第四十六話 堕落した獣
「アカオちょっと太ったかしら?」
ある日、アカオの毛づくろいをしながら飼い主の金剛寺がそんなことを口にした。小首を傾げるアカオだが、金剛寺がぷにぷにとお腹の辺りを突っつくとくすぐったそうにしながらもアカオが喜ぶ。
「う~ん……」
毛づくろいを終え、金剛寺が改めてアカオを見る。ちなみに今は部屋の中だ。アカオはちょっとしたマイクロバス程度の大きさがある巨大な獅子だが、そんなアカオがいても余裕があるほどに部屋は広い、はずだったのだが、若干窮屈に思えてきた金剛寺がいる。
するとアカオがくるりと金剛寺に背中を見せて、テーブルの上に置かれていたメロンをむしゃむしゃと食べ始めた。皮もむかずに一玉食べ、更にブドウやリンゴも食し、ついでにクッキーやチョコ菓子も遠慮なく頬張り食い尽くす。
たとえそれで皿が空になったとしても、金剛寺家には優秀なメイドたちがいてすぐに補充してくれる。アカオにとっては天国のような環境だった。
「失礼致しますお嬢様」
すると早速メイドがやってきて、空になった皿を見て補充を開始する。するとアカオが盛られた先から平らげてゲプッと声を漏らした。
「……お嬢様。一つ宜しいでしょうか?」
「うん? 何かしら?」
「ペットのアカオのことですが――少々……いえ、正直申し上げて太り過ぎではないかと思うのですが」
「え! やっぱり貴方もそう思う?」
「はい」
金剛寺が問いかけると頭を下げメイドが答えた。このメイドは金剛寺家では最も優秀なメイドである。そんな彼女が言うのだから間違いないのだろう。
「なんとなく少し太ったかなぁとは思ったのよね」
「少し、というにはまん丸くなりすぎかと……この部屋も手狭に感じる程です」
「うそ! そこまでだったなんて……確かに窮屈かもとは思ったけど、毎日一緒だと中々気が付かないものね。でも、どうしてかしら? 毎日散歩は欠かせてないのに」
「単純に食べ過ぎかと思います。前は肉食で、肉以外口にしませんでした。それが魚も食べるようになり貝類もいけるようになり、キャビアなどの卵系は勿論、しかも今など普通に果物を食べた上、お菓子までバリバリ食べてますからね。もはや肉食とはとても言えない状況です」
「ガウ?」
メイドに指摘されるもアカオは小首をかしげるばかりだ。その上メイドが再度補充した果物と菓子にもまた手を付けようとする。
「ていッ!」
「ガウ!?」
しかし、アカオが口にする前に素早くメイドが皿を持ち上げた。アカオが必死に食べ物を奪おうとするがメイドはひらりひらりと躱し、そのうちにゼェゼェと息を乱した上、ゴロンっとふてくされて横になってしまった。
「見てくださいお嬢様。あの体たらくを。以前と比べて明らかに体力が落ちていますし、動きも鈍い。あんなのもう魔獣でもライオンでもありません。ただの太った赤い猫です。デカイだけの豚猫です」
「ガウゥ……」
メイドは中々に辛辣だがアカオは怒らない。随分と穏やかになったものだ。いや、ただ面倒くさくて動きたくないだけのようだった。
「クワァ~」
しまいには大欠伸を決め込んで眠りだした。アカオはこの環境に馴染みすぎてすっかり堕落していたのである。
「話は聞かせていただきましたぞ」
するとガチャリとドアが開き老齢の男性が部屋に入ってきた。執事服を着こなす眼鏡を掛けた老人であるが、背筋もシャキッとしていて立ち居振舞いも軽やかであり年齢を感じさせない。
「爺やまでいったいどうしたのよ」
金剛寺が怪訝そうに口を開く。彼は金剛寺家に代々仕えてきた執事であり、爺やとして慕われてもいた。アカオが屋敷にくるまで玲香を車で送り迎えしていたのも彼であった。しかし最近はその役目をアカオに奪われ雨の日以外に送り迎えすることはなくなってしまっていた。
「どうしたのではありません。全くもって嘆かわしい。何ですかその堕落し、ぶくぶくと太った赤いのは」
眼鏡を直しつつ爺やが厳しい目をアカオに向ける。
「これまではボディガードの代わりも兼ねて特別に認めておりましたが、こうなってはやはり再びこの爺やが送り迎えをすべきでしょう!」
そして爺やはここぞとばかりに再び学校への送り迎えの座を取り戻そうと進言する。
