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六話:森の中での料理

六話:森の中での料理





 ハマール城の戦いから、四ヶ月が過ぎた。

 既に春の中月は過ぎて、夏の初月に差し掛かろうとしている。

 ハマール城内、外縁部の復興は緩やかに進んでいる。

 酒場『グラメンテ』にも工房区での仕事を終えた職人衆が、エールを片手に酒盛りを始めている、その厨房で腕を振るっているのは公宮料理人のカムイだ。


「レミー、川エビのマヨネーズ炒めを運んでくれ!」

「あいよ!」


 公宮の料理人であるカムイがこの酒場で料理をしている理由が二つある、一つは先の戦闘でカムイが使っていた厨房が吹き飛んだ事と、もう一つはハマール領領主でカムイの主であるジルマ・パティール公爵が王都へ招聘されたからだ。



「王都ですが?」


 春の中月が終わり、初夏の暑さが近づいていた頃だ、夕餉の為に配膳したカムイに主、ジルマはそう言った。


「左様だ、わしは、先の戦いの報告と和睦内容について王都から報告せよとお達しが来てな、この際だから、功績に有った将兵を引き連れて王都に向かうことに決めた、しばらくお前さんにお暇やるから羽を伸ばせ」

「そう言われましても、急ですね」


 カムイは、皿を並べながら言う。


「物事は全て唐突に来るものだ、全てを察知するなど全知全能の神でもなければ不可能じゃろうて」

「おっしゃる通りで」


 カムイは夕餉の鹿肉のソテー葡萄酒のソースと川エビのサラダを並べ終わり、一礼して部屋を出る。

 お暇を貰ったとしてさて、何をしようと考えながらカムイは廊下を歩いていた。

 新しい料理器具でも作るか、それとも森に行って山菜取りにでも行こうか、この時期だと夏の果実が取れるかもしれないな。

 そんな事を考えながら厨房に向かう、いつも使っていた厨房は先の戦いでカムイが自身の手で爆破したので今は修復中であり、早くても来年の春までは使えないらしい。

 その為、従者達が使う簡易厨房で調理していた。

 造りは正規の厨房より悪いがそれはそれなりに調理できるから良しとしていた。

 ふと、テーブルの上に置手紙があることに気付く。


『厳命! 王都へ行を祝して宴会をやる、仕事が終わったらいつもの酒場に来い! ロレより』

 

 こっちの都合はお構無しか、カムイは溜息を付きながら皿洗いを始めた。



 仕事が終わったのは月が中天に昇った頃だ、食器や調理器具を片付け終え後、カムイは行きつけの酒場に向かう。

 酒場は工房区にある『グラメンテ』だ。

 給仕のレミーや店長には試作品の味見をしてもらっている。

 たまに『本日の公宮料理』と評してカムイが作った試作品などを出している、その事に付いてレミーとジルマの従者であるロレと言い争いになったことがあったのを思い出し笑いしてしまう。

