エメラルドグリーンのきみ
悲恋
毎晩、彼女はきまって0時に現れる。
ぼくは10分前からノートパソコンを開いて待っている。彼女が文字を現すその時を。
深夜の空気は、しんとしていて、一人の部屋の孤独を一層濃くさせる。
何かの電気音が低くずっと響いているのを聞きながら、ぼくはデジタル時計の文字が59から00に変わる瞬間を見守る。
秒数55、56、57、58……
59──
彼女が現れた。
予約投稿なのだろう。毎晩0時きっかりに、ミア・オトルギさんの連載小説『あなたを助けてあげたい』は投稿される。
彼女は小説投稿サイト『小説家になりお』上のweb小説家。書籍化はしていない、知る人ぞ知る人気作家だ。約一ヶ月前に突然現れて、あっという間に多くのファンがついた、今ひそかに話題の人だ。
いつも通りの、彼女独特の画面レイアウトにぼくは、いつもながらうっとりとなってしまう。
鮮やかなエメラルドグリーンの背景に白抜き文字。おそらくはHTMLを使ったカスタム設定なのだろう。他にこんな背景色を使った『なりお』のページをぼくは知らない。
人によっては見にくいなどと言いそうだが、ぼくにとってはこのエメラルドグリーンの背景こそが彼女の証であり、ぼくを虜にさせている大きな要因のひとつとなっていた。
「こんばんは、トルコ石さん」
ミアさんがぼくに話しかけてきた。
いつものようにぼくは笑顔になって、彼女にメッセージを返す。
「こんばんは、ミアさん。今日も投稿ありがとうございます。楽しみにしていました。早速読ませていただきますね!(^^)」
小説投稿サイト『小説家になりお』には、作家とファンを繋げるため、個人間でメッセージのやり取りが出来る機能がある。
彼女は小説を書く専門の、いわゆる『書き専』。ぼくは読むことが専門の、いわゆる『読み専』。ログインユーザー限定だが、作家どうし、あるいは作家とファンの間で個人的な交流が可能なのだ。
ぼくは彼女が投稿した連載小説の最新部分を夢中になって読んだ。
いつも通り素晴らしかった。他人の心が見える少女が主人公のSF小説なのだが、これが不思議な力をもっている。
主人公の相手役として登場する『透』という大学生の男がぼくにとてもよく似ていて──いや、まるでぼくそのものなのだ。
ぼくの本名は『秀一』で、年齢は31歳と、プロフィールはまったく違うのだが、ちょうどその時ぼくが悩んでいるようなことを『透』も悩んでいて、『透』と同じような過去をぼくももっていた。
「今回もびっくりしましたよ」
ぼくはミアさんに文字で話しかける。
「主人公と同じで、このまま一生彼女もなく、結婚も出来ずに終わるのかなと考えると、毎晩寝る前に消えたくなるんです。とても共感して、ミアさんの書いた結末にいつものように救われた感じがしました」
「自分に自信をもってくださいね」
ミアさんのメッセージはエメラルドグリーンの背景を伴ってぼくに届けられる。
「トルコ石さんがとても心の綺麗な方だということは私がよく知っています。心は目に見えないからなかなか見つけてもらえないけれど、必ずいつか、見つけてくれる女性は現れますよ」
もう見つけてもらってる。ぼくは強くそう思った。
エメラルドグリーンのきみ。きみがぼくをもう見つけてくれている。
ぼくはきみなんかに比べたら輝きのない、くすんだ緑色。だから自分に『トルコ石』なんてハンドルネームをつけたんだ。
でもぼくのこの気持ちは宝石なんだ。12月の誕生石。きみの誕生日が12月21日だと知った日につけたハンドルネームだ。
「主人公は最後に、いつも自分を見ていてくれていた女性を知ることが出来ましたけど──」
ぼくは彼女に聞いた。
「ぼくにも……そんな女性が身近にいるんですかね」
「きっといます」
彼女は言った。
「神様がいつもどこかから見てくださっているように、自信をもって正しいことをしている人には、必ずどこかから見てくれている人がいるはずですからね」
「ありがとう(^^)」
ぼくは心にもないことを言った。
「いつかそんなひとを見つけられたらいいな」
エメラルドグリーンのきみ。
きみはまるできみの書いた小説の主人公の少女のように、ぼくの心が見えてでもいるかのように、ぼくのことをわかってくれる。
でも、なぜ、ぼくのこの切ない気持ちだけはわかってくれないんだい?
それともほんとうはわかってて、気づいていないフリをしているだけなの?
