二十二話:ラーニャ・コカミと思い出の料理 ③
二十二話:ラーニャ・コカミと思い出の料理 ③
1
まず、この状況の説明を求めたい。
王宮内、カムイの部屋の前、目の前には鬼の様な形相をしたレミー、その脇には既に、モザイク処理が必要な顔にされ、倒れているロレ、息を切らして駆け付けたガンダルフとロレンス、それからなぜだが知らないが、タオルを巻いた状態のフォルスとアマンダ。
そして、目の前に衛兵に組み伏せられた、少女。
艶の良い黒い髪に、褐色気味の肌、何よりも特徴的なのは銀色に輝く瞳だ。
「あの、これは一体……」
部屋のドアを開けた瞬間、今の状況のカムイにとってまったくもって状況が飲み込めないでいた。
唯一分かるのは、今まで騒がしかったのはこの子が原因だと言う事だけだ。
そんな彼女が六人掛かりで押さえつけられていたが、カムイの顔を見るや否や、まるで六人を振り払うかのように力任せに動く、押さえつけている衛兵は振り落とされまいと、必死に押さえつけている。
「なんって怪力だ! この小娘!」
「あなたが! この前の催しで料理した人ですよね!」
ハスキーな声が必死にカムイに呼びかける。
「わたしは! ラーニャ・コカミ! 貴方に是非作って欲しい料理があるんです!」
「えっ?」
「お願いです! 作って! わたしの思い出の料理を! あの世界が本物だったという証明を!」
「何を言っている賊が!」
衛兵の一人が剣の柄で彼女を殴ろうとしたのが見え、カムイは咄嗟に衛兵の腕を掴む。
「待って下さい、まだ子供ですよ! いくら何でも!」
「しかし!」
「何の騒ぎですが」
その場が静まり返る。
声の主は現在この王宮主である、シルフィーナ・パティール王女である。
その脇にはカムイの主である立派な髭を生やしたジルマ・パティール公爵と蛇の様な顔をした政務官であるビルヘイム・グランド子爵を連れていた。
「一体何の騒ぎですが、これは」
「ハッ、この娘が城壁を飛び越えて侵入したので」
「で、この騒ぎですが」
シルフィーナは周囲を見渡して軽いため息を付いた後、静かに言う。
「アマンダさん、フォルスさん、その哀れもない姿を何とかしてください、目のやり場に困ります、それからレミーさん、ロレさんを放して医者に」
そう言われて、三人は自分達の姿がマズイことに気付いたのだろう、三人とも顔を赤くしてそそくさと、自室に戻って行く。
「衛兵、その者を放しなさい」
「しかし、こいつは侵入者です」
「いいから、放してあげてください」
シルフィーナは凄んだ顔で衛兵を睨み付けながら言う。
その顔に臆したのか、取り押さえていた数人の衛兵は静かに少女から離れる。
自由の身になった少女は起き上がると、立膝を付き謁見の礼をする。
「自由の身にしてもらったことに感謝を……」
「ラーニャ・コカミと言いましたね、ここでは何なので、別の場所で、カムイも、同席しない」
「わたしもですが」
「ええ、どうやら彼女はあなたに用があるみたいだですから」
静かに踵を返して歩き出す、ラーニャと名乗った少女もその後に続く、カムイも逆らう雰囲気ではないと思い、渋々付いていこうとするが、ふと、足元に木剣が落ちているに気付く、使い古されたような木剣だ。
先度のドアの前でフォルスが、木剣がどうとか言っていたのを思い出す、これはもしかしてフォルスの持ち物か。
カムイはそれを拾い上げると、柄の方に名前が掘られていることに気付く。
「ダリア?」
「カムイ、何をしておる、行くぞ」
カムイの主であるジルマ・パティール公爵に急かされる、カムイはその木剣を持って、ジルマの後に続いた。
2
通されたのは会議室、上座に座ったシルフィーナはラーニャに座る様に促す。
ラーニャは戸惑った様子もなく勧められた椅子に座る。
カムイはジルマの後ろに控えるように立つが、ラーニャと名乗った少女の視線はこちらを向いていた。
