6.初めてのミッション!
テーブルから降りた私たちはすすーっとカミルの寝室の扉を開けてっと。
隣の部屋はリビングだ。もちろん、人はいない。
次は居住区の玄関のようなところ。
ここにはふたりのメイドが立って、キッチンのほうを見つめていた。
「今朝、キッチンで大きな鼠を見かけたんですよね」
「えー……先日、退治したばかりじゃない?」
「ソーニャさんの魔法にまた頼んだほうがいいのでしょうか」
モナックに続き、扉を開けて壁際を進む。
メイドは全く気付く気配がない。横長の靴箱に飛び乗り、そのままカミルの居住区を脱出する。
ここまではあっさりだった。
『なんだか思ったより順調なような……拍子抜けでしゅよ』
『まさかカミルの部屋から一歳児が抜け出すなんて、思ってないのにゃ』
『なるほど、そうでしゅね』
これぞ心理的死角というやつだ。
カミルの居住区の大廊下に出て、柱のすぐ下へ移動する。
廊下は居住区に比べるとかなり明るく、照明の度合いは昼間とさして変わらない。
この明かりは……ヘイラル帝国では魔力を電気のように使っているからだ。
大廊下をモナックとともに警戒しながら進む。
昼も思ったのだが、周囲の衛兵は多くない。
『衛兵が多くないのは、この区画に入ってくる侵入者を想定していないからでしゅ?』
『その通りにゃ。カミルとレインのいる皇族居住区は入るまでが大変にゃけど、内部の人間はあまり警戒していないのにゃ』
モナックの話によると、この皇族居住区の外は警備が数倍だという。
やはり外は厳重な警備が敷かれているのだ。
『あたしもここに入る時はいつも検査されてるのにゃ』
『えっ、どんな?』
『ふつーの人間はただの猫とあたしの見分けがつかないのにゃ。仕方ないからアクロバティックな空中回転を見せつけてるのにゃん』
私もモナックのアクロバティックなアレを見てみたいような。
というより、モナックのそれが見たくて呼び止められているのでは?
そんな疑問を抱えながら、私たちは廊下を進む。
『おっとにゃ、衛兵が向こうから来るにゃ』
モナックから言われるたび、芸術品の載るテーブルの下に隠れてやり過ごす。
花瓶やら彫像やらの載るテーブルだ。
テーブルは子どもしか隠れられない大きさなので、誰も警戒していない。
猫の嗅覚、視覚、聴覚は人間よりも遥かに優れている。
衛兵と意図しない遭遇もなく、レインの居住区付近まで到着できた。
『さーてにゃ、レインの近くはさすがに警備がヤバヤバにゃ』
『パイをお父さんの目のつくところに置ければいいんでしゅけど……』
『それにゃら、書庫かにゃあ? 時間があるとレインはいつもそこで調べものするにゃん』
まさにカミルと一緒に行った時もレインは書庫で調べものをしていた。
書庫の扉まで移動すると、なんとここの扉には鍵がかかっている。
『衛兵がいないと思ったらーなんてことでしゅ!』
『鍵がしてあれば入れないにゃね。ふむにゃ……』
『鍵を開ける魔法とかないんでしゅ?』
『あるけど、あたしは鍵に興味ないから使えないにゃ』
ここまで来て、断念……悔しすぎる。
でも書庫の扉の角から廊下の奥を覗くと、衛兵が直立不動で警戒していた。
『……これ以上は無理でしゅね』
『そうにゃん。まー、方法がないわけでもないけどにゃ』
『ど、どんな?』
『鍵開けの魔法というのは、要は魔力を硬化させて鍵の代わりにするにゃ。ラミリアちゃんがこの場で根気良くやれば……』
それはかなり危険な行為だった。魔力でピッキングというわけだ。
でも……ここで諦めたくはなかった。
『やるでしゅ』
『ふにゃ。周囲の警戒はあたしがしておくのにゃ』
パイの入った籠を床に置き、遥か頭上にあるドアノブを見つめる。
『ほっ……!!』
身体強化の魔法でドアノブへ掴みかかり、魔法のイメージを作り上げる。
うーん、自宅とはいえ……だけどここまで来たら引き下がれない。
イメージだ。ピッキングは映画で見てきた。鍵開けのテレビ番組だって。
ふにっとした腕から魔力を針金のように指先から尖らせる。
『にゃー、そんな感じにゃ』
ふーっと息を吐きながら魔力の針金を鍵穴に差し込む。
カチャカチャ。すっごい適当にとりあえず動かす。
うーん、うーん……。
「ばぶぅ」
思わず赤ちゃん言葉が出てしまう。が、やるしかない。
まさか魔法に目覚めて自宅をピッキングすることになるとは。
と、そこでモナックがぴくっとヒゲを動かして、私を見上げた。
『にゃ! 扉の向こうから人が来るのにゃ!』
『なっ、なんとー!?』
夢中で気が付かなかったが、確かに足音がすぐそこまで聞こえる。
