86 棺を開けて……
オーギュスト=ランベールはゾフィーやダントリクほど、バルジャンの生存に期待を持っていない。なぜなら兄が彼を殺したことを、疑っていないからだ。理由は明白で、バルジャンの解剖所見が怪しすぎる。「他殺」であることを胡麻化す為に「病死」と記載されてはいるが、明確な病名は明かされていないのだ。
しかし彼の死が革命政府による陰謀の賜物であればこそ、その死因を特定しなければならない。つまりバルジャンが、いかにして死んだのか――その真相を医学的に明かさなければ今度はヴィルヘルミネ陣営こそ、彼の死を利用して革命政府を倒したのだと後ろ指をさされることになる。だからこそオーギュストは死者に鞭打つ行為だとは思いつつも、最初から棺を開けるつもりであった。
もしも革命政府が棺の中身を別人に替えたのだとしたら、その意図は明白だ。他殺であれば死体には、必ず証拠が残る。であれば、そんなバルジャンの死体を他者の目に触れさせる訳にはいかないだろう。
だからファーブル=ランベールは遺体をすり替え、少なくとも病死したであろう遺体をこの場所においた。万が一にも死因を調べられた際、言い逃れが出来るように、と。
一方、本当にバルジャンが病死であったのなら、その死体には病の痕跡なりとも残るであろう。ならば彼の最後を、多少なりとも知る縁となるはずだった。
そうした中で幸いにもヴィルヘルミネの麾下には、ラインハルト=ハドラーという稀代の医師がいる。彼に改めて遺体の解剖を任せることが出来れば例え病死であったとしても、マコーレ=ド=バルジャンの死の真相が分かるだろう。
だが遺体が偽物であれば、死因が分かったところで意味がない。となれば本物の遺体を探す他に道は無くなるのだが……。
――どちらにせよ、開けなければならない、ということだ。
そう考えながらオーギュスト=ランベールは、五人の兵と共に棺の前へと進み出た。
「ヴィルヘルミネ様の御意を得て、棺を開けることをお許し下さい――バルジャン閣下」
兵士たちと共に、オーギュストは棺に手をかけた。「ギィ」と重そうな音を立て、蓋がゆっくりと開く。ともかく、確認しなければ始まらない。
もしも中身が偽物であったなら、万が一でもバルジャンが生きている可能性だって浮上するのだから。
オーギュスト=ランベールは棺へと続く階の端に立ち、主君たる赤毛の女王を静かに見つめて言う。
「陛下――……どうぞ、ご確認を」
■■■■
まさに晴天の霹靂。
棺の中を見るなどと、ヴィルヘルミネにはいきなりのことであった。
まさか棺を開けることになるなんて!
まさかミイラ化したであろう誰かの遺体を見るなんて!
ていうか、なんで余? どうしても見なきゃダメなの!?
愕然として頭の中はぐるぐるだけど、謎の責任感に後押しされてヴィルヘルミネは階を登っていく。いつの間にか開いた棺の蓋の先に、バルジャンの白いデスマスクが覗いていた。何か違和感がある。顔はマスクに覆われていて分からないが、やけにきらびやかな軍服を着ていることと、それだけではなく、何かが違う。
「む、むむ……? バルジャンにしては、少し大きくないかの、これは……」
赤毛の女王の発言に、地下の霊廟が騒然とする。
というかヴィルヘルミネはミイラ化した遺体と直接対面しなかったことで、何とか心の均衡を保っていた。ビバ、デスマスク! ってやつだ。
ダントリクが駆けだした。ヴィルヘルミネが違うというのなら、バルジャン生存の可能性が高まった。ならば、たとえ主君の隣に立つ不敬を働こうとも、遺体の顔を確認せずにはいられなかった。
「んだ! 違う! バルジャン閣下じゃねぇべ! けんど……だとしたら、これは誰だべ?」
ゾフィーは眉根を寄せながらも、つかつかと棺に歩み寄る。そして彼女は無造作にデスマスクを掴み、遺体の顔を曝け出す。