鋭い視線はまるで何かを確かめるように見ている、正直、居心地が悪いなとカムイは思った。
「改めて自己紹介しましょう、わたしはシルフィーナ・パティール、前国王、カルマ・パティールの子、次期国王でもあります」
「改めまして、わたしは、ラーニャ・コカミ、父の精霊名はラー、母の精霊名はニャ、姓をコカミと言います」
「ホロウ・アハ〈放浪の民〉の名は、父親と母親の精霊名を子の名とすると聞いています、何とも可愛らしい名前ですね、ホロウ・アハには名の種類が少ないと言うのは本当ですが?」
「はい…… と言ってもわたしはあまりよく知りませんが、既にお気づきだと思いますが、わたしは――」
「ラビ=ハン国の国王の養女、つまり、現在行方不明とされている、ラーニャ王女ですね」
カムイは驚きの余り目を丸くするが、ここに居るジルマもビルヘイムもさして驚いた様子がない、もしかして知っていたのか。
「この前の催しでのあなたの名を名簿で見た時に、もしやと思いましたが」
「はい、わたしはラビ=ハン国の国王、チャーン・コカミの養女、しかし、今はとある理由により、王女としての地位を失っています」
「して、その理由は?」
「ここで話すことでしょうか」
「それはあなたが決める事ではないハズですよ、これだけの騒ぎを起こしているのですから」
先程から会話内容が異様に重い、まるで相手の腹の中を探り合っているかのような話し方だ、いや、実際の探り合っているのかもしれない。
「わたしが、王位の権限を失った理由は、二つあります」
「二つですが?」
「はい、一つはわたしがホロウ・アハの出である事、そして、もう一つは……」
不意にラーニャの視線がシルフィーナからカムイに向く、またあの目だ、鋭く、まるで何かを確かめるかのような瞳、それは重く感じる。
「わたしが、『神隠し』に会ったからです」
「『神隠し』?」
「はい、我が国、ラビ=ハン国では知っている通り、創世神を国教として定めています、その創世神話に出て来る、創造神、男神ロと女神ラ、その二人の母神である、次元の狭間に住まう神『ララバイ』によって、連れて行かれるとされる場、わたしは、四年前に、その狭間に連れて行かれた」
「連れて行かれた?」
シルフィーナが首を傾げる。
「はい、そこでわたしが見たのはこの世界とは別の世界でした、自らは走る馬車、空を飛ぶ大きな怪鳥、唸りを上げながら走る巨大な鉄の蛇、見たことのない服装、見たことのない作りの建物、どれもこの世界とは思えなかった」
カムイはふと、こんなことを思った、それはおれの世界ではないのかと、自らは走る馬車、おそらく、車、空を飛ぶ怪鳥は飛行機、そして鉄の大蛇、それは電車だ。
彼女は間違いなくおれが居た世界に行ったんだと、カムイは思う。
「そして、そこでわたしはある料理人の家に…… わたしはそこで食べた料理が今でも忘れることが出来ない、この世界に帰ってきてからも、わたしの舌はあの味を覚えている」
「それが、あなたの思い出の料理ですか? しかし、話が見えませんね、それがどうして王位の失権に繋がるのですか?」
「わたしは、その世界で聞いたのです」
「何を?」
「ガリアがラビ=ハンを攻め滅ぼしたと言う話を」
ラーニャの言葉に誰もが首を傾げた。
「…… 少々話の内容がわからないのですが、今、ラビ=ハンは――」
「健在です」
「しかし、攻め滅ばされたと」
「はい、わたしは、確かにそう聞いたのです、どこからともなく聞こえた、何かを伝えるような会話の中から、『ラビ=ハンが、ガリア軍の侵攻に遭い、滅んだ』と、わたしは確かにそう聞いた…… その後、この世界に戻って直ぐに、父上―― 国王にその事を上奏したのですが、結果はこの有様で……」
「それはそうでしょうね、起こりもしないことが起きたように言ってしまったら」
