第一話 弟です
パネルごしにボクと「父親違いの姉」は見つめあってる。三密です!と立ち上がって叫びたいほど狭い店に「とりあえずやっときましょか」と適当に立てられたプラスチックのパネルがある、喫茶店。
周囲のおっちゃん、おばちゃんは、ほんまコロナでアカンわーとやいやいうるさい。あごマスクで喋るな、マスクせぇ。
コロナ禍に一番来たくなかった、地域密着型の喫茶店「コメット」。
ランチメニューに「焼きそば」「おでん」がある定食屋とコラボしてるやん、メニュー渋滞系の喫茶店。地元にコミットしすぎでカウンターでは誰が店員で誰が客かわからん。おっさん、勝手にテレビのチャンネル変えるな。
異父姉は、ボクを見つめて、ちゅーーーとミックスジュースを飲んでいる。やたらでかいグラスにそそがれたジュースはみるみるうちに減っていく。
目が離せない。
早くここから出たい。
こんなとこ、異父姉の「菜々子さん」に出会わなければ入らない。いや、入って「しまった」。
ボクはなぜ、異父姉に会おうと思った。
初対面で「弟です」と名乗り出たら姉は泣いてボクの手を握って、ノット・ソーシャルディスタンスなこの喫茶店に連れてきた。
初めて会ったのに手を握ってきたことも嫌、名乗り出たら号泣されたんも恥ずかしかった。ボクが嫌いなタイプの女。
なのに、目が離せない。
向こうもこっちをじっと見ている。
つまり見つめあってる。いや、この状況は気持ち悪いな。
ボクが目を伏せると、姉も目を伏せた。
タイミング、ばっちりやん。これが血の繋がりってやつ?
寒気がした。ボクは首をすくめた。そしてまた目が相手に惹き付けられる。唇をとんがらせてストローくわえてる。さっき号泣してメイク落としシートで化粧落としてきたから、すっぴん。35歳にしては肌は白くてきれいやと思う、そこはボクに似ている。
奥二重でわりと目がくりってしていて鼻も目も小さい、日本人形みたいな童顔だ。ボクと同じく顔が小さい。でもボクのほうが顔はかわいいしスタイルもいい。彼女は糖分多いミックスジュース飲まん方がいいと思う。
っていうか人の顔見ながらチューチューストロー吸ってる顔がムカつく。
ボクはまずいホットコーヒーをなんとか飲みきって、すぐマスクをする。
「びっくりしたわ。ほんまに、うちに父親違いの弟がおったわ。しかもやで、もう店閉めなあかん、明日っから無職という人生最大のピンチの時に」
一気にミックスジュースを飲み干した女が言う。声がでかいしめっちゃ喋るな。区切れよ。
「こっちがびっくりしましたよ」
ボクは何がとは言わない。まぁボクも、働いている店に押しかけていきなり「あなたの弟です」は驚くだろう。しかも母親が死んだとか理由も何も無い。ただ会いに来てしまった。
好奇心で。というのもボクは自分が書いた昔の記事を読み漁っていた。スランプを克服しようとしていた。そしてファッション雑誌に載っている異父姉を見つけた。父さんは母親が産んで置いてきた娘を、母親以上に心配して探偵を雇って幸せに暮らしているか調べていたのだ。
調査結果と姉の写真を、父さんは肺がんで死ぬ直前に渡してきた。気が向いたら会いに行ってほしい、私は会いに行く勇気がなかった、困っていたら遺産を分けてやってくれと。父さんは気持ちの優しい人だが臆病でもあった。
そんなこと言われても。
というのが、その時のボクの感想。
2年前、25歳で喪主務めたボクは健気できっと美しい未亡人みたいな雰囲気をかもしだしていたのだろう。縁の薄い親戚のおっさんや父の友人がやたら心配して気遣ってくれた。ボクはそこに思いっきり甘えて、あらゆる作業をやってもらった。
ボクは末期がんで死んでいく父さんとたくさん話をしたし、死を受け入れる覚悟が出来ていた。父さんの死に顔が安らかでよかった。
母親が再婚だったこと、娘がいたことなんていうのは、寝耳に水。アル中で酒ばっか飲んでソファーで寝てた母親の記憶しかない。
母親はボクが7才の時に消えた。
それから父と息子、お手伝いさんと家庭教師とでボクは何不自由なく育った。
母親がいなくて寂しいと感じたことはあまりない。ああ、うちの家はなんか他とは違うな、程度やのに家庭事情話したら過度に同情してくる奴が一番嫌い。
父さんが書き残した姉の情報によると、彼女が2、3才の時に離婚している。母親の記憶はないだろう。
姉はまだ、ボクの顔をじろじろ見ている。
「キミは母親似なん?」
そして出し抜けに質問を投げてくる。
例がないのでわからないけど、例え血が繋がっているとしてもいきなり懐全開の態度を取るもんかな。
「ええ、まあ、そうですけど」
「そうか……うちのお母さんってこんな顔やったんや……」
姉がぐっと身を乗り出して、ボクの頬に触れようとした。ボクはカップを持ち上げて、その手のひらにストローを刺した。
痛いなぁ、と大げさに姉が言う。
「近いです、いきなり。顔に触られるのは嫌いです」
ボクは頬杖をついて、顔を背ける。
「お高く止まってるイケメンくんやな。あのさ、敬語で話さんくてもええやん?」
「お高く止まってる美形なのは認めます。でも敬語がどうとかは、ボクの勝手です」
マジか、これがボクの腹違いの姉か。
大阪の中でもヤンキーがおる土地出身やから、育ちの違いは覚悟してたけど、あまりにもなんて言うか、がさつ。
35歳やからもっと大人で落ち着いている人と想像してたのに。まぁ古着屋紹介の店員として雑誌に載ってる写真のドヤ顔笑顔で、だいたいの性格は予測してたけども。
ボブカットの赤っぽい茶髪で、両耳合わせて5個もシルバーのフープピアスをつけている。マットな質感の黒の革ジャンにダメージジーンズ、黒コンバース。首にはハートのついたチョーカーをつけている。
革ジャンはいいのを着ているな、と思った。そこは認める。
「それでさ」
「はい」
「これからどうする? うちは18時には仕事終わるけど。とりあえずLINE交換しよか」
姉がそう言ってスマホをボクに向けた。
ぐいぐいくるな。
「え……はい、そうですね」
ボクもポケットからスマホを出すと、姉はほっとした笑顔を見せた。その笑い方は案外、かわいい。
これから、か。
ボクはなぜ姉に会いに来たのか?
生活に困ってるかもしれないから?
ドンピシャ無職なりはるみたいやけど。
父親の遺産って異父姉が受け取る権利あったっけ? いや、他人やしやな。
感染病で世界が変わりそうだから?
これから。
ボクはほんまになぜ父親違いの姉というややこしい存在に逢いに来たのだろう。
「フルフルで交換しよ」
姉がスマホを左右に振った。ふわふわした猫耳つきのスマホケース、ムカつく。
「その機能、もうないです」
「え?」
間抜けな顔。ほんまなんか、嫌いなタイプ。ボクは姉とLINE交換をした。アイコンは猫。キジトラのこの猫はかわいい。
「じゃあ、仕事終わったら連絡するからごはんでも行こうや」
もう誘ってきたで。
「はぁ……まぁ、いいですけど」
姉が嬉しそうな顔をする。
笑い方はちょっと好き。ちょっとやけど。




