8.グレンダ
ふかふかのベビーベッドの上で目を閉じると、やっぱり色々と疲れていたのかすぐに寝てしまった。
起きたのは陽が完全に昇ったあと。長く寝ていても何も言われないのは一歳児の特典だった。
「ばーぶ……」
「うふふ、次はどうしようかしら」
ベッドの上でカミルが植物図鑑をめくりながら、あれこれと思案していた。
「無難にブルーベリーのパイをもう一度? それともタルトにしようかしら」
まぶたを擦りながら起きると、すでに起きていたカミルがベッドの上で微笑んでいる。これまで見た中でも最高にご機嫌だ。
うーん、母のこのハイテンションはどういうことだろうか。
小首を傾げながらカミルの様子を眺めていると、ソーニャが近寄って私に囁いてきた。
「さきほど陛下のご側近から連絡がありまして。モナック様がパイを譲ってくれたと報告があったのです。さらには美味しかったと」
なるほど、昨夜のことが時間差で伝わってきたのか。
だからカミルはあんなに上機嫌なんだな。
「昨夜、ラミリア様がお出かけしたのはただのお散歩かと思いましたが……もしかしてモナック様と一緒にパイを?」
「……ばぶ」
「おおっ、まさかそんなことまで……!」
ソーニャがハンカチを取り出して、目元を拭った。
「私は嬉しく思います。まさか昨夜のお散歩がそんな深謀遠慮で行われていたとは……!」
すごく眠そうなテレパシーが私の頭に響く。
『なんか極端じゃないかにゃ?』
『そ、そうだね。こんな人だったでしゅか?』
カミルと話して仕事している時は完璧なメイドだったように思う。
髪色と合わせて完全無欠メイドっぽかったのに。
「昨夜、皇妃様は本当に落ち込んでおられました。それが……陛下がお召し上がりになったと聞いて、今朝はとても嬉しそうにしておられます」
ソーニャ自身もそれが嬉しいようだった。
思った以上にカミルとソーニャの絆は強いのかもしれない。
「またこのようなことがあるなら、私も協力を惜しみませんので」
「……ばぶ!」
それは朗報だ。私の能力の一端がバレてしまったのはアレだが……。
でも代わりに大人の協力者を得たのは大きい。
ちなみに全体の話として、モナックがパイを持ち出したということで誰も不審には思っていないようだった。
レインはカミルの手作りパイを食べて、カミルに想いを馳せて。
カミルもレインが食べてくれたということで、次のお菓子作りに意欲を燃やしている。
確かな手ごたえを感じた私は、これからも家族仲のために決意するのだった。
その日、カミルはソーニャにブルーベリーを仕入れるよう依頼した。
次のお菓子作りのためらしい。そのお菓子もレインが喜んでくれるといいな。
私は昨日の疲れが抜けきらず、ぬぼーっとだらだら過ごしていた。
『これって魔力を使った反動的なでしゅ?』
『んー、ラミリアちゃんの魔力はまだ余裕がありそうにゃん。むしろ……』
『むしろ、なんでしゅか?』
『夜更かしのせいにゃん』
お子ちゃまや。モナックいわく魔法の作用にも限界があるという。
特に頭の疲れはいかんともしがたいとか。
仕方ないので私はゆっくりと休むようにする。
そして夕方になって、ひとりの訪問客が寝室へやってきた。
栗毛色の髪に、ふわっとした可愛らしいドレス。
目元も柔らかくて、優しい雰囲気に満ちた美少女だ。
「ごきげんよう、カミル姉様」
「あら、来てくれたのね……忙しいのに悪いわ、グレンダ」
グレンダと聞いて、ベビーベッドで寝ていた私はぱちっと目を覚ました。
……聞いたことがある名前だ。でも頭のどこかに引っかかって、なんか出てこない。
『ねぇ、モナック。グレンダってヘイラル帝国の中でどういう人なんでしゅ?』
『レインの従妹にゃよ。だから皇族にゃ。魔力も魔法もレインに次くらいはあるから、結構な魔法使いでもあるにゃん』
曖昧なセリフだったが、皇族か。
じゃあ原作の世界でも――うーん、思い出せない。
『ふぁー……まだまだねむねむにゃ……』
夕方だけど今日のモナックはだらだらモードらしい。
ソファーのクッションに顔を埋めている。
そんなに重要な人物ではなかったかも?
