第184話 傍らで待つ少女
早朝から、ヒサオが住まう自宅兼大使館の玄関扉がノックされた。
「はーい」
若々しい声と一緒に玄関扉を開いたのはミリアである。
清潔そうな白い半そでシャツに、何度も洗われ色落ちしたようなハーフパンツ姿。
活動的な印象を見せる彼女が出迎えた相手は、労働者ここにありといった姿のジグルドであった。
くたびれた作業服。両腕をまくりあげているため、毛深く太い腕が見える。どちらが義手なのか知っていたとしても迷ってしまう。その手には、紫をベースにした青の斑点模様の布袋が握られていた。
「あら、ジグルド」
「……邪魔するぞ」
ごく自然に出てきたミリアの横を通りぬけ、家の中にはいる。キョロキョロと部屋の中をみると、
「ヒサオなら奥の部屋よ」
「まだ眠っておるのか?」
「ええ……」
気落ちした声をだしながら、台所へと歩きだす。
「何か入れるわ。ゆっくりしていってよ」
「……まあ、たまには良いか」
別用で来たのだが言い出しづらくなり、ヒサオが眠っている部屋へと足を進めた。
窓から差し込む朝の光。それに照らされ、眠ったままでいるヒサオの顔がみえた。
すぐ側には水差しやコップ等が置かれているが、使われたような形跡がない。用意したはいいが、必要とされなかったのだろう。
「うーむ……」
これは本当に眠っているだけなのだろうか?
ジグルドが思ったことは、見舞いに来た者達が皆、思うことだった。
呼吸音はする。顔色が悪いわけでもない。
だが、眠っているだけにしては……
「お待たせ。カプティーだけどいい? この家ってお酒の類がないのよ」
「いくらドワーフとはいえ、いつも酒を飲んでるわけではないぞ」
ミリアがお盆にもってきた陶器製の茶碗を受け取ると、一口ズズっと啜る。
「うむ。良いの。高かったろ?」
「わかる? ヒサオの話だと、一桁違うらしいわよ」
「ほう? ヒサオのやつは、そういう所にこだわっておるのか?」
「ううん。前にもらったみたいよ。置かれていたのを見つけてね」
「そういうことか。しかし、いい匂いじゃ。味も段違いに深いの」
「フフ。そこに座ってゆっくり飲んでよ」
言いながら指さすは、看病に使っていたと思われる丸椅子であった。
おそらくミリアは普段ここに座り、ボーと何かをしているのだろう。
ヒサオが倒れ、すでに1週間以上過ぎた。
当初アグロ砦で付き添っていたミリアであったが、そのまま寝かせておくのも気が引けて、ヒサオを家へと運び込んだ。
その後も彼女が付き添っているのだが、これに対し誰かが何かを口にすることはなかった。
まるで、それが自然であるかのように、誰もがこの状況を受け入れている。
ジグルドを座らせたあと、ミリアは一度戻り、花瓶に朱色の花を差し持ってくる。
部屋の中にあったテーブルに置き、ふぅと一息吐いたあと、
「綺麗でしょ。昨晩、見舞いに来た人がおいていったのよ」
「うむ。いい匂いじゃ。じゃが、カプティーの匂いがもったいないの」
「そういえばそうね。この花って少し甘い匂いが強かったわ。下げようかしら?」
「いや良い。これはこれで、中々どうして良いものじゃ」
「そう、ジグルドがそれでいいなら……」
言葉途中でヒサオの方へとミリアの目がむいた。
「む?」
何かしらの気配があったのか? と思いジグルドも見たが、まるで様子が変わっていなかった。
「……こんなに良い匂いなのに、残念ね」
「ふむ?」
ジグルドの何気ない声に、若干曇らせていた表情を戻した。
「何か食べていく? 朝食は?」
「もうすんどる。食わねばコリンが煩くてな」
「そ、そう。コリンもしっかりしてきたわね」
「ヒガンがおるからな。もっとも、ワシにとってみれば、どちらも娘のようなものじゃが…」
「世間からは、そう見えてないわよ?」
「それを、お主がいうか?」
「……うるさいわね」
「それも、お主がいうか?」
「……やめましょう。私が悪かったわ」
この話題は避けたほうがいいと判断したようだ。
「しかし、お互い、こんな話をするようになるとはな。この世界に来た時は、まったく考えておらんかった」
「……そうね。初対面の時は酷かったわ。ヒサオなんかハンマーで殴られ気絶したし」
「フン。軟弱な。鍛冶師は皆、ああして鍛えられるものじゃぞ。ワシとて親方に何度殴られたことやら」
「……ジグルドの親方ってちょっと想像できないんだけど」
「そうか? 色々世話になった方でな。ワシにとって大恩人じゃ」
昔の思い出にふけるかのような懐かしい表情をする。
「今じゃ、教える側ね。鍛冶場に人が増えたらしいじゃない」
「よく知っとるな。まったく来んくせに」
「あら。鍛冶場に私がいっていいの? 女だからって追い出すんじゃない?」
