20話 名前をなくした彼女の愛
二人の狂気に選択を迫られたヘミナはしばらく黙りこみ考える。
考え込むヘミナにナナシたちは彼女が選ぶ前に不老不死になる方法を教えた。
そうしなければ不公平だからだ。
最初こそ悪い冗談かと思ったがナナシとネムレスの様子に冗談を言っている気配はなく真剣そのもの。
その様子にナナシたちの言葉に嘘はなく、不老不死を望めば本当に不老不死になれ、拒否すれば殺されるだろうということもヘミナは理解した。
そして、どちらを選んでも大切な家族やこの宿にいる人は皆死ぬことも正しく理解した。
どちらも拒み、どんなに抵抗しても容易く殺されるだろうことはなんとなくだがヘミナは直感的に分かっていた。
どの道宿にいる人が死ぬのであればこれはただヘミナの生死の選択と言える。
永遠に生きるか、永遠の眠りにつくか。
大雑把に言えばそれだけだ。
だが実際には生を選んだときには、息苦しくなるほどの重い罪を背負うことになる。
親殺し、人殺しの罪を背負うことになるのだ。
親や宿に泊まっている人たちを殺すなどヘミナはしたくない。
かといって断れば死ぬのだ。
当然死にたくもない。
逆にナナシたちを殺して生き残るという第三の選択肢もあるが、それは不可能だと直感で悟ってしまっている。
死にたくはない。
だが、大切な人を犠牲にして生き残るというのもヘミナは嫌だった。
これがナナシたちから与えられた選択肢ではなく、何か魔物の群れに襲われ命がけで守られた状況であればヘミナも涙を流しながらも生き残る方を選んだだろう。
だが、そういった意味での犠牲ではなく自分で殺して生きるのだ。
そんなのは絶対に嫌だというのがヘミナの気持ちだった。
ヘミナは死にたいわけではない。
だが大切な人たちを殺してまで生きたくはない。
そんなことをして生きるくらいであれば大切な人たちと一緒に死んだ方がマシだと考えた。
それ故にヘミナは長い思考から戻り、ナナシたちを真っ直ぐ見つめる。
「私は……私は不老不死になんてなりません」
そしてはっきりとそう答えたのだった。
「そうかい? それは残念だ。せっかく仲良くなれたんだから一緒に居たかったんだけどな……」
「本当に残念ね……。でもあなたの両親はどんな方法でも生きていて欲しいと思うんじゃないかしら?」
ナナシたちはその答えに本当に残念そうに、寂しそうにつぶやく。
ネムレスは一応揺さ振りをかけるために両親を引き合いに出してみた。
「いえ……父も母もそんな方法で生き延びることなんて望まないと思いますし、仮に望まれても嫌です。私は大切な人を犠牲に不老不死になろうとは思いません」
だが、ヘミナは一切迷うことなくそれをキッパリと否定した。
両親だってそんな方法は望まない。
もし、両親にナナシたちの話を言えばおそらくナナシたちに反抗する道を選ぶだろうとヘミナは考える。
だからこそヘミナは両親にはこのことを言うつもりもなかった。
それ以前にナナシたちがそれを許してくれるのかという問題があるが、おそらくは見逃してくれるだろうという確信がヘミナにはあった。
だが、言ったところで逃げることはできない。
ナナシたちの発する狂気の気配がそれを直感させるのだ。
自分たちの行動をナナシたちは楽しんでいるのだと。
そしてその行動次第でナナシたちは殺し方を変えてくるのだと。
ヘミナはそれを分かっていた。
そしてもう二人からは逃げられないのだ。
生きることを選ばなかったヘミナの取れる行動は大切な人たちに与えられる死をどれだけ安らかなものにできるかということだけである。
「不老不死を断った以上……私もこ、殺されるのよね?」
「まあね。とはいえ、秘密とか関係なくこの宿に偶然来てからもともとそうする予定だったけどね」
「……じゃあ……じゃあなんで……なんで突然私に不老不死として一緒にいようって誘ったの……?」
「それは友達だからさ。おかしいかい? 仲良くなった友達とできれば離れたくないというのは」
