第十九話 三つの村の元住民
「……暑い」
「湯上がりは外に積もっている雪に飛び込みたくなるよな」
テテンと一緒に湯屋の待合室でリシェイとメルミーを待ちながら、俺は最近流行のスムージーを飲む。
キイチゴに似たミノッツと呼ばれる果物を使っているらしく、甘味と酸味と冷たさが湯上りの身体に染みわたる。
温泉地で食べるアイスとか美味しいんだよね。
この世界では製氷技術もないので、こういった凍らせるような食べ物はほとんどが冬限定商品だ。氷室は重量問題があるのであまり作られない贅沢な施設である。
でも作ってみたい。タカクスは観光地だし、ありだと思うんだ。夏祭りで食べるかき氷に憧れる日が来るとは思わなかった。
作ろうかな。重量問題さえクリアすれば、構造的にもさほど難しい施設じゃないし。
悩んでいると、テテンが側頭部を押さえて悶えていた。アイスクリーム頭痛ってやつだろう。名称の割に叫びだすこともできない憎いやつ、それがアイスクリーム頭痛。
「ほら、デコ出せ」
長ったらしいテテンの前髪を払っておデコを露出させ、俺の持っていたスムージーの容器を当てて冷やしてやる。
「……治った」
「はい、よかったねー」
世話の掛かる奴め。
懲りずに再びスムージーを飲み始めるテテン。
俺は窓の外に目を向けた。
雪がかなり降っている。去年の暖冬の揺り戻しだろうか。
「……キリルギリ、でる?」
「俺もそれが気になってる。どこも防衛を強化しているけど、相手が相手だからな」
今考えても仕方がないか。
「それにしても、客が少ないな」
「……雪酷い。湯冷めするから、客来ない」
実家が湯屋だけあって、テテンは店の客入りに詳しいようだ。
第四の枝、旧キダト村地区にあるこの湯屋は改装工事により設備が充実し、建物自体も大きくなった。
サウナ室は相変わらずの二部屋構造で、奥の方が熱い。待合室は広く取り、二十人ほどがくつろげるようになっている上、隣の喫茶店と提携してスムージーなんかも出している。
リシェイもメルミーも割と長風呂の性質だが、テテンはどちらかというと出るのが早い。興奮状態だからだろう。
そんなわけで、待合室でリシェイやメルミーを待つことも良くあるのだけど、今日の閑散とした様子は初めて見る。
番台で欠伸を噛み殺している湯屋の奥さんを見る。
「経営は大丈夫なんですか?」
「心配するこたぁないよ。みんな雪が激しくなるのを見越して昼間に入りに来てたんだ。営業時間ぎりぎりに入りに来る客なんてのは、市長さんみたいな多忙を極めてる人ばかりさ」
「そっか、昼間はもうちょっと天気も落ち着いてましたね」
「そういうこったよ。とはいえ、昼間に客が入ると隣の喫茶店は利益率の高い酒が出ないってんで嫌な顔をするんだけどね」
ケラケラ笑って、湯屋の奥さんは喫茶店の方を指差す。
「市長さん、代わりに軽く飲んでやってくれないかい?」
「明日も仕事だから、遠慮しておきます」
「そいつぁ、残念がるだろうねぇ」
湯屋の奥さんは番台に頬杖を突く。
「そうそう、うちの息子が隣の喫茶店の娘と付き合い始めたんだ」
「そうなんですか。おめでとうございます?」
息子さん、私生活が客にダダ漏れだなんてつゆほどにも思ってないだろうなぁ。
でも暇だから聞いちゃおう。
「……料理上手、裁縫上手。敵ながら、お目が高い」
「テテンの想定している敵がどちらかは聞かずとも分かるから黙っとけ」
「……お姉さまたちとの、めくるめくる入浴時間、小説に、してる」
「読みたいような、書かせちゃいけないような……」
頭の中でストーリーを組み当て始めたテテンを無視して、俺は湯屋の奥さんと話を続ける。
「てっきり、同じ熱源管理官を奥さんに貰うと思ってましたよ。湯屋の方はどうするんですか?」