 結局のところレミーに言い負かされたっけ、と笑いながら廊下を歩いていると、向こう側から一人の青年が歩いて来た

 歩いて来たのは四ヵ月前まで敵であった、ガスダント帝国の騎士、ガガバド・アッサーラだ。

 ガガバドはこちらに気付き一礼する。


「ガガバドさん、剣の鍛錬ですが?」


 カムイがそう訊くとゆっくりと頷く。


「運動がてらに」


 先の戦いで捉えられた捕虜の中で、上流階級の貴族の子弟は保釈金と引き換えに釈放されたが、下級騎士の大半は保釈金が支払われず逆に見限られる者まで居た。

 ガガバドもその一人で、貴族の長子でありながらも相手側が保釈金の支払いを拒否された為にガスダントに帰れずに居た。

 ジルマは彼らの境遇を思い、残った全ての捕虜の身柄を引き受け釈放したのだ。

 釈放された捕虜の大半は帰郷の途に就いたが、中にはガガバドを始めとしてハマールに残る者達もいたのだ。

 今はガガバドが残った者達の代表者的な役割を担っている。


「カムイさんはお仕事の帰りですか?」

「ええ、まあ」

「そうですか、では、自分は水浴びをして寝ます」


 そう言って彼は部屋に戻ろうとするが「あの」とカムイが呼び止める、呼び止められたガガバドは何ですかと言った。


「これから、行きつけの酒場に行くつもりなのですが、一緒にどうですか?」


 いえ、と即答されてしまう。


「まだ、わたし達はこの街の馴染んでいないので、行けば余計な揉め事が起きるかもしれませんし、ジルマ様にご迷惑をお掛けするわけには行きません」


 彼はにこやかな笑顔を向けながら一礼してその場を去った。



「それは、利口な判断だな!」


 酒場に付いた頃には既にロレは顔を真っ赤にして酒瓶を片手に酔っぱらっていた。

 その席にはゲイリーとその部下ユラン、ロレンス衛兵長がテーブルを囲んでいた。


「あんな奴が来たら、酒の席が不味くなるだろうが!」

「でも、もう、戦いは終わったんだ、それに今は同じ主に使える者同士だ、一緒に飲んでもいいと思うんだが」


 カムイがエールを啜りながらそう言うと、ロレンスが静かに言った。


「この街の人間は大らかな性格で寛容的だが、一部には反発する者も多い、特に衛兵隊との摩擦は大きいからな」


 四カ月前までは互いの命を奪い合った仲だ、そう簡単に仲良くは出来ない。

 確かにその理屈がわかるが、でも、それはお互い様であるし何よりそれでは戦が終わった意味がないと思う。


「しかし、その中でもガガバドは衛兵隊との間を受け持ってくれているから有り難いモノだ」

「そう言えば、衛兵長と一騎打ち(ジョスト)したんですよね、命知らずですね」とユランが言う。

「腕は有る、指揮能力もある、彼の最大の難点は運に恵まれないと言うことだろうな、聞いた限りでは彼が付いた指揮官は無能ばかりだからな、彼の能力を生かすことが出来なかったんだろう」

「それで、副長止まりだと?」

「わたしの下ではそうはさせない、奴の能力は最大限に使うつもりだ」

「はあ、どういうことだよ、衛兵長」とゲイリーがエールを啜りながら言う。

「残ったガスダント兵はわたしの指揮下に入れる、そう言うことだ」

「へえーー」

「感心してる場合か、貴様も王都から帰還したら正式に中隊長に昇格だぞ」


 テーブルを囲っていた全員が驚く、その中でも一番驚いていたのはゲイリー自身だった。

 啜っていたエールを活き良いよく噴き出していた。


「マジっすか! おめでとうございます! 分隊長! いえ、ゲイリー中隊長!」

「分隊長から行き成り中隊長か、大した出世じゃないか」


 ロレが酒瓶でゲイリーの頭を撫でている、いつもならキレて一騒動を起こすぐらい怒るハズなのに、昇格の話が衝撃的だったのだろう、目が点に成り呆けたアホ面がそこに有った。


