第三十七話 呪い
「ひぃいぃいいい……」
スマフォから伸びてきた腕に頭を掴まれ、底高は細く情けない悲鳴を上げた。そのままスマフォまで引きずられそうになるが海渡が近づき伸びてきた腕を断ち切った。
「た、助かった、ありがとうな海渡」
「眼の前で死なれても寝覚めが悪いしね」
お礼を言われるも海渡は冷めた声で返す。底高の行為そのものは当然許されることではないが、だからといって命を奪われる程のものではない。それにこのご時世、女子高生の裸をみたいから皇帝として命令しましたなんて知れれば、社会的制裁を嫌というほどうけることになるだろう。
それはそれとしてだ、底高を助けはしたものの教室内は明らかにおかしなことになっていた。
――ドンドンドン! ドンドンドン!
――ヴァアァアンオォオオオン……
――ヴオオオオォオオオオン……
教室のあちこちから壁を叩きまわる音が鳴り響き、その上どこからともなく不気味な呻き声が聞こえてくる。
「おいおい、これはいったいどうなってんだ?」
「杉ちゃん私怖い……」
杉崎の額に汗が滲み、花咲が震える声で彼に寄り添った。
「リア充め!」
こんな状況でも2人を見て思わずそんな嫉妬と妬み混じりの声を上げる生徒がいたりもするが。
「壁を叩く音も大きくなってるよぉ」
「うん、派手な壁ドンだよね」
「絶対違うよね! 壁ドンってこういうのじゃないよね!」
佐藤が怯えた声で呟くが海渡の反応は呑気なものだった。鈴木も思わずツッコむ。
「き、きっとこれは皇帝の呪いなんだぁ! 私が安易に皇帝になんてなったからこんなことに! もう駄目だぁああぁああ!」
「先生情けないですわよ! こんな時に泣き言なんてみっともない!」
底高がうずくまり頭を抱えて喚き散らした。すると金剛寺が近寄り先生を見下ろしながら言い放つ。
「でも金剛寺さん。この状況普通じゃないわよ」
「ふふん、お任せなさい! 今こそ金剛寺グループの才女! 私、金剛寺 玲香の出番ですわ。さぁ来なさいアカオ!」
「おおなるほど!」
「確かにあの赤い獅子ならなんとかしてくれそうな気がするぞ!」
金剛寺が大声でペットのアカオを呼ぶと、生徒達から期待する声が漏れる。流石金剛寺だぜ! と彼女を賛美する声も聞こえてくるが。
――シィイィイイイン……
しかし、何も反応がなかった。アカオが来る気配が全く感じられない。
「……こないな」
「そ、そんなはずありませんわ! アカオは私が呼んだらすぐに駆けつけてくれるいい子なのですから! さぁ来なさいアカオ!」
――シーーーーン
二度呼ぶもやはりアカオはこなかった。腰に手を当てたまま指を突き出すポーズで金剛寺が固まっている。顔もどことなく赤い。
「はぁ、やっぱり金剛寺は金剛寺だよな」
「相変わらずの残念お嬢様ぶりだ」
「だ、誰が残念お嬢様よ!」
「はぅ、でもそんな金剛寺ちゃんが尊い――」
クラス中からため息交じりの声が囁かれる。金剛寺は言い返すがやはりどこか残念だ。
だがこの残念ぶりは一部女子にはたまらないようであり、残念尊い女子を決めるアンケートでは金剛寺が見事1位である。
「アカオはこないというよりこれないんだろうね」
そんな中、海渡は何かを察したように語った。
「え? それはいったいどういう意味なんだ海渡?」
「先生の言ったことは間違いでもなくて、今この教室は皇帝の呪いの影響で現世から完全に隔離されているんだ。幽世に踏み込んでいると言ったらわかるかな?」
「ま、マジかよ……」
生徒の一人が不安そうな声を漏らす。
クラスの生徒たちも気持ちは似たようなものだろう。
「それって平気なの海渡?」
そんな中、鈴木が海渡に聞いてきた。
「教室を呪いや怨霊が取り囲んでいるけど結界を張ったから大丈夫だよ。これで教室には入ってこれない」
海渡がサラリと言った。だが、これには当然教室の生徒が驚き。
「け、結界って何でそんなことが出来るんだよ海渡!」
「あ、俺の親戚の弟のクラスメートがSNSで知り合った人が祓い屋だったんだよね」
「「「「「「なるほど、それなら納得だ!」」」」」」
海渡の答えにクラスの皆が納得してくれた。やはりこういう時、知り合いに祓い屋がいるというのは心強く感じるのだろう。
「それで海渡くん、呪いとか怨霊に詳しかったんだね!」
佐藤が熱のこもった目で海渡を見た。信じ切っているどころか尊敬している様子すら感じられる。
「だけど、結界を張ったとしてこの後どうするんだ? まさかこの幽世にずっと閉じ込められているわけにもいかないだろう?」
「そうだね。だから呪いの元を断ち切れるよう何とかしてみるよ」
言って海渡がその場で座禅を組み始める。
「どうするつもりなんだ?」
「これからお祓いのためにちょっと集中する。上手く行けば現世に戻れるよ」
「上手く行けばって、大丈夫なのか?」
「大丈夫だとは思う」
「なら今は海渡に頼るしか無いか」
「海渡くん頑張ってね!」
皆の期待を一身に背負い、海渡は座禅を組んで瞑想を始めるのだった――
◇◆◇
その呪いがいつ生まれたのか定かではない。恐らくソレもそんなことは覚えてもいないだろう。
