◆ シンシアの望まない婚約
エドがその日の夜には、ポートリア公爵領を飛び立っていた。
「エドが…行ってしまった……」
呆然とするシンシアだが、王城に行く日は待ってくれない。
たった一週間後にシンシアは、王太子妃試験を難なくこなし、アンドリュー王太子との婚約が正式に結ばれた。
シンシアは最近、デビュタントをして王城に出入りをするようになり、城の見取り図こそ頭に入ってはいるが、まだすべての広さを掴みきれずにいた。
また、アンドリュー王太子に直接会うのもほぼ初めての中、広い応接間で少しばかり緊張して待っていた。
(噂通りの方かしら…… )
そこに侍従を連れて現れたアンドリューは、眩く光るピンク色の髪と薄い水色の瞳はピカピカと陽の光で色を変える…… 確かに美しい人ではあった。
だがぞんざいな態度で、人を見下す話し声が全てを台無しにした。
「お前か? 三番目の婚約者は? 」
「はい。 そのようですね 」
「なに!? 」
シンシアの態度は、アンドリューを怒らすには充分であった。
「 この前の、デブで無いだけマシだが…… 私の前で、媚び諂う事も出来ない馬鹿では、婚約者は務まらないぞ!」
シンシアは、アンドリューの怒る態度に呆れながらも様子を見る事にした。
「お前は美しくないな。 少しは母上のように努力したらどうだ? 」
「努力ですか? 」
(あの、おねだりだけは得意な側妃に似る努力ねぇ…… )
「そうだ、母上の美しさの半分もないお前は、美しくなる様に努力でもしたらどうだ! 」
シンシアは心理戦なら御手のものだが、アンドリュー王太子に媚びる気持ちには、到底ならなかった。
( 美しさって…… )
「 王太子妃は、美しさ以外にも…… 大切な事がありますわ 」
「 何!? お前は先程から何だ! 私に歯向かうのか!」
アンドリューは激昂して、手元にあった注がれた紅茶のカップを投げつけた。
「つっ……… 」
熱い紅茶が、シンシアの手元を赤くした。
すると、シンシアの手元をすかさず、冷たいハンカチが覆った。
(えっ?)
「おい!余計な事をするな!エド!」
( えっ!? エド………!?)
そこには、シンシアの知っている… 赤黄金色の髪では無く、真っ黒な長い前髪で完全に目元を隠した侍従がいた。
「アンドリュー様、公爵令嬢に火傷を負わせたら、貴方すぐに廃嫡ですよ?馬鹿ですか?」
「お前は口が悪い!私に指図するな!」
「私の口の悪さは国王陛下より許可をいただいています。それより、すぐに令嬢に謝ってください 」
「くっ! 何故、私が… 」
アンドリューはシンシアを睨みつけ、命令をした。
「 いやだ! シンシアと言ったか? もうお前の顔など見たくない! 早く帰れ 」
「 分かりました。それでは、失礼いたします」
シンシアは動揺を隠しつつ、静かにカーテシーをして部屋を出た。
城の廊下をヨロヨロと歩きながら、シンシアは混乱していた。
( あの侍従は、絶対にエドだわ……どうして?)
