65.魔女裁判の顛末
「事務局長。バクスター君の言うとおりだ。この記事は明らかに捏造だよ。
うちでウィリアムズ・カレッジの研修医を受け入れたのは初めてじゃないが、今まで指導してきた彼女らは皆、掛け値なしに優秀だったしそれに比べてバクスター君が劣っているとは言えない。かえって一二を争うくらい優秀でしょう、彼女。そうですよね?マーネン先生?」
院長が話を振ると、待ってましたとばかりにドクター・ヴァン・マーネンが答えた。
「その通りです。バカバカしい。まったくバカバカしい記事です」
腹立たしげに吐き捨てた銀髪の女医は、喉の渇きを覚えて痛切に思った。
(ああ!バクスターの淹れてくれた、美味しいお茶が飲みたい!なにもかも腹立たしいけれども、こんな茶番劇の為に、私の朝のお茶の時間が侵食されたことも腹立たしい!)
ドクター・ヴァン・マーネンは前日の研修日誌を見ながらリンと討論を交わす朝のお茶を日課としており、それは彼女にとってとても大切な安らぎの一時なのである。
「バクスターは優秀でやる気に溢れた見所のある研修医です。
大体、事務局長。あなた、バクスターの働きぶりを知ってるんですか?知らないでしょう?だからそんなバカバカしい疑念が湧くんですよ」
ドクター・ヴァン・マーネンは足と手を組換えながら言った。
「知識はもちろん、ヒューマンスキルと体力があり、骨惜しみ無く働くから患者さんからの評判も上々。私を含め、カレッジの担当教授の口頭試問のサインも着実にクリアしています。
このペースだと、研修医として必要とされる最短期間の2年で、医師としての就業許可が下りるのは確実です。これは間違いなく国内最短記録ですよ?
そんな彼女に向かって、賄賂を送って試験を通ってきたのは本当か、と問い質すなんて!
これじゃあ、まるで、魔女裁判です!
間違ってる。完全に間違ってますよ、あなた」
ドクター・ヴァン・マーネンは興奮したように事務局長を詰った。
そんなドクターをまぁまぁ、と宥めつつ、院長も口を開く。
「私もそう思います、事務局長。
バクスター君が優秀で医師としての高い適性を持っていることを証明することは非常に容易い。それに比べて、賄賂を使って口頭試問を不法に突破した、実力不足の研修医であることを証明することは限りなく難しいだろう。本人だって全てを否定しているしね。そうだろう?バクスター君?」
「はい、勿論です。ここに書いてあることは全て……全て捏造です」
思わず少し言葉に詰まったが、リンは言いきった。
というのも、その記事にはリンがディスカストス侯爵の恋人だと書かれていたからである。それ以外の部分は捏造ばかりの誹謗中傷記事だったが、その一点だけは真実だ。
しかしここで『恋人ってところだけは本当です』とは、いくらなんでも言いにくかった。幸い、その点については事務局長もそう重要視していないらしく、ツッコまれずに済み、リンは胸をなで下ろした。
「それじゃ、この件についてはバクスター君は被害者だと、そういうことでいいですね?事務局長」
院長が話を収束させる為に言った。
「……わかりました」
結局事務局長はリンに謝罪せず、ふて腐れたような様子で、部屋を出て行き、残されたリンとドクター・ヴァン・マーネンは目を合わせると、どちらからともなく苦笑いしあった。
「災難だったね、バクスター」
ドクター・ヴァン・マーネンが言った。
「そうですね。でも、変な言い方ですけど、こういうの慣れてますから」
「え?」
「孤児ってだけで、色々、言われるんですよ、根も葉もないこと。でも人の口には戸は建てられません。一人一人に違います、って言って歩くわけにも行かないし。
そんな時は、相手の見方や考え方を変えようとするよりも、自分の出来ることを一生懸命やるしかないんです。それが唯一の事態を好転させるための方策なんです」
リンはせっせとお茶の準備で手を動かしながら、あえて明るい口調で言った。
「そうだね、そうかもしれないね」
リンの言葉にしみじみと感じ入りながら相槌を打つドクター・ヴァン・マーネンの目の前に、湯気の立ったティーカップが差し出しながら、リンが笑って言った。
「さ、マーネン先生。昨日の振り返り指導、お願いします」
「ん、始めようか」
見かけ上は、すっかり気持ちを切り替えているように見えるリンに、頼もしささえ感じつつ、ドクター・ヴァン・マーネンは答えた。
やがて二人は討論に没頭し、いつしか朝一番の嵐のようにやってきて、去っていったタブロイド騒ぎを、まるでなかったもののように感じ、終わったものとして片づけてしまった。
しかしその頃ーー。
ドアの外、ナースステーションや入院患者達の談話室では、ある意味事務局長が心配していたような噂が一人歩きを始め、すごい勢いで広がりつつあったのだった。




