十五話:ドーランシ市市街地戦 ②
十五話:ドーランシ市市街地戦 ②
1
早朝、中庭に兵士達が集められた。
夏の終わりの月が開け、明日には秋の初め月に暦が変わろうとしていたそれでも、早朝であっても些か暑かった。
中庭の中央に設けられた壇上に二人が上がる、剣聖ジルマ・パティール、その隣には王女であるシルフィーナ・パティールの姿があった。
その二人を見て、兵士達はとうとうその時が来たと思った。
将軍時代からジルマと共に戦場を掛けていたガンダルフ軍の兵士は、興奮を隠しきれずに居た。
一方、ハマール領兵士は三者三様だ、不安がる者や喜ぶ者、ゲイリーみたいの否定的な顔をするもの等、そしてイスラス渓谷の戦いで合流した兵士達は、怒りの視線を向けていた。
ここに集まれられた兵士はいろいろな考えをもっている。
その視線の中、ジルマが一歩前に出る。
「諸君、知っての通りだが、我が弟、カルマ・パティールがイスラス渓谷での戦いで戦死した、知っていると思うが、カルマは歴代の王の中で最も優秀な王であった、それを支えてくれたのは、共に戦った諸君らであろう、亡きカルマに変わり、ここで礼を述べさせてくれ」
ジルマの言葉に誰もが静かに聞いた。
一間を開けジルマは大きく息を吸いそして遠くまで聞こえるような声で叫んだ。
「だが、悲しみに打ちひしがれている暇はない、今日にも敵は西部最後の拠点であるドグマ要塞に攻撃を仕掛けるだろう、あの要塞が落ちれば敵の軍勢は王都サイファルに迫る、王都が陥落、即ち、二百五十年続いた我が王国の滅亡を意味する」
王国の滅亡、その言葉を聞くなり、皆の顔が引き締まるのを壇上の片隅でカムイは感じていた。
「諸君、戦いに赴く前にここで一つだけ伝えなければならない話がある」
話を聞いていた兵士達が騒ぎ始める。
「皆も気にしていることである、王位継承のことである」
ざわつきが静寂に変わる。
「皆はわしが王位を継ぐものだと思っておるだろう、だが、ここで宣言する、わしは王位を継ぐつもりはない!」
一瞬の沈黙の後、兵士達が騒ぎ出す。
戸惑うもの、安堵する者、呆然とするものなど様々だ、だが、ここに居る兵士達は皆が一つのことで、意思は統一されていた。
次の国王は誰なのか? と。
「静粛――――!」
ジルマの大声が中庭に響き渡る。
ざわめき合っていた中には再び静寂に包まれる。
「これより、次期国王から訓示がある!」
ジルマが一歩下がり、代わりに一歩前に出た人物を見て、皆が唖然とする。
シルフィーナ・パティール第一王女、十三歳の少女が次の王? それがここに居た兵士達の共通の思いだった。
その様な眼差しの中、シルフィーナは口を開く。
「我が名は、シルフィーナ・パティール! 戦死した先王、カルマ・パティール国王の子である!」
彼女の声はとても美しかった、そして声を荒げる訳でも大声を出す訳でもないのに、彼女の声は中庭の隅々に居る兵士まで届いた。
「我が父は、イスラス渓谷で民を守るために戦い、そして死んだ、国王としての義務を果たした、だが、敵はまだに、我が国を犯し続けている」
まっすぐと凛とした姿は、呆然と立ちつくしていた兵士達の視線を集めていた。
「彼らの蛮行を止めなければより多くの命が奪われるだろう、だが、皆はこう思っているだろう、この王のもとで大丈夫かと、ならハッキリ言おう、今のわたしには何の力もない、無力な子供だ」
彼女は言い切った、自分が無力であると、その言葉に全ての兵士が動揺する。
ここまで自分が無力であると言い切る人間はそうはいないからだ。
しかし、次の言葉で再びざわつき始めようとした中庭は再び静まり返る。
「だからこそ、皆の力をわたしに貸して欲しい、今のわたしには何の力もない、軍略もなければ剣の腕もない、政治に関して言えば、無知に等しいだが、わたしが先王である父、カルマを超えるためには、ここでわたしが先頭に立ち、皆を率いらなければならない、それが『王族として責務』だからだ」
ジルフィーナは一歩前に前進して顔を上げ碧眼の瞳が兵士達を一人一人見つめる。
「民を守るために、我ら王族が居る、民を守らなければ、王族の存続する意味がないのだ、ハマール領の兵士達、ガンダルフ軍の兵士達、ブーケ領の兵士達、騎士団の者達よ、民を守るためと思う者よ、わたしと共に死地を赴いて欲しい、だが、そうではない者は、この場を去っても構わん、罪には問わない、自分の意思で決めてくれ、だが、共に赴くならばこの国を統べるものとして共に戦おうではないか、そして、我が祖国の新たな礎となろう」
シルフィーナは、頭を下げる。
しばらくの沈黙が続く、誰も声を出さなかった、相談し合うような声すらなかったのだ。
重い沈黙が十数えるほどの経った時だ、ハマール領の黒い一団から声が上がる。
元ガスダント兵の一団だ、その先頭に立つ、ガガバド・アッサーラが一歩前に出て張り上げるような大声で言う。
「わたしの名は、ガガバド・アッサーラ! 元ガスダントの騎士である、シルフィーナ王女殿下にお聞きしたい! わたしは四ヵ月前にこのパティールの地を犯した兵団の一員だった者だ、戦に敗れ、祖国から見捨てられ、ジルマ公の温情の元、わたしはここに居る」
ガガバドの声にシルフィーナだけではなく中庭に居た兵士達も彼に視線が注がれる。
「わたし達は純粋なパティール人ではない、そんな我らでも殿下の側で戦うことを出来るのか、戦うことを許してもらえるのか! お答えください!」
一呼吸分の間を置いてからシルフィーナは答える。