原作の世界でも重要なのはレインとふたりの兄皇子、それにカミルだ。あとは帝国の大臣とかが数人。他はあんまり印象に残っていない。
「どうぞ、良い茶葉があるから一休みして、紅茶でも飲んでいって」
「ありがとう、そうさせてもらいますわ」
カミルがグレンダに席に着くよう勧めて、グレンダもそれを受け入れた。
ふたりが向き合って腰掛けたのは、昨日パイの籠が置かれたテーブルだ。
なので私からもふたりは近い。ここからそっと話を聞かせてもらおう。
ソーニャが紅茶を淹れると、カミルがまず話題を振った。
「シェパード王国のほうはどう?」
「お父様も動いているけれど、難しいわね。陛下のご即位の時のがまだ影響しているわ」
グレンダが指しているのは、皇族同士の争いのことだ。
原作でもレインの即位の時には争いが起きて、何人もの皇族や有力貴族が死んだとか。
とはいえ原作でもその辺りはぼかされていて――レインが私利私欲でそうしたのかはわからない。ただ、結果としてレインが即位したのと、それによって様々な影響が残ったのは事実だ。
カミルは静かに紅茶を飲みながら嘆息した。
「周辺国の評判は地道に改善していくしかないわね」
「ええ――でもカミル姉様、無理なさらないでね。まだラミリアちゃんも小さいのだし」
「そうも言っていられないわ。陛下を支えられるようにならないと」
カミルはあくまでレインを支えるつもりのようだ。
今のところカミルのその決意は固く、一生懸命のように思える。
それからふたりは色々な話題で情報交換をした。
結構仲が良いのだろうか……カミルとグレンダの年齢は近いように思える。
カミルとしても頼りにしているのだろう。
「ラミリアがもう少し大きくなれば体調面も安定するはずだし……」
「高熱も快復したんでしょう? 今はどうなのかしら?」
「熱が下がってからは問題ないわね。食欲もきちんとあるし」
グレンダがゆっくりと立ち上がり、私のほうに向かってきた。
小首を傾げながら私を見つめる。
「良かったわね~」
猫撫で声自体は可愛いものの、グレンダの顔になぜか背筋が寒くなる。
カミルからも誰からも見えないグレンダの視線が怖い。
「だぁ……」
「久し振りに抱っこしてもいい?」
「ええ、どうぞ」
グレンダが私にそっと手を伸ばし、抱きかかえる。
かすかに薔薇に似た香りがする。愛用の香水だろうか。
それ自体はいいのだけれど……彼女の細い腕の奥からは、淀んだ川のような魔力を感じ取ってしまった。
……黒くて濁った暗黒の魔力の流れ。魔力については感覚になるけれど、カミルよりは断然多いように思う。
でもなんだか気味が悪く、居心地が悪い。
モナックの魔力はそんなことはなかった。いつも暖かくて、柔らかい。
ふわふわな毛に触れているような感覚なのだ。
カミルの魔力も見ている限りは嫌な感じは全然しないのに。
「いい子、いい子~」
グレンダが顔を近付けてあやしてくれるので、私も乗るしかない。
「だぁ、だぁっ!」
「はぁ……調子に乗るなよ、カミル」
えっ、ええっ!? グレンダが小声でぶつぶつと言い始めた。
顔は穏やかなのに……どす黒い感覚が腕から伝わってくる。
「レイン様にパイを届けた? それが何だ。私はずっとずっとレイン様に尽くしているんだ。それをカミルは……このガキも呑気にしやがって」
な、なんだこの女!? とんでもないことを言っている!
そこで私はふっとグレンダについての記憶が蘇ってきた。
そうだ、グレンダは私とカミルが幽閉された後、レインと結婚するんだった。
グレンダは原作では一貫して可愛らしい女性だと描写されているはずなのに。
(これは一体――いっ、いたぁっ!? なんでしゅか!?)
グレンダに抱きかかえられた私はびっくりしてしまった。
太ももに痛みが走る。グレンダの爪が食い込んでいるのだ。
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