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8 親孝行なヴィルヘルミネ


 天蓋付きのベッドが部屋の中央に据えられている。

 開け放たれた窓から夏の爽やかな風が入り、白いレースのカーテンを揺らしていた。ここはフェルディナント公国の主、フリードリヒ=フォン=フェルディナントの寝室である。

 ――時刻は正午前だ。


 部屋の主は三十一歳という、まだ若い身体をベッドの上に横たえていた。しかし惰眠を貪っている訳では無く、胸元に浮かんだ汗を女性看護師に拭いて貰い、苦し気な呻き声を上げている。病であった。


 フリードリヒは大陸中西部、ダランベル地方の小国、フェルディナント公国の君主である。

 そして今や近隣諸国では民主化、共和化の革命を叫ぶ人々が跋扈し、一方で王権の拡大を画策する君主達が鎬を削る、まさに激動の時代であった。


 このような中にあって、彼は旗幟鮮明にしていない。何しろフリードリヒは君主でありながら、同時に議会制度を是としているからだ。要するに共和派と王権派に分けるなら、彼はまさに中庸であった。

 しかしだからこそ彼は革命の機運高まるランス王国へ行き、共和派と接点を作りたかった。可能であれば、ランス国王と共和派の橋渡しをしたいと考えていたからだ。

 

 そして首尾よくランス王国が立憲君主制の道を歩むのなら、フェルディナントも追従する。そしてダランベル地方の盟主、軍国プロイシェと手を切り、真なる独立を勝ち取ろうと目論んでいたのだ。


 だが――と、フリードリヒは自身の身体に力を入れる。弱弱しく上がる腕を見て、首を左右に振った。

 

 ――これでは、銃さえ持てぬわ……


 フリードリヒには、国内にも心配事がある。それは弟、カールのことであった。彼はプロイシェ派であり、宰相職に付けたのも、かの国の圧力があったからこそ。実の弟とはいえ、油断出来るものではない。

 ましてやカールは既得権益を重視する余り、民に重税を課していると聞く。これらのこともフリードリヒは体制を変えたランスを後ろ盾に、改善するつもりだった。


 しかし、もはやフリードリヒには為す術とてない。絶望という名の悪魔が、巨大な鎌を持ち枕元に立っている。そう思えてしまうほど、彼の身体は弱っていた。


――ランスで幾度か起きた暴動では、既に幾人もの地方貴族が共和派により首を刎ねられているとか……どうかヴィルヘルミネが、そうならぬように……


 フリードリヒは幼い娘の為に心中で密かに願い、静かに息を吐く。

 

 その時だ、部屋の扉が叩かれた。フリードリヒは暗くなった思考を振り払い、目だけをそちらへ向けた。「入れ」という一言を口にすることさえ、今の彼には重労働である。

 それでも気力を振り絞り、声を出すフリードリヒ。このような所にまで通される人物であれば、彼にとって近しい者であるからだ。会わないという選択肢もまた、今の彼には無いのだった。


 はたして扉が開かれると、そこに現れたのは弟と甥、そして自らと同じ髪色をした娘である。


 フリードリヒは枕を背もたれにして、ゆっくりと起き上がった。これを見て、灰色髪の主治医が眉間に皺を寄せている。彼こそ赤毛の公爵令嬢に八十七点と評された男、ラインハルト=ハドラーであった。


「公爵、俺はあんたに起きて良いなどと、許可を出した覚えはないぞ」

「すまん。だが娘が――……」

「五分だ。それ以上は許さん――それに宰相も一緒とは、空気が淀む。俺はあの男が嫌いだ」

「……は、は。先生は手厳しいな。あれでも私の弟だぞ」

「知ったことか。俺の仕事はアンタを治すことで、本音を隠すことじゃないからな」


 たとえ相手がどのような権力者であろうとも、自らの考えを曲げない医師、ラインハルト=ハドラー。彼は猛禽のような視線でカールを射抜き、目元に掛かる灰色の髪を指で払い除けた。それからヴィルヘルミネには、何故か優雅に一礼する。


 かつて彼はヴィルヘルミネによって、病院を与えられている。これによって自身の研究は進み、かつ多くの命を無償で救うことが出来た。そしてそれは、現在も継続中である。


 そんな中、大恩ある彼女の父が倒れ、宮殿の医師達が匙を投げたと聞き、ラインハルトは取る物も取り敢えず、看護師二人だけを伴い駆け付けたのだ。

 ラインハルト=ハドラーは口こそ悪いが、ヴィルヘルミネへ向けた忠誠心は本物なのであった。


 ――が、しかし当の令嬢はベッドを前にして、顔面蒼白の様子。紅玉のような瞳は父を見ず、その枕元に立つラインハルト=ハドラーの顔を凝視している。イケメンを愛でるといった雰囲気でもない。怯えたような口調で、彼女は言った。