「お、おれが中隊長…… 本当なんですが?」


 ゲイリーは疑った様な声で聴くが、ロレンスは静かに頷き肯定した。


「ああ、この前の戦いの武勲一等はお前だからな、誰も反論しなかった、ジルマ様も前からお前の能力は認めていた、むしろ、今まで分隊長で収まっていた方がおかしいんだ」


 ふと、テーブルが静まり返る、よく見てみるとゲイリーが大粒の涙を流していたのだ。


「嬉しいッス! おれ…… ジルマ殿下に認めてもらえるなんて、王族に方におれの実力が認められるなんて、感無量だ!」

「おいおい、男泣きかよ、見っとも無いぜ、ゲイリー!」


 ロレは背中を摩ってやった。


「泣いているのはイイが、三日後にはゲイリーもロレもジルマ様と共に王都に向かうんだ、くれぐれも粗相の無いように頼むぞ!」


 二人は笑いながら返事をする。

 この日は、ゲイリーの奢りで朝日が昇るまで酒を酌み交わした。



 三日後、ジルマを始めとしてロレとゲイリーは王都に向かって出発した。

 留守の間、城主代行として事務方を取り仕切る侍従長のカット・ブーケが就任して、その補佐役としてロレンスが付くことになった。

 本来ならロレンスも招聘される予定だったが城の守備と城主代行に不慣れなブーケを補佐すべく自ら志願して残ったのだと言う。

 カムイは城主代行になった、ブーケとは何回か話したことがあるが、掴みにくい人だと言うのがカムイの印象だった。

 物静かでいつも羊皮紙と睨めっこし眉間にシワを寄せている。

 四十過ぎだと言うが見た目は既に五十過ぎのオッサンだ。

 カムイはその日のうちに、ブーケに会ったが言われたのは「宴席は入っていないから、食事は軽めのモノで頼みます」と言われたのだ。

 確かに宴席の予定は無いが軽めのモノと言われても好き嫌いがあるハズだ、カムイは「お好みは」と訊いてみたが「好き嫌いは無い」と言われた。


「では、何かご要望の食材は有りますか、なるべく用意しますので」

「いや、結構だ、口に入る物なら何でもいい」

「はあ」


 そんな感じで今日一日、仕事らしい仕事をすることもなく終わり、そのままグラメンテに出向いて、不燃焼気味の感覚をここで発散していたのだ。





 月が下り始めた頃にグラメンテは店を閉める。

 今日も不燃焼を発散して満足な笑みで皿洗いをしていたカムイの手元にエールが置かれた。

 置いたのはレミーだ、流し台に腰を置きレミーはジョッキを向ける。


「仕事の一杯だよ」

「まだ、皿洗いが残ってますよ」

「アンタ真面目だね」

「まあ、性分ですから」


 カムイは皿拭きを終え、レミーが置いたジョッキを手に取り酌み交わした。

 酸味がキツイこのエールをカムイは少しずつ飲むが、レミーは一気に飲み干し、豪快に口元を拭った。


「いや、仕事の後のエールはイイね」

「はあ、おれはまだなれませんけど」

「そうかい、にしても、本当にラバール語、上手くなったね、今じゃあ違和感なく話せてるじゃないか」


 パティール王国の国民の大半はラバール語で会話をする、元々はラバール神国の同盟国であった関係上公用語として使用されている。

 因みにだが、隣国であるガスダント帝国とハフマン帝国の公用語はウラル語で大陸の北端に行くとガリア語が主に話される言語らしい。

 ロレやガガバドはガスダント帝国の北部の出らしいのでウラル語もガリア語も喋れる。

 その他には色々な言語も存在するが、どの国でも、基本的な外交の場などで話される言語はラバール語である。


「先生がイイですから」

「先生って、ロレの事だろう、アイツはいつまで経っても変わらないわよ」


 足をバタつかせながらエールを啜るレミーの仕草はまるで子供だ。

 ふと、何かを思い出したかのようにカムイの方を向き、ニコッと笑いながら言った。


「そう言えば、ロレは今頃、王都で何しているんだろう」

「さあ」と答える。

「いいな、王都、わたしも行きたいな」

「ここから王都って遠いのか?」

「徒歩で四日ぐらいだよ、馬なら一日半で付くよ」

「そうですか」

「アイツ、今頃、女のケツでも追っかけてるじゃあないかな、損でもってゲイリーのオヤさんにドヤされたりして」

「もしくは一緒になって追い掛け回しているか」


 カムイが言うと笑いながら頷き


「そんでもって、領主様に怒られているかも」

「あり得ますね」

「あり得るわよ」


 カムイは材料の切れ端で作ったエビ頭の団子を摘みにしながら二人はエール啜り続ける。

 野菜の切れ端と頭をつぶして小麦粉にまぶして揚げた団子だ。

 話はロレがこの街に来た頃の話から、今までの振られ話を聞かされた。

 何か懐かしむ顔をしているレミー。

 そこで、ふと、気付く。

 レミーはロレのことを放している時もそうだが、言い争っている時も仕事しているよりも生き生きしていることに気付く。

 もしかして、レミーってロレのことが好きなのか?