「いえ、その事で、失権したのではなく、『神隠し』に遭ったからだと」
シルフィーナは軽いため息を付き、続きを促す、促されたラーニャは話を続けた。
「国王の話では、ホロウ・アハ〈放浪の民〉は男神ロと女神ラの間に生まれた現人神であり、世界を統一したとされるガイア王に仕えた七つの眷属の一つ、過去と未来の情報を司る亜神。そして、ガイア王を裏切った眷属」
「その話は知っています、ホロウ・アハ〈放浪の民〉は過去と未来を司る、『ホール』と言われる異空間に入り、情報を得ると、そして得た情報は必ず的中する、ホロウ・アハ〈放浪の民〉はそこで、ガイア王を殺さなければ、世界が滅びると知り、自分の下僕である戦闘民族である十三人のガン族にガイア王を討たせたと」
「そして世界は、複数の国分裂し、今の世界を形成した」
「ホロウ・アハ〈放浪の民〉はその責を感じ、生涯どの国にも属さず、定住せず、大陸中を放浪し続ける民となった」
「そしてラビ=ハンでは『ホール』に入ったモノは穢れた者として、廃嫡されることとなっています」
「それで、失権という訳ですが、何とも」
シルフィーナは先ほどより深いため息を付き、そして座り直して凛々しい顔をして言う。
「あなたが、王位を失った理由がわかりました、で、そんなあなたがどうして彼に料理をお願いするのですが?」
シルフィーナの鋭い眼光にラーニャも負けまいとこちらも鋭い眼光で返している、傍から見ていると、話し合っているのに、目では熾烈な戦いをしているようだ。
「わたしが、聞いたことが、本当であると言うのを確かめるためです、そうすれば、父上にも認めて貰えるハズ……」
「その確かめる方法が先程言っていた」
「はい、あの世界で食べた料理です」
ラーニャはこちらに向き、頭を下げる。
「お願いします! わたしにあの世界の料理を食べさせてください、あの世界が本当かどうかを知りたいのです!」
カムイは困惑するカムイを尻目にシルフィーナが口を開く。
「それの件に関して、わたしから返答します」
カムイとラーニャの視線がシルフィーナに向く。
「否です、これだけの騒ぎを起こし、複数の衛兵を負傷させ、その上で料理を作って欲しいと言うのは虫が良すぎます」
「そうじゃな、シルフィの言う通りだ」
今まで沈黙していたジルマが口を開く。
「この話に対して我々に対する利益が無い、利益無いモノに我々は手を貸している暇はないのだ、わかるかね、ラーニャ王女殿下」
「左様、貴殿のお遊び付き合っている暇はないのです、もし、正式に我々にその様な頼みをするのなら、正式な手続きを踏んで下さい」
ビルヘイムもジルマの言葉に付け加えるかのように、言う。
確かに、現在パティール王国内情勢は不安定だ、いつどこでこの不安定が決壊して一気に内乱に向かうがわからない、わからない以上この様な無駄なことに付き合いたくはないと言うのがシルフィーナに達の考えなのだろう。
静かに見据えるシルフィーナに、ラーニャは口を開く。
「無論、タダとは言いません、それなりに報酬をお支払いします」
その言葉を聞くや否やシルフィーナの眉が微かに動いた、それをラーニャは見逃さない。
一旦間を置き、付け加えるように言う。
「その報酬はこの国の大きな利益になるハズです」
「して、その報酬と言うのは?」
「パティール王国、南部の情報に加え、諸外国の情報です」
それを聞くなり、シルフィーナはだけではなくジルマもビルヘイムも顔色を変える。
この場でカムイだけが分かっていないようだが、現在南部とはカーベイン公の発した関税により各領地の街道に臨時の関所が設置されている、この関所が厄介で、王宮に向かう全ての隊商や旅人などを理由なしで拘束していた、そう、南部は情報封鎖をしているのである、それは徹底的であり、山間部にも兵士を配置して、無断で山越えを行おうとする者を容赦なく捕らえるか、もしくは、殺害している。
