58. 《コイツ、動くぞ……!》
*
家屋から外に出ると、もうその時点でスミカさんが設置した『エレベーター』と思わしき、不思議なものが遠くに見えた。
第4階層に広がる蒼い空。その天を突き抜けるように、細長く聳え立つ何か。
事前にLINEで聞かされていたから、僕にはすぐにそれが『エレベーター』だと判ったけれど。連絡を貰っていなければ、不思議な高い塔のようなものが遠くに立っている――と、そう思ったかもしれない。
「休憩前にはなかった気がしますが……。あれって一体、何なのでしょうか?」
「さて、アタイにもまるで見当がつかないねえ……」
既に知っていることなど、おくびにも出さず。僕とサツキお姉さんは、何も知らない体を装いながら、そんな風に会話を交わす。
実際、安全階層に来た時点では無かった建物が遠くに見えるというのは、結構な違和感だ。首を傾げて訝しむ反応は、自然なものだろう。
《……なんだアレ?》
《初めて見るな。塔か何かか?》
《えっ、マジで何だ……?》
《あんなもの、日本銀行ダンジョンになかったよな?》
《無かったはず。少なくとも俺は知らない》
《やや黒みがかった灰色の塔、のように見えるな》
《だが塔にしては、窓のひとつも無いんだよな》
《階ごとの区切りも見えないしな》
《こういう『空を突き抜ける塔』みたいなのは、ちょっとロマンがあるな》
《↑わかる》
《↑映画とかに出そうだよね》
《ちょっとファンタジー感あって良き》
《天空の塔と名付けよう》
《↑しかくなきものよ たちさるがよい!》
《ま、まさか、あれがキマシタワー⁉》
《↑百合スレにお帰り下さい》
《↑ここは『おねショタスレ』だぞ! いい加減にしろ!》
《↑待てや》
「……気になるね。ちょっと見に行ってみても良いかい?」
「はい。僕も気になるので、ぜひ見に行きたいです」
なんだか盛り上がっているコメントは放置しつつ、僕たちは家屋の送還だけ済ませてから、数百メートルほど離れた場所に見えるエレベーターへと向かう。
20メートルぐらいの距離まで接近すると、既にかなりの人垣が出来ていた。
「あれは一体何なんだろうな?」
「判らないな……危険なものじゃないと良いんだが」
《塔かと思ったけど、想像以上に細いな……?》
《幅2メートルぐらいか?》
《どういう技術で建物のバランスが取られてるんだろう》
「こういうのに偶然立ち会えるってのは嬉しいね」
「そうですわねー。これも日頃の行いの賜物ですわー」
《地震でも起きたら、一発で倒れそうだよね》
《大惨事じゃん……》
《そもそもダンジョンの中に地震って起きるのかね?》
《どうなんだろうな? 考えたことも無かったわ》
掃討者の人たちが会話する声と、彼らの周囲を飛んでいる撮影ドローンがコメントを読み上げる声。
その両方の声が沢山入り混じっているせいで、エレベーターの周囲は非常にうるさいことになっているけれど。誰も彼もが、突如として出現した謎の構造物に、興味津々なことだけはよく伝わってきた。
「軌道エレベーターって、現実にあったらこんな感じなのかね」
「なるほど、これがエレベーターって可能性もあるか……?」
中にはそんな具合に、的を射た推測を話している掃討者も居るようだ。
なるほど、言われてみれば確かに――天を突くように聳え立つそれは、いつかの未来に作られるかもしれない、軌道エレベーターを彷彿とさせる見た目でもある。
エレベーターの付近を取り囲んでいる掃討者は、全部で100人ぐらい。
彼らは一様に、エレベーターから10メートルぐらいの離れた位置に居て、それよりも近づこうとする人は誰も居ないようだ。
まあ、彼らから見れば『安全が確認できない謎の構造物』なわけだから。一定の距離を置いて観察しようと考えるのは当然かもしれない。
エレベーターのすぐ近くには、それとは別の建物も幾つかある。
僕が《家屋召喚》で呼び出すものと、同じぐらいのサイズの建物の集まりだ。
その中のひとつは、一見しただけで『公衆トイレ』だと判る建物だけれど。それ以外はどういう用途の建物なのか、僕にも見当がつかなかった。
掃討者の人達は、それらの建物群からも一定の距離を置いているようだ。
日本銀行ダンジョンの第4階層であるここは、レベル『7』の魔物であるアルグドールを倒せるだけの、実力がなければ来られない場所。
来訪にそれなりの腕前が求められる場所なので、未知のものに無警戒に近寄るような、慎重さが欠けた掃討者は誰も居ないんだろう。
――そんな人達の間をすり抜けて、僕とサツキお姉さんはエレベーターや建物群から、とても近い距離まで接近する。
これがスミカさんが配置したもので、危険がないことを知っているからね。何も知らない周囲の人達のように、警戒する必要がないのだ。
《おお、どんどん近寄るんだね》
《ゆ、勇気があるなあ……》
《ユウキくんだからな》
《↑山田くーん! 座布団全部持ってって!》
《危険かもしれないから、充分に気を付けてくれよ!》
《うむ。危ない目には遭ってほしくないからな》
《せやせや、安全第一やで》
「心配ありがとうございます。でも、大丈夫だと思いますよ? なんとなくですけれど――この建物は、危険な感じがしないですから」
「そうだね、アタイも同感だ」
《掃討者としての勘なのかね》
《こういうのは現場にいないと判らないのかも》
《熟練掃討者の赤鬼が言うと、説得力があるな……》
天高くまで続いているエレベーター。その入口と思わしき場所の脇には『↑』のマークが記されたボタンがある。
言うまでもなく、上の階へ行きたいときに押すボタンだろう。
『↑』のボタンだけが有り、『↓』のマークのボタンが無いのは、まだこの階層までしかエレベーターが開通してないからかな?