「身体だけ見ても埒があかぬ。顔を見なければ――……ん、む……顔つきはよく似ているようだが」
「違うべ! バルジャン閣下は額の上の方に傷があって――だから前髪で隠していただ! だどもこの死体、その傷がねぇべ! だからこれはッ!」
ヴィルヘルミネはついに、ミイラ化した遺体の顔を見てしまった。口から魂が抜けそうだ。ゾフィー、なんてことをしてくれたの――などと思っている。
「ではダントリク、これはバルジャン閣下のご遺体ではないのだな? これを改めて解剖しても、閣下の死の真相は得られないのだな?」
奥歯をギリと噛み締めて、オーギュスト=ランベールが拳を握る。
「解剖……ッ!?」
ヴィルヘルミネが白目をむく。しかし今は皆がバルジャンに注目しており、誰も彼女の変顔を見ていない。よって女王の威厳は保たれた。
階の下からポール=ラザールが肩を竦め、つまらなそうに言った。
「そういうことになるな、ランベール将軍。つまり、これでは革命政府が確実にバルジャン将軍を謀殺した、という証拠が揃わぬことになる」
紅玉の瞳を正面に戻したヴィルヘルミネは心の顔面を蒼白にして、カクカクと首を上下に振っている。つまり彼女は放心状態にあるのだが、元が無表情な美貌ゆえ、そんな風には誰も思わない。どころか、ラザールの言葉を肯定するが如き仕草に見えていた。
「つまりヴィルヘルミネ様は、バルジャン閣下が謀殺されたこと自体を疑ってはおいででねぇだか?」
ダントリクが悲しげに言うとゾフィーは彼女の肩に手を乗せ、頭を振った。
「我ら億の単位で及ばぬ身なれば、陛下がなにゆえ棺に疑念を抱かれたのか、知る由もない――……ヴィルヘルミネ様、無知にして蒙昧なる我らに、どうかご説明をお願い致します」
流れるような動作で片膝を付き、赤毛の女王に頭を垂れるゾフィー。対するヴィルヘルミネは、相変わらずの放心状態だ。上擦ってもなお冷厳な声で、「ラザール、早く蓋を閉めよ」と言おうとした。
「ラザール……」
いきなりの名指しにドキっとしたポール=ラザールは、威儀を正して申し述べる。まさか今、女王が蓋を閉めろと言いたいなんて誰もが思わなかった。従って彼は空気を読み、女王の意図と思しきことを説明したのである。
「は、ははっ。陛下の御意とあらば、お二方にご説明申し上げる。つまり我らはバルジャン将軍を革命政府が謀殺したとの理由を挙げて、彼らの非道を追及した。文章等の証拠は既に揃えたが――しかし肝心かなめの解剖所見は病死のままだ」
「それはそうだが、そんなものを大衆が目にする訳ではなかろう?」
ゾフィーは形の良い細眉を顰め、ラザールに疑問を呈す。
「むろん、大衆は。しかしながら、これを理由に行方不明となったマクシミリアン=アギュロンが、どこぞで再起を図らんとも限らんのです――つまり連邦王国はバルジャン将軍の死を我らの責任とし、ランスの併合を画策した。断固、自由と主権を守るべし、とでも言うのでしょう。なにせ弁論こそ、彼らの依って立つところですからな」
「そういうことだ、ゾフィー=ドロテア。今でもマクシミリアン=アギュロンを信奉する地方都市は多い。まさしく奴は、再起を狙っているのだろう。だから我が兄ファーブル=ランベールも逃げ出したのだ――忌々しいッ!」
オーギュスト=ランベールは拳を握り締め、歯噛みした。
彼らに再起の道を残したまま逃がしたとなれば、今回の行動も画竜点睛を欠く。最悪の場合、ランスを二分する内戦となろう。そんなことこそ、バルジャンは望まないはずだ。
けれどダントリクはバルジャン生存という希望に心を占められ、稀有な才能を持つ頭脳を今は活かせないでいる。ならば俺がやるしかないのだと自らに言い聞かせ、オーギュスト=ランベールはヴィルヘルミネに対し、マクシミリアン=アギュロン及びファーブル=ランベール追討を願い出るのだった。
二か月くらい……あいてしまった……