「そうさねぇ。彼女さんは熱源管理官を目指して勉強すると言ってくれてるけど、何しろ難しい資格だからね」
「いざとなったら、別に人を雇う事になりますか?」
「カッテラ都市の養成校に話を通すことになるだろうさ。テテンちゃんは市長の秘蔵っ子だし」
「ちょっと外には出せないですね」
特に湯屋には出向させられない。
そうでなくても、テテンの作る燻製品は広く輸出されている人気商品なのだ。湯屋でバイトするから生産ストップなんて気軽にできる物ではない。
湯屋の奥さんと話をしている内にリシェイとメルミーが出てきた。髪はすっかり乾かしてある。
俺はリシェイ達に軽く手を振って、待合室に呼ぶ。
「すぐに外へ出ると風邪ひくし、冷ましていくか?」
「そうね。人もいないみたいだし」
「おばちゃん、涼んでっていい?」
メルミーが声を掛けると、湯屋の奥さんは快く了承してくれた。
「どうせもう客は来ないだろうからね。大丈夫だよ。掃除して来るから、好きな時に帰りなね」
番台の裏に隠していたらしき手拭いを出して肩に引っかけた湯屋の奥さんがサウナ室へ入っていく。
俺は飲みかけのスムージーをねだってくるメルミーに渡す。
「くぅ、冷たい。湯上りはこれだよね」
少しぬるくなってきていたはずだけど、湯上りには冷たく感じるようだ。
俺の隣から窓の外を覗いていたリシェイが雪の様子に眉を顰める。
「風が出て来たわね。今夜は吹雪くかも」
「パンは空中市場の下で買うしかないな」
「いつものパン屋ね。たまには空中市場のパンも面白いと思ったのだけど」
俺たちはキダト村時代から営業しているパン屋でいつも買っているけれど、最近は空中市場でパンを売り始めた者がいるらしい。
露店形式であるためすぐに冷めてしまうのだけど、むしろ冷めてからの方がおいしいとの話だ。空いた時間に購入しておいて、お昼に食べたりする客が多いという。
湯屋に行く前に話を聞いたため、リシェイ達と話して明日の朝食に買って行こうという話になっていたのだけど、この天気ではパン屋はおろか、空中市場の露店は多くが店じまいを始めているだろう。
「それじゃあ、これ以上雪が酷くならないうちに行こうか」
「そうね」
俺は立ち上がり、テテンとメルミーに声を掛ける。
湯屋を出て傘を差し、空中市場の下にあるパン屋へ向かった。
こんな天気でもクーベスタ村出身者は工房に呼び出されて修業中らしく、通りがかった工房からは作業音が聞こえてくる。
叱りつけるような声が聞こえてこないのだから、クーベスタ村出身の職人は工房でつくるような椅子や机の方が得意なのだろう。
隣を歩くメルミーに、俺は工房を指差して訊ねてみる。
「クーベスタ村出身の職人が作った家具はどんな感じだ?」
「どんなもなにも、まだ修業中だから売り物は作ってないよ。もっと基本的な事を教えてもらってるはず。家具の分類とか、力学的視点から見た使いやすい家具の作製とか」
「そんなところからやるのか。家具職人も道は険しいんだな」
「クーベスタ出身者も一度は習ってるはずなんだけどね。復習とかしないで今まで生きて来たんじゃないかな?」
孤児院から木籠の工務店長夫婦に引き取られ、猛勉強する事になったメルミーには分からない生き方なのだろう。心底不思議そうに首をかしげる。
「人生なんてたった千年しかないんだから、ちゃんと勉強しないと売りものなんか作れるはずないのにね」
「そうだな、たった千年しかないもんな」
想像つかないけど、そもそも前世だって百歳とか想像もつかなかった。感覚的には大して違わないとか思っちゃう時点で俺も染まりきった気がする。
リシェイが思い出したように俺を見る。
「ギリカ村出身の魔虫狩人はどうしてるの?」
「何人かは付近の村に派遣してる。冬の間の防衛依頼が来たからさ」
「キリルギリに怯えているのはどこも一緒ね」