「わたしは言ったはずだ、共に戦うのなら、皆がこの国の礎となると、騎士ガガバド・アッサーラ、屈強なるガスダント兵が共に戦うのならこれほど心強い味方は居ない」
ガガバドを見つめる曇りなき碧眼の瞳を見て、ガガバドは跪き気迫の籠った声で言う。
「その言葉、真の言葉と受け取りました、ガガバド・アッサーラ以下、騎兵隊二百。王女殿下の為に命を捧げて戦うことをここに誓います!」
ガスダント兵一団が一斉に跪いた。
その光景にあっけに取られていた、兵士達であったが、さらにハマール領の一団からドスの利いた声が上がる。
「殿下カアアアア! おれの名はハマール領北門衛兵守備隊中隊長ゲイリー・ホットマン! 殿下におれも訊きたいことが有る!」
「おい、ゲイリー、口の利き方が――」
「衛兵長は少し黙っていてくれ」
睨み付けるように止めようとしたロレンスを一括する。
「ゲイリー・ホットマン、訊きたいこととは何だ!」
「あなたの父、カルマ陛下をどう思っているのですが!」
「なんだその質問は」
カムイの隣に居たロレがそう呟く。
「我が父は、王として尊敬できる人物であった、そなたもそうであろう、元王国護衛騎士団であったゲイリー・ホットマン、あなたも共に戦ってくれると言うのなら、我が父も喜んでくれるだろう」
ゲイリーも同じく跪き、頭を下げる。
「ゲイリー・ホットマン、先祖の名に近い、殿下と共に戦うことをここに誓います」
ゲイリーに合わせるかのようにロレンスも膝を折る。
「ジルマ殿下と共に戦ったモノとして部下に示しがつかない、わたしも共に戦わせていただきます、シルフィーナ王女殿下」
まるで堰を切ったかのように次々と兵士達が頭を下げ始める。
中庭を埋め尽くしていた、兵士全てが頭を下げたのだ。
「皆、ありがとう、共に行こう、我らが守るべき民たちの元へ!」
物静かな中庭は、兵士達の熱い勝鬨にも似た声が響響き渡った。
2
編成を終えたパティール軍は直ぐに出発した、目的地はドクマ要塞とブーケ領の中間地点にある都市、ドーランシ市。
カムイとロレ、それからガガバドと共に本隊よりも先行してドーランシ市に向かっていた。
ここを発つ前に、各兵団の中隊長クラスが集められ作戦会議が行われた。
問題は十倍近い戦力をどうやって打ち破るかと言うことに終始していたのである。
「では、この戦術ならどうだ?」
「いや、この戦術なら数で押されれば、我らの方が囲まれる」
「では、どうしろと?」
「何とか戦力を分散できないだろうか」
各中隊長が意見を飛ばし合っている中で、シルフィーナはカムイの入れた香草茶を飲み切り、静かに椅子から立ち上がる。
「皆の者に訊く、この数差を埋めるのには最良の戦術は何かを」
各中隊が互いの顔を見合わせる、そしてロレンスが静かに答えた。
「敵の分散です、軍団単位で戦えば我が軍が敗北なのは確実、ならば、敵の戦力を徐々にそぎ落とし、弱り切ったこところを仕留めるのが最上でしょう」
「では、そのために必要なことは?」
「地形です、敵は分散できるだけの良い地形がありません」
どの時代でも戦場で必要とされるのは敵よりも優位な地形を取りことである。
例えば見渡しの良い丘を先に抑えることが出来れば、そこから敵の動きを観察することが出来、部隊を優位に配置することが可能である。
戦力差がある戦いならば、尚更のことである。
「地形があれば、それが可能ですが」
自信に満ちた顔をするシルフィーナに皆が動揺する。
「可能です、しかし、南部や北部とは違い、西部は平地と山脈が多く、とても策略練るに適した地形がありません」
「地形…… それは必ず地形ではなくてはならないのですが」
「それはどういう意味ですか?」
ロレンスが疑問にシルフィーナはニヤケ顔で言う。
「一つだけ、敵を細かく分散出来る、場所があります」
「なんですと、それはどこですが」
「それは――」
「ドーランシ」
後ろで作戦会議を聞いていたジルマが言う。
「流石ですね、伯父様」
「シルフィーナよ、あの土地の者が我らに協力すると思うか? いや、わしが来たことを知ればもしかしたら、歯向かって来るかもしれんぞ」
「わたしに考えがあります、伯父様、カムイをお貸し願えないでしょうか」
カムイが呼ばれたのは、夕食の下ごしらえを始める前だった。
ドアをノックして入ると、少しばかり赤い顔をした、シルフィーナが居た。
促されるままにカムイは椅子に座ると、シルフィーナが紅茶を入れ始めようとしたので、わたしがやりましょうかと言うと。
「いいえ、わたしにやらしてください、一度やって見たかったのです、紅茶を入れるのを」
そう言って、彼女が入れた紅茶を手に取り一口啜ると、紅茶の苦みが直に来た。
どうやら、熱い湯をそのまま入れた所為だろう、紅茶の苦みが濃く出てしまい、風味が死んでいる。
「どうやら、わたしは紅茶を入れるのが上手くないようですね」
どうやら顔に出ていたらしい、カムイは取り繕うとしたが「いいのです」と言われてしまった。
どうしたものかと思っていると、シルフィーナが口を開いた。
「カムイ、あなたは、料理に誇りを持っていますか?」
カムイは飲みかけた紅茶のコップを置く。
真剣な眼差し、先程まで頬を赤らめていたシルフィーナは居ない、ああ、やはりだ。
この子は強い子だ。
カムイは、静かに頷いた。
「では、今から言うことは、あなたに辛いことかもしれない、カムイ、わたしはあなたの料理を政治の道具にしようとしている、それを許せないと言うのなら、今この場でどのような、罵り受けましょう、しかし、今はどうしてもあなたの力が必要なのです」
カムイはクスッと笑う。
「な、なにが可笑しいのですか!」
