89 外交にも役立つ赤毛の魔王(誤解)
「陛下、吉報に御座います。我が艦隊がダランベル艦隊を撃滅した由」
玉座に座る小太りの中年に、痩せて長身の男が仏頂面で報告をする。それがここ、セント・エドワード宮殿における毎朝の風物詩であった。
「撃滅とな? 穏やかな話ではないが、確かに我が国にとっては吉報か。のう、ウィリアム」
「御意。フェルディナントがダランベル地方を統一して王国を築くまでは構いませんが、それがランスを飲み込みキーエフを圧倒するとなると、いささか目に余る。加えてメンフィス奴隷の開放など言いだされては、新大陸へ送る奴隷の調達にも響くというもので……」
「ふぅむ。だから宰相としては、ヴィルヘルミネに懲罰を加えねばならぬと考えたのかの?」
「いや、いや、まさかでございます、陛下。臣が懲罰を加えんとしたのは、あくまでもダランベル連邦王国の政府にございますれば、高貴なる血を引かれるヴィルヘルミネ様に懲罰などと、恐れ多い」
「で、あるか。まあ、あれは我が姪にあたる娘なれば、何があろうと丁重に、の」
「心得て御座います、ご安心を。あくまで国家とは主あってのものであり――……そして主とは尊き血を持つ方々であると、重々承知しておりますれば」
玉座にて足を組む中年の男は満足げに頷き、白くなりつつある顎髭を摘まんで言う。
「そうじゃの。そち達は不遜な共和主義者どもとは違う、節度というものを弁えておるからの」
ウェルズ王国は王政だが絶対王政ではなく、いわゆる立憲王政だ。従って政府の決定に国王が異論を唱えることは、滅多にない。だから首相が毎朝、国王に報告へやって来るのは政治というより儀式めいた趣である。
とはいえ国家の主権者はあくまでも国王であり、その下に政府も国民も存在する訳で、となれば国民主権を訴えるランスの革命政府は容認すべからざる敵であった。
よってキーエフの主導する対ランス大同盟に参加した経緯から、かの帝国とは決して悪い関係ではない。どころか貿易に関しては、互いに依存関係にある。
だから自然の流れでダランベル連邦を敵とするに至ったのであろう――というのが列強各国のウェルズに対する見立てであった。
しかしながらそれは、ウェルズ王国の政治的バランス感覚を過小評価している見解だ。
いや、むしろウェルズ王国宰相ウィリアム=ヒューズの政治的バランス感覚と言い替えるべきだろう。何故なら彼の目的は、大陸に突出しすぎた国家を作り出さないことであり、列強数か国による世界支配を目論んでいる。その上で自国の利益を最大限追求する――という強かさまで備えているのだから。
つまりヒューズはキーエフが強ければランスに経済援助を惜しまず、一方でランスが巨大化しそうになればキーエフに対し軍事支援をした。
その経過の中でダランベル連邦王国が勃興し強大化しすぎる兆しを見せれば、即座にこれを掣肘せんとしたのである。
それでも直接、軍事力を行使することは珍しい。しかも今回はダランベルと全面戦争になりかねない、というのにだ。全面戦争となれば、金が掛かる。
しかし今回ウェルズが世界最強の海軍を動かしたのは、サマルカードに恩を着せてメンフィスの権利を一部譲渡させる意図があったからだ。これで新大陸に対する奴隷貿易により、軍事費の支出を収入が上回ると算段したのである。
とはいえ、だからこそウェルズは大陸の覇権を握ろうなどとは考えていない。いち早く産業革命を成し遂げたウェルズには、外へ輸出したい商品が山とある。一方で海洋国家である定めか、資源や食料が不足しがちであった。
従ってウェルズは数多の植民地を抱えながらも、貿易立国と云えるのだ。そして他国と有益な貿易を行う為には、常に自らが上位者たらねばならぬ――と考えていた。
だから大陸へ軍隊を送り、これを支配するという発想には至らない。やはり、金が掛かるからだ。ましてや恨みを買えば、ウェルズ印の商品が売れなくなる。
あくまでもウェルズ人が豊かな生活を送る為には、良質の商品を高値で買ってくれる外国人が必要なのだ。
「とはいえ、これで戦の天才ヴィルヘルミネが怒りに任せ、我が国へ兵を向けて来るようなことにはなるまいな、ヒューズ首相?」
「さて――あったとして、ウェルズとランスを隔てる海峡を渡る術が無いでしょう。いかに天才とて、空を飛んで我が国へ攻め入る訳にはまいりますまい。故に陛下、ご安心なされませ」
国王フレデリックは顎髭を撫で付け、物憂げに溜息を吐く。
「ならば良いが……本当に全面戦争などにはなるまいな? 国庫の金は、有限ぞ?」
「――……ダランベルの宰相は中々の切れ者と聞きます、大丈夫でしょう。戦争を行えば、相手も金が掛かるのです」
「しかしの、ランスをランス王家に還し、メンフィスから無条件で撤兵するなど、ダランベルには何の利益も無い事ぞ。飲むであろうか?」
「なに、今は撤兵したくとも船を無くしたダランベルです。我らが手を差し伸べれば、喜んで縋り付くでしょう」
「だとして、キーエフは納得するであろうか?」
「こちらはプロイシャにキーエフから撤兵するよう、圧力を掛けまする。あのジークムントなる王子、中々に戦上手なようで、手を焼いているようですからな」
「ではそのプロイシャは何をもって、キーエフより撤兵をするのか?」
「返還なったランス王家より、領土の一部なりとも差し出させれば良いでしょう。元より領土を欲しての軍事行動ゆえ」
「ふむ、なるほど。ヒューズ首相の絵図の通りになれば、エウロパは万事元通り、ということか」