ボタンを押してから、10秒ほど待っていると。
ポーン♪ と小気味の良い音がしてドアが開き、内部の空間があらわになった。
――ざわりと、途端に周囲の人達がざわめいた。
彼らからしてみれば、未知の構造物の扉が急に開いたわけだから。驚きのあまりに騒がしくなるのも、仕方ないことだろう。
《あれ……? これ、もしかしてエレベーターか?》
ドアの内側の様子――エレベーター内部のカゴが映し出されたことで、僕の配信を視聴している人たちの中に、これが何なのか気付いた人が現れたようだ。
まあ、入口が1つだけの狭い部屋なんてものは、エレベーター以外だとそうそう見ることがないものだからね。
「うん? 奥の壁に何か書かれてるね。ええと――『このエレベーターの利用料金は1階層ぶんの移動につき迷宮銀貨5枚』だってさ」
「わ、これってエレベーターなんですね」
《エレベーター⁉》
《エレベーター⁉》
《まじかよ⁉》
《大発見じゃん‼》
《うわー、実物見てぇー‼ 乗りてぇー‼》
《明日にでもさっそく見に行ってみるわ》
《日本銀行が更に人気ダンジョン化しそう》
《現時点でもかなり人多いからなあ……》
《迷宮銀貨って何?》
《魔物が銀貨をドロップするんで、多分それのこと》
《ここまでの道中でもユウキくんがたまに拾ってたろ?》
《え、ここって日本円だけじゃなく銀貨も出るの?》
《出る出る。なんなら金貨も出るぞ》
《超低確率だけどね》
「とりあえず、入ってみようか」
「そうですね。エレベーターなら危険はないでしょうし」
4畳半ぐらいのサイズの、カゴの中に入ってから後ろを振り返ると。
出入口の右手側に、何かパネルのようなものが付いていることに気づく。
――それは、エレベーターによくある操作パネルのように見えた。
パネル上には『1』『2』『3』『4』『開』『閉』という、6種類のボタンが付いている。ここだけなら一般的なエレベーターと、完全に同じやつだ。
けれどひとつだけ、現代のエレベーターにはまず見られない特徴もあって。
それは――パネルの下部に、コインの投入口が付いていることだ。
おそらく、ここからエレベーターの利用料金分の銀貨を投入するんだろう。
「試しに第1階層まで移動してみるかい?」
「そうですね、やってみましょう」
サツキお姉さんが『1』のボタンを押下すると、すぐにシャコッという音がしてコイン投入口の蓋が開いた。
投入口のすぐ上には『料金:銀貨15枚』という文字も投影されている。
どうやら、この枚数の迷宮銀貨を投入しないと稼働しないらしい。
「ユー、今日拾った分から、銀貨を15枚出して貰えるかい?」
「ちょっと待ってくださいね……」
《使用人の鞄》から、右手に15枚の銀貨を取り出す。
パネル下部についているのは、最近のスーパーマーケットのレジ精算機によくあるような、一度に複数枚のコインを同時投入できるタイプ。
なので全部で15枚のコインを投入するのに、手間取ることはなかった。
投入を終えると、先程まで料金が投影されていた場所に、今度は『ドアを閉じてください』という文字列が映し出される。
指示通り『閉』のボタンを押すと。グオオォン……という駆動音と共に、重力の変化が感じられて。
エレベーターが動き始めたことが、体感として理解できた。
《コイツ、動くぞ……!》
《やべえ! マジで動くじゃん!》
《これで地下1階まで一気に行けるのか》
《どうせなら石碑の間まで行ければ良いのにね》
《↑それは確かにそう》
《有料とは言え、移動時間の短縮はかなり大きいな》
《銀貨15枚って、価値的にはどんなもんなん?》
《↑およそ45000円ぐらい》
《うおっ、結構するなあ……》
《でも移動時間が減る分、狩りの時間を長く取れるぞ》
《稼ぎが増えるなら充分アリやね》
《日本銀行ダンジョンで戦ってれば、銀貨は勝手に貯まるしな》
《↑それはそう》
《人数は影響しなさそうだし、パーティで使えば安いかも?》
《一緒に1階まで乗りませんかって、誰かに声を掛けるのもアリ》
《↑な、難易度高ぇー……》
《↑他人と上手く話せない陰キャもいるんですよ!》
《行きはともかく、帰りは俺も使おうかな》
《狩りの後はヘトヘトのことも多いからなあ……》
僕らが率先して使ってみたことで、視聴者の中にエレベーターに興味を持つ人が結構増えたように思う。
利用者が増えれば、それはスミカさんの利益になる筈だから。配信で宣伝できたことで、『投資』して貰った恩を僅かにでも返すことができた……かな?