「でさ――って、聞いてる?」


 レミーが顔を近づけて言う、レミーの顔は既に真っ赤になっている。

 その真っ赤な顔を近づけながら、頬を突っつきながら言う。

 まるで自慢話をしているのを途中で遮られ、不貞腐れる子供そのものだ。

 

「なあ、レミー?」

「何よ!」


 訊いていいのかどうか迷ったが、カムイは少し踏み込んだ質問をした。


「レミーは、ロレのことが好きなのか?」


 二十秒ぐらい、固まったレミー。

 しばらくすると真っ赤な顔がさらに真っ赤に成り茹でたタコよりもさらに綺麗に赤み掛かる。

 次の瞬間、今まで聞いたことのないような甲高い声で叫ぶ。


「べべっべべべべべっべべっべべべべべべ、別に! ちちちちちちちちち、違うし、関係ないし、知らないし、女たらしもを好きになるハズないし! 人の名前を間違えるアイツを好きに成るなって、天地がひっくり返ってもあり得ないしィ!」


 まるで、マシンガンの様に早口で言うレミー。

 この慌てぶりは図星の様だ、取りあえずカムイはレミーを落ち着かせる為に水を渡す、それを一気に飲み干そうとして、レミーは咽ってしまう。

 カムイは背中を摩ってやった。


「落ち着いたか?」

「一気に酔いが醒めた気がする」

「済みません、そこまで驚くとは思ってもいなかったんので」

「驚くわよ、まったく」


 頬を膨らませて怒るレミーの顔はどこか可愛いものだ。

 そう思っているとレミーが振り向き、人差し指でカムイの鼻を突っつきながら、


「いい、間違ってもあのバカの前で、今のこと言わないでよ、わかった!」


 まだ頬がほんの少し赤いレミーを見てほくそ笑みながら言う。


「わかりましたよ、レイミー」

「レイミーって言うな!」


 レミーはエプロンを投げつけ二階の自分の部屋に上がって行く、その入れ替わりに店長が降りて来る。


「何かあったのか?」と言う。

「いえ、少し揶揄い過ぎました、反省しています」

「揶揄いか、そうか」


 店長は不思議な顔をする。


「どうした、人の顔をジロジロ見て」

「いえ、何でも」


 カムイはエールを飲み終え、空になった皿とレミーが使っていたジョッキを下げる。

 皿を洗おうと腕まくりすると。


「片付けるのはいいよ、おれがやっておくから」


 店長が皿を手に取りながら言う。


「助かります、では、上がらせて頂きます」

「おう」


 カムイはそのまま店を出た。

 厨房に残った店長の食器の洗う音が静かに響いていた。





 朝からカムイは森の中に居た。

 山菜などの食材を手に入れるためである。

 山の中は夏の暑さを感じさせず、山間から流れる風は冷気を帯びている。


「イイ風だ、山菜日和だ」


 カムイは額の汗を拭いながら森の中を分け入って行く。


「うん、色々あるな、お! クワの実、発見」


 クワの実を摘み取り口に入れる。


「うん、少し酸味が強いけど食材としては使えそうだな」


 クワのみを籠に入れ、さらに山奥には入る。

 山の奥は大木が多く太陽の日が注がないのか少し湿っていた。

 ふと、この世界の来た日のことを思い出す。

 あれからもう直ぐ四年が過ぎようとしている、今ではこの世界で生きるのも悪くないとすら思えて来る。

 ここには楽しい仲間や大切な恩人などが居る、街の住人も誰もが、身も知らずのカムイを受け入れてくれている。

 そうだ、もし帰れないでこの地で骨を埋めることになったとしても後悔はない、元の世界での生活に比べれば、幾分かマシだ。

 と、そこまで考えてカムイは唐突に歩みを止めた。


「おれ、今、元の世界に比べたらと思ったよな」


 そう口走った時に急な頭痛がカムイを襲った。

 頭の中で何かが流れて来る。



 小さな部屋、アパートの一室だろうか。

 視線が低い、子供の視線だろうか、視界はキョロキョロと動く、何を探しているのだ。

 視界が動き始める、台所だろうか、椅子に昇ってテーブルの上を見る。

 子供の様なイラストが入った茶碗に冷めた様な白米があった、その隣には食べかけの魚、秋刀魚だ。

 さらに視界が移動する、今度はどこに向かうのだろうか、でも、この視界はどこかで見たことがある、どこでだ。

 ふと、ある部屋のドアの前で視界は止まる。

 そのドアを見た瞬間体の奥から警告の様な物が発せられている、開けるなと。

 ドアに手を掛ける。開けるなと心が叫ぶ。

 ドアノブを回す。開けないでくれ。

 ドアが開き目の前の光景が広がる、そこには夫婦の寝室だろうか大きなベッド、化粧台に壁際にはノートパソコンが開いた状態で置いてあった。

 そして視線はある一点に絞られる。

 ベッドだ、真っ赤なベッド、シーツが深紅の色に染まっている。

 そのベッドの上には二人の人間が互いを抱きかかえるように寝そべっている。

 視線はその二人に近づき、小さな手で二人を揺すりはじめる、視線の主は何かの声を発している。

 知っている、この視線の主が何を叫んでいるのかを。


「お母さん! お父さん!」


 動悸が早くなり呼吸が荒れていた、カムイは深呼吸して息を整える。

 今の、おれの記憶か?

 嫌な記憶だ、鮮明過ぎる。


 (おれの両親は、おれが小さい頃に死んでいる?)