「さよう、ダランベル連邦王国という軍事大国が、勃興しつつあること以外は――……」
「その程度は、誤差であろうよ」
「臣も、そのように愚考致しまする」
■■■■
黒髪紫目の宰相、ヘルムート=シュレーダーは海軍艦隊の敗報を聞くや、すぐにもウェルズ王国の公使を宰相執務室へと呼びつけた。
「貴国は宣戦布告もせぬうちから、我が国の艦隊に攻撃をした。これをどう、申し開きするつもりか?」
若き宰相は怜悧な紫眼を白髪交じりの男に向けて、口元には薄っすら笑みさえ浮かべて問うた。
「閣下、これは異なことを。そもそもランスを貴国の隷下に置かれたとなれば、ランスと交戦中たる我が国に対し宣戦布告をしたのと同義でございましょう。であれば、責められるいわれは一切ございませんぞ」
暑くもないのにハンカチを取り出し、額を拭って見せる初老の公使。けれど見た目程には焦っていない。そのことはヘルムートならずとも、彼に仕える有能な秘書にも理解できた。
「ほう、そういう理屈か。ならば貴国は我が国がランスを併合したとして、一切の異論反論はせぬと――そう解釈してよろしいな?」
ヘルムート=シュレーダーとしては、こうまで早くウェルズが敵対行動に出るとは思わなかった。そのうえ海軍の大敗とくれば、想定の範囲外と言える。
脳裏にウェルズの首相ウィリアム=ヒューズの顔を思い浮かべ、舌打ちしたい気分であった。しかし今ここで、余裕の笑みを崩す訳にはいかない。それでは舐められる。余裕が無いと思われる。
――私のことを若造と笑っているのだろう、ヒューズ。
そう思われても仕方がないと、ダランベルの宰相は考えている。何故なら自身が生まれた年には既にして、ウィリアム=ヒューズは政界にいた。どころか彼の人生は山あり谷ありで、谷の最中に書かれた著書はベストセラーにもなっている。
であれば当然ヘルムート=シュレーダーも彼の著書には触れている訳で……。
「これは異なことを、そも貴国がランスを不当に占拠したことが問題なのですぞ。我らが望むはサマルカードよりの即時撤兵とランスを正当なる王家へ返還することです」
公使の持ち出した交渉材料は、つまるところウィリアム=ヒューズが描いたであろう絵図に違いない。ヘルムートは確信すると共に、小さな苦笑を漏らしていた。
――確かにあなたは老成しているさ、ウィリアム=ヒューズ。しかしだから、限界というものがある。
「つまりはそれが貴国の首相、ウィリアム=ヒューズ卿の狙い――という訳か。だが我らがそれを拒めば、一体どうするというのかな?」
「どうするもこうするも、ランスの併合など、断じて認められるものではありませぬ!」
「だから宣戦布告をせずに我が艦隊を壊滅せしめたと? 交渉したいのであれば、相応の賠償金を支払ってからにして貰おうか、公使殿。
ああ、そうだ。サマルカードから撤兵しろと言うのなら――……貴国の新大陸における領土を我らに割譲して頂く、その程度の見返りはあるのでしょうな?」
あらゆる笑みの一切を消して、黒髪紫目の宰相は言葉を紡ぐ。
氷のような冷たさが漂う眼に映るウェルズの公使は唇を戦慄かせ、ヘルムートが前にする執務机に詰め寄った。
「なっ! シュレーダー殿ッ! 貴殿はもっと理性的な方だと思っておりましたぞ! そのような無茶な条件を突き付けて、私がそれを本国へ報告致せばどうなるか、解かっておいでか!?」
「戦争にはならないと、貴国は思っているのだろう。どうあれ我が国が折れると――……であればウィリアム=ヒューズは当てが外れたと、大いに狼狽することでしょうな」
「そのようなことになれば、貴国は陸にキーエフ、海にウェルズを相手取り、二正面で戦いを強いられるのですぞッ!?」
「一つ忠告しておきましょう、公使殿。私は女王陛下より、二正面作戦を避けるよう指示されている訳ではない。あくまで無用な国力の低下を招くような戦争を避けるべく、私が独断で外交交渉を行っていただけのこと――……」
「つまりヴィルヘルミネ様であれば、我らの行いを幸いと、どのような手段を用いようともウェルズの征服に乗り出すと申されるのか、宰相閣下は?」
「女王陛下の今までの行動を、貴殿も十分に知っているはずでしょう」
「……では、我らにどうしろと?」
「ふん――……どうせ海軍が壊滅した今、我らには手も足も出せぬと浅はかにも、ウィリアム卿は考えたのであろう。貴殿と話してみて、そのことがよく分かりました。
だからこそ貴国が我が国との戦争を望まぬのなら、相応の賠償を求める。具体的には先程申した通りのこととキーエフと手を切ること、この二点ですかな」
「無茶な……」
「であれば、戦うより他に道はありませんな」
「待て! 待ってください! ともあれ、今日の経緯を本国に報告致しましょう。政府がどのような結論を出すかは分かりませんが、私としてはヴィルヘルミネ様を敵に回す愚は承知している。ですから――……」
「そう願います、公使殿。私としても無用な戦いは避けたい――……が、ヴィルヘルミネ様に納得して頂ける材料が無ければ、どうにもなりませんからな」
「分かりました、努力してみましょう。ただ、本国にいて海を渡らぬ首相には、ヴィルヘルミネ様の怖さが解からんのです……それが、どうにも……」
中身と外見の乖離が激しい赤毛の女王は、相も変わらず魔王の如く思われている。遠いランスの空の下、ヴィルヘルミネはクシャミをしたとかしないとか……。