彼女のプロフィールは誰も知らない。年齢も、どこに住んでいるのかも。
きっと20歳代後半の、理智的な女性だろう。ぼくは勝手にそんなイメージをしている。
学生というには落ち着きがあって、熟女というには守ってあげたくなるようなか弱さがある。
きみのことが知りたい。
出来ることなら、きみに触れたい。
そう思いながらぼくは何も出来ずにいる。
ああ……。こんな魅力的な女性、身近にはけっしていない。いるものか。
でもぼくらは、ただパソコンの画面越しに、ただ白いフォントの文字で会話が出来るのみだった。
「ミアさんの小説を読んだお陰で、今夜も気持ちよく眠れそうです」
「よかったです。明日も早いんですか?」
「電車通勤で片道二時間近くかかりますからね。5時起きです(^^)」
「もう0時半前ですよ? 5時間も眠れない……」
「いいんです。ミアさんの小説を読まないとどうせ眠れないから(^o^)」
「予約投稿の時間をもう少し早く出来ればいいんですが……。理由あってそれが出来ないんです。ごめんなさい」
「もちろんぼくの都合に合わせてくれなんてことは言いませんよ。ミアさんにも生活があるのに(^.^;」
「ほんとうにごめんなさい」
「謝らないで。ミアさんが悪いことをしてるみたいになっちゃう」
「でも……」
「気にしないでください。ミアさんはぼくのために書いてるんじゃないんだから。ミアさんは、みんなのものなんだから」
「いいえ。私はトルコ石さんのものです」
「え?」
「私、トルコ石さんのために書いているんです。あなたのお話をいつも聞かせてもらって、あなたの心を慰めようと思って書いています」
「あ……」
そうか。彼女はいつもぼくの他愛ない話を聞いてくれる。
その日あった出来事を、ぼくはいつも彼女に文字を通して伝えていた。それに対して彼女は適当な反応を返してくれていた。
ぼくは話し出すと止まらなかった。つまらない話を聞かせてしまっているなといつも恥じ入っていたが、ミアさんはちゃんと聞いてくれていたんだ。
それどころか、ぼくの話をタネに小説を書いて、ぼくに読ませるためにそれを投稿してくれていたのだ。
道理で主人公が自分に似ていたわけだ。
でも、うぬぼれちゃいけない。
彼女のその気持ちは、けっして恋などではない。
ぼくの気持ちはとっくに恋している。でもミアさんはぼくに恋してくれているわけではない。ただ、ぼくの話を小説のアイデアの元にしているだけだろう。
それとも、うぬぼれてもいいのだろうか。
彼女の心の中に、ぼくがいるのだと、信じてもいいのだろうか。
そんなことを考えていると、彼女が言い出した。
「それではおやすみなさい。じゅうぶんな睡眠をとってくださいね」
『あ……』
ぼくはなかなか文字を打つことが出来なかった。
もっと話していたい。
睡眠時間なんて削ればいい。
ぼくがこの世で一番大切だと思える彼女と、このままずっと会話を続けていたい。
しかし時間は有限で、彼女の存在も有限だった。
ぼくに打てる文字列は、ありきたりで自動的な、そして寂しい定型文になるしかなかった。
「おやすみなさい」
いつものように彼女の夢を見た。
キラキラと光を浮かべるエメラルドグリーンの川の上に、ミアさんが微笑みながら立っている。
長い髪が風に揺れ、川の色を映したようにそれは緑がかっている。
彼女の顔はよく見えなかった。逆光が眩しくて、よく見えなかったのだ。それでもその口元が優しく微笑んでいるのはわかる。
その微笑みを受けているだけで、ぼくは癒やされた。何も起こらないつまらない一人の日常なんてどこかへ吹き飛んでいった。
ぼくは手を伸ばす。しかしどうしても届かなかった。
さやさやと流れるエメラルドグリーンの川のせせらぎのように、ただ彼女はぼくを癒やしてくれる。
それだけでいいとも思えるし、その先へ行きたいとも思える。
彼女のことを知りたい。
ミアさんのことを、もっともっと知りたい。
夢の中でぼくは手を伸ばしながら、ただそんなことを思っていた。
そしてまた深夜0時がやってくる。
ぼくはノートパソコンを開いて彼女の出現を待つ。
外は雨だ。降り続く雨音が、静かな独り暮らしの部屋を一層静かにし、ぼくを孤独の中に閉じ込めていた。
でもそれは彼女に出会うまでだ。もうすぐ画面がエメラルドグリーンに輝き、ミアさんと会話を出来る時間がやってくる。
いつものように、ぼくはデジタル時計の文字が59から00に変わる瞬間を見守る。
秒数55、56、57、58……
59──
彼女は現れなかった。
どうしたんだろう。体の調子でも崩したのだろうか。
出会えなかった落胆と、不安と心配に突き動かされるように『小説家になりお』のトップページのあっちこっちをクリックしていると、運営からのお知らせの文字が目に入った。
『ドッキリ大成功? ミア・オトルギの正体
一ヶ月ほど前に現れ、現実恋愛ジャンルのランキング常連となっていましたミア・オトルギという作家はじつは運営が操作しているAIでした。
予想以上に人気が出てしまい、ランキングをAIが占有するような形になってしまいましたことはお詫び申し上げます。
元々はユーザー様がたにドッキリを仕掛けて楽しんでいただこうという趣旨でしたので、どうかご理解をお願いいたします。
皆様は気づかれてらっしゃったでしょうか? それともまんまと騙されましたか?』