「私たちは今でもあなたのこと、友達だと思ってるわ。でもだからこそ私たちは殺したくなるの。大切だから壊したくなるの」
覚悟を決めたがやはり死は恐ろしく震えた声でヘミナは問いかけた。
そしてもともとその予定だったと聞いて数日前に一緒に遊んだのはなんだったのかと悲しくなった。
それなのに今度は不老不死に誘って一緒にいようというのはどういうことかと聞けば、友達だからという理由。
ナナシの言葉にもネムレスの言葉にも本当に暖かい想いが籠っているのをヘミナは確かに感じていた。
だからこそなぜそんな想いを持っているのに殺すのかが分からなかった。
「なんでよ……今も友達と思ってくれてるのならなんで……殺すの?」
「そうだね……たとえば仲良くなった友達と笑い合いたい。笑わせたいとか触れ合いたいとか色々あるけどどれも理由なんて説明できないし、そもそも理由なんてないよね。同じように友達だから殺したいんだ。好きだからこそ壊したくなる。……まあ、分かんないだろうけどね」
理由を問われてもナナシは答えられない。
より親密になればなるほど殺し、壊したくなる、そこに明確な理由はないのだ。
けれどそんなことは常人には理解できないことだっていうのはナナシも分かっている。
だからなのか最後に加えた一言を言ったとき、ナナシは少し苦笑しながらもどこか悲しそうな、寂しそうな表情をしていた。
ヘミナは確かにその表情を見た。
狂気の中にある悲しみと寂しさの詰まった表情を。
それを見てヘミナの体から震えが消えていた。
いつの間にか殺される恐怖がなくなっていて、代わりに別の感情が芽生えていた。
それはとても暖かいものでこの状況で芽生えるはずのないものだった。
「やっぱり分からないよ……好きなのに殺すとか壊すとか全然わからないよ……。でも、ナナシもネムレスも人を殺して快楽を得るって言ってたよね……? じゃあ……いいよ……私を、殺して。それでナナシたちは心が少しでも満たされるのなら私はそれを受け入れる。恨んだりだってしない。そういった想いを受け止めるのも友達、だから……。でも……できれば痛くはしないでね?」
そう、ヘミナは優しく微笑みながら言ったのだった。
その表情に恐怖も嫌悪も憎悪もなく、ナナシたちを純粋に思いやる心に満ちていた。
辛い選択を迫られた十二歳の少女の精神はその苦境の中で急速に成長していった。
そして突然の友達の裏切りに等しい行為を許し、受け入れることを選んだ。
ヘミナが抱いた感情。
それは愛情というものだった。
ヘミナは自分を殺したいという二人を愛おしく思い、受け入れようとしている。
そんな感情をこの場で抱くなど通常であれば到底ありえるはずのないものだ。
そんな感情を抱けるというのならそれは狂気にも等しい。
ヘミナは間違いなく愛情を抱き、ナナシたちに向けている。
精神が、即ち魂が急速に成長したヘミナは急速な成長に歪み狂っていた。
ヘミナもまた狂気に染まり、狂人となっていた。
だが、その狂気はどこまでも暖かく愛おしいものだった。
ナナシもネムレスも、ヘミナのその言葉と表情、そしてはっきりと感じるその愛情に驚き、しばらく呆然として固まっていた。
この時であればヘミナも逃げることはできたかもしれない程の隙を見せていたナナシたちだったが、彼女はそれをしなかった。
どころか、そうする気も起こすことなく、ただ優しく微笑みながらナナシたちを見ていた。
「……君は本当にすごいね、ヘミナ」
「……そんなあなただからこそ私たちはあなたに惹かれたのね」
やがて立ち直ったナナシとネムレスはゆっくりと感嘆の声をあげた。
この状況で死を受け入れ、こちらに優しい表情を、感情を向けられるなど思ってもみなかった。
そんなヘミナのことをナナシもネムレスも素直に凄いと思い、ある意味では敵わないなとも思った。
けれども二人は殺すことをやめようとはしない。
そんな素晴らしい友人の姿に二人はますます興奮していた。
