◆ マリアンの惨死
元側妃マリアンは、ズルズルと処刑場に引きずられるように歩いた、
既に独房で過ごした一日で、マリアンの精神は力尽きようとしていたが、王家を謀った反逆罪として、見せしめのギロチン刑は必要な締め括りであった。
国中から民が集まったのかと思うほど、処刑場は異様な熱気で騒然としている。
マリアンは、他人事のように処刑場を見ていた。
なんの音も聞こえない。
心が動かない。
小さな石の礫が、マリアンの顔に当たった。
「…… えっ? 」
少し反応が遅れて、マリアンはぶつけた相手を探すために民衆の方に顔を向けたが、途端に沢山の石が投げつけられた。
民衆から怒号が聞こえる。
「裏切り者!」
「 」
「 」
「 」
最初の声だけは、耳に届き拾ったが、後の言葉は頭に入ってこなかった。
人々の口が動いて、何かを言っている事は分かるのに、マリアンの心が受け付けないのだ。
(もう、早く終わって…… 疲れちゃった…… )
マリアンは、まだ他人事だった。
身体中に投げつけられた石のせいで、血だらけになったマリアンが処刑場に到着すると、自慢のピンクブロンドの髪がバサリと切り落とされた。
首元がひんやりとする。
背中からゾワゾワと恐怖なのか、虚しさなのか、何かが迫り上がってくるのに抵抗するだけの気力が湧かない。
とうとうギロチン台に首を預けた。
目に飛び込んだのは、何かの塊。 先程処刑されたばかりの、ヨーク元公爵の頭だった。
(ヨー…… ク……? )
大きな桶の中に、胴体から離されたヨーク元公爵の悶絶した顔がそこにはあった。
「ひぃーー! 」
ここでマリアンは、凍りついていた心を取り戻してしまい、心底から黒い恐怖が湧き上がってきた。
「い…… いや! いや! 死にたくない! こわい! やめて! 」
急にバタバタと暴れるマリアンを、処刑人が押さえ込む。
「は、母上…… 」
ドクン!
そこに、アンドリューが現れた。
処刑人はマリアンを立たせ、アンドリューの正面に身体を向けさせた。
ドクン!
ドクン!
(母上…… )
今は周りの雑踏など耳に入らない。 自分の鼓動がうるさかった。 不思議と母マリアンの声にだけに、反応するかのようだった。
ドクン!
アンドリューの手には、鉄錆が鈍く光る重い剣が握られていた。
剣の鋒が地面を舐めている。
アンドリューは力無くマリアンを見つめて、なんとか声を絞り出そうとする。
ドクン!
(母上…… 心臓が痛いくらいうるさいです )
ドクン!
「母上…… 私は、貴女を…… 討たなければ、なりません…… 」
ドクン!
「どうして?…… どうして、アンドリューが…… 私を討つというの? 」
ドクン!
「母上は…… 父王…… 国王陛下を裏切り、民衆達を裏切り、私を裏切ったからです…… 母上を討たなければ、私の命が危ぶまれます 」
ドクン!
ドクン!
(耳に心臓の音がこびりつく )
黙って見ていた民衆は、これから起こる残忍な不幸に大歓声が沸き起こった。
いつまでもアンドリューの心臓を、けたたましく打ち付ける音…… その音は段々と速くなっていた。
ドクン!
ドクン!
マリアンはカクンと下を向くと肩を震わせた。
「ふふ…… はは…… あははははは…… はあ…… やはり、貴方は私の子だわ! 最後は自分が可愛いと思う所まで、私にそっくりよ! いいわ! 殺しなさいよ! 」
ドクン!
アンドリューはたった1日で、衰え醜くなった母を見て、自分の考えの浅はかさを再認識する事が出来た……
ドクン!
(美しいは…… 正義じゃなかった )
ドクン!
(だが…… 全てが遅かった…… )
ドクン!
「どうしたの? 早く殺しなさい? 最後まで弱虫で、馬鹿な木偶の坊なのかしら? 」
ドクン!
マリアンの皮肉は終わらない。
ドクン!
(それでも母上は、あなただけだ )
ドクン!
アンドリュー……
私のせいで……
本当は怖がりなのに
私を殺さなくちゃ、アンドリューも死んじゃう! 殺されてしまう!
ああ…… やっぱり私は馬鹿だ
今頃、小さかった頃の…… 赤ちゃんだったアンドリューの暖かさを思い出した!
母としての小さな矜持が、私にもあったなんてね……
本当に皮肉
本当に馬鹿
本当の最期にやっと分かるなんて……
さあ、アンドリューお別れよ……
ドクン!
ドクン!
(ああ…… 母上…… 怖いよ )
ドクン!
ドクン!
それからマリアンは、口元をひん曲げると宛ら舞台女優のように両手を広げて大きく笑いながら、アンドリューを罵った。
「アンドリュー! 貴方なんかに、私を殺せるの!?」
ドクン!
ドクン!ドクドクドク!
(ああああ…… 母上…… )
ドドドドドドドド!!!
「貴方は本当に! 昔からただのお人形さんで! 口先だけのお子ちゃまだっ……
(母上!!!………… )
ドン!!