「いや、別に気にしてませんよ、殿下、旦那様から殿下の『力になれ』と言われています、料理がその力になると言うのなら、わたしは、どんな料理も作ります、流石に毒をもれは訊きませんけど」
シルフィーナは安堵した表情を浮かべる、どうやら断れるのを覚悟で呼んだんだろう。
カムイは紅茶を舌に苦みが残りながらも紅茶を飲み干し、言う。
「で、わたしに何をしろと」
ドーランシ市は三方を高い山脈に囲まれた盆地に作られた都市である。
気候は通年を通して常に一定であるが、溶岩地質であるためか、作物の育ちが悪く、農業国であるパティール内に置いて唯一、麦が取れない地域であった。
これと言った産業もなく、若者は職を求めドグマか隣のブーケ領に出稼ぎを行く始末であった。
そんな苦しい生活を更に苦しめたのはドーランシ市を管轄しているバクア領であった。
バクア領とその隣地であるスーラ領とは昔から仲が悪く、事あるごとに揉め事を起こしていた、領主同士の争いはジルマ達の父親である先王が領地同士の武力争いを禁じた、『領主諸法度』により武力衝突は起きなかったが、揉め事の解決にしばしば、勝負事が用いられていた。
そして王都からバクア、スーラ領の分岐点までの街道整備費をどちらが出すかで勝負ごとになり、ものの見事に負けたのである、領主は街道整備費を捻出するために、領地内の多額の税を掛けた。
その税は今までギリギリ持っていたドーランシ市の財政を一気に圧迫してパンクさせたのである。
無論、ドーランシ市の市民は減税を願い出たか、領主はそれを拒否して、さらに逆らったことの報復化の様にドーランシ市に重税を掛けたのである。
ついに彼らは堪忍袋の緒が切れた、ドーランシ市の住民は土一揆を起こして、バクア領の領主の館を襲撃したのである。
そして同じく、重税に苦しんでいたバクア領内の各市が賛同してパティール王国始まって以来の最大の土一揆になったのである。
バクア領領主の要請により、ジルマ率いる十万の軍が土一揆を鎮圧したのである。
ロレは道中、ドーランシ市のことを説明してくれたが話を聞く限りでは、彼らの方に正義があるのではないかと思った、無論それは、土一揆を鎮圧した、ジルマも思っていることであったのだ、あの籠城戦の時にそう言っていた。
「しかし、何故、わたし達の三人なのでしょか、ここはやはり正式な使者を立てるべきだったんでは?」
ガガバドがそう言うと、ロレは不機嫌な顔をして言う。
「全くだな、何で、ガスダント兵と一緒に」
「ロレ!」
「はいはい、わかっていますよ、おれ達は、お前の護衛だから変な口出しはしませんよ」
「すみません、ガガバドさん」
「いえ、いいのですよ、アレが基本的な反応なのですから」
「だとよ!」
カムイはロレの頭上に拳骨を落とす。
「しかし、すんなりと会ってくれますかね、その市長に」
「シルフィーナ殿下は、面識ある様な事を言っていたが」
カムイはシルフィーナからドーランシ市市長に会って協力を取り付けるように命じられた、無論その為の秘策を携えて。
シルフィーナは市長のことを曲者と呼んでいた。
「向こうが交渉に乗って来るか来ないかで、こちらの動きを変えます、カムイ、あなたの料理で彼らの意思を引き出しなさい」
おれの料理にはそんな力はない。
カムイはどうも最近自分に対する評価が過大に評価されているように感じてならない、自分は一介の料理人それ以上でもそれ以下でもない、なのになぜだろうか。
山道が次第に開けて来る、頭の中を振り払いそのことを考えるのを止め、シルフィーナの為に全力を尽くすことを考える。
「まずは、会ってみないと、見えたあれか」
山道沿いから眼前に広がる石造りの建物群、その中央には高い教会見えていた。
ドーランシ市である。
カムイ達は山道を降りて、ドーランシ市に入った。
3
副市長が慌てた様子で市長室に入って来る、いつものならノックをして一礼をして入って来る彼にしては、余程の急報だろう。
「し、市長、先程、パティール王国からの使者と名乗るが来て、これを!」
渡されたのは書状には本来あるべき国印の代わりに、王族印が押されていた、しかもその紋章はかつてこの地を鎮圧した王族の印だった。
「間違いありません、これはあのジルマ将軍の印です」
「内容は確認しましたか」
「いえ、先に知らせるべきかと思いまして」
「で、使者の方々は?」
「別室にて待たせてあります」
「よい、判断です」
市長は封を切り、中の書状を読む。
文字の羅列を目で追うが市長の目が一瞬止まり、再び動き出す。
羅列を追う市長の目は早く、どことなく嬉しそうだった。
すべてを読み終えた市長は、椅子から腰を上げ、窓の外を眺める。
すらっとした腰つきに美しい白銀の髪は短く、碧眼の瞳は街を眺めていた。
「今年の農作物はどうでしたか」
「は?」
「どうでしたか、副市長」
「はあ、例年通りでしたが、それが何か?」
「現在、バクア領領主はこの市にどれだけの税を掛けていますか」
「五十パーセント」
「他の市では最高でも十五パーセントです、しかし、我らドーランシはお国に剣を向けた報いで、収入の半分も持っていかれる始末」
「それは……」
「現在、情勢は厄介で、パティール王国が滅べば、この都市はラバールのモノになりますが、そこから先は未知です、今まで以上に苦になるか、それとも豊かになるか、どちらになるか見当もつきませんね」
市長は部屋の片隅置かれた植木鉢に咲く、紫の美しい花を眺める。
「この市では唯一のモノがこの花だけですか、花では腹は膨れません」
市長は振り向く。