「じゃあヘミナ。今から君を殺すよ……君の望み通りに苦痛は与えずに。もちろん他の人たちにもね」
「皆、苦痛を感じることなく穏やかに逝けるわ」
「うん……ありがとう」
興奮している反面、外から見たナナシとネムレスは非常に穏やかな様子だった。
そして、一切の苦痛を与えることはしないと約束した。
それもヘミナだけではなくこの宿にいる人全員に対してだ。
この状況で思わぬヘミナの言葉に、想いに、狂気に二人の心は少なからず動かされていた。
思わぬ答えを導き出したヘミナに、ナナシたちはナナシたちなりの誠意で答えようとしたのである。
「じゃあ……『生命吸収』」
「ヘミナ……あなたは私たちの最高の友達よ」
ナナシが生命力を徐々に奪う闇魔法を行使し、その隣でネムレスがヘミナに話しかける。
ヘミナは徐々に力が抜けていくことを感じながらも二人を優しく見続けていた。
「ねえ、ネムレス……私、実はあなたが羨ましかったんだ……」
「ええ……ヘミナの気持ちには気づいてたわ。私は別に気にしなかったのよ?」
「そうだったんだ……じゃあ気持ちを伝えればよかったな……」
だんだん死が近づくのを感じながらヘミナはネムレスに笑いかけながら言葉を零す。
ネムレスはヘミナの手を握ってそれに答えた。
二人にしか分からない会話でナナシにはなんのことだかさっぱりだったが何を言うことなく様子を見ていた。
「今からでも言えばいいじゃない。私は応援するわよ」
「……いいの?」
「もちろんよ。あなたは私の友達だもの……ナナシは私もあなたもまとめて愛してくれるわ、きっと」
ネムレスは心からヘミナを応援したいと感じていた。
だから最後にナナシには聞こえないようにヘミナの耳元に口を寄せ、小声で囁く。
「へへ……ありがとう。じゃあ一緒……だね」
「ええ、私たちは想いは一緒よ。いつまでも」
ヘミナもネムレスも互いに微笑んで笑いあっていた。
それからヘミナはナナシのほうを向く。
「ナナシ……あなたに伝えておきたいことがあるの……」
「それはなんだい?」
「私ね……ナナシのこと……ずっと……」
魔法によって既に生命力はかなり小さいものとなっているヘミナは強烈な眠気を感じていて、それを必死で抑えながらもナナシに伝えるべきことを伝えようとする。
「あなたのことが……好き……だったんだ……」
「それは……どうして?」
「好きになるのに……理由なんて……ないよ……。でも……きっかけは……私を……引っ張り出して……くれた……こと……かな……?」
「そう、なんだ」
「……ああ、もう……限界……かな……本当に……苦しく……な……や……。あり……う……伝え……れてよか……た……大好……き」
ヘミナはゆっくりと瞼を閉じていく。
徐々に意識が闇に沈んでいくかのようだった。
完全に意識が途絶える寸前にヘミナはナナシの声を聴いた。
――僕もヘミナのこと大好きだよ。友達としても……一人の女の子としてもね。
すでに命の無いただの肉であるはずのヘミナの身体をナナシは強く抱きしめていた。
その表情は純粋な子供のように笑っていた。
だが、その頬には一筋、濡れた痕が走っていた。
床には数滴の水が落ちたかのようにシミになっている。
ネムレスもヘミナの手を握りながらもナナシの様子を見守っていた。
翌日の昼。
街の警備をしている兵士の詰所やギルドに手紙が届けられた。
誰が出したかもわからぬそれには穴熊亭に異変があったことだけ書かれていて、一応念のためにと調査に入ったところ、穴熊亭を営んでいた一家に、泊まっていた客全てがベッドの上で死んでいるのを発見する。
死体に目立った外傷もなく毒で死んだように顔色も悪くなかったことから件の闇魔法使いによるものだと断定された。
死体を発見した兵士達は皆不思議に思っていた。
どの死体も一切苦痛を感じていないような穏やかな表情で死んでいたのである。
特に宿屋の娘である子の表情は嬉しそうに笑っていたのだった。
Her name is missing.
Hemina




