56. 《フフ……。あれは『堕ちた』な……》
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「わ……! ここって、ダンジョンじゃないんだ……!」
第3階層から更に階段を下り、到着した第4階層。
魔物が侵入できない『安全階層』になっているそこは、今までのように石造りの廊下や小部屋で構成されたダンジョンではなく、開けた『草原』の世界だった。
見渡す限りに、蒼い空と緑の大地が広がっている。
先程まで感じられていた、ダンジョンならではの閉塞感が、この第4階層に下りてから一切気にならなくなった。
「いやいや、ここも間違いなくダンジョンさ。今までの『地下迷宮』のような階層とは違い、土地が開けていて自然も多いけれどね」
「そうなんですか? 正直を言って、ここはダンジョン感がゼロなんですが……」
「一見すると、果てしなく世界が広がっているように見えるかもしれないけれど。実はちゃんとこの階層も、広さはこれまでと同じぐらいしかないんだ」
「へえー……」
ともすれば地平線が見えそうなぐらい、遠くまで景色を望むことができるから、全然そんな風には思えないけれど。
でも、サツキお姉さんがそう言うのなら、それは真実なんだろう。
「もし地面に縄が張られているのを見たら、気をつけたほうがいいね。1メートルぐらい先に見えない壁があるから、普通にぶつかるよ」
「見えない壁ですか……」
まるでゲームみたいだなあ、と僕は思う。
RPGのマップなどには、プレイヤーに侵入してほしくない場所に見えない壁が設けられていることがあるけれど。それと同じことが現実にもあるわけだ。
気持ちの良い草原だと思って走り回れば、勢いよく見えない壁に顔をぶつけて、地獄を見る羽目になりかねない。
……気をつけよう、と僕は心のなかで自分を戒めた。
サツキお姉さんの隣を歩きながら、数分ほど草原を進んでいくと。
ほどなく、結構な数のテントが張られていて、それなりに人の姿が多くみられる一角へと到着した。
「みんながテントを張って、思い思いに休憩場所として活用しているこの辺りが、第4階層のちょうど真ん中ぐらいだね」
「確かに、結構人がいますね」
「日本銀行ダンジョンは初心者から熟練者まで、どんな掃討者にとっても稼ぎやすい場所だからね。第5階層からは魔物がまた一段と強くなるから、安全階層を拠点にして、充分に休憩を取りながら狩りを行うのさ」
「なるほど……」
カップ麺を食べている人も居れば、バーベキューをしている人たちも居る。
草原で寝っ転がって休んでいる人も居れば、眠い目を擦りながらテントに潜っていく人もいる。
みんながそれぞれに活用しているこの区画は、なんだか楽しげな雰囲気があり、居心地も良さそうで。
単身の時も雰囲気だけ味わいに利用したくなりそうな――そんな場所に思えた。
「うおっ⁉ お、お嬢ちゃん、凄い格好してるな……」
「えっ?」
20台後半ぐらいに見える男性が、僕を見て驚きをあらわにしたかと思うと。そのまま話しかけられて、僕はちょっとびっくりする。
周囲を見渡してみて――その男性だけでなく、周囲でくつろいでいる複数の男性や女性から、僕に向けて視線が集まっているのに気付いた。
(凄い格好、って――)
自分の格好を確認して、僕は思わずはっとする。
そう言えば、僕がいま身に付けているのは《眠り姫の衣装》。
つまり――ピンク色でとても可愛らしいネグリジェだ。
かあっと、一気に僕は自分の顔が熱くなる思いがした。
こんな格好をしていたら……そりゃ、驚かれもするし、人目も引くよね……。
「――せ、《戦士の衣装》!」
慌てて僕はそう叫び、白銀の鎧へと着替える。
それを見て、男性が再び驚いた表情をしてみせた。
「装備変更系のスキル――いや、異能かな? お嬢ちゃんはまた、随分と珍しい能力を持ってるなあ」
「あ、紛らわしい格好ですみません。僕は男です」
「……へっ? 男⁉ マジで⁉」
「マジです」
僕の言葉を受けて、これまで以上に愕然とした表情を見せる男性。
そこが一番驚くところなんだ……と、僕は内心で苦笑するばかりだ。
「とりあえず、アタイたちも拠点を用意しに行こうか」
「了解です。僕がうっかり変な格好をしてしまっていること、教えて下さってありがとうございました。またね、お兄さん」
「あ……うん、また。……マジで? その可愛さで男なの?」
「はい、男ですよー」
そう答えながら、ひらひらと手を振って男性と別れる。
何の面識もない人からも可愛いって言って貰えるのは、素直に嬉しい。
《顔めっちゃ赤くなってて笑う》
《フフ……。あれは『堕ちた』な……》
《我々は新たな同志を歓迎するよ》
《まあ、ユウキくんに惚れちゃうのはしゃーない》