…………た……」
ズバッッー--!
アンドリューの剣は、マリアンの首を一瞬で刎ねた。
うおおおおおおおおーーーー!!!
民衆達の、沸き立つ歓声が轟き、地面を大きく揺らした!
はあ… はあ… はあ… はあ……
剣が血を吸い、重さを増す。
だからなのか……
ガタガタと震えて、落としてしまった…… 剣。
手の震えは、身体中の震えに変わった。
自分の身体を抱きしめ、膝から崩れ落ちた。 涙が、止めどなく流れ落ちる。 放心状態のアンドリューから漏れ出た声。
「は、母上…… 」
化粧をしていないマリアンの顔は、老けていた。 でも最後にやっと、母らしくなれた安堵からか、口元に微かな笑みを作っていた。
「母上!!
うわあああぁぁぁぁ、、、、、!」
気付くのに…… 余りに多くの犠牲を払ったアンドリュー。
その手の中に確かにあった、大きな幸せをアンドリューは、知ろうとしなかった。
いくら操り人形だったとしても、奥底には誰の手にも触れられない、小さな意志を持つ心があった筈なのだ。
周りには、確かにアンドリューの味方がいたはずなのに。 都合の良い言葉だけを拾ったアンドリューには、その最奥の心まで味方の思いは届かなかった。
失ってしまった……
知ろうとしなかった幸せは、もう取り戻せない。
約束通りアンドリューは、生かされるだろう……。
だが皮肉な事に、あまりにも目立つ美しさが、虐げられた民衆達の記憶に色濃く残ってしまった。
-- あいつは、俺達を虐げたヨークの後ろ盾で生き、マリアンが不貞をして出来た息子だと……
力無くうずくまるアンドリューを、ポートリアの護衛がその場から連行した。
集まった民衆達へは、アンドリューが毒を賜り死んだのだと告げられると、処刑場は歓声と大きな拍手に包まれた。
それからアンドリューは、知る由もない小さな小屋へと連れられた。
そこは昔…… 王妃と王太子が偽装の馬車転落事故の後に、一時的に匿われた場所だった。
長く使われていなかった小屋は朽ちかけて、今も隙間風で体温が奪われていった。
新たな宰相となったポートリア公爵アウデオが、元王族としては見る影もなくなったアンドリューに話しかけた。
「良いのだな? 」
アンドリューは、呆然と頷いた。
「この毒では、死にはしない。 しかし髪の色も、瞳の色も、全てを黒く染めてしまうだろう。 喉も焼き、美しく澄んだ声はダミ声になり、少し聞き取りづらくもなるだろう…… だが、お前はその姿でこれからを生きなさい。 今まで受けた恩を思い返し、償う日々を送るのだ。 死ぬなどという甘い考えは捨てろ! 良いな? 」
アンドリューは、それが返事だと言わんばかりに、目の前の毒を一気に呷った。
喉が焼ける……
「あ"あ"…… 」
目の前が漆黒に染まり、浅い息を繰り返す事しか出来なかった。
ハッ、ハッ、ハッ、ハッ……
目の奥に、突如激しい痛みと熱で血の涙が流れた。 そして猛烈な痛みが、頭皮をビリビリと包み込んだ。
片手で自分の喉元を押さえて、もう片手で髪を分け頭皮を掻きむしった。
アンドリューは、耐え難い痛みで我慢の限界を超え、とうとう意識を手放してしまった。
後から後から血の涙が止まらない……
「は…… 母上…… 」
どれくらいの時間が過ぎたのか……
アンドリューの意識がぼんやりと浮き上がる頃、足下で小さな話し声が聞こえてきた。
「どうだ? 状態は? 」
「はっ! まだ意識は戻りませんが、見た目はどうにか誤魔化せたようです。 瞳と髪色だけを変える筈が、顔にも少し火傷のような痕が残ってしまいました 」
そこまで話を聞いた男は、アンドリューの顔にそっと手を触れた。
前髪をかき上げると、額から左の目元まで引き攣るような痕が確かにあった。
「アンドリュー…… お前もある意味、被害者だったのだろう…… だが…… いや、もうよそう…… 」
男はアンドリューから手を離し、付き添っていたもう一人の男に言った。
「こいつは勉学が出来たのだ。 だがこの王国に、こいつの居場所は無いのだろう。 ギャラクの…… かの国になら、髪色も瞳の色も馴染むだろうか? そうだな、言葉も問題ない…… 新天地として最適であろう…… もう、アンドリューと言う名は要らぬな…… 」
そこで男は暫し考え込むと
「ギャラクの国なら…… そうだな……
『クラルス』…… 『クラルス』と。
清浄な明るい未来が訪れるように……
後は頼む」
そう言い残し、男は去って行った。
一旦浮きかけた意識の中で、アンドリューは血の繋がらない父王の優しい手を忘れてはいけないのだと 心に固く誓ったのだった。
今回は少し苦しく残酷なお話だったかも知れません。《ドクン》という心臓の音はアンドリューともマリアンともどちらとも取れるように書いたのですが伝わったでしょうか。
これからも楽しく読んでいただけるように頑張ります。
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