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海に降る雨  作者: 美斑 寧子
本編
99/152

99.執事の回想(1)

 思えば2年と少し前、リンが消えてしまったことを知った時、グッドマンが最初に思い浮かべたのは『やっぱり』という言葉だった。いつでも恋愛下手(初心者)のアクセルを励まし、背中を押してきたグッドマンだったけれども、リンがアクセルの気持ちに応え、二人が晴れて恋人同士になった後は、一転して悲観的な事態を想定しては、それに対する対応策を密かに準備していたところがあったのだった。

 当人達二人の気持ちを疑ったことはない。しかし、いつか、なにかがリンとアクセルの仲を隔てることがあるかもしれない、と。それはアクセルに起因する出来事かもしれないし、リンの内面に纏わることかもしれない。いずれにしろ、何となく、このままトントン拍子に何もかもうまくいくには、あまりにもことがうまく進みすぎているような気がして、グッドマンは執事として早手回しに様々なアクシデントを想定してその対応策を密かに練っていたのだった。

 それは今まで、ディスカストス・ホールディングスとディスカストス侯爵家に纏わるトラブルバスターを自任してきたグッドマンの、考え癖だったのかもしれない。良いことがあった時ほど、悪いことに備えるという習い性が強いた単なる悲観的予想というものだったのかもしれない。

 ただ、その為に具体的になんらかの準備をしよう、なにかの手を打とう、と動く前にリンは消えてしまった。そしてこのことがグッドマンをひどく後悔させたのは事実なのだった。


 ほとんど身内であるグッドマンの厳しい視点でもって見ても、アクセルは、リンと知り合った時から随分と変わったと思う。差別的な考え方が消え、つき合う人脈の幅がぐんと広がった。それだけではない。愛を信じる心の醸成と共に人を信頼する気持ちが芽生え、なにより、肩の力が抜けたのが良かった。リンへの思いを自覚した頃から、加速度的に対外的にも、社内的にも評価が上がったのは、そうした好影響の結果だろうと、グッドマンは結論づけていた。

 こうした変化はアクセルの経営者としての評価をも上昇させた。その結果、人材的にも融資の面でも良い影響が出て、近年ディスカストス・ホールディングスの株価は着実な延びを続けていた。

 そんなふうにアクセルが変化し、リン自身もまた、アクセルの愛に応えたにも関わらず、リンが失踪してしまったことを知った時、グッドマンはひどく失望し、そして同時にリンの探索を躊躇(ためら)った。

 なぜなら、あのリンが、あの包容力に溢れた優しく強く、小さな身体に桁外れの母性を秘めた、あのリン・バクスターが、こんな彼女らしくない行動を選択することを決意したとしたら、もうどうすることも出来ないのではないか、そんな風に思えたからだった。

 リンは諦めの良い人間ではない。粘り強く、(つよ)い女性だ。そして、アクセルの事をそんな簡単に切り捨てるような人間でもない。ましてや、死線を彷徨い、ようやく生還したばかりのミリアムのことまで放り出していなくなるなんて、リンらしくないにもほどがあるではないか。しかも、姿のくらまし方の周到ぶりたるや、生まれ育った孤児院への連絡まで絶つ、といった徹底ぶりで、いかにリンがディスカストス侯爵の追跡の手を警戒していたかがよくわかる。そこには何としてでも見つからないようにしよう、というリンの強い強い明確な意志が感じられた。

 あのリン・バクスターが不義理を承知でなにも言わずにこんな消え方をしたのだとしたら、それはリンの強い強い決意の賜物であって、もう、誰にもどうすることもできないのではないかーー?それだけの覚悟をして消えたリンを探すことが、リンはもちろん、果たしてアクセルにとっても良いことなのか?かえって、気持ちを(こじ)らせることになりはしないかーー?グッドマンは自問自答した。


短いですが、キリがいいのでここまで。

続きはまたまた明日、更新します☆彡

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