父の葛藤
2話目です
窓から差し込む陽の光に、儂は目を細めた。
「あー……頭が、痛い」
独言を呟きつつ、手を頭に添えて俯く。
原因は何てことはない……二日酔いだ。
ベッド脇のテーブルに置かれている水差しからコップに水を移し替えると、一気にそれを仰ぐ。
そして服を着替えると、普段よりも幾分かゆっくりとした歩調でゲストルームから出た。
「おはようさん、ガゼル」
「ああ、おはよう」
応接室に着くと、そこにはロメルが既にいた。
「随分と顔色が悪いなあ……英雄様も年には勝てないかあ?」
「そっくりそのまま言葉を返すわ。お前も、顔色が随分と悪いぞ?」
儂の言葉に、ロメルは言葉の代わりに苦笑いを返した。
「……今頃、メルリスはここに来てお前の奥さんにしごかれているのか」
「ああ。あいつは凄えぞぉ。精神力の強さが、な」
珍しいロメルの得意げな笑みに、儂もつられて笑った。
「お前の手綱を握り続けている事実だけで、それは想像がつくわ」
「ハハハ……それもそうか。ま、メリーちゃんなら、あいつの教えにも付いていけるだろうがな」
「ふん……当たり前だ」
少し誇らしげに同意しつつ、儂はソファーに深く腰掛けつつ上を仰いだ。
再び頭痛がして、つい顔を顰めている。
壁に控えていた使用人が、水の入ったコップを机に置いた。
お茶ではなく水を置いたのは、儂らの体調を慮ってだろう。
「少し、下がってくれ」
ロメルの言いつけに使用人は頭を下げると、そのまま部屋から出て行った。
「コレ、ありがとなー」
ヘラリと笑って、そのままの体勢で顔だけ使用人のいる扉の方に向け手を振る。
その言葉に、使用人は足を止めて再び頭を下げると今度こそ部屋から出て行った。
「……さて、と。冗談はこのぐらいにして、真面目な話をしようか」
そう言ったロメルの目つきは鋭く、先ほどまでの軽い空気を吹き飛ばす。
「ヴェルスの話だな」
「……そ、お前さんの弟の話だ」
「あれから何か動きは?」
「今のところ大人しいものだ。まあつまり、特段動きはない」
「そうか……」
「お前の弟さん、なかなか上手くやっているもんだ。鉱石の足取りを掴もうと調査は継続しているが、残念ながら未だ確かなことは分かっていない」
「……なるほど、な」
「次に傭兵たちだが、今のところ他領に流れている痕跡がないことは確認済だ」
「それは、どう確認を取っているというんだ?」
「この国に流れ着いた傭兵稼業を担う者たちは、基本、警備の職に就くか、何でも屋のような斡旋業者に登録して仕事を受領するんだ。その登録業者に秘密裏に確認を取ったんだよ。人員が増加していないってことをな」
斡旋業者は、元々トワイル国との戦時中に傭兵たちが流入したことがキッカケでできたものだ。
戦後も各地で復興作業のための人員の不足に見舞われていたため、常に働き手を求めていたし、傭兵稼業を営む者もその日の糧を得るための仕事を求めて入国していた。
やがて増えた傭兵を効率良く活用するべくできたのが、その斡旋業者だ。
「ほう……」
「それから、各地の関所から取り寄せた資料も確認している。まあ結果、人の流れに不審な点は見受けられず……だ。併せて、各地の商業ギルドに物流・物価の調査を依頼し確認を取ったが……市場に流れている物の量が変わらず、物価の上昇も見られないなかった。つまりは、物の消費量は変わっていないということだ。人が増えていたら、そうはならないだろう?」
「……お前、それを全て自分で調べたのか?」
調査の内容を聞いて、思わず儂は問う。
誰が聞いても同じことを思うだろう……聞いただけで、確認を要する資料は相当な量になるのは想像がつくのだから。
「期待に添えず申し訳無いが、ルイだよ。……ちと、俺には別件があってな」
「ルイ殿が!」
想像と異なる答えに驚き、思わず大きな声をあげる。
瞬間、二日酔いの頭に響いて水を一気に飲み込んだ。
「ああ。勿論確認の意も込めて俺も調査報告書には目を通してはいるがな。必要と思われる調査はルイが全て指示し指揮を執っている」
そう言って、ロメルは苦笑いを浮かべる。
「あの若さで……そりゃ、凄いな」
儂もまた、乾いた笑みを浮かべていた。
「それはともかく、後は人里離れたところに潜伏している可能性はなきにしもあらず……だが、これを調べるとなると、各地に人員を派遣しねえといけねえからな。勿論表向き別の理由で既に各地には派遣しているが、時間はかかるだろうな」
「……そうだろうな」
「それとは別に、お前さんの弟の行動の動機を考えてみた訳だ。……本来、お前さんの弟が侯爵家当主に立つはずだったんだろう?」
「……っ。ああ、その通りだ」
「と言うことは、一番に考えられるのは家督問題。傭兵を集めているのは、アンダーソン侯爵領にて内紛を起こすためってところだろう。つまり傭兵は、アンダーソン侯爵領内にて潜伏している可能性が高いと見ている……という訳だ」
