84 ヴィルヘルミネの決心
女王が大聖堂に辿り着くと、高らかに鐘の音が鳴り響いた。まるで大天使が降臨したかの如く、である。このような演出に彩られたというのも女王の行幸を知ったランス大司教が、新たな主に諂わんが為であった。
それというのもランス大司教は、新教皇ルクレール=ド=レアンと不仲なのだ。どころか、教皇庁により選ばれた大司教ですらない。なぜなら革命政府により選任された、もとは一介の司祭だったからである。
ならば「民衆に信任されたのだ」と、叩き上げの気概でも見せればよかったのだが、彼の望みは手にした大司教座を手放したくなかっただけという質の悪さであった。
だから出迎える大司教は新教皇を足下に置くヴィルヘルミネに対し、明らかにへりくだっている。なんとか女王に口添えを頼み、新教皇からランス大司教として認めて貰いたいからだ。
「早速ながらヴィルヘルミネ陛下に玉体をお運び頂き、光栄至極に存じます」
僧衣を翻して跪き、女王の足元に接吻をする。けれどヴィルヘルミネは、その顔を一瞥するや眉間に皺を寄せた。なぜなら顔面点数が低かったからだ。
「なんじゃ、卿は?」
「はい、拙僧はランス大司教の――……と、申しましても聖都カメリアに選ばれたわけではなく、何と言いましょうか、ええと、先の革命政府を自称する反徒どもから教えを守る為に、致し方なく大司教を名乗りました次第でして、はい」
「む、む?」
「いやそのまあ、便宜上は反徒どもの要請に従いはしましたが、しかしこれも信仰を守る為でして致し方なく」
「……つまり卿はアレじゃな」
「いや、いや、いや。このようなことを話している場合ではありませんな。では陛下、さっそく大聖堂の中へ、さ、さ、ご案内致しまする」
「案内などいらぬ。そも貴様、つまるところ似非大司教ということじゃろ?」
「え、似非!?」
頬をヒクつかせて怒りを露わにする赤毛の女王。対して大司教を僭称する男は怯え、首を左右にブンブンと振っている。
「決して、決して似非などではッ! ただ、この大聖堂の為を思い、ランスの民の為になればとッ! 革命政府に乞われ、無辜の民の為と言われれば、誰が断れましょうやッ!」
「しらん。べつに貴様でなくとも良かったじゃろ、大司教なぞ」
「そんなもの!?」
「ああ、煩いのう……もう一度言う、案内などいらぬ」
あまりにも冷徹な紅玉の瞳、その先にあるのは顔面点数五十点の中年だ。もはや我慢も限界、いよいよヴィルヘルミネは目の前の男を一つ、パチコーンと引っ叩きたくなっていた。
けれど人生経験を積み、女王としてやって良いこと悪いこと、というのをちょっとは学んだヴィルヘルミネだ。いきなり殴るほど、もう子供ではない。ただ残念なことに、怒りの表情だけは隠しきれなかった。
一方、付き従う一同は女王がまさか、これほど下らない理由で怒っているとは思わない。なんとなれば女王の向かう先が、大聖堂の中ではないからだ。だというのに目の前に現れて、呼んでもいない自称大司教がヴィルヘルミネの行く手を妨げた――そう思ったのである。
ましてや彼が女王に近づく意図は明白だ。ランスの大司教と名乗ってはいるが――聖都カメリアが認めていないのだから僭称である。これをどうにか認めて欲しいと、そういう意図が透けて見えた。
となれば誰がみても浅ましい、聖職者にあるまじき行為と映っている。女王が怒りを露わにするのも、至極当然と思われた。
「卿に会いに来たわけではない」
ゾフィーがズイと進み出て、赤毛の女王に縋る大司教を見下した。軽く刀剣の柄に手を添える彼女の威風は、もはや歴戦の猛将のそれである。
ビクリと肩を震わせて、大司教は恭しく腰を屈めたままで下がっていく。もうダメだ。殺られる、と思ったのだ。背中は汗でびっしょりだった。
「……そ、それでは、ごご、ご、ご御用の際は、な、なんなりとお申し付けください」
「ふん」
ブサメンなど視界にすら入れたくない赤毛の女王は、ツイと顔を背けて言う。すると視線の先に一つの立像を見つけることが出来た。むしろこれこそが目的の、つまりはバルジャンの墓所である。
ごく自然に足を立像の方角へと向け、ヴィルヘルミネは歩みを進める。ゾフィーやオーギュスト、そしてダントリクの目には風に靡く女王の赤毛が、燃え立つような怒りに見えた。
「大司教の思惑など、ミーネ様はお見通しだ。だからこそ怒っておられる。フフッ、そういうことも、わたしだから分かるというもの」