南部の情報封鎖のお陰で南部の情報が少ない、それを考えると、彼女の情報は確かに大きな利益であるが、少しだけ考えこんだ後、シルフィーナは少し強めの口調で言う。
「あなたの持つ情報の信憑性は?」
「わたしは王位を失っているとはいえ曲がりなりにも、ラビ=ハン国の王女であり、情報を司る一族であるホロウ・アハ〈放浪の民〉です、それを信じてもらうしかありません」
顎に手をやり考え込むシルフィーナ、しばらく会議室に沈黙の時間が流れたのち彼女は口を開いた。
「わかりした、それで手を打ちましょう」
そう言ってシルフィーナは手を差し出す、出された手をラーニャは強く握り返す。
「交渉成立ですね」
「ええ、カムイ」
「はい、殿下」
「彼女の思い出の料理をお願いします、出来ますね」
カムイはボサボサ頭を少し掻いたのち、ため息を付きながら答える。
「わかりました、全力を尽くします」
「結構です、ラーニャさん、あなたの思い出の料理と言うのは何と言うのですが?」
シルフィーナの質問に困ったような顔をして黙り込んでしまう。
数秒の沈黙が流れた後、ラーニャは重々しく唇が動く。
「あの、その、名前がわからないのです」と。
3
頬を赤くして恥ずかしいのか顔を伏せながら言うラーニャ。
さて、困ったモノだとカムイは思った。
名前がわからなければ作りようがない、ただでさえ、こちらの世界の料理の知識が少ないのに、一から考えるオリジナルの料理を作りより難しい。
再び沈黙が流れる、その沈黙を破ったのはジルマの一言だった。
「どんな味だったのだ?」
視線がジルマに集中する、それに驚いたのか頬を掻きながら「なんじゃい」とバツの悪そうな小さな声で言った。
まあ、確かにジルマの考えは間違ってはない、名前から連想できない以上そこから探るか、カムイはそう考え相手を落ち着かせるように優しく言う。
「旦那様の言う通り、どんな味でした? 味から連想できる食材を列挙して下さい」
ラーニャに腕を組みながら考える。
「そうですね…… まず、昆布」
「昆布?」
「はい、あの催しで食べた味を似たような感じでした、それから、魚醬に似た、いや、違う、それより深みがあるような調味料、それから、大豆の味、後はよくわかりません」
「うん、おれも良くわからない、てか、ガルムって魚醬のこと?」
「? ナンプラーと言うのは知りませんがガルムは魚の内臓類を発行させて作る調味料ですよ」
カムイはジルマの方に向いて悔しがった顔で言う。
「旦那様、それ早く言って下さいよ! ナ――魚醤があるなら、もっと料理の幅が広がったと言うのに!」
ジルマ肩を掴み揺すりながら言う。
「いや、お主が何も言わないからであろうに、それに、魚醤は高いからそう簡単には買えん!」
本気の顔で悔しがるカムイを見てシルフィーナは笑みを浮かべながら、喚く子供をあやすように言う。
「カムイ、魚醤は現在我が国では作られてはいないのです」
「えっ! どうしてですが!」
「カーベインの奴が作るのを禁止したのじゃよ」
カムイから解放されたジルマが言う。
「理由はわからんが、ア奴が領主になってから南部一帯で製造が禁止された」
「お陰で、魚醤はいくつかの国を経由して運び込まれることになり、自然と高くなってしまったのです」
「元々、パティールでは魚醤を使うのは南部と西部一部の地域だけだからな、さして困ることもなかった」
北部にあるハマールでは元々使う習慣すらなかったとジルマは言った、それを聞いてカムイは渋々了承する。
「しかし、ラーニャさんの話からだと、どんなものか想像すらできませんね」
「なら、絵を描きます! 誰か紙を下さい!」
ビルヘイムは書棚から取り出した羊皮紙をラーニャに渡すと、楽しそうに書き始める。