 額にこびり付く無数の汗の雫が垂れ落ちる。

 カムイは雑念を振り払い、倒れている大木に腰を下ろして一口、水を飲む。

 静かな風が吹き、森の中を涼しい風が流れ、頭痛のする頭をやんわりと和らげてくれる。

 乱れた心を落ち着かせてくれるこの風を体に受けながら、静かに深呼吸をして心を落ち着かせる。

 一息ついたカムイは再び歩き出す、停まっていたら再び嫌なことを考えそうになったからだ。

 森の奥に進むと、川の匂いが鼻腔を付く、どうやら近くに川がある様だ。

 おそらく、ドット大河へ流れて行く清流だろう。

 カムイは茂みを分け進むにつれて、川の匂いに懐かしい匂いが被さって来る、川に出るとカムイは驚きの声を挙げる。

 川沿いにハート形の様な大きな葉が自生していた。


「ワサビだ」


 日本が食用に使うワサビは大きく分けて二つの方法で栽培されている。

 水栽培と畑栽培だ、一般的に言えば清流を使って生産されるワサビを想像される方が多いが、本来ワサビは水生植物ではなく、土で栽培される物である。

 自生しているワサビは珍しいのはもちろんのことであるが、ワサビは大量の清流と涼しい気候が必要不可欠である。


「こんなにたくさん自生しているなんて」


 カムイは一本引き抜き、その匂いを嗅ぐ。

 ワサビの香りが鼻の中に通り抜け、そしてワサビ特有のツンとした感覚が鼻につき、懐かしい味を頭の中で連想させる。


「まさか、ワサビが手に入るとは思っても見なかった」


 カムイは十本ぐらい採取して背負っている籠に入れる。

 ついでにカムイは水筒に使った分の水を入れる。


「ワサビが育つぐらいだから、飲んでも大丈夫だろう」


 水筒に水を入れ終わると、カムイは山を下りはじめる。

 予想だもしない収穫があって、大満足のカムイであったが、人の声が微かに聞こえ、足を止める。

 人の声は、下流の方から聞こえて来る。

 カムイは視界を下の方に向けようとした瞬間だった、石の上にびっしりと生えていた苔に足を取られ足元から川へと滑り落ちたのだ。


「しまっ――ッ!」


 叫ぶよりも早く転げ川に落ちる、深みのある川の流れは急で、逆らうことが出来ない、そのまま流される。

 カムイは流されながらも顔を水面に出す。

 流されると感じて泳ごうとして今度は急激に体がふわっと浮いた感じがし、瞬間、カムイは真っ逆さまに滝つぼに落ちたのだ。

 大きな水飛沫を上げ滝つぼの底に打ち付けられる、全身に痛みが走る。

 カムイは無我夢中で滝つぼから顔を出すと同時に足が地面付いていることに気付く。


「い、生きてる」


 カムイは立ち上がると、深呼吸してから振り返る。

 さほどの高さではなかった、それなりの深みのある滝つぼのお蔭で大怪我せずに済んだ。

 体を触り怪我の具合を確かめる。

 肩を強く打ったが骨にヒビが入っている様子はない重度の打撲と言ったところか。

 肩を回しながらカムイが振り帰ると、目の前には驚く光景があったのだ。

 少女が居た、腰まで伸びた白銀の髪は水に濡れて美しく輝き、深紅の瞳は赤くなった頬よりも赤い、スラリとした体のラインはとても美しい。

 美女と言うのが居るのなら、たぶんこういう人のことを言うのだろうと思った。

ふと、冷静に考えるとこの状況非常にマズいのではないのだろうか、不可抗力とはいえ、少女の裸を見てしまった。

 彼女は右腕で胸を隠して体を捻って下の方を隠しているが恥ずかしかっている素振りはなかった。


「ええ、とその、これには、深い訳が――」


 言い訳しようとしたが背後から首元に突き付けられた剣を見て口を噤む。


「水浴びをしている婦女子を除くとはいい度胸をしていますね」


 女の声だった、ゆっくりと首を捻り視線を背後に向ける。

 先ほどの少女とは違い、金色の短い髪に金色の瞳の少女、体を見ただけで鍛え上げられたモノだとすぐに分かる。

 しかし、振り向きながらも直ぐに視線を戻す。

 彼女もまた服を着ていなかった、白い肌から垂れ落ちる雫を見て、年相応に冷静な判断が出来たが、年頃なら色々なモノが反応しているだろう、現に向こうは少し顔を赤ら顔をしていた。