ゾフィーは少し、悦に入っていた。けれどヴィルヘルミネの意図とは全然違う。
「流石だな、ゾフィー=ドロテア。今の君を見たら、きっとアデリーも喜ぶだろう」
「そ、そうだろうか……そうであればいいな」
「ああ、そうさ。彼女の婚約者である俺、オーギュスト=ランベールが保証する」
爽やかな銀髪イケメンが、白い歯を見せて笑う。だが残念ながら、誰一人として女王の真意を理解する者はいなかった。
■■■■
秋晴れの空の下、大聖堂の一角に佇むバルジャン像を見上げ、赤毛の女王は溜息を吐いた。
その像は黄金色に光り輝き、沈着冷静そうな甘いマスクに爽やかな微笑を湛えている。そして「――革命の英雄、ここに眠る」と銘が打たれていた。
「なんじゃ、これ……」
有体に言えばヴィルヘルミネがイメージする「ポンコツのバルジャン」からは、余りにかけ離れている。だからなんかこう――……イラっとした。
赤毛の女王は颯爽と振り返り、皆に言い放つ。
「ヤツとは似ても似つかぬ。このような像は壊すのじゃ」
三歩下がり控えていたダントリクも、拳を強く握り締め頷く。
「んだ……バルジャン閣下はこんな風に颯爽となんてしていねぇ。もっと優しぐで……暖けぇお顔をされていただ。壊してくんろ」
彼女にしてみればバルジャンには、ただ生きていて欲しかった。英雄などでなくてもいい、無様であってもいいから彼には傍にいて欲しかったのだ。それなのに殺され敵に祭り上げられた姿など、目にするだけで腸が煮えくり返る思いであった。
オーギュルト=ランベールは無言で頷いている。
兄がバルジャンを殺したと知ればこそ、その怒りを己にも向けざるを得ない。だからと吠えてみたところで、逃走したファーブル=ランベールが見つかるはずもなく。だからせめて像だけでも破壊して、故人の遺志を尊重しようと思ったのだ。
ゾフィーは大きく頷いた。
「革命の英雄などと銘打たれた黄金像などあっては、本人にとってもさぞや不愉快でしょう」
金髪碧眼の若き女将軍は、バルジャンの女王に対する忠誠心を信じている。であれば死後、革命政府の手先であったとの痕跡が残ることこそ不本意であろう。だから「断固、壊すべし!」と声高に叫んでいた。
皆の賛同を得て、ヴィルヘルミネは「んむ!」と頷いた。言い出しっぺが自分だけに、いまさら「ちょっと待て」とは言えない。
正直、内心は「どうして誰も止めてくれないの?」とガクブルだ。皆の意見を聞いていたら少しだけ冷静になった女王は、ここが「お墓」であることを思い出していた。
――あかん、これ呪われるやつ。
なんて思ったが、立派に後の祭り。チキンハーティスト・ヴィルヘルミネは皆に忖度し、しっかりキッパリ言い放つ。
「ではさっそく、このような像は壊してしまうのじゃ……」
もちろん小心なヴィルヘルミネのこと、まさか本当に像を壊そうなんて思っていない。今でも「誰か、止めて! 余を止めて!」と藁にも縋る思いである。だから今も、チラチラと傍にいる臣下の挙動を盗み見ていた。
なのに、ゾフィーは相変わらず主君の遺志を勘違い。「御意」と言うが早いか、後ろ手を組むポール=ラザールに目配せをしてみせた。
「ラザール、女王陛下の思し召しである。目障りな像を、即刻撤去せよ」
赤毛の女王はギョッとして、思わず目を丸くした。いよいよ後戻りが出来ない。このままでは呪怨街道一直線だ、超怖い。
「は、は、は。それは少々、もったいのうございますな」
ラザールの言葉にホッとして、ヴィルヘルミネは目を細めた。「よく言ってくれた」と思ったのであろう。けれど傍から見れば、ラザールの言葉に失望して目を細めたようにしか思えなかった。だからラザールは慌てて言葉を繋ぎ、腰を折って見せる。平身低頭だ。
「と、とはいえ、所詮は金メッキの張りぼて。中身は鉛で出来た無粋な像であれば、砲弾にでも鋳造しなおせば損もありますまい――はは、は、は、それが良い!」
ラザールは二度ほど手を叩き、二人の部下を呼び寄せた。
こうしてバルジャン像は跡形もなく破壊され、別に改めて生前に遡り肖像画が描かれるのだが。
にしても――「壊せ」と口にした赤毛の女王本人は、のちに事の進む速さに驚いたという。
そして、もう少し考えてから言葉を口にしよう、と決意したとかしないとか。
――むう……これはもう、余のせいではないのじゃ。
ともあれ今回は天上界から目を逸らし、誰かのせいだと心に決めたヴィルヘルミネ様なのであった。




