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心だけはあの御方にも負けぬほどの高貴さで

 わたくしは歩き出しました。あてはどこにもありませんでした。ただ、今までとは違う、おどおどしていない、自信に満ちあふれた自分になったつもりで、牛若さまに言われた通り、美しく生きようと、それだけを考えて、ただ歩きはじめました。


 そのあたりには小さな花しか咲いてはいませんでした。桜の樹はもうすべて裸になっていて、地面にとろけたような花の残骸を落としています。


 小川が流れ、田圃や畑がちらほらとある、何もないところでした。人の姿も見えません。ですが道端にまだ真新しい糞尿がありましたので、人か家畜がいることは確かでした。


 わたくしは疎らな民家の中からひとつを選び、その入り口に立ちました。それは藁を葺いて作った大きな竪穴式で、中を覗くと暗くて誰もいませんでした。


 中に入ると生活の匂いがしました。誰もいませんでしたが、雑穀を炊いていたような、ほんのりと甘い空気をわたくしは味わいました。作りかけの農具が床に置いてあり、放置されてはいないようでした。何か食べるものはないかと勝手に探していると、外で物音がしました。


 入り口に立って外を窺うと、ぞろぞろと、列を作って人間が、どこかから帰って来たところでした。


「あれは誰だ?」

 誰かがわたくしの姿を見つけて言うのが聞こえました。


「おこうだ!」

「おこうが地獄から戻って来おった!」

 口々にそんなことを、わたくしを睨みつけるようにして、みんなが言います。


 その中から一人のおばさんが先に立ち、わたくしに近づいて来ました。だんだんと近くなって来る彼女の顔は、まるで山姥のように険しく、わたくしは思わず家の中に半分身を隠しました。でも何も悪いことをしているわけじゃないと思い、しっかりと顔を見せてあげました。


「ああ、びっくりした。おこうがあの世から戻って来たのかと思ったよ」

 おばさんは振り返り、みんなに知らせました。

「おこうじゃないよ! 顔に大きな痣のある女の子だ」


 そう言われてもわたくしは傷つきはしませんでした。牛若さまに言われた言葉が胸に残っていたのです。


「おまえは誰だい? ここで何をしていた?」


 そう聞かれ、わたくしは答えました。


「わたし、捨てられたの。なんでもするからここで暮らさせて?」


 おばさんがにやりと笑ったように見えました。


「ちょうどよかった。うちの娘がおっ死んでね、今、それを葬りに行ってたとこなんだ」





 それからわたくしは、その村で暮らすこととなりました。


 おばさんの名前はクニさんといいました。死んだおこうさんの代わりにわたくしを娘として受け入れ、おこうさんにしたように、それと同じように、わたくしを扱ってくださいました。


「全部耕すまで休むんじゃないよ」


 わたくしは細腕に鍬を持ち、一人で畑を耕しました。途中で何度もくじけそうになりました。やっぱり家に帰るべきだったのかもしれないと、何度も思いました。心を入れ替えて家の仕事を手伝うと言えば、父もわたくしを温かく迎えなおしてくれたのではないか、そう何度も思いました。

 それでいてわたくしがそこに居続けたのは、なぜでございましょうか。正直自分でもよくわからないのでございます。生まれ変わりたかった、新しい自分の居場所を見つけたかった。そのことは確かでございました。ですが、それならばそんな過酷な場所は早々に見切りをつけて、次の新しい場所へ行けばよかったようにも思えます。


 くじけてはだめだ。そう思ったのかもしれません。


 幼いわたくしにはよくわかっておりませんでしたが、実のところ、そこでくじけていたようでは、どこへ行っても同じだったことでしょう。


 今から思えば正解だったように思うのでございます。京都にわたくしの気に入るような場所など、都の中心部を除けば、どこに行っても見つからなかったでしょうから。そしてもちろん、わたくしなどが都に住まうことなど出来ません。庶民の生活はどこへ行っても貧しく、見ず知らずの他人を受け入れる余裕などないものでした。むしろ最初の場所でちょうど娘を亡くしたばかりのクニさんと出会えたことは、幸運だったのでございます。


 鞍馬寺にはもちろん帰れませんでした。女人禁制なこともありますが、何よりそこに牛若さまがずっとはいらっしゃらないことをわたくしは聞かされていたのです。



 あの、下界へ戻される朝、牛若さまはわたくしに仰いました。


「僕は僧になるつもりはないんだ。いずれここを出て行くつもりだ」


 確かに、山の上の寺にずっと籠もってらっしゃる方ではないと思えました。とてもお美しく、高貴さを漂わせ、何よりも天狗さまのようなお力を持ったあのお方は、いずれ世にその名を轟かすような大人物になるだろうと、あの時からわたくしは思っておりました。


 牛若さまご自身もそれに気づいてらっしゃるようでした。


「僕にはゆきよりも美しい母上がいると言ったろ? まだ幼い時に離ればなれになったんだけど、母上のお顔はよく覚えているんだ。とてもお美しく、それ以上に高貴なお方だった。僕は己の出自を知らされていないけれど、あの母上の息子であるこの僕が、ただ者であるわけがない。そんな気がしてならない」


 牛若さまは必ずご立派な方になられる。

 そう信じておりました。


 いつかまたお会い出来るのなら、わたくしも立派な人間になっておかなければ……。そう思っておりました。


 京都の夏は灼けるように暑く、冬は大雪が積もるほどでございました。

 牛若さまに再びお会いすること……、それがわたくしの生きる力となりました。


 人のためになろうと、頑張って働きました。

 顔をしっかりと上げて、痛む体を引きずって、こうしていれば必ずまた会えると信じて、日々を生きました。


 牛若さまが「美しい」と言ってくれたわたくしは、外見は顔の痣や日焼けや、皮膚病や虫刺されやで醜くあろうとも、心は美しくあらねばならないと、くじけそうになるたびにあのお言葉を思い出し、お天道様を見上げながら、汗水を垂らして、必死に、わたくしは生きました。



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