「い、いかほどか……?」


 ヴィルヘルミネは恐ろしかった。

 宮殿の侍医達が父を診るならば、それはすべて予算の範囲内。だがここにラインハルト=ハドラーがいるとなれば、莫大な金が掛かるんじゃあないのかと。余のお小遣い、吹っ飛ぶんじゃあないのか、と。

 むろん父には治ってほしいが、それはお小遣いの為。彼女にとって父とは、すなわち金づるである。それが金を喰うとあっては、話にならないのであった。


 ツンデレ医師は、口元を歪め笑っている。もちろんこれはヴィルヘルミネの言動を勝手に勘違いして、安心させようとした結果だ。実にニヒルな、危ない系美男子の笑みだった。通常時の彼女なら、ズキューンと胸を撃たれていただろう。


「――大丈夫。俺が診ている以上、何があっても死なせやしない、安心してくれ」


 んほぉぉぉおおおおお! 

 ヴィルヘルミネは愕然とした。ハドラーの笑みは素敵でキュンキュンする。点数も八十七点から九十点に上げたいくらいだ。

 しかしアンタが診ているからこそ、診療費が心配なんだ! と言いたかった。ましてや何があっても死なせないとは何事か。生きてる限り治療費をもぎ取り、余のお小遣いをむしり取るつもりか――……!

 そう思うと、ヴィルヘルミネは紅玉の瞳から涙を零すしか無かった。


 ラインハルトの前で跪き、ポロポロと涙を零すヴィルヘルミネ。そして彼女は言った。


「どうか、どうか――」


 無料ただ診療て下さい――という言葉が、嗚咽のせいで声にならない。ヴィルヘルミネは頭を床に擦り付け、肩を震わせていた。

 

 この姿を見て、ヘルムートが慌てて彼女抱え起こし「ヴィルヘルミネ様! お気持ちは分かりますが、臣下に頭を下げられるなど、なりませんッ!」と割って入る。

 代わりにゾフィーが土下座して、ヴィルヘルミネの心情を代弁した。


「ハドラー医師! どうかヴィルヘルミネ様の御父君を、天上界ヴァルハラへお連れなさいませんよう! 平にお頼み申し上げますッ!」


 七歳にして、なんと礼節に則った物言いであろうか。

 だがヴィルヘルミネの真意からは、まったく掛け離れたものであった。ヘルムートに抱え上げられた彼女の口から、「ち、違……」と、僅かに発せられる。

 だというのにこれも「父上」と周りに意訳され、さも孝行娘のような印象を持たれたのであった。


 そんな時だ、叔父のカール=フォン=ボートガンプがベッドの脇に立ち、「こほん」と一つ咳ばらいをした。温和そうに見える黒い瞳をハドラーへ向けて、猫を撫でるような声を出す。


「侍医達の話によれば、兄上の回復は見込めぬとのこと。なれば、そなたがいかに手を尽くしたとて、今後の公務に支障が出るのは必定であろう?」

「公務に支障が出るかどうかは、俺の関与すべき事柄ではない」

「では、医師ハドラーよ。今後、どのくらいで兄上は、歩けるようになるのかな?」

「――断言出来ない。だが、手を尽くす」


 ハドラーの言葉を聞き、よろりとゆれるヴィルヘルミネは、治療費が気になって仕方が無い。

 一方カールおじさんは、そんなヴィルヘルミネの肩に手を乗せ、ねばつくような視線を兄に向けた。


「兄上、お聞きになられましたかな? 歩けぬとあっては他国との折衝など、様々な局面で支障をきたします。ここは治療に専念する為にも、潔く公爵位を譲って頂きたいのですが」

「カール……そちに譲れと、そう申すか?」


 膝に乗せた掛け布の上に視線を落とし、しばし沈思するフリードリヒ。


「まさか――……私は兄上と一心同体の身。であればこそ兄上の下、宰相として尽力しておりました。ですからここは、我が息子オットーに譲位して頂ければと。

 その上でヴィルヘルミネさまとオットーが婚約すれば、継承という意味では全く問題ありますまい?」

「五歳の子供に国公が務まるものか――」

「故に私が摂政として立ち、盛り立てていくのです。ほら、兄上もご存じでしょう。国公に政務を執る力無き場合は、最も近しい親類が摂政として立ち、それをお助けする――という法があるではありませんか」


 そこで一旦区切り、口元に嫌らしい笑みを浮かべてボートガンプ侯爵は言葉を続けた。


「それに、我が息子オットーとヴィルヘルミネ様が結婚したならば、その子がまた国公となるのです。兄上――これならば、何も問題など無いでしょう?」


 今までお金に羽が生えて飛んでいく――そんな妄想をしていたヴィルヘルミネが、この時、猛然と立ち上がる。そして――ぱちこーん!


 ヘルムートに抱えられ、見事カールおじさんの頬に平手打ちをかます、赤毛の公爵令嬢。黒髪紫眼の臣下とは、もはや以心伝心の間柄なのであった。

お読みいただきありがとうございます。

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