執着 〜 光川まろびリターンズ 〜
『片想い 〜 小説家になりおで知った大好きなひと 〜』の続編ホラーです
気づくとなんだか赤黒い世界にいました。溶岩の煮えたぎるような色に包まれながら、でも熱くはない。むしろ寒さで凍えてしまいそうな、そんな場所でした。
「ここは……どこ?」
私が誰に聞くでもなくそう呟くと、答えてくれる声がありました。
「光川……まろび、だな?」
野太いその声に振り向くと、閻魔大王様が座ってらっしゃいました。間違いない、昔に絵本で見た通りの、あのお姿だもの。
──と、いうことは、ここは地獄?
心で呟いた声が聞こえたかのように、閻魔様が説明してくださいました。
「ここは天国でも地獄でもない。死者をどちらに送るかをこのワシが決するところじゃ。そして……よかったな、光川まろびよ。おまえは善いことをしたとの報告を受けておる。一人の若者を人気作家に育て上げたそうだな」
「一人の……若者?」
その一言で思い出したのです。
「あ……、ハヤオくん!」
そう。小説投稿サイト『小説家になりお』で知り合った、私の愛しいひと。
一緒に死んでここへ来る筈だったのに……あのひと、しくじったのね?
でも、私があのひとを人気作家に? 育て上げた?
嬉しい! 現世では、私の愛したあの人が、私の尽力のお陰で、人気作家に育っているのね!?
閻魔様のお言葉なんて耳にも入らないほど私は舞い上がってしまいました。でも、次の言葉だけははっきりと聞こえました。
「光川まろび。天国行きじゃ。そこの道へ入って成仏せよ」
「お断りします」
「なんじゃと?」
「人気作家になっているあのひとを見たい……。それに何より私があのひとの側についていてあげないと。私はあのひとにとって幸運の女神。天国なんかへ行かずに、現世へ戻ってあのひとの側にいたい」
「それはつまり幽霊になるということだぞ? 良いのか?」
「無論です」
「物好きだな」
閻魔様は呆れた顔をしながらも、私の望みを叶えてくださいました。
「未練があるのならそれは晴らさねばなるまい。わかった、おまえを浮遊霊として、現世へ帰そう。思いを遂げたら成仏するのだぞ?」
「らじゃ!」
私はとっても張り切りながら、現世へと戻ったのです。
私は光川まろび。ほんとうはそれはペンネームで本名はべつにあるけどそれが私のアイデンティティ。
享年45歳。小説投稿サイト『小説家になりお』に趣味でロマンチック小説を投稿していた時、彼と知り合い、その彼と心中しようとして、私だけ死んじゃったのでした。
彼の名前は山田駿くん。知り合った時はまだ20歳代前半の大学生でした。
『なりお』で彼の才能を発見した時、私は感動したわ。SFは人気のあまりないジャンルだったけど、たまたま彼が投稿したその小説を読んで、『この人は……来る!』と直感したの。
住んでいるのが同じ町だと知って、彼と春の日の公園で会いました。彼はとても爽やかだけどオタッキーな感じの青年で、いかにも趣味にうるさそうなところに私、たちまち恋に落ちてしまったのです。
その時、私は決めました。
一生、このひとを応援し、支えていこうと。
ええ。死んでからもその気持ちはまったく変わっていません。
死んですぐだと思っていたけど現世では時間が経っていたようです。彼はあの血まみれになった安アパートではなく、高級マンションの一室に移り住んでいました。
年齢も20歳代前半だったのが30歳手前ぐらいの、立派なイケメンに育っています。でも小うるさそうなオタクっぽい感じは変わってない。私のために変えずにいてくれたのね? 私は嬉しくなりました。
人気作家となった今では『小説家になりお』に投稿はしていないようで、パソコン画面にあの懐かしいトップページが表示されることはありませんでした。
ずっとワープロソフトに文字を打ち込んでいる彼。たまに資料を検索しているのか、セクシーな若い女の画像が画面に現れるぐらいです。
『懐かしいあの画面を……二人が出会うきっかけになったあの画面を、一緒に見ましょうよ』
そう背後から囁きながら、彼がキーボードから手を離した隙に、私は検索エンジンから『小説家になりお』のトップページを開きました。
彼が小さく悲鳴をあげました。
意外なことに喜びの悲鳴ではないようでした。
きょろきょろと部屋を見回すので、彼に姿を見てもらいたくて、いちいちその視線の先に私は移動しましたが、現世の人間に私の姿は見えないようです。やがて彼が独り言を呟いただけでした。
「な……、なぜ画面が勝手に切り替わったんだ」
「私が見えないのね? くすっ」
私は彼のすぐ耳元で囁きました。
「懐かしいでしょう? ここからあなたは世界へ飛び立ったのよ。今は人気作家になったのね? ここがあなたの原点。そして私とあなたが出会った場所よ」
「何かにうっかり手が触れちゃったのかな」
彼は科学的小説つまりはSFの作家なので幽霊を信じないようでした。
「それとも何か……オカルト的なものが? ……これは小説のネタになりそうだな」
素敵。科学的頭脳をもちながらオカルトも大好きな彼だから、私は好きになったの。
彼が回転椅子から立ち上がりました。
お洒落なワークスペースを離れ、キッチンのほうへ歩いていきます。
キッチンに行くと冷蔵庫を開け、カレー用の牛肉を取り出しました。タマネギとニンジン、ジャガイモも用意したので、カレーを作るらしいことは間違いありません。
トントンと軽快な包丁音を鳴らし、野菜を切りはじめました。お料理できるんだ? 知らなかった。家事の出来る男の人って素敵!
