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◆ リリアンと『赤い館』

 

 じっとりと纏わり付く様な湿気ーー


 下水の臭いを隠す為に、色々と雑多な香水が振り撒かれ、それが却って不快な香りとなって…… 本能で此処は、忌諱すべき場所だと知らせてくれる。


 赤く揺らめく霧が、館を覆っていた。


 一人の男が、無造作に館の門扉を開け、小さな窓から顔だけ出した受付け人に声をかけた。


「ポートリア公爵家の者だ。 最近、入ったリリアンを指名する 」


 ポートリア公爵家の者は、このパルムドール王国で唯一、『赤の館』に検査もなく入ることが許されている。


「どうぞ…… 」

 受付人はポートリア公爵家の印証をチラリと見るや、扉を開け招いた。

 館に入ると、尚一層匂いが強くなる。


「相変わらず、臭いな。 なんとかならないのか? 」


 案内する男は、ヘラヘラと笑う。

「公爵様。 下水の匂いも、血の匂いも紛らわせませんとね…… へへ 」


 全く悪びれる様子も無い案内人に、一つ溜息を吐くアウデオだったが、目的の扉の前まで着いたようだった。


「公爵の旦那。 もう半分、いかれちまってます。 来た早々…… おいたが過ぎるんで、左足の先っぽを持っていかれました。 あんまり長く居ない事を、お勧めしますぜ 」


「そうか 」


 アウデオが部屋に入ると早速、生臭い血の匂いが漂っている。






   挿絵(By みてみん)






「…… 誰かいるの? 」

 リリアンの声は、思っていたより元気そうだった。


「リリアン、この部屋は暗く息苦しいな 」



「その声は…… アウデオ様? 」

 リリアンは薄暗い闇間から、アウデオを見つけ、可愛らしい声をあげた。


「ねえ、アウデオ様! 聞いて、私ここを出たいの。 助けてアウデオ様! もし出してくれるなら、私を好きにして良いから。 アウデオ様、良いでしょ? ね? 」


 やはり人を見て、媚びる癖は直らないか。


「リリアンは、やっぱり悪い子だね 」


「そう? ねえ、アウデオ様。 どうしてあいつ(アンドリュー)にキスをして、身体を結ぼうとしただけで、私を此処に入れたの? たった、あれだけの事で 」


「おや? 今は、普通の状態かい? そうだな、リリアン。 お前は罪を、重ね過ぎたんだよ。 リリアンは、どの罪も悔い改めていないだろう? 」


「だって、生きる為にやったのよ? 親も無く学も無く、頼れる人はいなかったのに 」


 リリアンは悔しそうに、下を向いた。


 アウデオは、思わず失笑した。

「ククク…… 。 お前は何度も、大金を手にしたのだろう? 奴から。 それを使って、学を身につけて商売するなり、身を固めるなり、真っ当に生きるチャンスは何度もあっただろう? 」


 リリアンは呆れるほど、公爵に興味をなくす。


「もうさぁ…… 出てってくれない? 説教なら、要らないわ 」


「そうだな…… 俺も。 お前次第なら、出してやる事も、考えてもいたんだがな。 残念だよ。 永遠の別れだ 」



 アウデオが、何かに気付く。


 だが無言で部屋を出ると、リリアンの怒声が聞こえてきた。


「嘘よ! 嘘つき! あんたなんか、信じない! 私を助ける気なんて、無いくせに!

悲惨な私を見て楽しんでる!この悪魔! 」



 悪魔か……

 確かに暗部の仕事は、時として心を悪魔に捧げなくてはならないからな……

 そうだな、リリアン…… 強ち間違ってはいないよ……



 アウデオは後ろを振り返り、リリアンの部屋の扉を見た。


 あいつの執着には、畏れ入る……

 まあ、あいつとの取引は…… ヨークの事で、役立つ情報が多かったがな。


 本当にさよならだ…… リリアン。


 ここまでが、アウデオの知る所だ。 あえてそれ以上、追う必要も無いのだから。



 通称、人の血で染まる『赤の館』は、一度入れば二度と生きて出る事は、許されないはずだが。



「はぁ、はぁ、はぁ…… 」

 興奮が収まったリリアンは、無くした左足先から、徐々に何かが()ってくるのを感じた。


「な、何? いや、何? 」

 リリアンの部屋には、最低限の灯りだけ。

だから、直ぐに何だか理解が出来なかった。


「や、やだ……気持ち悪い…… 」


 不快感が太腿まで来ると、漸く人の手であることが分かった。 だが、手枷がそれを振り払う事など出来ない。



「リリアン……見つけた。 もう何人にも、遊ばれたか? ほら、私から離れるからこうなるんだ 」


「…… ブ、ブラウン!?」


「…… リリアン、その名前は捨てたんだ。まあ、これからの名前を…… 教える気は無いけどね 」


「わ、私をどうするつもり? こんなとこまで来たら…… ブラウンも、どうなるか分からないわよ。 ここは、普通なら入る事も…… 出る事も出来ないんだから! 」


「くく…… やっぱりリリアンは、私の事を見くびっていたのか。 それで何度も逃げたんだね…… もう逃さないよ? もうね。

だからさ…… もう、右足は要らないな?」


 薄暗い仄かな明りにさえ、ブラウンが握る大型ナイフの鋭さをギラギラとちらつかせていた。 慣れたようにクルクルと、ナイフで遊びながらリリアンの足元まで近づけてくる。

 リリアンはガチガチと歯を鳴らしながら、ブラウンに必死で許しを乞うた。


「ブ、ブラウン!…… ごめんなさい!! 許して!! お願い…… 今度こそ、ブラウンには逆らわないから! お願い! 」


「クク、リリアン…… もう何度も、許したじゃないか…… 我儘は、もう…… 終わりだよ? 」




 『赤の館』に、大絶叫が響き渡った!


 リリアンの部屋に、支配人や使用人達が雪崩れ込んでくる。




 そこには…… リリアンの血に塗れた、まだ温い、右足だけが残されていた。





最後まで読んでいただきありがとうございました。

とても嬉しいです。


これからもよろしくお願いします。

楽しく読んでいただけるように頑張ります。


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