「……以前、お前は儂と弟が共謀している可能性を考えていたと言っていたな? それは、どういうことなんだ?」
「……あくまで、想像の話だぞ? 英雄であるお前さんの国への影響力……特に軍へのそれはは相当なもんだ。だから、まあ……有り体に言えば王家への離反も警戒していたんだよ。他の領地の傭兵の流入が横ばい乃至減っていたと言うのに、アンダーソン侯爵家だけは不自然なことに少しずつ集まっていたからな」
「なるほど……」
「それはさて置き、まあ……お前さんの領内の問題はお前さんで蹴りをつけたいだろうが……こちとら、お前さんを失いたくはないんでな。引き続き、調査は続けさせるさ」
「恩に着る」
「だがな……このままヴェルスを泳がせていても良いことはない。お前さんが動かんなら……こちらで兵を差し向けて、殺させるぞ」
先ほどまでの軽快な雰囲気を捨て去り、宰相の仮面を被ったロメルが現れた。
「それは……!」
儂はつい反発するように顔を上げ、睨む。
張り詰めたような緊張感が、室内を満たしていた。
「……何故、庇おうとする? お前の妻を殺し、娘と息子を害そうとした人物だろう?」
ふうと息を吐きつつロメルがそう問いかけた瞬間、幾分かそれまでの圧が和らいだ。
それでも未だに口調が宮中にいる時のそれということは、宰相の仮面は外していないということに他ならない。
「……か、庇おうとは……」
「しているだろう? 領主としての権力を使おうが、暗殺をしようが、お前の圧倒的な武力を使おうが……手段はどれでも良い。お前が殺せば話は早い」
その指摘に、儂はワナワナと震える手で頭を抱える。
「……今のところ、ヴェルスの嫌疑はアンダーソン侯爵家夫人の殺害教唆及び幇助とアンダーソン侯爵家子息子女の殺害教唆、そして王都での連続子女誘拐事件幇助。お前にも見て貰った通り、アンダーソン侯爵家夫人と子どもたちへの殺害教唆は証拠が見つかっているが……ある一時から手口が巧妙になり、王都連続子女誘拐事件は状況証拠のみだな」
「だから、王国法で裁くことは難しいと?」
「いいや、王都連続子女誘拐事件以外は裁判で立件が可能だ。……だが私は、お前の名誉を守ることを優先する。本件が明るみになれば、アンダーソン侯爵家は元より、英雄であるお前の名にすら傷がつく」
「……はっ。法よりも評判か」
「笑いたければ、笑え。だが、このまま奴を野放しにしておく訳にはいかないのは事実だろう? お前の侯爵領内で内紛を起こされるよりも先に、早々に始末をすべきだ。それに、お前はお前の評判をもう少し気にした方が良い」
「自分の評判など……」
「……間違っても、どうでも良いなどと言ってくれるなよ?」
ギロリと、ロメルは儂を鋭い視線で睨みつけた。
「良いか? 先だっても伝えたが、お前の名はそれだけで他国への牽制となっているのだ。……トワイル国との戦争で受けたこの国の傷は、まだ癒えていない。良いか、まだ全然だ! だからこそ、他国へ隙を見せてはならないというのに……その状況を理解していない馬鹿がいかに多いことか。お前の英雄という名を妬み、お前を陥れようと虎視眈々と狙う輩がいる始末! そのような状況下で、お前の領内で内紛が起こるなど……お前が王国裁判で争うなど、許容できる訳がなかろう!」
ドン、とロメルは机を叩いた。
それは煮え切らない儂への苛立ちというよりも……トワイル国との戦争で受けた国の傷が癒えていないという事実に、胸を痛めているようだった。
事実、彼はその言葉を言う時だけ殊更に顔を顰めていたのだから。
「……なぜ、お前がそんな悔いた顔をする?」
そのことに気がついて、つい、その問いかけを口にしていた。
……ロメルはすぐにその意味に気がついて、まるで自嘲するかのように口元を歪める。
「当たり前だろう。私の役目は、いかに国を守るかだ。……民たちの安定した暮らしを守ることが、私の責務。つまり、戦をいかに起こさせないか……だ。だというのに、私は戦を止めることができなかったのだ。全く、無能な宰相とはこのことだ」
「それは……仕方のないことだろう。誰だとて、全てを予見することはできん」
「仕方ない? 仕方ないという言葉で済まされるほど、流した血は少なくないのだぞ。私はあの時、職務を全うすることができなかったのだ。……だからこそ、私は忘れてはならない。あの時の、犠牲を。そして忘れないということは、もう起こさせないということと同義なのだ!」
ロメルの気迫は、鬼気迫るものがあった。
それだけ、彼の思いが本気だという事が嫌でも分かるほど。
彼の気迫に押し負け、儂は再び俯く。
僅かに震える身体を、両の手で抑えながら。
「……何でだろうなぁ」
暫く無言が続いた中、ポツリと呟きが発せられた。
「儂は……メリルダの死に関わっていた輩を、残らず地獄に送ろうと思っていた。それが、生きがいだったんだ。お前さんの言う、黒幕という輩も勿論そうするつもりだったんだ」