でも少しだけ不器用ね。見ていられないわ。包丁で指とか切ってしまったら大変。キーボードが打てなくなるじゃない。私は彼の背中にぴったりくっつくと、彼の両手を優しく取り、私のお料理スキルで手助けをしてあげました。
出来上がりつつあるものの姿をお鍋の中に見ながら、彼が声を漏らしました。
「な……、なぜ肉じゃがを作ってしまったんだ……?」
ふふ。懐かしいでしょう? あなたを応援したくて、私がいつも作って持っていってあげていた肉じゃがよ? これを食べて栄養をつけて、素晴らしい小説をあなたに書いてほしいの。
「つかれてるのかな……」
カレー皿に盛った白いご飯に肉じゃがをかけ、キッチンテーブルで口に運びながら、彼が首を振りました。
どう? 久しぶりに味わうでしょう? 私の特製の肉じゃがのお味は?
でも彼はなんだか嫌なものを思い出すような顔をしながら、無言で肉じゃがライスを食べ終わりました。あん……もう! あなたにとって忘れられない味のはずよ?
食事を終えて立ち上がると、流し台へ持っていこうとしていた食器を、彼が勢いよく手から放しました。
床に銀のスプーンがぶつかる音と、カレー皿が砕け散る音が激しく鳴り響き、正面にあった姿見に、彼の怯えた顔が映し出されていました。薄暗く照度を落とした照明の下で、その背後には、立って笑っている私の顔も映っていました。
「ひ……、光川まろび!」
嬉しい。彼が私の名を呼んでくれた。
「す……、すまなかった! ごめんなさい!」
私と一緒に死ねなかったことをすまなく思ってくれているのね。べつにいいのに。人間万事塞翁が馬。その災いが転じてあなたを有名作家にしたんですもの。
どうやら生きている人間の目にも、鏡に映る私の姿なら見えるようです。
彼は私との再会を喜びまくるようにガクガクと震えると、その喜びを抑えきれなかったのか、いけないクスリでも打った人のように、大きな声をあげながら外へ飛び出していってしまいました。もぉ……、照れ屋さんなんだから。
ドアの外から振り絞るような彼の声が聞こえました。
「た……、頼む! 成仏してくれえっ!」
ふふふ……。するわけがないでしょう。
幽霊は現世への執着がなくなるまでは、成仏するわけにはいかないの。
どれどれ。今書いてる小説はどんなのかな? あれからまた成長した?
私がこの世に戻ってきたのは、もちろん最愛の彼と一緒にいたいからだったけれど、大好きな彼の小説をまた読みたかったからでもありました。書きかけの作品がパソコン画面に晒されていました。私はワープロソフト上で、それを読みはじめました。
……何、これ。
これがハヤオくんの今の小説なの?
まるで日和ってて、まるでどこかで見たことがあるような……万人に迎合した商業小説のような、こんな腑抜けた作品がハヤオくんの今の小説だというの!?
私が好きだったあなたは、もっと尖っていたはずよ! 自分の好きなものを好きに書いて、わかるやつだけわかればいいみたいな、そんなカッコいいSFオタクだったからこそ、私は好きになったのよ!
ダメだ……こんなの。
こんなの……ハヤオくんじゃない。
執着がなくなったら私は成仏しないといけない。
でも……放っておけないわ。
私があなたを、あの時のような、光り輝くような才能に溢れた駆け出しの尖った『なりお作家』に戻してあげないと!
肉じゃがの残りを小鉢に取り、靴が挟まって半開きになっていた玄関のドアから外へ出ると、彼の姿はありませんでした。町外れのぽっかり空いたような空気と、遠くの車の喧騒が聞こえているだけでした。
彼に私の姿は見えない。
でもこの小鉢を持っていれば、そこに私がいることがわかるでしょう。
どこまでもあなたを追いかけるわ。
どこまでもあなたを追いかけるの、ハヤオくん。
だって私はあなたを見つけた最初の読者だもん。あなたのことを世界一支えてあげたいと思っているファンだもの。
あなたを名実とも立派な作家に育て上げるのが私の使命。
それが叶わないなら一緒に地獄へでも行きましょう。
どこ? ハヤオくん。
どこに行ったの?
肉じゃがを持ってどこまでも追いかけてあげる。