まるで、子供の様な、いや、子供であるがその楽しそうに書く彼女の笑顔はその場を和ませる。
「出来ました、こんな感じです!」
渡された絵を四人が顔を突き合わせて覗き込むように見るが、カムイ、ジルマ、ビルヘイムの目が点となる。
「あの、これは?」
「わたしの思い出の料理です!」
その、何と言うのだろうかと三人は思った。
独創的な感じの絵だ、丸く書かれた皿の絵と思わしきモノに四角い何かがのっかっている絵だ。
これだけの説明では、分かり易いと言うか、その説明が難しい、四角いのに何が羊の毛の様なモノが生えている。その上に丸い何かが乗っている。
一言で言えば絵の才は皆無である。
「ラーニャさんこの絵は――」
「絵、お上手ですね!」
シルフィーナの言葉にカムイ達が驚きの余り唖然とする。
「実はわたしも絵が好きなのですよ、ちょっと待っていてください、ビルヘイム、紙を」
「え、あ、はい」
ビルヘイムはシルフィーナに羊皮紙と羽筆を渡される。
それを受け取ると、くるりと羽筆を一回転させて目を見開き力んだ顔で絵を描き始める。
物凄い集中力で書き始める、何を書いているのだろうか、そして書き終えると渾身の出来と言わんばかりの顔で羊皮紙をカムイ達に見せる。
渡された羊皮紙にはそれは、見たことのない、怪奇的な絵が描かれていた。
「あの、殿下、これは?」
「え、何を言ってるのですが、これは、その……」
何かに気付いたように少しばかり頬を赤くする。
「カ、カムイです」
カムイ、ジルマ、ビルヘイムの三人は改めて絵を見る。
そう、何と言うのだろうか、独創的な、かの有名なピカソの絵に負けないぐらいの画力だ。
ピカソの人物画にアフロヘアにして、昔の少女漫画の様に大きなクリっとした様な絵だ。
体の絵は小学生が書くような、『家族』と言うテーマとかで書きそうな、手と足がどうにか判別できる仲良くわいわいとするような絵。
一言で言えば、壊滅的に似てない。
てか、おれってシルフィーナにこう見られているのか、とカムイは絶句するのであった。
「あ、あの殿下、お言葉ですが――」
「お上手ですね!」
と、ラーニャが褒めた事に三人は話が耳を疑った。
「そう思いますか、ラーニャさん」
「はい、わたしの絵に比べれば、遥かにお上手です!」
三人は心の中でこう呟いた。
「「「え! これのどこか上手いだ!」」」
もはや言葉を失った三人を尻目に二人は絵の話で談笑している、ふと、カムイは思った。シルフィーナは同年代の子と話す機会などほとんど無かったのではないのかと、談笑する二人を見て、これぐらいの年代は普通ならこういう会話をしているのが普通なのではないのかと、思ってしまう。
しかし、このままで先に進まないので、とにかく、料理が何なのか導き出さなくてならない。
「あの、すみませんが、これだけではモノが分かりません、何か他の特徴はありませんか?」
「そうですね、衣が付いた白くて柔らかい、口の中に入れると、嫌みのないしっとりとした食感、そうそう、それからも大豆の味がしました」
「衣が付いて、白くて、魚醤を使った昆布の味…… もしかしてあれか?」
「心当たりがあるのですが、カムイ?」
カムイは何か閃いたような顔で言う。
「ええ、殿下、しかし、作るには少しばかり時間が要りますね、それに足りないモノがありますね」
先程の閃いたような顔から、今度は少しばかり困ったような顔をする。
「足りないモノとは何ですが!」
ラーニャが興味深々と言うような顔してカムイに訊く、カムイはニコッとした顔で答える。
「水です」
4
カムイの答えに一同の頭の上に疑問符の文字が浮かびそうだ。
咳払いをしてカムイは話を続ける。
「その料理を作るには、まず、必要なモノは大豆と水それからにがり、特に水の硬度が重要です」
「こうど?」