私はぴょーんとドアノブから飛び退いた。
同時にドアノブの鍵が回る音がした。
『まっずーいでしゅ!』
隠れる場所がない。とりあえずドアノブからダッシュで離れる私。
そこでモナックが籠を掴んで、私とは逆に扉へと走った。
「陛下、本当に扉の外から物音だ?」
「うむ……気のせいかもしれんが。かすかに聞こえたような……」
「賊かもしれませんよ、私にお任せを」
「いや、恐らくではあるが――」
レインと知らない男の人の声がして、書庫の扉が内側から開く。
私は書庫からまだ見える位置にいるしかなかった。
「にゃーん」
が、扉の前にいたのはパイを一切れ咥えたモナック。
可愛らしく床に寝転び、パイの籠を前脚でアピールしている。
レインはじーっと愛らしい黒猫を見つめていた。
「ふぅ、やはりお前か」
「にゃにゃーん」
レインの隣で緊張していた文官がほっと息を吐いた。
「なるほど、モナック様が扉と遊んでいたので」
「前にもそんなことがあった。なんだ、何を企んでいた?」
昼に比べるとレインの声は柔らかく、表情も穏やかだった。
「その籠は……昼間に見たな。カミルの籠か?」
「にゃうー」
レインは籠をひょいと持ち上げ、白の布を取り去った。
そこから出てきたのは一切れ減ったパイのホールだ。
レインの注意が逸れた隙に、私は安全なテーブルの下に潜り込み、状況を見守る。
「盗み食いでしかも書庫に忍び込もうとしたのか。ふっ、やんちゃな猫め」
レインは特に怒っていないようだ。
モナックのこういう所業はよくあることなのかもしれない。
意図しない形ではあったが、レイン本人にパイを渡すことには成功した。
「陛下、皇妃様の籠とのことですが――だとすると、そのパイも皇妃様の」
「他人の作ったパイをわざわざ持参するとは考えづらい。カミルの自作だろうな」
さて、レインはここからどうするのだろうか。
ハラハラしながら私はレインと隣の文官を見つめた。
「……夜の甘味としては、ちょうど良い。俺も食べていいか?」
「にゃっ、にゃーん」
モナックがどうぞどうぞと前脚を差し出し、パイをくわえて扉の前から去った。
おお、モナックも演技派じゃないか。
「残ったのを全部、渡されたな」
「本当に皇妃様の手作りをお口にされるつもりで? 毒見をしなければ……」
毒見ですと!? 父の立場はわかるけれど、それは……まぁ、仕方ないのか。
この国の作法はわからないが、ちょっと釈然としない。
しかしレインは首を横に振ると、籠に手をかざした。
灰色の魔力がレインの手から籠の中のパイへと伸びていく。
「ふむ……毒の類はない。大丈夫だろう」
そう言って、レインは文官が止める間もなくパイを口にした。
時間が経ったパイであったが、さくっと軽快な音が鳴った。
「ほう、これは――」
レインが文官へパイの中身を見せた。どことなく嬉しそうだった。
「見ろ。ブルーベリーが入っている。俺の好きな果物だ」
おおっと私はレインの反応に注目していた。
悪くない。ちゃんとレインの好きなものを入れていたとは。
パイをひとつ食べたレインが少し肩を落とす。
「……今日の昼は余裕のない対応だったかもな。悪いことをした」
「陛下……。シェパード王国はお怒りだったので?」
「予想通りにな。頭が痛い問題だ」
そこまで言うとレインは踵を返し、書庫に戻ろうとしていた。
「残りはゆっくり書類を片付けながら食べるとしよう。戻るぞ」
レインと文官は書庫へ戻り、扉が閉められた。
よし、と私はガッツポーズをする。
『もう大丈夫でしゅ、モナック』
『にゃー……びっくりしたにゃあ』
通路の角からモナックが戻ってくる。
顔にはパイの欠片がついていた。
『パイ食べ切ったの?』
『ふぅ、なかなかの出来だったにゃ』
モナックは満足した顔をしていた。
『ここに来たての頃はけっこーヒドい出来栄えにゃったけど、今は美味しく食べられるのにゃ』
『そ、そうなんでしゅね……』
けっこーヒドいパイを渡さなくて良かった。好感度が下がりかねない。
しかしこれでミッション達成だ。
レインの反応は思ったよりも好評だったように思う。
カミルとレインの仲は――今はそこまで親密で、心が通い合っているとは言えない。
カミルは外では素直になれないというか鉄面皮を崩そうとしないし、レインも公務が忙しい。
だが、レインも完全なわからず屋というわけではなさそうだ。
一歩一歩、ふたりの距離を近付いていけるように。
一歳児ながら頑張らないとね。
これにて第1章終了です!
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