113.ドクター・ブルーム、苛つく
「それで?バクスターはどうしているんだ?」
横柄な態度で訊ねるドクター・ブルームに、グッドマンは
「それはちょっと……」
と、すました様子で答えた。
ここは懐かしのウィリアムズ・カレッジ。ドクター・ブルームの教授室である。
リンがアクセルとグッドマンとの思いもかけぬ再会を果たしてから、早3週間。ディスカストス侯爵の懐刀と名高い辣腕執事からの、突然の訪問伺いを、リンの消息を聞き出したい一心で即了承したドクター・ブルームだったが、具体的な情報はなにも口にしないグッドマンの態度に、新たな心配の種を抱くことになった。
かわいい教え子であり、同時に手塩にかけて育てた愛弟子であるリン・バクスターが見つかった。ここまでは良かった。ところが、食わせ者の老執事はその先をまったく明かさないのである。とはいえ、たった一つ、はっきりともたらされた『マニティ島公立病院の救急救命センターに勤めており、そこでそれなりの地位を築いている』という情報に、ドクター・ブルームは心から安堵の息を漏らした。
リンの失踪を知った時から、最悪の事態は、正直心の中で否定していた。
(バクスターは聡明な人間だ。それでも、こんな馬鹿な行動に出るからには、きっとあの、灰色のプリンス・チャーミングが関わっているんだろう)
と当たりをつけていた。
そんなことを考えていたら、そのすぐ後アクセルの訪問を受け、その口から直接リンの所在について情報提供を求められて、改めてバカバカしい気持ちになったものだ。前もそうだったが、自分がバクスターに無断で彼女の所在をしゃべるわけないではないか。それは知っていようと知っていまいと、変わらないに決まっているのに、この男はいったいなにを求めて、何を期待して来たのか?
(理解に苦しむ……)
そんな感想を抱いたドクター・ブルームではあったが、アクセルのあまりの萎れっぷりに多少の同情心は禁じ得なかった。リンに対してはなんの含みもないドクター・ブルームではあったが、努力家で聡明でなんでも飽かずにコツコツ取り組むリンが、たった一つ、恋愛についてだけはバカバカしい行動を取っている、と感じられて、少しだけアクセルに同情したものだ。ほんの少しだけ、だったが……。
ところで、誰もが意外に思うだろうが、実はドクター・ブルームは存外、親分肌な男である。貴族であることも手伝って、面倒見も良くはないだろう、と思われがちでもある。
皮肉な口調、厭世的な雰囲気。人嫌いを広言している上に、その容貌も決して取っつきやすい方ではない。目元は鋭く、顎は尖っているし、滅多なことでは笑わない。しかも、学生相手でも失敗にはめっぽう厳しい。きちんと聞いていれば、熱のこもった指導ではあるのだが、大抵のウィリアムズ・カレッジの学生達は甘やかされて育ったお嬢様ばかりなので、当然そうした厳しい指導というものには耐性がない。かくしてドクター・ブルームのゼミは人気がない。ごく稀にリンのような特待生が最後までそのカリキュラムを全うして卒業していく。しかし、そんな上っ面の評判と正反対に、ドクター・ブルームほど、一度懐に入ってきた人間のことをよく気にかけ、庇護する教授は他にはいなかった。
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そんなドクター・ブルームだったから、リンが失踪した時もかなり心配したし、ヤキモキさせられた。そればかりか、警察に勤める友人に頼んで、密かにアザリス全土の女性保護シェルターに身を寄せた女性達のリストを手に入れてチェックし、リンの名前が載っていないことを確認して、胸をなで下ろしたものだ。
英知の粋を極めた医学なる学問を修めたばかりでなく、自分が手塩にかけて育てたアザリスでも有数の秀才であるリンが、そうそう身を持ち崩したり、神に背く『自殺』という道を辿るとは、ドクター・ブルームにはどうしても考えられなかったのだ。しかし、そうしたまったくもって冷静な推理・推測とは別に、どこかでリンの中に燃えたぎる、どこか予想も付かないエネルギーに薄々勘づいていた。もしもあのエネルギーが爆発するような『なにか』に遭遇してしまったとしたら、冷静で知的な理性を凌駕する感情の大波がリンを襲ったとしたら……?
(バクスターを失踪に駆り立て、そして同じく呼び戻せるのはあいつしかない。あの、無駄に綺羅綺羅しい、無駄に人を惹き付ける能力を持った、灰色の男しかーー)
いつしかシェルターの名簿を取り寄せるのをやめながらも、アザリス各地の医療現場で働く知り合いに問い合わせをする、といった具合に、しばらくの間リンの消息を自分なりに継続した後で、ドクター・ブルームはそんな風に結論づけた。
そうして月日は流れーー。
相変わらずの忙しい毎日にリンの事を思い起こすことも少なくなっていた頃合いになって、ディスカストス侯爵家筆頭家令執事である、グッドマンの訪問を受けたのだった。
*-*-*-*-*
「だいたいなんで、あんたがわざわざ私のところにまで来る必要があるんだ?バクスター本人がくればいいじゃないか?」
ドクター・ブルームは至極当然なことを主張した。
「その通りでございます。ただ、バクスター様は只今大変お忙しく、直接ご自分でこちらに来ることが出来なかったものですから、代わりと言ってはなんですが、私が参上したと。そういうわけでございます」
(ああ、まぁ、そうだな。救急救命センターはどこもかしこも人手不足だしな)
内心、なんとか納得するような理由を組み立ててみる。
ところが次の瞬間、目の前の老執事はこれまた飄々と続けたのだった。
「まぁ、それは口実で、本当のところ、今の段階では未だ、伯爵閣下にお会いする勇気がない、と申しておりました」
「今の段階?なにを水くさいことを!いつだって、どんな状況下であっても、私がバクスターを拒否する事なんてあるわけないのに!