「ええ、実は水には硬さがありまして、水に含まれるカルシウムとマグネシウムの含量質量が硬度になります、実は一度だけハマールでそれを作ったことがあるのですが、如何せんパティールの水は硬すぎるのでどうしても『あれ』が硬くなります、ですから、ラーニャさんが求めるような『モノ』が作れないのです」
「では、どうすればいいのですが」
ラーニャが落胆したように暗い表情をする、そんな彼女の肩に手をやりカムイは静かに諭すように話しかける。
「大丈夫ですよ、塩素や有機物が含まれない、地下水などがあれば作れますから」
「地下水ですが……」
「なら、うってつけの地下水がありますよ」
わくわくしたような口調でシルフィーナが言う。
「どこですが!」
カムイよりもラーニャが早く反応する、遅れてカムイも同じように聞くと、ニコニコしながらシルフィーナは言う。
「アルディート領です、あそこには良質な地下水があるのですよ」
シルフィーナの計らいにより翌日、カムイはフォルスの紹介と言う形でアルディート領を訪れることとなった。
最初はラーニャも付いていこうとしたが、逃げられる恐れがあるとして、彼女は王宮のカムイの部屋で軟禁されることとなった。
長閑な街道を馬に跨るフォルスと共にカムイは歩んでいた。
「静かな土地ですね、空気もいい」
「そうですが、王都に比べれば田舎のですよ」
アルディート領は王都中央部の東にある小さな領地である。
主な産業は林業で良質の木炭が製造されている。
とても王都に近いとは思えない程に長閑で静かな土地。
すれ違う領民は皆フォルスを見ると頭を下げる、道を譲る。
普段、騎士の恰好をしているフォルスだが、今日に限り貴族が着るような装飾された赤いドレス服を着ている、その色と相まって右目の花柄の眼帯がよく似合っていた。
どこからどう見ても貴族、そして彼女の乗る馬を引いて歩くカムイは差し詰め下男と言ったところだろう。
「カムイさん」
「はい、何ですがフォルスさん」
「昨日の木剣、ありがとうございます、アレは大切なモノだったので」
昨日の拾った木剣のことを言っているのだろう、あの後、アルディート領行きの挨拶次いでに拾った木剣を返したのだ。
「ありがとうございます」
「これを奪って逃げた、ラーニャさんを許してやってください、彼女からも『ごめんなさい』と言ってましたし」
そう言って渡された木剣をギュッと抱きしめる、相当大切なモノだったのだろう、安心した笑顔は可愛らしかった。
カムイがそれを眺めていると、ハッとしたような顔をしていつもの様に真面目な顔に戻る、仏頂面の顔よりも先程の笑顔の方が、親しみ易さがあるのだが、もしくは騎士だからこそそのようにしているのか、それは彼女だけが知る事だろう。
「そう言えばあの木剣、訓練用にしては刃が短いような気がしますが、短剣様ですが」
「いえ、あれは、子供用の木剣です」
「子供用?」
「昔、ある人から貰ったので」
「ある人ですが?」
「わたしが騎士道に進むことを決意させた人です」
「それって、ダリアと言う人ですが」
カムイの質問にフォルスは驚いた様子でこちらを見ていた。
「柄に名前が彫られてましたから」
「ああ……」
「どういう人なのですが、そのダリアと言う人は」
「気になるのですが?」
「女性が騎士を目指す志を持たせた人です、さぞ、高名な『騎士』なのでしょう」
その言葉に戸惑いの顔をするフォルスにカムイは気付く、何か変なことでも言ったのだろうか、そう思っているとフォルスが低い声で言う。
「あの方は、騎士ではありません」
「え? 騎士ではない?」
「はい」
少しの間を置いて彼女は答える。
「彼は…… 料理人です」
アルディート領の中心地である、ケーレスと言う町は小さいながらも活気があった、露店が立ち並び、とこととことで大道芸人だろうか、芸を披露するものや詩を歌うもの等で賑わっている。
その街を抜け少し離れたと丘の上にフォルスの館がある。