王城の出口へ向かいながら歩いているシンシアに、肩を叩く者がいた。
今は亡き父の弟、ポートリア次期公爵のアウデオだった。
どうやら、シンシアを待っていてくれた様だった。
「おじ様……わざわざ、ありがとうございます」
アウデオは火傷をしたシンシアの手を見ると、眉間に皺を寄せた。
「あの馬鹿は…… ころ……」
「お、おじ様。それ以上は、駄目ですよ。私は大丈夫です。それより、エドが…… 」
そこまで言って、シンシアも口籠る。
「もしかして、私に何か… 隠しているのですね。それも言えない事を…… 」
アウデオはニヤリと笑って、一つ一つ確認でもするかの様に…… シンシアに言って聞かせた。
「良いね。流石は、我がポートリア公爵家の血を受け継ぐ娘だ。 だがそうだね…… ただ、ひとつだけは言っておこうか…… シンシアは、普段通りに過ごしなさい。 発言なんか何も遠慮する事は無い。 それで起こる事は全て、あいつが何とかするから 」
訝しげにシンシアは、アウデオを見た。
「 では、おじ様…… 私は、王太子様を特に敬う事もせず、思う通りに過ごせば良いのですか?」
「そうだ、それで良い。シンシアなら、常識の範囲内で事を収めるだろ?」
アウデオは、賢いシンシアの背中を軽くポンポンと叩いて安心させてくれた。
その頃、エドはアンドリューを嗜めていた。
「 何故、謝らなかったのです? 小さな子供でも出来る事を。嘆かわしい 」
「 私は王太子だ! 何故爵位も下の……それも女に謝らなければならない?」
アンドリューは常日頃、このエドと言う側近侍従が気に入らなかった。
(くそ! 父王からの命令でなければ、とっくに首を切っていたのに! )
エドの声には、鋭さが増す。
「 公爵令嬢は、この王国貴族ではヨーク公爵の次に大きな爵位ですよ。 国王が… 令嬢の火傷を知ったら、貴方はどうなりますかね?」
そこで初めて、アンドリューはブルッと震えた。
「 エド! 絶対に言うなよ! 言ったら、タダではおかないからな!」
「 は? それが人に、物を頼む態度ですか?
それに私が言わなくても、令嬢が国王に言ったら終わりでしょ?」
シンシアに口止めしなかった事を、アンドリューは後悔した。
「ちっ!くそ!」
「アンドリュー様も、大概お口が悪いですね」
アンドリューに怒りの眼差しを向けるも、隠れた前髪が幸いしたエドだった。
その晩、アンドリューからシンシア宛に手紙が届いた。
ただ一言。
【火傷の事は、国王陛下には言うなよ】
それを見たシンシアは
(こいつは馬鹿だ)
口に出さずにそっと封筒に戻す。
ここからアンドリュー王太子はシンシアにとっては『お馬鹿決定』である。
私付きのリナとエナがお祖父様からのお呼び出しを知らせてくれた。
居室で待つお祖父様は私を見ると、フッと目元を緩めて優しく笑った。
「 こうして見ると、シンシアも大きくなったな。 さあ、こっちにおいで 」
お祖父様が大きな腕を広げて待っている。
私は嬉しくなって、お祖父様の胸に飛び込んだ。
何度も慰められてきた、優しい腕の中で… 私はポツリと呟いた。
「 お祖父様…… エドがいました… 」
「 うん、そうだな 」
「 お祖父様…… エドは、何をしているのですか?」
「 うん、そうだな 」
「 お祖父様…… 何か、私に… エドの手伝いが出来ますか?」
「 うん、そうだな 」
「 お祖父様…… 」
私はお祖父様の腕の中から身体を起こして、じっと見つめる。
「 そろそろ要件を……… 」
お祖父様は辛そうに、私の頬を撫でた。
「 まだ、シンシアには… これほど大きな任務など就かせたく無かったよ。 だが、エドが絡む事にお前を外しては…… この爺さんは余計に嫌われてしまうだろう?」
シンシアは、お祖父様の深い愛情が嬉しくなった。
「お祖父様…… 私の気持ちを慮ってくれて、ありがとうございます。 エドに関する事なら、私は余計にやらなくては駄目なのです」
今度はシンシアの頭を優しく撫でながら
「ああ、分かっている。 それでは…… まずは、エドの事から話そうか。 今のシンシアなら理解できるだろう 」
「 …… エドがいないところで、私が聞いても大丈夫なのでしょうか?」
「 問題ない。 エドからも…… その時が来たら、話しても良いと言われているからね。
うーん………
だが………
その………
シンシアは………
えーと、…… 閨の事は………?」
お祖父様の言い難そうな顔を見て
「 最近、お祖母様から… 一通りは聞いたので、遠慮せずどうぞお話しください 」
寧ろ清々しく返答した。
「そ、そ、そうか…… では…… 」
(この手の話は、女孫には話しづらいものだな…… )
お祖父様はシンシアを膝に乗せ、ゆっくりと話し始める。
シンシアは、エドの悲しい過去を受け止めようと… 話を聞く事に集中した。
最後まで読んでいただき感謝です!
もう一時間後に一話投稿します。
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