「会って見ましょう、この書状が誠ならば王室は我らを助けてくれるそうです」
「それはどういう意味ですか?」
副市長は複雑な表情をしていた市長だけはすがすがしい顔をしていた。
庁舎に到着して、係りの者にパティール王国からの使者だと告げてから既に、半刻が過ぎようとしていた。
通された部屋は応接室と言うよりは、客間と言うのが正しいのだろうか、広々した部屋であったが、質素な飾りつけはどことなくハマール領の館を思い出す。
そんなことを考えていると、迎えのモノが来て、会談場に案内されると言われる。
カムイ達は黙ってついていくが、どことなく、周りから感じる視線に敵意を感じる。
「うわぁ、凄い眼差し、敵意ムンムン」
「ロレ殿、キョロキョロしていると怪しまれますよ」
「うるせェ、ガスダント兵」
「二人ともうるさい」
通された会談場は、庁舎の一番奥にある部屋だった、長い机に椅子が置かれただけの質素な部屋だ。
カムイ達は用意された席に座る。
しばらく静かな時間が流れる。
相手の市長について大まかな説明だったが、訊いている。
歳はシルフィーナのより二つ上の十五歳、先祖代々この地を収める市長の家系の生まれであり、聡明で人柄もよい。
好物は鶏肉であり、嫌いなモノはない。
そんなことを頭の中で反芻しているうちに、市長とその一団が入って来る。
「お待たせしました、わたしがこの、ドーランシ市の市長、グラブ・オーギュストです」
市長と名乗り一礼する市長を見てカムイ達は呆然とした、白銀の髪に碧眼、スラリとした美しい体のライン。美女、その言葉が似合う。
だが、それだけではない、何より驚いたのはシルフィーナと瓜二つなのだ、違いがあるとしたら髪の毛が短いと言うだけで、顔つきから声まで彼女のそっくりなのだ。
「どうなさいましたか?」
「あ、いえ、その……」
「シルフィーナ殿下そっくりだから驚いたと?」
「あ、あの」
「ウフフ、彼女を知っている方々からにはよく言われますので、お気になさらず」
「はあ」
なんだが、シルフィーナと話しているようでなんとも話ずらい、それはロレも同じらしく、女とみれば色目で見るロレだったか、今回ばかりはやたらと静かだった。
「さて、渡された書状ですが、拝読させいただきました」
そう言ってグラブは書状を机の上に置く。
「拝読させていただいた限りでは良い条件ですね、ラバール軍、撃退の為にこの街の力を借りたいと言う」
「はい、現在、我が軍は東進阻止に向け、迎撃の準備を進めています、ドーランシ市にはその手助けと兵力助力をお願いしたい次第で」
ガガバドが現状説明するがグラブは終始、顔色を変えずに笑顔だった。
その笑顔が不気味であり、説明しているガガバドもその笑顔に押され自信なさげな声になっていた。
「確かに助力すれば、現在の高額の税を減税する、はい、本当に魅力的ですね」
「で、でしたら!」
「しかし、何故、正式な使者を立てないのでしょうか」
痛い所を付かれてガガバドの声が詰まる。
「こう言っては、なんなのですが、あなた方は、純粋なパティール人ではありませんね、確か、ロレさんでしたっけ」
豆鉄砲を食らったように突然名前を言われてロレは驚く。
「あなたは確か、ガスダント帝国の北にあった国の出で今はハマール領の領主になったジルマ将軍の従者だとか」
何故、ロレの素性を知っているのだ、カムイが驚いているとさらに続けざまに言う。
「ガガバド・アッサーラさん、確かあなたはガスダント帝国騎士であり、北部領であり、アッサーラ領領主の長男、何故、国に帰ることが出来ない不思議ですね」
ガガバドまで調べ尽くしている、この短時間で調べたのか、いや、半刻の間にこれだけのことを調べるのは無理なハズだ。
なら考えられることなら
「それから、あなたがカムイさんですね、いやはや、とても美味なる料理をお作りになるとか、是非食べてみたいモノですね、それに、この四年間でラバール語をここまで完璧に喋れるようになるとは、あなたは料理だけではなく語学の天才かもしれませんね」
終始笑顔で語り掛けるグラブにカムイは自分の考えが確信に変わる、この人は調べ尽くしているんだ、かつて自分たちのことを蹂躙したジルマのことを、その周辺に居る人間に至るまで全て。
それだけ、ジルマはこの市の人達に恨まれているのか。
カムイは、額から一粒の汗が垂れ落ちる。
「まあ、そんな感じで、わたし達はあなた方を本当の使者として認めるつもりはありません、もし、我が市に協力を仰ぎたいのなら、正式な使者を立ててからお越し下さい」
「いや、待ってください、我々は正式なです」
ガガバドが食い下がらないが、次の言葉でガガバドは言葉を失う。
「我らドーランシ市はラバール側に付くことに決めました、向こうは正式な使者を寄こしてきました、降伏すれば手厚く保護すると国印付きで、どこか誰かと違い、国として約束事ですので、一王族との約束事より遥かに信頼性が高い」
「なあッ!」
「おい、ちょっと待て!」
今まで黙っていたロレが声を荒げる。
「黙って聞いていれば、正式正式って確かにおれらは純粋なパティール人じゃあないさ、でもな、この国に住む一パティール王国の民だ! テメェの住む家をテメェで守らないでどうするんだ!」
「それはそのままお返しします、自分の国を守るのが王族の役目、その役目を守れない者が何故王族と名乗ることが出来るでしょうか」
「その国を守るためにこの市の力が要るんだから頼んでいるんだろうがァ!」