 たぶん、冷静には居られない。


「貴様何者だ」


 首筋に剣の冷たい鉄の感触が伝わる。


「おれは、この近くの町でで料理人をしている者だ、森で山菜取していて、足を滑らして落ちただけだ」


 カムイは顎で滝の方を指す。

 二人の視線が滝の方に向き再びこちらに向く、白銀の髪の少女は何か納得したような顔をしたが、金髪の方は納得していないのだろう、疑いの目をまだ向けている。


「それが本当だとしても覗く理由にはなりません」

「不可抗力だと言いたいのだ、誰にでも抗えない運命と言うモノがあるだろう、今回はそれだ」

「それが、へ―― その方の裸を見てよい理由にはなるまい!」


 刃先が喉元に食い込み始める、何とか誤解を解かなくては首が飛ぶ。


「だから――」

「その辺でよいだろう、剣を降ろせ」


 もう一人の少女は、いつの間にか水から上がり服を着ていた。

 気品のある服装は旅路用とは言え白銀の髪とよく合っている。

 しかし、体をしっかり拭いていなかったのだろうか、湿った布がうっすらと透けて見える。

 カムイは目のやり場に困り、視線を下げる。


「不幸の事故と言うのは付きモノだ、現に我々も山賊に襲われただろうに」

「えッ?」


 ここら辺で山賊が出ると言う話は聞いた事があったが、まさか、襲われた人と出会うとは思わなかった。


「まあ、逆に血祭りにしてやったかな」


 綺麗な顔をして言う事はドキツイなと、カムイは思った。


「そなた、料理人だと言ったな」

「ええ、まあ」


 首筋から剣が離れて彼女も服を着る為に水から上がる。

 金色の髪の少女は旅路用の服ではなく、体にフィットするような薄い布に甲冑を着込む。

 どうやら彼女は護衛の騎士の様だ。


「あの――」


 謝ろうとして口を開こうとして白銀髪の少女の声に遮られる。


「お主、我等の裸を見たことに不問いしてやるゆえ、我らに何か料理を作って参れ」

「え?」

「もし、美味い料理を作れなかった時は、お前の首を街道に掲げるとしよう」





 えらいことになったとカムイは思った。

 ジルマから突然の料理を頼まれることがよく合ったので馴れているが、こんな山の奥で料理を作れと言われるのは初めてだった、しかも、不味ければ殺すと言う。

 全く、これではまるで漫画やドラマの世界だ。

 カムイは溜息をして、冷静な口調で銀髪の少女に言う。


「料理を作れと言われても、食材が無い、道具もない」


 これは素直な話だ、今あるのは先ほどの取ったかクワの実と天然のワサビだけだ。

 メインとなる食材が無い、これでは料理が作れない。


「食材ならある、アクア」

「はい」


 アクアと呼ばれた金髪の少女は馬に繋げている麻袋から魚を取り出す。


「イワナですか」

「イワナと言うのか? まあ、魚の名前などどうでもいい、これを最高の美味なる料理に変えて見せろ」

「美味なる料理と言っても、イワナなら塩を振って焼けばそれなりに美味しいと思うんだが……」

「この方にその様な野蛮な食べ方で食せと言うのですが」と金髪の少女が睨み付ける。


 野蛮と言われても、それが一番美味しい食べ方だと思う、だが、そう言って金髪の少女アクアは納得しないだろう。

 仕方ない、調理するか。

 カムイはアクアからイワナとお調味料である岩塩を受け取る。

 目が澄んでいる、体の斑紋もくっきりとして新鮮さがよくわかる。


「いいイワナだ」


 料理を開始しようとしてふと、大切なモノが無いことに気付く。

 カムイは振り返りアクアに「何か切るモノ貸してもらえませんか」と言う、アクアは疑った様な眼で小さなナイフを渡されるが、疑いの目を向けられる。

 カムイは痛い視線を受けながらも調理を開始する。

 まずは滑り取り、岩塩をナイフで削りイワナに振り掛ける。

 塩を全体に塗したら、川の水で洗い流す。

 次に腹を裂き内臓類を取り出してこれも水で綺麗に洗い流す、背骨の血合の部分も一緒に洗い流す。


(さて、下ごしらえはこれでいいとして、本題は何にするかだが)


