90 五点の男、現る
十二月三日、ヴィルヘルミネは招集可能な閣僚と軍幹部をグランヴィル市内にあるニヴォーズ宮殿に呼んだ。
ニヴォーズ宮殿の前庭は、かつて革命暴動の折にヴィルヘルミネが教会から砲弾を撃ち込み、ゾフィー=ドロテアとアデリーが協力して敵将を討ち取った、ある意味で思い出の場所である。
とはいえ既に砲弾の痕は無く、草花が植えられている。ましてや血の匂いが染み込んでいる筈もなく、表面上はかつての美しさを取り戻していた。
「まずはランス王家の正当なる血を引く男を王位に据えよと、ウェルズは随分と強気な回答を寄越してきましたな」
上座にヴィルヘルミネを据えて長卓を囲む会議の席で、最初に口を開いたのはリヒベルグであった。
彼は革命派の首魁であるマクシミリアン=アギュロンとファーブル=ランベール追討の際にも独自の諜報網を活かし、その逮捕、拘禁にも貢献している。
この件の実質的な責任者であったオーギュスト=ランベールとしては、複雑な気分であった。ともあれ国家にとって裏の組織とでも言うべき諜報機関を統べるリヒベルグ無くして、ランスの治安維持は不可能だと思い知らされた事案であった。
つまりこれは、リヒベルグ中将は婚約者であるエリザ=ド=クルーズが行方不明となった後も、何ら普段と変わらぬ働きを見せていたということだ。そして彼は十二月一日付で大将に昇進し、新設された国家警察大臣の要職にも就いている。要するにリヒベルグは国内における陰謀や犯罪に対し、全責任を持つ立場になったということだ。
「既にその、正当なる血を引く男を引き連れ、ウェルズ軍一万がリスガルド王国に上陸したとのこと。早急に西方の国境線を固めるよう命令を下しましたが――……しかし我らに味方をしていた王党派の一部がそちらに付こうという動きも見受けられます。むろん警察大臣殿には既に、ご承知のことと存じますが」
イライラとしたように銀色の頭を振って、オーギュスト=ランベールが発言をした。
彼がランス方面軍の責任者であれば、暫定的ではあっても広大な国境線をカバーしなければならないのだ。
リスガルド王国はランス西方に広がる広大な王国で、その王家はキーエフの帝室とも親戚関係にある。だからウェルズに味方することも、道理と言えば道理であった。
一方で情報機関からの情報は限定的であり兵力の効率的な配置が不可能であったから、オーギュストはリヒベルグを恨めしく睨まずにはいられない。
「となると我らは同時にウェルズ、キーエフ、サマルカード、リスガルドの四か国を相手に戦争をしなければならぬ――……ということか。望むところだ」
不敵な笑みを浮かべて、金髪碧眼の美少女――ゾフィー=ドロテアが言う。彼女の席はヴィルヘルミネから見て左前、その向かいがヘルムート=シュレーダーだ。ヘルムートの隣にリヒベルグ、ゾフィーの隣にオーギュストという席次となっていた。
「いやその、戦うというか、じゃのう――……その、正当なるランス王家に連なる者の名は、何と言うたかの?」
紅い瞳の美貌を僅かに顰め、ヴィルヘルミネは首を傾げていた。その様は、あらゆる敵など歯牙にも掛けぬ、と言わんばかり。故に、そんなことなど覚えていない――という雰囲気だ。少なくとも部下たちはそう考えて、偉大なる主君の前に首を垂れた。
だが実態は、会議の前にいかなる資料も読まなかったが為、本当に頭に入っていないだけのヴィルヘルミネ様。なので「誰か教えて下さいな、アハハ」という心持ちである。
「エドモンド公爵です、陛下。革命運動が盛んになるや、すぐにウェルズへ亡命した――……ある意味では賢明な男です。年齢は二十六歳と若く、先王シャルル陛下の従弟でもあり、まあ――……申し分の無い人物を連れてきた、とは言えましょう」
苦笑を浮かべて説明したのは、宰相であるヘルムートであった。全員に再度確認させる意図もあり、細かく説明したのである。というよりヴィルヘルミネの意図こそ、それであると勘違いをした為だ。
優秀な宰相は女王の意図を先回りしようとして空回りし、それが常に功奏するのがダランベル宮廷なのである。
「ウェルズの思惑は解かっております、我らダランベルのこれ以上の拡大を望まない――……ということでしょう。その上で自国に有利な人物を国王にして、己が利権の拡大を狙っている。いかにもな商人国家ですな」