「あなた方王族を信用することは出来ない、我が市は長年バクア領の領主の気まぐれに苦しんで来た、それを王家に上奏しても一向に改善の兆しどころか、我らの行動を悪と決めつけ、それを弾圧した、我が伯父はその責任を取って公開の場で斬首、残されたこの市と我が一族は思い税で今も苦しんでいる、その上、戦に協力せよと、これ以上、収入のないこの街から市民の命までも搾取のするのか、まるでの獣の所業だ!」
一気に吐き出した言葉、笑顔は消え、怒りの籠った目が三人を睨み付けていた。
この市の考えはよくわかる、獣の所業と言われようと、否定できない。
でも、この国を救う為にはこの市の協力がどうしての必要のなのだ。
「確かに獣と言われれば、その通りかもしれない」
重い空気の中、カムイは口を開く。
「ですが、そう言われようと、この市から協力が無ければ、この国は滅ぶ、国を守るために、そしてそこに住まう民を守るために、その為に獣の様な所業が必要ならば、あの方はそれをするでしょう」
「ジルマ将軍は、その為に王位に就くと」
「残念ながら、旦那様、いえ、ジルマ殿下は王位を継ぐつもりはございません、今後のこの国で起きる全ての責任は、シルフィーナ王女殿下がお取りになります」
怒気の孕んだ目をしていたクラブの目に疑問が過る。
「今、何と?」
「二日前にシルフィーナ王女殿下は王位を継ぐことを表明されました、この戦いが終わり即位の儀が終われば、パティール王国、九代目国王となります」
「あの子は、まだ十三です、あの小さな背中にそんな重責を乗せるのですか、ジルマ将軍は!」
「これを選んだのは殿下自身であります、民の為に全ての責を負う覚悟です」
二人の視線は外さず互いの瞳を捉えていた。
しばらくの沈黙の後、グラブが静かに口を開く。
「例えそうだとしても、この市の現状は変わらない、我々は市民の誇りと生活を守る義務がる、例えパティール王国の民としての誇りを捨てでも、守らなければならない、ましてや、未だに即位をしていない王女など、信頼には置けない」
複雑な表情で言うグラブに対してカムイは先ほどより冷静な口調で言う。
「では、料理を作らせてください」
「料理?」
「はい、お出しする料理は二品、一品は殿下からこの市へ贈り物、そしてもう一つはわたし個人からこの市に送る宝物です」
「宝物?」
グラブだけではなく、ロレもガガバドもグラブの取り巻き達も、首を捻る。
「申し訳ございませんが、作るのに少々時間が掛かりますのでお待ち願えないでしょうか」
カムイの力のある視線にグラブは複雑な感情を抱きつつも、了承する。
「生憎庁舎には厨房はないので隣の教会で作って下さい」
一礼して部屋を出る。
一旦外に出る、通されたのは隣の教会だ。
流石に教会だけあって厨房の作りはしっかりとしている、器具もそれなりに揃っている。
カムイは持って来た調理器具を取り出す。
「さて、調理開始だ」
まずは殿下から渡された鶏肉を取り出す、その鶏肉を皮と身を分ける。
身は包丁で粗みじんにして置く、その間に玉ねぎをみじん切りと輪切りにニンジンは輪切りにしておく。
みじん切りにした玉ねぎを、油に引いたフライパンに入れきつね色になるまで炒め、冷ましておく、その間にもう一品の準備、カムイが麻袋から取り出したのは、干したタラだ。
干しタラと共に輪切りにした玉ねぎ、ニンジン、ニンニク外皮つきを入れて煮立だせる。
作るのはフェメ・ド・ポワソ、魚介から作るフォン、いわゆる海鮮スープである。
煮込み過ぎるとえぐみが出るので、注意が必要だ。
魚介から出る磯の香りと野菜から出る甘い匂いが出たら火を止め、こし器でこし半透明スープの完成。
このスープを使い、先程の粗みじん切りにした鶏肉、炒めた玉ねぎ、フェメ・ド・ポワソを加え混ぜ合わせるタネを作る。
避けていた、鳥の皮の裏に塩を塗し、その上に先ほど混ぜたタネを巻き付け、蒸し器で蒸す。
蒸している間に、もう一品の仕上げに入る、先程のフェメ・ド・ポワソ残りに火をかける。
そこに玉ねぎ、トマト、そして、この市を救うある品を入れる。
強火で煮る、その間に川エビを塩焼きにして、玉ねぎとトマト、そしてあの品の香りが漂ったら、川エビとフェメ・ド・ポワソで使ったタラを入れる。
最後に塩で味を調整する。
これで一品完成、カムイは蒸し器から先蒸した鶏肉の巻物を取り出し、オリーブオイルをフライパンに入れ、弱火で焼く、焦げ付かないように転がしながら、たまにオリーブオイルを掛ける。
4
グラブは部下と共に調理場しているだろう教会を見ていた。
「市長、どうなさるおつもりで」
副市長がそう聞いて来るが、グラブは真剣な顔で考え込んでいた。
「副市長、もし、このドーランシに宝があるとしたら、なんだと思います?」
グラブの質問に副市長は考えるが答えがなかなか出てこない、それを悟ったのか、クスクスと笑いながらグラブは言う。
「わたしより、長年この街に住んでいるあなたでさえ、わからないモノを今日来たばかりのあの男に、いえ、記憶のない男にわかるハズがありません」
「では、口から出た出まかせだと?」
「さて、それはわかりませんが、わたしは気になるのです」
「気になる?」
「ええ、あの方はガスダント帝国との和睦交渉の際、料理で一役買ったと聞いています、そして今回も、気になるではありませんか、あの方がどのようなことを言って来るのか」
夕刻の時間、再び会談場に集められる。
グラブは顔色を変えずに、静かに座って待っている、その真正面に座るロレとガガバドはムスッとした顔で座っていた。
余程、自分達の事を差別したことが気に入らないのだろう、事と次第によっては切り掛かる勢いの目だ。