わかったぞ!大方あの灰色の男が会いに行くのを邪魔してるんだろう?」
(これはこれは……アクセル様は随分と嫌われたものですねーー。)
「いいえ、旦那様は現在、入院中です」
「え?」
「はぁ、まぁ、ちょっとした事故で」
「どこの病院だ?」
「ええ……まぁ、それは置いておいて……」
誤魔化そうとしたグッドマンの様子にドクター・ブルームは睨みを効かせて黙り込んだ。
その絶対零度もかくやと思われる冷たい眼差しに、ため息をつくと、グッドマンはあっさりとアクセルの入院先の名前を告げた。
「はあぁ?!つまり、あの男はバクスターの患者になる為に、わざわざケガをしたってわけか?」
「いいえいいえ、結果として担ぎ込まれてしまったわけですが、決してそれを目的に嵐の海を渡ろうとしたわけではございません」
直情型の主人をかばうようにグッドマンは弁解したが、その時すでにドクター・ブルームの顔には『呆れてものが言えない』とはっきりと書いてあった。
「まぁ、我が主人のことをお話しするのは本日の訪問の主旨ではございません」
そんなドクター・ブルームの様子を見かねたのか、自らの主の評判をこれ以上落としてはなるまい、と思ったからなのか、グッドマンは胸ポケットから1枚の封筒を取り出した。
「なんだ?」
「どうぞ、ご開封なさってください」
訝しげに封筒を眺めるドクター・ブルーム。しかし、中身のカードを開いてその内容を読むと、困惑はますます濃いものとなった。
「これはいったいーー?」
「招待状でございます」
無言で『説明しろ』と言っているドクター・ブルームの無言の視線を完璧に無視して、グッドマンはしれっと答える。
「そんなことはわかっている。私が言いたいのは、何故、この人物の主催する夜会に私が招待されたのか、ということだ」
ドクター・ブルームはますます顔を顰めてグッドマンに詰め寄った。
「私には、お答えしかねる、としか言いようがございません」
グッドマンはそう言って、冷めて苦みの出てしまった、コーヒーを一口啜った。
「ふん、そちらがそのつもりなら、こっちにだって言い分があるぞ?こんな胡散臭い招待に、応える筋合いはないからな!」
もう少しで癇癪を起こしそうになりながら、ドクター・ブルームは言った。こんなにムカついたのは、彼の授業について来られなくなったどこぞの公爵家のバカなワガママ娘が爵位を楯に、単位を要求してきた時以来である。
何もかもを自分のコントロール下に置いておきたいと望む、コントロール志向の強いドクター・ブルームにとって、得体の知れない夜会に参加するなんてことは、まるで暗い穴の中に飛び込むのと同じで、耐えられない事だった。
しかし、グッドマンはまったく頓着しない様子で偏屈な伯爵閣下を一瞥し、腕時計をちらりと見ながら立ち上がった。
「おお、いけません。もうこんなに長い時間お邪魔してしまいました。私はこれで失礼いたします」
「おい、聞いているのか?ディスカストス侯爵家執事の、んー、なんだ、なんて言ったか、ゴールドマン?」
「グッドマン、でございます」
「ああ、そうか、グッドマン!この招待状を説明しろ!」
「それではドクター・ブルーム、私はこれにて失礼いたします」
グッドマンはドクター・ブルームの要求を一切鑑みることなく、踵を返した。
「おい、待て!」
しかしドクター・ブルームとて、黙ってはいない。教授室のドアの前に立ち、グッドマンの行く手を阻むと、無言で睨み付けた。
正に『きちんと話さないと、ここを通さないぞ!』とでも怒鳴り散らしてもおかしくないシチュエーションだった。ただし、さすがに貴族の壮年男性という矜持がそうさせるのか、実際に怒鳴り散らすことなくドクター・ブルームはグッドマンをぐぐっと睨み付けた。
「ブルーム伯爵閣下、一つだけお伝えしておきます」
そんな顔を見てドクター・ブルームの本気を感じ取ったグッドマンは、柔和な表情で言った。
「その招待は、ミズ・バクスターからのものでございます」
「バクスターから?」
ますます訳が分からない、といったふうのドクター・ブルームを後にして、グッドマンは教授室を出た。
「さて次は、ドクター・ヴァン・マーネンですね……」
胸ポケットから取り出したスマートフォンでスケジュールカレンダーを確認すると、グッドマンはにやりと笑って歩き出した。
「さ、忙しくなってきましたよーー」
その顔に、心底楽しそうだとでも言うように笑みを浮かべると、未来の侯爵夫人のため、というこの上ない楽しい職務を遂行する為に、グッドマンは足取り軽く歩き出すのだった。




