなく、今この場にいるのはおかしいほど幼い声がした。
その声に瞬時に前方へ大きく跳躍しながらも振り返るゴルドだったがそこには誰もいなかった。
「どこ見てるんだい? こっちだよ」
「ふふっ感動の親子の再会なのに拘束しようだなんて酷い父親ねえ、あなたって」
再び後方、やや離れたところから声がしてゴルドが振り向けば、そこには未だ四つん這いになってひたすら兵士の屍肉を貪るサラ――もはやサラなどではなく屍食鬼としか言いようがない――の姿と、その腰の上に足を組んで座る黒い髪の少年、その少年を後ろから軽く抱くようにして立っている暗い赤色のロングワンピースを着た紅い髪少女がいて楽しそうに笑ってゴルドを見ていたのだった。
そして少年が口を開く。
「やあ、こんにちは。今日もいい天気で。ゴルド辺境伯様、あなたの娘さんを『保護』して遥々、連れてきましたよ?」