そんな重たい会談場にカムイが料理をもって来る、彼が入った瞬間、眠っている腹の虫を起こすかのような、食欲を誘う香りが会談場内に広がる。
「お待たせしました、これが殿下とわたしからのこの市へ送りモノの料理です」
二つの皿がグラブの前に置かれる。
一つは長細く鶏肉の皮で巻かれた肉料理と薄い黄色の魚とエビのスープ。
「鶏肉のガランティーヌ風とブイヤベースです」
「どれも聞いたことのない、料理ですね」
グラブは、まず初めに好物である鶏肉に手を付ける。
フォークで一口ぐらいの大きさに切ると、中から肉汁が溢れ出て来る。
そのまま、口の中に入れると、外皮がカリッと香ばしい食感、鶏肉の弾力の中に肉の甘みが口の中で広がっていく。
カリっとモッチリの食感がなんとも言えない。
「うん、美味いですね、外の皮はカリッとしていて、鶏肉の甘みがなんともしつこくない感じ、なんとも言えませんね」
「一度蒸してから焼いていますので、余分な脂が落ちて、モモ肉でありながら、サッパリとした味に仕上がっているかと」
「では次にこの黄色のスープを」
スープを一口飲む、すると、口の中に魚が泳いでいるかのように海鮮の味が口の中に広がると同時に、どことなく懐かしい香りが口の中にも広がる。
「なんとも不思議な感じですね、しかし何故でしょう、どこか懐かしい感じがしますね」
「ブイヤベースは漁師料理、本来なら海の幸をふんだんに使うのですが、ここは有り合わせのモノで作らせていただきました」
「有り合わせのモノ?」
「干しタラです、干しタラは日持ちが良いので、内陸部で唯一食べられる海鮮モノです」
「ある程、だからどことなく、懐かしい味がするわけですね、フムン、どれも食べたことのない料理と味、ですが、ただ美味しいだけではわたしは動きませんよ、さて、種明かしをお願いします、どれが殿下でどれかあなたの料理か、そしてお二人の送りモノとは何かを」
「はい、では説明させて頂きます」
カムイは深呼吸してから、グラブの顔を見て言う。
「まず、ガランティーヌ風、これが殿下よりこの市へ送られた料理です」
「ほう」
「そして、この料理の使われている肉はこれです」
カムイが持って来ていた麻袋から精肉前の実物を見せる。
するとここにガガバドを除く全員の目の色が変わる。
「貴様! 何ってモノを市長に食わせたんだ!」
「カムイ! 流石に冗談が過ぎるぞ!」
ガガバドは状況が全く読めないでいるようだが、カムイはこの反応は予想の範囲内だった。
終始笑顔だったグラブも流石顔を引きつっていた。
「カムイさん、でしたっけ、この国でこれを食べさせると言うのはどういうことなのか、あなたはお分かりですか、流石のわたしでもこれは怒り感じますね、わたしに『鳩』の肉を食わせるとは」
王家の象徴である、白鳩。
開祖の王であるアシダ・パティールが建国の際に平和を願って放鳥された、鳥、以降、この国の国鳥として崇められて来た。
無論、鳩はこの国では保護の対象であり、王族以外では狩りすることも食べることも禁じられている。
「鳩肉を食べることが出来るのは、王族だけ、それ以外の者が食べると言うことは、王家に反旗を意味する、あなた方はそうやって我々を再び悪に仕立て、陥れるつもりですか!」
怒りを露わにするグラブとは違い、カムイは少しだけ笑みを浮かべる。
「何が可笑しいのです」
「いやはや、可笑しいですよ、あなた方はラバール側に付くと進言をなされているハズ、なのに何故それ程お怒りになるのですが」
「なに?」
「あんた方は我が国に既に反旗を掲げたハズです、わたしの前でラバール側に付くと言ったハズです」
グラブは黙ってしまう、言い返せなかった。
「なのに何故、今更な、パティール王国の民のフリをするのですが」
「……」
カムイは黙り込んで所を見て、シルフィーナの言っていたことの確信が取れた。
「あの方は、我が王家を恨んでいてもこの国自体を恨んでいるわけではないのです」
紅茶を飲みながらシルフィーナはそう言った。
「あの方は親と市と自分の意思の狭間で苦しんでいます、特に今は…… パティール王家に与すれば市民からの信頼を失い、歯向かえばこの国を裏切る」
シルフィーナは紅茶を飲み干し、優しい瞳はカムイをそしてグラブを思っての瞳だった。
「あの方に、自分の信じる道を進める、その一歩を踏み出す後押しをして欲しいのです、カムイ」
シルフィーナはそのようなことを言っていたが、おれの料理にその力はない。
物事を決めるのは、己の意思だ。
ラバールに与すると言ったが、内実彼はまだ迷っているのだ、どちらを付けばよいのかと、ラバールに与してもその先にこの市の安全が完全に保証されるわけではない、パティール側に与しても同じだ。
ならば、彼が考えるのは市民の安全。
その天秤に掛けるとしたら敗戦の機運があるパティール王国に付くよりもラバールに一縷の望みに掛ける、市民の命と言う重責を担う市長ならそう判断するだろう、自分だってそう判断する。
だが、その判断を覆さなければならない。
殿下、申し訳ございませんがその為に、悪役を買ってもらいます。
「市長閣下、あなたがお怒りなのはわたしには疑問で仕方ありません、あなたは既に国を裏切っている、わたしはその為の後押しをしただけです」
「貴様!」
「しかし、そこまでお怒りになると言うことは、まだ、ラバールに完全に与した訳ではなのですね」
「……!」
「わたしは、この料理を託された際、殿下からこう伝えられました『もし、彼らが喜んで食べたのなら、この場で市長の首を撥ねろと、市とその市民を不安分子として決戦の前に排除すると!』」