だが金剛寺は納得しかねるようであり。
「そ、そんなことありませんわ! アカオはこれからもしっかりボディーガードも兼ねて送り迎えをしてくれますわ! ね? アカオ?」
「……ファ~」
金剛寺がアカオに確認する。しかしアカオは特に答えることはなかった。正直言えば、わざわざ学校に行くよりは屋敷の方が快適なのである。学校では鬼瓦が面倒を見てくれはするが彼がわざわざつくったという小屋は狭苦しいし、持ってきてくれる食べ物も物足りない。
屋敷にさえいれば黙っていても皿が空になれば食べ物が補充されるし部屋も広く温度も常に適温が保たれている。メイド達も良く面倒見てくれるしこんな楽なことはないのだ。
「おいコラッ――」
だがしかしメイドがツカツカとやってきてアカオの鬣をグイッと掴み顔を近づけてきた。クール系の美人メイドだが、その顔が般若のごとく変化している。
「てめぇ、わざわざお嬢様がお前を信頼して確認してくれてるのに無視とはどういう了見だ?」
「ガ、ガウ――」
「たく、黙って見てればブクブク肥え太りやがって。いいか? 送り迎えもできず護衛もできないテメェなんてもはやライオンでもなんでもないんだよ。戦えないライオンはタダのライオンだ。鬣もぐぞコラ」
「ガルガルガル――」
そのあまりの迫力にアカオがガクガクと震え上がった。まさかあの海渡以外の相手にここまで震え上がる日が来るとはアカオは夢にも思わなかったことだろう。
「言っておくがこのままいけばテメェはただの役立たずとしてお払い箱だからな? そしたらテメェの運命はサーカス行きか動物園かってとこだ? それでもいいのか?」
「ガウ!?」
「嫌か? 嫌だよなぁ?」
「ガウガウガウガウガウガウ!」
アカオは必死に首を縦に振った。折角手に入れた何の不便もない快適な暮らしを捨てるつもりなど毛頭ないのだ。
「だったら痩せろ! 野生を取り戻せ! 話はそれからだ! わかったな?」
「ガウガウガウガウガウガウ!」
アカオは更に高速で首を上下させた。
「え~とメイドさんいったいアカオと何を?」
「いえ、お嬢様。少しアカオの体調を確認したまでです。そしてお嬢様。アカオはどうやらこれからダイエットに取り組むそうです。ですので結論は少し待って頂けませんか?」
メイドが爺やに目を向けそう願い出る。爺やは、むぅ、と唸るが。
「アカオもやる気になっているようですし、お願いよ爺や。アカオはやる時はやる魔獣ですわ!」
「その魔獣というのがよくわかりませんが、お嬢様がそこまで言われるなら少しは待ちましょう。ですがそれまでに何の進展もなかったり、お嬢様に危険が及ぶようなことがあれば直接旦那様にご相談させていただきますのでそのおつもりで!」
そして爺やは部屋を出ていった。金剛寺はアカオに近づき、撫でながら、しっかりですわ、と労った。
アカオは思う。こんな自分を引き取ってくれた上、ここまで良くしてくれた主人を悲しませるわけにはいかないと。ならば自分が変わるしか無い! とそう思いながら皿の上にあったメロンを頬張る。途端にメイドの膝蹴りがみぞおちに命中しメロンが口から零れ落ちた。
「お前、なめてんのか? 今しっかりやると約束したばかりだよな?」
「ガ、ガウッ(つ、つい――)」
鬣を掴まれ凄みを利かされビビるアカオに確かにかつての帝王としての貫禄はなかった。
そしてそれからアカオのダイエット計画はスタートしたわけだが、食事制限がキツく3日で泣きたくなるアカオであった。結局屋敷の食事に満足できなかったため、アカオは鬼瓦を頼りコンビニのケーキなどで飢えを凌ぐ毎日だった。
おかげで期日まで間もなくというところまで来てもあまりダイエットの成果が得られず、厳しくなるメイドの視線に恐怖さえも覚えていた。
そんなある夜のことである。
「――ここか大国の軍隊さえも震え上がらせたという獅子の中の獅子。紅蓮の獅子ことキングレッドが暮らしているという屋敷は。はは、中々立派な屋敷じゃないか。暴れがいがあるってもんだ」
「ガルルルゥ――」
「はは、お前もやる気になったようだな。よしキングレッドを捕まえるついでに派手に暴れて視聴者を喜ばせてやろうぜ――」