ソレにあるのはただ、呪いをゲームとしてばらまくという意思だけであった。それは呪いにとっては息を吐くのと同意であり、そこにいるかぎりソレはただひたすらに世界中に呪いを振りまくだけだった。
呪いを振りまく形はどうでもよかった。ただ一点ゲーム形式で振りまくのが効率が良いということ以外に制限はなく名称も世界によって変わった。
そのゲームは時には皇帝の遊戯という名称で、また時には王様や殿様とつくゲームとして天使や悪魔、神などと呼称したこともある。
ただルール自体はそれほど大きくは変わらなかった。皇帝なり王様なりを一人選び、あとは生贄に命じていくだけ。命令に従わなければ無慈悲な死が待っているだけ。
このようなゲームじみた呪いをソレはあらゆる世界に振りまき続けた。それは宇宙や銀河などといった矮小な規模では済まされず、時空をこえパラドックスの概念さえも巻き込み、あらゆる時間軸のあらゆる時空のあらゆる宇宙のあらゆる世界の星々に撒き散らされた。それはまさに無限とも言える規模にまで及ぶ呪いだった。
そして呪いによって死に絶えた魂はこの空間に自然と引き寄せられ呪いの糧となる。そして呪いはどんどんと膨らみ続けていく。
いったいどれほどの魂を回収したのか、呪いにすらわかっていない。その大きさも本体では把握しきれない。三千世界という規模でもまだ足りないほどに膨れ上がった呪いはそれでも変わることなく今でも呪いをばらまき続けていた。
その日も変わらずソレは呪いを発し続けていた。だが、その時ちょっとした違和感を覚えた。恐らく皇帝の遊戯として呪いを与えた世界、地球の1つだろう。地球といってもその数は無限に存在するわけだが、その1つに異変があった。
だが、ソレは一瞬だけ反応を見せるもすぐに元の様子に戻った。ただのバグだというのがソレの認識だった。これまでも時折あったことだった。世界の中には呪いに抗おうと無駄な行為に走るものも多い。だがそんなものは圧倒的な呪いの前では無意味であり、すぐに排除されてきた。
「あんたが皇帝の遊戯を送ってきた本体か?」
「――ッ!?」
しかしその余裕も程なくして消え去った。ソレにとっては生まれてはじめて芽生えた感情だった。これまでただそこに存在し呪いをばら撒くだけのソレが、今まで感じたことのないような感情に蝕まれた。それを人は動揺と呼んだ。
それはあまりに信じがたいことだった。この場はあらゆる呪いの宝庫であり、呪いの世界と呼んで等しい場所である。そもそもあらゆる時空から完全に隔離された誰も踏み入ることの許されない空間の筈だった。この世界から放たれる呪いの力は凄まじく例えこようと思ってもその前に呪いに耐えきれず崩壊し魂だけが喰われる。
にもかかわらずそいつはそこに立っていた。ありえないことだった。立ってなどいられるはずがない。刹那の時間すらそこに存在することなど不可能だ。
「悪いけど、今の俺は精神体だから」
だが、男はなんてことがないようにそう言い放った。だから何なのか、といった感情を覚えたことだろう。精神体だろうと関係なかった。そもそもそのような姑息な手で呪いを打ち破ろうとしたものは過去にも存在した。
だがそんなものは精神ごと破壊し、紐付けされた肉体も崩壊し魂だけを喰らってやった。肉体と精神を完全に分離させようと関係ない。そこに精神が存在する以上肉体も存在しえる。中には精神だけが本体というものもいるが、言葉遊びのようなものだ。それなら精神だけ破壊すればよい。
だからその男がこの世界に存在していること自体が不可思議なことであった。ソレは混乱した。いったい何が起きたのか理解が出来ない。
ただ1つ言えるのはそれが明らかに異端であり排除しなければいけないバグであるということだ。
世界に渦巻く呪いが一斉に少年に襲いかかる。呪いの圧が伸し掛る。
だが、それらが全て消え去った。少年に向けられた呪いは少年に触れる前にあっという間に消え去った。浄化されたのだ。
「無駄だよ。俺に呪いは効かない。聖魔法も極めたし」
魔法? いったい何を言っているのかソレには理解できない。勿論魔法のある世界が存在するのは知っているしそういった世界にもこのゲームはばら撒かれている。だが、どれだけ高位な司教だろうと大聖女と呼ばれる神の使いであろうと、この呪いの前には無意味だ。そう、無意味だったはずだ。
とにかく、今すぐこいつを排除しなければいけない。
『ヴォオオオオオォオオオオオオオオン――』
それが形を変え1つの巨大な顔となった。口を開くと世界に充満する呪いが集束し禍々しい光となって放たれた。圧倒的な威力を秘めた呪いの塊だ。その余波で宇宙の100や200があっという間に朽ちてなくなるほどの代物だ。
「パーフェクトオンホワイト――」
しかし、少年が右手を翳し、何かを唱えると途端に呪いがかき消え周囲が白に染まった。
何が起きたのかソレにはまるで理解できなかった。いや、理解する暇もなかった。辺りが真っ白に染まったとき、既にその世界に充満していた呪いは完全に浄化され、ソレの意識ごと断ち切ったからである――