そこに居合わした全ての人間の動きが止まった、ガガバドは直ぐにでも剣が抜けるようにと柄に手を当てる、ロレも同じだ。
そして、市長の取り巻き方も同じように身構えていた。
既に空気は重いく、ちょっとしたきっかけで争いが起きる。
その様な空気を出していた。
その重い空気の中、カムイは続けざまに言う。
「『されど、この料理に怒りを感じたのならば、彼らはまだパティール人としての誇りを捨てていない証拠であると』市長閣下、もう一度、お聞きしたい、あなたは民を守れぬ王など不要と申された、殿下は民を守るためなら何でもやるお方です、このような手段を使い、あなた方の真意を炙り出したのは、あなた方がまだ、パティール人としての誇りを捨てていないかどうかを確かめるためです」
口調荒げながらカムイは今まで挙げたことのない声でグラブに迫る。
「もし、この場で『怒』ではなく『喜』であったのなら殿下は容赦しません、赤子に至るまで徹底的に叩きます、ですが、あなたはまた誇りを捨てていない、ならば、我らに助力を、殿下は一度決めた約束は破りません、このわたしの命を掛けてもかまいません、どうかお願いします」
頭を下げるカムイ、しばらくの沈黙の後、手を叩く音、グラブが拍手をしていたのだ。
状況が読めない、カムイに、ガガバドにロレも首を捻る。
しかし取り巻き達も同じように拍手をしていた。
呆けているカムイにグラブが口を開く。
「上々ですよ、カムイさん、まさか利益を提供するのではなく我らの真意を付いて来るとは、いやはやどうしてまた」
「あの、状況が読めないのですが……」
カムイが言うと、グラブはクスクスと笑いながらも言う。
「元から、王国に与するつもりでした」
「では――」
「おっと、ここで勘違いなさらないでください、我が市がご協力するのはあくまでもこの国、パティール王国、王家に与するつもりはありません、我らは対等な同盟者としての地位を守ってもらいたい、それから書状に有った通り、約束事は守ってもらう、この二点は必ず守ってもらいますよ」
グラブの笑顔にカムイは緊張の糸が切れ、椅子に深く座り込み、大きなため息を付く。
これほど疲れたお客は初めてだ、とカムイは思った。
「しかし、鳩肉ですが、これはいやはや、これこれ面白い」
「?」
「いえ、こちらの話ですよ、そう言えば、カムイさん、あなたからの送りモノはこの『ぶいやべーす』ですか?」
「ええ、そうです」
座りなおしたカムイは、再び麻袋から小瓶を取り出す。
その小瓶には赤い線の様なモノが入っていた。
「これは何ですが?」
「サフランです」
サフラン、アヤメ科多年草、アラビア語で「黄色」を意味する「ザアファラーン」が語源、西アジアが原産である。
地中海の古代文献からも登場する程古代からある香辛料であり、今現在最も高価な香辛料の一つである。
その高価さから一時期は王族の身が使用を許されたいわゆる「ロイヤルカラー」とされたほどだ。
また別名薬用サフランと言われ漢方薬にも使用されており、日本には江戸時代に到来して、明治の初めに栽培が行われ、明治の後半には輸出されている。
「サフランとは聞いたことはないですね」
「これは多年草の花の雌しべです、それを乾燥させたモノ、このブイヤベースの黄色の色と香りはこのサフランから来ています、これ、どこで採れるかわかりますか」
少し考えるグラブはハッとした顔をしてカムイを見る。
「まさか、ここで採れるのですが」
「はい、この花はドーランシ市の草原に自生しているモノです」
グラブは頭の中で考える、これをもし、栽培できるのならこれを産業化して利益を上げることが出来るかもしれない。
この花は年間を通して一定量の花を咲かす、これを管理栽培して作付け面積を増やせば。
グラブは頭の中でグルグルとあれやこれやが回り始める。
「この地には主要産業がないと聞いています、もし、この花を管理をすればそれなりの収益になると思います、この件に関しましてはわたしの独断、ですが、殿下にお願いしてどうにかこの地の特産品にするように掛け合います、いかがでしょうか」
ハッとしたグラブは我に返り、カムイを見る。
すっきりとしたような顔をするカムイを見て、グラブは一杯食わされたと言うような顔をする。
「良いでしょう、では、後でこれの加工方法を教え願いますね、カムイさん」
「こちらこそ、助力の件、ありがとうございます」
二人は椅子から腰を上げ、にこやかな顔をして力強く握手をした。
「しかし、どこでこの花がここで咲いていると言うのを知ったんですか?」
「旦那様、ジルマ殿下教えてくれたものです」
「ジルマ将軍が?」
カムイの部屋は殺風景だった、そんなある日、ジルマがどこから持って来たのか、この花を持って来てた、これで殺風景な部屋が明るくなるだろうと、見た瞬間にサフランだと思ったカムイは、ジルマに、とこで採れたのかと聞いた時「ドーランシ市」と一言だけ言ったのだ。
出来る事ならいつかこの地に来て、何本かの株を手に入れたいと思っていたのだが、まさかこんな形で来るとは思ってもいなかった。
本当に人生と言うのは何が起きるかわからないモノだ。
5
ドーランシから誰にも見つからずにラバール軍に向かうには険しいを通るしかない。
この市の動向を探り寝返りそうなら懐柔せよとの命だったが、とんだ仕事になった、懐柔どころか先程、パティールの先遣隊、二百がこの市に到着した。
このまま居たら、ここから逃げることが出来なくなる、鳥を飛ばして、ドーランシに敵が集結中と言う事だけを知らせた。
あとは逃げるのみ、うっそうと生い茂る草むらをかき分けながら、獣道を進む。