 下ごしらえを終えたイワナとクワの実、そしてワサビを並ばせて、考える。

 どんなものがある、どんなものがあるのか。

 これだけでは、作れるモノは限られるし彼女らを満足させるにはただ焼いたりしてはダメだ。

 考えて天を仰ぐ様に顔を上げると、ふと、大きな葉が目に入る。


「あれを利用するか」



「な、何をしている!」

「何って見れば解ると思うのですか、木登りです」

「そんな事は見れば解る、何をしているかと言っているのだ!」


 アクアが見上げながら怒鳴り語を挙げるか、カムイは無視して木を登り続ける、森の大半を占めている大木に昇るのは初めてだ。

 枝に渡り、大きく青々とした葉をナイフで切り落とす、切られた葉は、アクアの前にストンと落ちる。


「済みません、大丈夫ですが?」

「落す前に何か言いなさい! 危ないでしょうか!」


 アクアが怒鳴り声を挙げる仲で、銀髪の少女だけは笑っていた。

 カムイは木から降りると、切った葉を水で洗う。

 香りは無いが厚みのある葉肉だ、コレなら崩れる事は無いだろう。


「全ての調理器具は揃ったことだし、調理再開といこう」


 まずは、ワサビの根を取り外皮を削ぎ落し、洗った石同士で擂り潰す。


「よし、これで、擂りワサビ、完成」


 これを先ほどのイワナの腹の中に入れ、ついでにワサビの葉と茎を一緒に入れる。


「あの、済みません、葡萄酒、持っていますか」

「持っているが、それがどうした?」銀髪の少女が言う。

「それ少し、貰えますか」


 銀髪の少女の方に向いたアクアに頷き、葡萄酒が渡される。

 その葡萄酒を岩に少し振り掛け、先程の取って来た葉に包む。

 それを岩の下に何層も重ねて行き完全に姿が見えなくなる、その上で火を起こす、その間にイワナに枝を刺して岩塩を塗して塩焼きにする。

 さらに焼いている間にソース作り、クワの実をワサビ同様に擂り潰して平たい石に潰した実と葡萄酒を混ぜながら炒める。

 アルコール分が飛び、いい頃合いに焦げ目が付いたイワナに、ソースを塗り込み再度焼く。

 クワの実の果実が焼ける良い匂いが辺り一面に広がる。

 それらを水洗いした葉に乗せて完成。


「お待たせしました、イワナのマルベリーソース添えとイワナの葉包みの蒸し焼きワサビ風味です」


 出された料理はとても道具が無い中で作られたとは思えない程、美しく仕上がりだ。


「美しいな、でも、味の方はどうだ?」


 銀髪の少女はイワナのマルベリーソース添えを一口入れる。

 入れた瞬間、彼女の目が大きく見開く。


「ソースの酸味が魚の味を引き立てている、噛むごとの魚の味が口の中で泳ぐかのように広がって行く。今まで食べたどの魚料理、美味だ」

「では、もう一つの魚料理をお出しします」


 カムイは葉に包まれていた魚を取り出す。

 香りから鼻にツンとした香りが立つ。


「成程、この鼻の奥にツンとした感じのするものが魚の臭みを消しているのか、では、味の方は」


 口に入れた途端に少女は口を押さえる。

 驚いたアクアが彼女に駆け寄る。


「大丈夫ですが!」

「ああ、大丈夫だ、少し驚いただけだ、この独特の香りと味、この緑のモノは何だ?」

「ワサビです、わたしの故郷では古くから食されている薬味です」

「ワサビか、独特の味だが後を引く、それに実からもワサビの匂いがする」

「それは蒸し焼きにしたからです」

「蒸し…… 蒸し用の器具など」