「ドワーフがそれをするわけがなかろう。カテナとて、一週間以上鍛冶場にこもったことがあるぞ。完成品を手にしたらそのまま眠りおったがな」
「ほんとドワーフって……」
カラカラと笑い声をあげるジグルドをみて、ミリアは額に細長い指先をあてた。
「いかん! 忘れるところじゃった!」
「なに? どうしたの?」
急に立ち上がり、手にしていた布袋の紐口をあけ、中にあった一本の杖をミリアに見せる。
先端に青白くクリスタルのような形の石がについている。宝石のような透明感はないが、石の魅力と言うべきか、質感的な味わい深さを感じられた。
石の付け根から走る銀と茜色の2本の線は、杖の表面に絡む2匹の蛇のよう。
わりと短めの形状であるが、リームが持つことを考慮にいれたからだろう。これがミリアであれば、もう少し長めにしたのかもしれない。
「変わったデザインね……これ、例のやつ?」
「うむ。リーム用につくったつもりじゃが、果たしてうまくいくかどうか……」
「自信がないの?」
「精霊とはわけが違うからの」
布袋から出した杖をしまい、紐を結びなおしながら言った。
「さて、もう行こうと思うが、お主はどうする?」
「……」
ジグルドの言わんとしていることを察したのか、編んでいた金髪を両手で触った。
「そうか……そうだな。ワシ1人でいってこよう」
「……ごめん」
「謝ることでもなかろう」
とはいうが、注文したのはミリアとヒサオであったし、精霊樹との交感実験を行う可能性もある。その場にミリアがいないというのは、多少の不安があった。
そうした気持ちを表には出さず、そのまま部屋を立ち去ろうとしたジグルドであったが、突然足をとめヒサオの顔をみた。
「ジグルド?」
「……思ったのじゃが。ヒサオの魔力というのは、前とかわっとらんのだな?」
「え? ええ。相変わらず垂れ流しているわよ」
「うーむ……」
「どうしたのよ、急に?」
「ふと、眠りについた者達を思い出したのでな……」
「兄さんたちのこと? どうして?」
「これはヒサオから聞いたのじゃが……」
魔王の話によれば、薬を使い魔力の流れを極限まで遅くし、その副作用として深い眠りにつくという。おそらくこれは、仮死状態のようなものだろうと推測がつくが、その状態が長くつづくと筋力が低下する。そこで、治癒の一族達が時折刺激を与えているらしい。
「ヒサオのやつは、一週間以上、何も口にせんのじゃろ?」
「……ええ。水も飲まないわね。それに」
その先を口にしかけたミリアだったが、ジグルド首を黙って横にふった。察しがいい男である。
「カテナ達と、似ておらんか?」
「症状的に? でも、ヒサオの魔力は相変わらずなのよ?」
「そうなんじゃが、一度みてもらったらどうだ? 側を離れたくないというのであれば、誰かを使いに出せばよい。いまならば、エーラムまで転移魔法陣で飛べるのじゃし」
「そう…ね。いいかもしれないわ……うん。誰かに頼んでみる」
ジグルドの案に、ミリアの表情がかわる。
若干あった影のようなものが薄らいだようだ。
ミリアの変化に満足したのか、コクリと顔を一度倒すと今度こそ部屋をでていった。ミリアは後をおい、玄関口でジグルドへと手を振って見送った。
ジグルドの姿がきえ、家の中へともどろうとすると、今度はイルマがやってくる。
「よっ。ヒサオは相変わらずか?」
「あら、今度は、あなたなの?」
「今度? 誰か来ていたのか?」
「ジグルドがね。あなたもお見舞い?」
「いや、用事があって出かけるところだ。その途中で見かけてな」
「忙しそうね。用事って――商店街で買い物……にしては、まだ早いわよね」
「ああ。ムリエルの件でエーラムにな」
調査を頼んでいた部下たちが帰ってきたようで、その報告をしにいくようだ。
それこそ部下に頼めばいいようなものだが、動いていないと落ち着かない様子。
延期になった建国式はいまだできていないのだから、苛立って仕方がないのだろう。
「ちょうどよかった! 魔王様に伝言頼めない?」
何のことだ? と思いつつ話を聞くと、
「旦那のいう通りだな。よし、いいぜ。パシリになるのは性分じゃねぇが、今回かぎり使われてやらぁ」
「パシリって……そんなつもりはないわよ」
「言っただけだ、気にすんな。んじゃ、いってくるわ」
「まったくもう。魔王様によろしくね」
「おぅ。じゃあな」
小手をつけた腕を振り上げながら、イルマが立ち去った。
ヒサオが眠り続けて一週間以上たつが、人の訪れは絶えず続いた。
ヒサオだけではなく、付き添っているミリアのことも気にしてのことだろう。
何かを言いかけた客もいたが、その言葉が口から洩れることはない。
彼等は、壊したくなかった。
世間とは違う緩やかな時の流れにある、この家の状況を。