獣道を抜け、開けた道に出る。
あとはこの道を進めば。
「はい、そこまで、ご苦労さん」
ハッとして男は振り向く。
赤み掛かった茶色の髪の毛の男と、青み掛かった黒髪の男、王族からの使者だ。
「ロレ殿言う通りでしたね、あの一団の中に間者が紛れているとは」
「ガガバド、この森の中でそんな長物使うのか?」
ガガバドと言われた男は背丈よりも遥かに長い槍を構える。
「あの、何のことでしょうか、おれは戦になると聞いたから怖くなって……」
「そんなウソ通じるかってんだよ、やっちまえな!」
「言われなくても」
男は腰に帯剣していた剣を抜き取り、ガガバドの槍を受け流す、長い得物は間合いを入れば無力化できる、あの赤茶色の男は何とかなる問題は騎士であるこいつだ、こいつをなんとかすれば、男は受け流しながら一気に間合いを詰める。
ガガバドと目と鼻の先まで詰める、こうなれば、もう、槍は振りぬけない、もらった、男はそう思ったが、ここで予想外なことが起きる。
何とガガバドは槍を手放し、力を込めた拳を男の顔面目掛けて一撃を入れたのだ。
騎士が槍や剣を捨て素手で攻撃するとは思ってもいなかった男には有効な一撃だった。
男はそのまま意識を失った。
「よくやったな、ガスダント兵」
「その言い方止めてください、おれの名前はガガバド・アッサーラだ」
「まあ、覚えておくよ」
ガガバドは気絶した男を担ぎ、ドーランシに戻った。
パティール軍本隊が到着したのは三日後だった。
約一万三千の兵がドーランシに布陣した。
シルフィーナはジルマとロレンス、ガンダルフを連れて庁舎を訪れる。
そこで待っていたのは、グラブとカムイだった。
グラブは跪き丁重に挨拶をする。
「久しい限りです、姫殿下」
「あなたも変わらずね、グラブ、カムイご苦労様」
「いえ」
「しかし、姫殿下もお人が悪い、あの様な脅しの料理は初めてです」
「え、脅しの料理?」
呆けたような顔を知るシルフィーナ、グラブは視線をカムイに向けると気まずそうな顔をして視線を逸らすカムイ。
そこでようやく理解する。
「なるほど、あなたはわたしを騙しましたね」
「どういう事ですがカムイ?」
「ええっと、そのですね」
カムイは一連の真相を話す、それを一通り聞いたシルフィーナとグラブはクスクスと笑い出す、その笑いが妙に居心地が悪い。
「まあ、今回のことは大目に見ましょう」
「ありがとうございます」
「よいかのう」
後ろで控えていた、ジルマが一歩前に出る、
市長の取り巻き達は険しい顔になる、そう、彼らにとってジルマはかつての敵なのだ。
「ご協力感謝する」
「ジルマ将軍、わたしはあなた方に協力するわけではない、わたしはこの国為に協力する、それを忘れにで頂きたい」
「無論だ」
それだけを言うとジルマは手を差し出すが、グラブはその手をそおっと押し戻す。
「握手は戦に勝ってからにしましょう、さあ、会議室へ、そこで作戦を説明します」
「作戦だと?」
さらにその後方で控えていたロレンスが驚いた声を出す。
グラブはにこやかな顔で言う。
「この市は再びの土一揆に備えて幾つかの仕掛けがあるのです、それを視野に入れ、パティール軍の力を余すことなく使い切る作戦ですよ」
全軍の配置が終了して、いつ敵が来てもいいように各自の陣営での待機が言い渡された。
市の外はパティール軍が大通りであるドグマ街道、ローレ街道、ヨルン街道の三つに各二千ずつの兵を配置している。
気候が一定のこの地域では夏の月が開けたとはいえ、未だに夏日が続くが、この地域は意外と涼しい気候で兵士達は過ごしやすい夜を過ごしていた。
ユラン達もの隊はドグマ街道に配備されていた、少しばかり小腹が空いていたユランはパックに何かないかと聞くが何もないという返事が返って来る。
さてどうしたモノかと考えていると、後ろから鼻腔を擽り腹の虫が暴れ出すかのように、空腹を刺激する美味そうな匂いが漂って来た。
ユランがふり向くと、そこに居たのはカムイだ。
蓋をされた大きな蒸し器をもってやって来る。
「皆さん、夜食ですよ」
「待ってました!」
兵士達が一斉にカムイの元に集まる。
「落ち着いて下さい、ちゃんと皆さんの分もありますから」
「今日の夜食はなんっスか!」
「おやきです」
「おやき?」
「はい、小麦粉を練っていろいろな具材を入れたモノです」
「肉パンみたいなものか」
「まあ、似たようなものです」
ユランは適当に取ったおやきに齧り付く、中から出て来た野菜がピリッと辛い味付けでなんとも言えない。
何個でも行けそうな気がする。
ユラン達が美味しく食べる姿を見てカムイは、安堵する。
この笑顔がいつまでも続くと言い、出来る事なら誰一人死なないで欲しい、そう願うのはおかしなことなのだろうか。
カムイはおやきを配りながらそのようなことをずっと考えていた。
日が開け、辺りが明るくなるにつれて、陣を張る兵士達の顔色が変わり始める。
次第に感じる地鳴り、そして振動、鉄の甲冑がこすれる音は遠くからでも聞こえて来る。
山々に居る鳥たちが一斉に飛び立ち、来訪者の訪れを告げる。
前方にまるで黒い川の流れの様に、大軍が押し寄せて来たのだ。
その数八万、現所の戦力役八倍の戦力差が目の前にある。
シルフィーナはこの市で一番高い、教会の鐘の塔でそれを眺めていた。
彼女にとっては今回が初の実戦、初の戦、初の生の人間の殺し合いだった。
この戦いは、後に大きな歴史の分岐点となる戦である、戦記にも、七百年後の歴史書にも記される『ドーランシ市市街地の戦い』の始まりである。