「木の葉です、木の葉で包み、石などで埋めてその上で火を焚くんです、そうすることにより釜と同じ熱量が伝わります、それにこの木の葉は肉厚で水を大量に含んでいますので、過熱で焦げる事もない」

「そこまで考えていたのか」


 銀髪の少女のフォークが停まることは無く、ひたすら無言で食べていた。

 木の葉の皿に盛られた料理はソースまで余すことなく食べられ、彼女は一言。


「大変美味であった、良い腕だ」とだけ言ったのだ。

「ありがとうございます」

「この料理に免じてわたしの裸を見たことは不問にしてやろう、綺麗に忘れろ、よいな」

「は、はい」


 彼女は大変ご満足の様な顔をしているが、隣に居るアクアは未だに睨みを利かせている、正直この鋭い眼は獲物を狩る鷹の様でとても怖かった。





 二人はハマールに向かう途中だったのだと、森を出て街道に出た時に教えられた。

 森の中に入ったのは、街道沿いで山賊を返り討ちにして汗を掻いたから洗い流したかったそうだ。

 カムイと銀髪の少女は日が陰りはじめた街道沿いを歩きながら、夕焼け色に染まった空の下で食べ物の話で盛り上がった。


「そうか、では、この国のバロック(この世界の甘味料)黒いのか、わたしの国では白いのだがな、使っている果実が違うのか」

「おそらくそうでしょう、この国のバロックは数種類の果実に、クワの実を入れますから」

「クワの実と言うと先程のソースに使った奴か」

「ええ、そうですよ」

「へ―― 姫様、ハマール城が見て来ました」


 夕焼けで淡い色に反射した白石の城壁、それを見た銀髪の少女の目だが少し細くなった。


「そうか、あれがハマール城か」

「はい」


 姫と呼ばれていると言うことはどこかの貴族だろうか。

 カムイはハマール城を見つめる銀髪の少女を見上げながらそう思った。

 外縁部の西門を潜り、城壁内に入る。

 外縁部の住居区は未だに再建途中にあるが戦前の街並みに戻り始めている。


「すみません、こっちに用がるので、ここで」


 カムイはお辞儀をしながら言う、アクアは早く行けと言わんばかりの目でこちらを見ている。

 銀髪の少女は笑顔で「わかった、道案内ご苦労だった」と言った。


 カムイは一礼して「いえ、道案内なんてそんな、自分こそ粗末なモノをしか作れずに済みません」と言った。

「謙遜するな、えーーと、済まん、今更ながらお主の名前を訊いていなかったな」


 彼女は下馬して小さな白い手を差し出す。


「わたしの名は、エファンだ」

「カムイです」カムイも同じように手を出してお互いに握る。

「カムイか、難儀な名前だ」


 そう言われ、ふと、前にも同じような事を言われたような気がするとカムイは思った。


「あの――」

「姫様、行きましょう」


 アクアは二頭の馬を引いて宿街に歩いて行く、エファンと名乗った少女もその後を追うも、一瞬立ち止まり、振り向き「もし、今の職場に不満があるならいつでも言え! その時はわたしがお前を雇ってやろう!」と言った。


 カムイは笑顔で答える「お構いなく、今の職場は最高ですから!」と答える。


「そうか、残念だ! またどこかで!」

「また!」


 二人は宿街に消えて行った。

 カムイは嬉しかった、自分の腕が認められるのが。

 踵を返して帰路に付く、今日はいい日だ、色々な食材が手に入ったしワサビ菜の自生群を見つけることが出来た。

 明日も、良い日に成りますように、そうカムイは姿を見せ始めた双子月を眺めながら願うのであった。


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