㊱花屋の娘ですが、高貴で嫌味な花は扱えません。無理です。
花屋の娘アイシャ・クリストフに一人の老人が花の配達を頼み込んできた。
配達先は有名貴族のお屋敷。
1日1輪届けて欲しいという申し出に、怪訝ながらも届けに行くアイシャ。
しかし、屋敷にいたのは冷淡な若執事カミューと嫌味な貴族リチャードだった。
これは町娘のアイシャと、彼女に恋してしまった貴族のリチャードのお話(の予定)
アイシャ・クリストフは腑に落ちなかった。
花を買いに来た初老の男性が大量の金貨を渡したかと思うと
「ルイス・マクラーレンの屋敷に毎日、一輪の花を届けて欲しい」
と頼んできたのだ。
ルイス・マクラーレンといえばこの辺りの貴族たちを取りまとめる大貴族だ。
それがなぜ、こんな小さな花屋に花の配達を依頼するのか。
そもそもアイシャは花屋の店員であって、配送屋ではない。
お店の看板にも「配達は承っておりません」と書いてある。
けれども、初老の男性は「ぜひに」と頼み込んできた。
「お花の種類は問いません。配達の時間も手が空いた時で構いませんから」
姉夫婦と三人で営んでいる小さな花屋である。
管理も手配もほとんど姉夫婦が行っており、アイシャは会計やラッピングといった手伝い程度のことしかやっていない。
そのため、配達程度なら絶対無理というわけではなかったが、念のため姉に確認した。
「あら、いいじゃない。アイシャも今年で23なんだから、一日中お店にこもってないで外に出たほうがいいわ」
つられて義兄のほうもうんうんと頷く。
「そうだな。それにルイス・マクラーレン様といったら国王陛下の信頼も厚い勇猛果敢な騎士様と聞く。そんなお方の注文とくりゃ、断るわけにもいくまい」
「いいの?」
アイシャの問いに、姉夫婦は快くOKサインを出した。
「それに、こんなに大量の金貨をつまれちゃな」
「ふふふ、そうね。こんなに大量の金貨をつまれちゃね」
要するに金に目がくらんだのである。
アイシャは大量の金貨に目を奪われる姉夫婦を横目に「はあ」とため息をついて初老の男性に言った。
「上の者がいいと言ってるので、お引き受けさせていただきます」
「おお! 引き受けてくださるか!」
初老の男性はホッと胸をなでおろし「では明日からよろしく頼みます」と頭を下げて去っていった。
◇
翌朝。
アイシャは言いつけ通り一輪の花を持ってルイス・マクラーレンの屋敷を訪ねた。
普段、ほとんど通ることもない高級住宅地のさらに先だ。
本当に人が住んでいるのかと見まごうばかりの大豪邸を素通りし、いくつかの丘を越えたあたりにルイス・マクラーレンの屋敷はあった。
「はええ……」
アイシャは屋敷に着くなり間の抜けな声をあげた。
ここに来るまでに見たどの豪邸よりもはるかに大きい。
屋敷の扉や庭の噴水にも細やかな意匠が施され、見ただけで眩暈がしそうだ。
改めてアイシャは昨日の老紳士の申し出はウソなのではないかと疑った。
しかし、ここで引くわけにはいかない。
すでに花の代金は受け取ってしまっているのだ。
アイシャは意を決して扉の横についている呼び鈴を押した。
(呼び鈴までついているなんて、どんだけ金持ちなのよ)
しばらく反応がなかったが、やがてカチャリと扉が開いた。
現れたのは若い執事だった。
スタイリッシュな銀縁メガネにスラリとした体型。
銀色の髪の毛が印象的なかなりの美丈夫だ。
「なにか?」
執事は一瞬、眉をひそめるも、すぐに平静な顔をしてみせた。
「あの……クリストフ花店です。この度は花の購入まことにありがとうございます。ご依頼のお花をお持ちしたのですが……」
アイシャの言葉に今度は一瞬ではなく、露骨に眉を寄せた。
「クリストフ花店? 申し訳ございませんが、なんのことだかさっぱり……」
「あ、ええと、昨日、ご依頼を受けまして。毎日一輪の花を届けてくれるようにと……」
「は?」
ギラリと執事の目が光る。
アイシャは「ひえっ」と肝を冷やした。
「そんな依頼は出しておりませんが。何かの間違いではありませんか?」
「いえ、間違いではありません。代金もいただいてますし。確認していただけませんでしょうか?」
そう言うアイシャに青年執事はピシャリと言った。
「その必要はございません。屋敷内のことはすべて私が一任されております。花の依頼など出してはおりません。お引き取りを」
どういうことだろう。
昨日は確かにルイス・マクラーレンのお屋敷にと言っていた。
金貨も本物だった。
担がれたわけでも騙されたわけでもない。
けれども目の前の青年執事があまりにも自信満々に言うものだからアイシャも不安になってきた。
「で、では、せめてこのお花だけでも置いていってよろしいでしょうか?」
「得体の知れない者の配達物は受け取れません。お引き取りを」
(え、得体の知れない者って……!)