ポール=ラザールはため息交じりに言った。
彼にしてみれば先王処刑に加担したとも云える立場である為、断じてシャルルの従弟など国王には迎えられない。だから今、ダランベルに手を引かれては困るのだ。
むろんダランベルの爵位も得た身であれば、ランスから出ていく道も残されてはいるが、様々な利権がランスにある以上、これを捨て置く気持ちにはなれなかった。金が惜しい。
「ヴィルヘルミネ様が覇権をお望みにならないと仰るのなら、ウェルズを受け入れるという道もあるかと。そもそもバルジャン閣下は旧王家にも忠誠をお尽くしでしたし、アデリーだって……」
未だバルジャンの遺体も見つからない中、この騒動だ。それにオーギュストとしては革命派を駆逐した今、ヴィルヘルミネに対して忠節を尽くすことも大切だがランスの人民も守りたい。だから無益な戦争は避けたかった。だから、これは本音である。
「それがウェルズとしては、我らの覇権をある程度認めることも吝かでは無いようだ。当然それには条件があるのだが、ウェルズの公使が非公式だが私に言うには――……そのエドモンド公とヴィルヘルミネ様の婚姻が成れば、海上封鎖を解くとのこと。その上で我らダランベル、キーエフ、ウェルズ、プロイシェの四者協議の下、皆が納得できるようランスの方向性を決めれば良いのではないかと」
「余と、誰が、結婚じゃと?」
細眉を顰め、赤毛の女王が言う。胸の奥はドキンコ、ドキンコ――エドモンドとやらはイケメンじゃろかいな? 不細工だったら死刑じゃぞ? などと期待と不安が交錯する。
しかしゾフィーが金髪を逆立て、ドンッと拳を机に落とす。雷鳴の如き一撃であった。
「ウェルズの豚め、屑めッ! 身の程知らずな提案をッ! ヴィルヘルミネ様と釣り合う男など、天上界から神でも連れて来ねば無理であろうがッ! 否、神ですら釣り合わぬわッ!」
「お、おお……で、あるか、あるの」
あまりの剣幕に首を縮め、それからヴィルヘルミネは大きく頷いた。
そうなのだ。イケメンだとしても、知らない人と結婚するのはイヤである。できれば優しくて超大国の王子様が良い。そうだ、それが幸せというものだ。などと赤毛の女王はボンヤリ思っていた。
「ですがその、王妹殿下。そのエドモンド公なる男がどのような容姿なのかも我らは知りません。もしや天上の神々もかくや――という位のイケメ……ではなく、高貴なるお方であれば、或いはヴィルヘルミネ様にも良いお話では? でなくとも婚姻は多分に政略の要素を含む訳ですし……」
鼻息も荒く、周囲の秘書官たちに「せめて肖像画なりとも、ここには無いのか?」などと言う女性はブルネットの美女、そして唯一とも言えるヴィルヘルミネの同好の志、エミーリアであった。
彼女は軍人でありながらも北部ダランベル地方を代表する立場でもある為、このような席に顔を出していた。
グッジョブ、エミーリア! とでも言いたげなヴィルヘルミネは大きく頷き、軍服の上に羽織った純白のマントを翻して笑う。手元に肖像画が届いたのだ。
「ふむ……」
冷笑気味に息を吐き、小さな肖像画をポイと机の上に放って見せた。
「エミーリア、見よ」
「はっ……これは……」
エミーリアは腕組みをして首を傾げ、唇の端を歪めた。二人の視線が絡み合う。頷き合い、次いで首を左右に振る。
――これは、無い。五点だ。
恐らく、点数も一致した。
ゾフィーは憤怒の形相だ。立ち上がり、拳を握りしめて言う。
「この身の程知らずを、断固誅すべしッ!」
エミーリアも頷き、ヴィルヘルミネは「で、あるか」と納得顔だ。
「そのようにお命じあると考え、既にエドモンドの身辺に配下の者を忍ばせております。たとえ他国にいようとウェルズ軍に守られていようと――……いつでも拉致、いや、逮捕拘禁は可能です」
瞳の奥に鬼火をちらつかせながら、リヒベルグは報告した。断固としてウェルズとは手を結ぶべきではないと、彼の表情は物語っている。
愛する婚約者を行方不明にした怨敵に誰が尻尾を振るものかと、そういう決意と感じたのは、この時、無言を貫いていた参謀総長トリスタン=ケッセルリンクだけなのであった。