「ねぇねぇ、寿命どれくらいあるの?」
メルミーの質問に、俺は答えの持ち合わせがない。
「珍しい魔虫だから、寿命も分からない」
まぁ、十年もすれば流石に死んでいるとは思う。ギルドに作られた窓口が十年間の時限式なのも寿命を予想した上でのものだ。
「しばらくはこのままの警戒が続くわね」
「まぁな。ギリカ村出身者は若いから、派遣しやすいけど」
妻帯者や子供のいる者はあまり外に派遣しにくいという事情もある。ギリカ村出身の魔虫狩人はこういっては何だけど、使い勝手が良くて助かる。
話をしている内になじみのパン屋に到着する。
翌朝の朝食を作れそうもない時にはよく利用させてもらっているパン屋だ。
流石に雪の中、もう暗くなったこの時間帯に買いに来る客は俺たちくらいらしく、店の中は閑散としていた。
パンが陳列されている棚を流し見ると、テテンが端の方を指差した。
「……新作」
「木の実入りのパンか」
数種類の木の実を入れているらしい。世界樹の実は残念ながら入っていないようだ。
プレートには使用している木の実の種類に加え、見慣れないマークがついていた。
「甘味評価と辛味評価?」
十段階で分けられているらしいその評価は他のパンの値札プレートにも付いている。
今までこんな評価点みたいなの無かったはずなんだけど。
「……便利」
「まぁ、便利だな」
そういえば、前世でもこんなのあったな。主にカレー屋で見た。
だが、トウムパンの甘さと辛さは十段階で分けられるほど単純じゃない。双方が引き立て合ったり、片方を強調したりする。あくまでもこの評価点は目安でしかない。
今まで食べたことのあるパンの評価点を調べてから、四人で顔を突き合わせる。
「明日の朝食会議を執り行います」
「アマネ議長、メルミーさんは甘めがいいです」
「私は少し甘い方がいいわね。甘味評価七点、辛味評価五点から攻めてみようかしら」
「……甘味が三、辛味は十」
「テテンチャレンジャーだな。俺はピリ辛系でいくよ」
それぞれ別の物を購入する事に決めて、全員共通で木の実入りのパンを購入する。少なくともテテンには口直しの木の実入りパンが必要だろう。
レジカウンターに持って行って店の奥に声を掛ける。
「はいはーい」
聞こえてきた声に、俺たちは思わず顔を見合わせる。
いつもは旧キダト村地区らしく御高齢の店主かパン職人が出てくるのに、先ほど聞こえた声はやけに若かったのだ。
「お待たせしましたぁ」
店の奥から出てきたのは、声から受ける印象通りに若い娘さんだった。年齢三桁に届いてないだろう。
「あれ、ヒーコ村の子?」
「あ、はいそうですよ。……あれ、市長さんですよね?」
俺を見て目をぱちくりしているのは、新興の村の一つで村長をキリルギリとの戦いで失って解散する事になったヒーコ村の子だった。
農家の娘さんだったはずだけど、パン屋でアルバイトを始めたのか。
「もしかして、あの評価点形式を考案したのって」
「はい、あたしです。参考程度にしておいてくださいね?」
今日一日この説明ばっかりですよ、と笑いながら、アルバイター娘はパンをバスケットに入れて布をかけてくれる。
しかし、ヒーコ村の人たちは影が薄いと思っていたら、いつの間にかいろんなところで活動を始めていてびっくりする。
品種改良に取り組む農家はタカクス都市ではもう珍しくないけれど、造園家には俺が考案したことになっている日本庭園の研究を始めている人もいる。
元々意欲が旺盛なのか、資金と方向性さえあたえれば突っ走って行くような行動力は他の新興の村の住人にはない特徴だろう。
「でも、なんでパン屋で働いてるんだ?」
「研究してみたら面白そうだなって思ったので」
ヒーコ村の人って研究者気質が多いな。
屈託なく笑うアルバイター娘からパンを受け取った。