言葉を重ねる度に、儂の身体の震えは大きくなっていた。
何故、こんなに体が震えるのだろうか。
そんな疑問が、頭を過る。
「ヴェルスだとて、憎いさ。殺してしまいたいほど! 儂からメリルダを奪った張本人なのだから……!」
ロメルは、何とも言えない表情で儂を見ていた。
その瞳に映るのは、憐憫。
「お前に、分かるか!? 愛した女の記憶が、時と共に薄れ逝くその恐怖が! 彼女の笑った顔、彼女の柔らかな声……! あんなにも鮮明に覚えていたというのに……こんなにも愛していると言うのに……時と共に容赦なく記憶が奪われていくんだ……! だと言うのに、彼女の血まみれな姿だけは嫌でも記憶に残っていて……彼女を守れなかった儂を、儂自身が責め立てる!」
……ああ、そうか。
自分の気持ちに気がついて、頭の冷静な部分が儂自身を嘲る。
「だというのに……儂の中に残されたヴェルスと積み重ねてきた記憶が、情が、それを躊躇わせるんだ……! あやつがどう思うが、儂にとっては大切な家族だったんだ……!」
大切だったから。
……儂にとっては、それでも大切な家族だったから。
例え奴が儂を心底憎んでいたのだとしても。
……事ここに来て、その憎しみを信じたくないとすら。
けれども、ロメルが虚言を言うわけはない。
短い付き合いながら、奴がどれだけ国を思って動いているのかを儂は知っている。
その責任感には、儂すら尊敬の念を抱いているほど。
そしてそれ故に、儂のこの件を捨て置けないと先ほど奴自身が言っていたではないか。
……だから、この件に関して奴が虚言を口にするとは到底思えない。
そもそもで、奴がそのようなことを儂にする筈がないと信じ切れるほどには、儂も奴と仲を築いて来たというのも大きいが。
「お前こそ、笑いたければ笑え。あんなにも、復讐を遂げると息巻いていたというのに……いざとなったら、こんな情けない姿を晒す儂を」
詰るように言った儂に、けれどもロメルのその瞳は不思議と凪いでいた。
「……笑えるな」
そしてポツリと呟く。
その言葉に、儂はついピクリと身体を一瞬大きく揺らした。
「私は……常に頭の片隅で取捨選択をしている。何かを判断する際に、どれがリスクが少なくいなものか……そのために何を諦め、何を取るか選んでいる。全てを手にすることが理想だと思いながら、一方で現実的にそれは無理だと。どこの線でそれを見極めるか、いつも頭の片隅で計算していた。その考え自体が諦めだというのに。……例え、どれだけ大切だと思った記憶があろうとも、必要とあればいとも簡単に切り捨ててしまう」
視線を上げれば、ロメルはまるで幼い迷い子のような……そんな戸惑いや惑いをその瞳に映していた。
ロメルの在り方は、決して責められるものではない。
宰相としてその責務を果たすために、今まで幾つも選択しなければならない場面に遭遇してきたのだろう。
中には選択肢が限られ、かつ、非常に選択に困ることも。
そしてその度に選んだきたのであろう。
心で涙を流しながらそれでも冷酷な仮面を被り、大多数を取る代わりに少数を切り捨てる選択を。
……その少数の中に、『大切』があろうとも。
「一体、どれだけのモノを切り捨ててきたんだろうな。勿論、私はそれを後悔したことはない。していないが……時々、考えることがある。あの時切り捨てなければ、どうなっていたのかということを。きっと私がお前の立場なら、私は早々にどちらかを諦めて選んでいるんだろうな。……だが、お前は諦めない。簡単に、切り捨てない。大切だと、過去の記憶すら愛おしんで。その有り様が、お前らしくて笑える」
ロメルの中にあるのは、信念という名の一本の柱。
その柱を前に、大切なものはその姿を如何様にも変える。
時には慈しみ深く、けれども必要とあらば時には酷く冷酷に切り捨ててしまう。
それ程に、彼の中でその柱は絶対的なものなのだ。
……全く異なる、儂らの有り様。
己の有り様故に選んできた選択肢を、ロメルはきっと後悔などしない。
けれども今のロメルの言葉やその雰囲気は、まるで儂を羨むように……眩しげに、目を細めていた。
「……まあ、元々はお前さんの身内の問題だ。一旦、この件はお前さんに預ける」
ふう、と息を吐きつつロメルが言葉を続ける。
その口調は先ほどの宮中のそれが、崩れていた。
「だが……次に少しでも俺が動きを察知したら、俺は迷わず私兵を動かすぞ。相応の期間お前が動く様子がなければ、その時もまた勝手に動く」
「……ああ。すまん」
それ以上は言えず、儂は頭を下げる。
……ロメルにしてはあり得ないほどの譲歩をしてくれたのだと、分かっていたからこそだ。
「必ず、儂が片をつける。……どのような形になろうとも」
そしてそれ故に未だ心は惑いながらもも、儂は覚悟を決めていた。
決別する、覚悟を。