レンガ造りの館は風情がありながらも、どことなく重々しい空気を出している。
門を通り、屋敷の入り口に数名の使用人が並んで待っていた。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
初老の男性が挨拶する、見たそのままの執事、燕尾服がよく似合う。
「ただいまアルスン、家の方は?」
「何の問題も、ただ」
「ただ?」
「フォルス!」
扉が開いたと思ったら彼女の名を呼ぶ、中年の女性。
美しい顔立ちだであるが、彼女から漂う独特の雰囲気は暗く重い。
「お久しぶりです、お母様」
「帰って来るのなら、連絡ぐらい入れないさい、あなたが帰って来るとわかっていれば、お見合い相手を用意したと言うモノを、あなたは、いつもそう、自分勝手、いいですか、あなたはアルディート領を継ぐ婿を取らなくてはいけないのです、いつまで『騎士ごっご』をするつもりか知りませんか、いい加減、戻って花嫁修業をしなさい、タダでさえ、右目の所為で醜くなっているのに、体に切り傷でも付けようなら……」
「いい加減にして欲しいのは、こちらですお母様!」
フォルスが突然、声を荒げるように怒鳴り散らす、隣に居たカムイが思わず竦んでしまう程の怒気が籠っていた。
「帰ればいつもいつも、見合い見合いって! お母様は自分がそうだったからってわたしまで同じように強制しないで! わたしは、騎士です! 騎士として生きたいのです、どこの馬の骨とも知らない男と添え遂げる等、真っ平ごめよ!」
怒鳴り散らし、肩で息をしているフォルスに彼女の母親は静かに、感情のない声で言う。
「言いたいことはそれだけですか」
「それだけって――」
「長居するのなら、明日か明後日にもお見合い相手を呼んできます、いいですね」
「わたしは――」
「長居はしませんよ」
二人の会話に割って入ったのはカムイだった、ニコっとした顔でカムイは言う。
「用事は直ぐに終わりますし、明日の朝にはここを発ちますので」
「あなたは、誰ですが」
「申し遅れました、わたしはジルマ公爵殿下の下で料理人をしています、カムイと申します、今日はシルフィーナ王女殿下の命により、この地にある地下水を使った料理を作るために来訪した次第で」
「王女殿下の?」
「はい」
「地下水を使った料理とは、また、ちんけなモノを…… 本当にあの人は料理人に縁があること」
あの人とは誰だろうか、それを聞こうとカムイが口を開くよりもフォルスが先に口を開く。
「お母様、これだけは言わせて頂きます、あなたがどう思っていようと、将軍…… 父上と兄上を侮辱することは許しません」
「まあ、良いでしょう、アルスン、お客様に部屋の用意を、フォルス、後でわたしの部屋に来なさい」
「行く気はありません、わたしは彼と共にこれから『龍の口』に向かいますので」
「……好きになさい」
そう言って彼女の母親は踵を返してその場を去る、残された使用人とカムイ達は静かに溜息を付くが、フォルスだけは悔しそうな顔をしている。
声を掛けようとしたが、アルスンと呼ばれた使用人に呼び止められる。
「カムイ様、申し訳ございません、我が主の非礼、どうかお許しを」
「いえ、別に気にしてませんから」
「そう言って頂けると助かります」
「それより、お二人の仲は……」
「はい、言い方は悪いですがよろしくありません、お嬢様の幼少期から……」
「おくでかましいのですが、どうして――」
「カムイさん」
その先の言葉はフォルスに呼ばれて遮られる。
先程までの悔しそうな顔は消え、晴れたような顔をして言う。
「行きましょう、『龍の口』は、こちらです」
ニコっといた顔を見せるフォルス、その顔はどこか無理をしているような感じだ。
カムイはフォルスに案内されながら、地下水が眠る『龍の口』へと向かった。