《彼は性癖が歪んでしまった。もう二度と元に戻ることはない》
《一度歪んでしまえば、もうね……》
《ぶっちゃけ、この配信を見てる男はもう全員がだね》
《おっと、事実を口にするのはやめたまえ!》
《正直、一昨日まで追っかけてたアイドルとか、既にどうでもよくなっている》
《↑わかる》
《↑しゃーない》
《↑それはそう》
《こんな可愛い子が女の子のハズがない!》
《男の娘が俺のアイドルだから》
《毎晩夢で逢えるアイドルとか最高かよ》
ドローンが読み上げるコメントは、意味が判らない部分も多いけれど。
それでも、女装している僕に対して好意的な反応なことは、よく伝わってくる。
だから聞いている僕のほうも、とても嬉しい気持ちになった。
「テントが多い辺りに召喚すると目立っちゃうだろうから、少し離れようか」
「そうですね、そのほうが良さそうです」
僕が《家屋召喚》で出す家は、小ぶりなものではあるけれど。
とはいえ――サツキお姉さんが言う通り、テントが幾つも設置されているエリアに召喚すれば、悪目立ちをするのは必至だ。
それなら人が多い場所を避けて、少し離れた位置に建てるほうが良いだろう。
というわけで……。テントが多くある一角から、50メートルぐらい離れた場所まで歩いて。
再び《眠り姫の衣装》に着替え直してから、僕は《家屋召喚》の異能を行使しようと試みる。
すると――僕の視界に、小さなウィンドウがひとつ表示されて。
そこには建物の個室を『和室』にするか『洋室』するか、自由に選べる旨のメッセージが書かれていた。
(え、えっと……じゃあ試しに『洋室』で!)
僕がそう決めると即座に――突如として草原に、ひとつの建物が現れる。
それは小ぶりな建物ではあるけれど、今までのようにひと目見ただけで判るような『プレハブの小屋』ではなく、ちゃんとした一軒家のように見えた。
これまでのように豆腐ハウスを思わせるような、直方体そのままの形の建物ではなく、ちゃんと三角形になった屋根もついてるしね。
「おお……。しっかりした作りの家じゃないか」
「確かに、造りがちゃんとしていますね……」
大きさ自体は、プレハブの時より一回り大きい程度。
つまり一軒家としてはかなり小さく、街中にこのサイズの家が建っていたなら、狭い土地に併せて建物も小さくしたのかな――と、そう思ってしまいそうな程度の大きさでしかないんだけれど。
それでも、鋼板を立平葺きにした屋根があり、壁もちゃんと淡い緑色で塗装されているなど、一見しただけで『ちゃんとした家』だと判る建物だ。
このレベルの家になら快適に長期間の居住ができそうな、そんな印象を受ける。
やっぱり僕が召喚する家屋は、《眠り姫の衣装》の衣装レベルが1つ上がるだけでも、かなり顕著な差が出るようだ。
優先的に《眠り姫の衣装》の衣装レベルを上げるよう、求めてきたサツキお姉さんの判断が正しいものだったんだと、改めて僕は理解した。
「とりあえず、入ってみても良いかい?」
「あ、もちろんです。どうぞどうぞ」
「お邪魔しまーす」
玄関の戸を開けたサツキお姉さんに続いて、僕も建物の中に入ってみると。
もうその時点で――明らかに、今までのものとは造りが違っていた。
玄関には高さ15cmぐらいの上がり框があり、靴箱も備えられている。
中に入ると、そこは8畳ぐらいのダイニングキッチンになっていて、以前よりも一回りサイズが大きくなった冷蔵庫がある。
シンクのサイズも以前より少し大きくなっていて、蛇口には『水』だけでなく、捻ることで『お湯』を出せるノブが付いていた。
また、コンロも二口に増えているのが、地味に嬉しい。
「わ……! サツキお姉さん、見てください! 凄いです!」
「おお? どうしたんだい?」
「コンセントがあります‼」
そう――僕が指し示した先、床に近い高さの部屋の隅には、電源プラグを差し込むためのコンセントが、通常の一般家屋と同じように設けられていた。
つまり、この家に『家電製品』を持ち込めば、普通に利用できるわけだ。
「……ちょっと、試しに使ってみても良いかい?」
「どうぞどうぞ!」
サツキお姉さんがリュックサックから充電ケーブルとスマホを取り出して、コンセントにセットすると。
すぐにスマホの画面が明るくなり、充電を開始した旨の通知が表示された。
不思議だけれど――やっぱり、ちゃんと電気が供給されているらしい。
これはヤバい。本当に、ここに住めちゃうんじゃないだろうか。
「……これってもしかして、電気代も掛からないんですかね?」
「異能なんだし、多分そうじゃないかねえ……」
水道もガスも電気も使えて、もしそれらが全て無料なら。
いっそ今すぐ部屋を引き払って、明日からここに住めば。下手すると食費だけで生活できるようになるんじゃないだろうか……。