さすがにカチンときた。
確かにルイス・マクラーレンのような上流貴族に比べれば小さな花屋で働いている自分など取るに足らぬ存在である。
けれども、ここまで邪険にされると腹が立つ。
そもそもここに花を届けて欲しいと言ってきたのは(おそらく)この屋敷の関係者だ。
であれば相応の対応というものがあるだろう。
反論しようと口を開きかけたその時。
「どうした、カミュー」
背後から声が聞こえてきた。
振り向いたアイシャは目を見張った。
そこにいたのは、金色の髪をなびかせるひとりの美青年だったからだ。
カミューと呼ばれた青年執事よりもはるかに美しい。
本当に同じ人類かと思えるほどキラキラと光り輝いている。
「これはこれは、リチャード様。お早いお帰りで」
頭を下げる青年執事カミューに、突然現れた美青年が尋ねた。
「なんだ、このみすぼらしい女は」
「み、みすぼらし……!?」
思わずポカンとなるアイシャ。
そんな彼女にカミューが「プッ」と笑った。
「リチャード様。お気持ちはわかりますが、それは言い過ぎです」
「ん? そうか? なら貧相な女か?」
「さらにひどい」
クスクスと笑う二人の青年にアイシャはハッと我に返り、コホンと咳ばらいした。
「ち、ちょうどよかったですわ。昨日、こちらに花を届けてくれるよう依頼がございましたの。受け取ってくださいませんか?」
「花?」
リチャードもなんのことだかわからない様子で眉を寄せる。
「どういうことだ?」
目線をカミューに送ると、青年執事もまた両手を広げて「さあ」と首を傾げた。
リチャードはアイシャと花を交互に見つめ、ポンと手を叩いた。
「ああ、わかった。お前、物乞いか」
「は?」
「花の配達を装ってうちに金をせびりにきたのだろ? 違うか?」
「ええと……」
何をおっしゃっているの? とアイシャは思った。
そんな彼女にリチャードは顔を突き出して嫌味な笑みを浮かべる。
「でも残念だったな。オレにそんな姑息な真似は通じんぞ」
リチャードの言葉にパチパチパチと拍手を送るカミュー。
「なるほど、そういうことでしたか。さすがはリチャード様。天才的推理です。このカミュー、感服いたしました」
「ふふん、簡単な推理だ」
バカなの? とさらにアイシャは思った。
「あ、あの……何を勘違いされてるかわかりませんけど……」
「くどい。物乞いの分際でこのオレと会話するなど図々しいにも程がある。詐欺罪で捕まる前にオレの前から消えろ」
瞬間、アイシャの中でプッツンと何かがキレた。
「ムッカー! あったまきた! 何よ! そっちが花の配達をどうしてもって言うから来たんじゃない! いいわよ、持って帰るわよ! あんたらみたいな輩に売らなくてよかったわよ!」
たまっていたうっぷんを一気に発散させたアイシャの剣幕に、さすがの二人も少したじろいだ。
「お、おい……?」
「きみ……?」
「いいわよいいわよ! 持って帰るわよ! あーあー、ここまで来た時間が無駄だったわー! 店番していたほうがマシだったわー!」
アイシャは踵を返すと、きょとんとする二人に精一杯のメンチを切った。
「花の依頼をしてきた使用人のおじいさんには二人から伝えてよね! じゃ」
「お、おじいさん?」
リチャードはカミューと顔を見合わせると、すべてを悟った顔つきで慌てて屋敷の中へと駆け込んでいった。
「あんのクソジジイ! また勝手なことしやがって!」
「リチャード様! 屋敷内は走らないで!」
バタバタと屋敷の中へと消えていく二人を、アイシャはポカーンと眺めていた。
◇
「すまんのう! ワシの伝達ミスじゃ! 許してくれ、この通り!」
パンと目の前で手を合わせて頭を下げる老紳士に、アイシャは「はあ」と呆気に取られていた。
場所は屋敷内の応接室。
数々の調度品が並ぶ中で、アイシャは値段すら想像できないソファに座らされ、花の依頼をしてきた老紳士から謝罪を受けていた。
「まさかこんなに朝早く来るとは思わなかったでの」
驚くことに、花の依頼をしてきたのはルイス・マクラーレン本人であった。
この屋敷の主人であり、リチャードの祖父である。
「紅茶をお持ちしました」
何事もなかったかのように紅茶を差し出すカミュー。
その隣には不貞腐れた顔のリチャードがいる。
「これ。お前たちも謝罪せい」
ルイスの言葉にリチャードは反発する。
「どうしてですか。おじいさまがちゃんと伝えてくれなかったからいけないのでしょう」
アイシャはムッとした。
確かに知らなかったのなら仕方ないが、さっきの対応は酷すぎる。
いくら相手が平民とはいえ、人を物乞い呼ばわりしたのだ。謝罪くらいあってもよさそうなものなのに。
まあ、貴族とはこういうものだと思ってはいるのだが。
「朝の礼拝から帰ってきたら言うつもりだったんじゃ」
「だったらオレに落ち度はないですね」
肩をすくめるリチャードに、ルイスはギラリと鋭い視線を向けた。
「ひっ」と思わずアイシャは息を飲む。
「リチャード」
さすがのリチャードも、祖父の眼光にはかなわないらしく、深々と頭を下げた。
「……すまなかったな」
「い、いえ……」
反省の色が微塵も感じられない謝罪だったが、場の雰囲気に飲まれてそれ以上ツッコめなかった。
「ルイス様は、かつてドラゴンを倒したほどの伝説級の元騎士団長でございますから、その気になると怖いのです」
そっと耳元で情報を伝えてくるカミュー。
アイシャは「なるほど」と思った。
人は見かけによらないものだ。
アイシャは渡された紅茶に口をつけてハッと気づいた。
(っていうか、こいつからも謝罪の言葉聞いてないんだけど!?)
キッと顔を向けるとカミューはとぼけた顔で横を向いた。




