83 女王の涙は帝冠へと続く
上階ある女王の寝室において奇天烈なことが起きている最中、フェルディナ公使館には早朝から多くの者が集まっていた。その理由はヴィルヘルミネの存在により、ここが一躍ランスの大本営となったからだ。
なにせ赤毛の女王は昔から、動く大本営と呼ばれていた。であれば彼女あるところ、すなわち国家の中枢なのである。むろん、本人に大した自覚は無いのだが――……。
ともあれランスの王党派にとっては、今こそ王政復古の大号令をかけるべきとき。緩やかな立憲王政を目指す勢力にとっても、むろん正念場だ。革命政府のやり方には賛成できなかったが、せっかく生まれた自由民主の灯は消したくない。とくればヴィルヘルミネの下、ランスの議会存続を保証してもらい、あわよくば第一政党を目指したいのである。
ゆえに早朝にも関わらず公使館一階のホールには王党派を名乗る富豪や、一昨日までは冷や飯食いであった政治家たちが大勢、参集しているのだ。
けれどヴィルヘルミネ本人にランスの政治的中心であるという自覚があるはずもなく、「ぐぬぬ、バルジャンめ。余に断りもなく勝手に死におって。しかもダントリクが女であれば、卿は真なる自由の戦士ではないではないかッ!」などと不思議な怒りを再燃させている最中であった。
「よし、バルジャンの墓へ行くのじゃ。余は真実を確かめねばならぬ」
ヴィルヘルミネは寝台の上にすっくと立つと、腰に手をあて決然たる意志を口にした。柔らかなマットに白磁のような足が埋まり、ヨロリと揺れる。
顔はどこまでも冷徹そうなのに、やっていることは幼児とさして変わらない赤毛の女王であった。
「それがよろしいかと。彼の死の真相については、改めて解剖する必要があるかも知れませんし……」
ゾフィーの言葉に、ダンドリクは血涙を滲ませ頷いた。
「バルジャン閣下が謀殺されたことは間違いなく、その記録はもう見つけてある。んだども実際に遺体を見ないことには……最後にどんな目にあったかとか……それ次第ではオラ、オラは……!」
本来であれば敗色濃厚となった時点で革命政府側は、自らの正当性を崩すような書類は焼却すべきだったのだ。しかしヴィルヘルミネが放たせた大砲の一撃は彼らの戦意を挫き、重要書類を隠滅、破棄する時間さえも奪ったのである。
まさに女王の烈火の如き怒り(勘違い)を前に、防衛の責任者は降伏を優先させてしまった。それが為に謀殺の事実を証明する書類が、ついに明るみへ出たのである。
これを読みダントリクは、いよいよバルジャンの遺体を確認せねばならぬとヴィルヘルミネの許可を得に来た――という次第であった。
もっとも、実務面に優れた彼女のこと。情報は情報として扱い、革命政府の悪行を新聞各社に流し、瞬く間に「ヴィルヘルミネこそ正義」という世論を作り上げている。そうした強かさもダントリクは合わせ持っていた。
とはいえ護国の英雄バルジャンが、革命政府に殺されていたのだ。そして彼が後事を託そうとしていた人物こそ女王ヴィルヘルミネなのだから、民衆の扇動など彼女にとっては容易いものであったのだろう。
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午前十時、身支度を終えたヴィルヘルミネは謁見を待つ人々を尻目に馬車へ乗った。
バルジャンの遺体は大聖堂に安置されており、「革命の英雄」と銘のある銅像も政府が国費を投じつくっていた。
銅像が建立された場所は、かつてヴィルヘルミネがグスターヴ師団と戦ったおりに陣取った場所だ。だから大聖堂へと向かう道すがら、いくら何も考えない女王とはいえ、色々と思う所はあった。
「マコーレ=ド=バルジャン……余に対し勝ち逃げをしおって。それだけではないぞ……いや、そんなことよりも……卿の理想は、余と同じものだとばかり思っておったのに、それを……」
といっても勝ち逃げされたのは、チェスのこと。理想は無論、言わずもがな、である。しかし馬車に同乗するダントリクはハッとして、目にいっぱいの涙を溜めて言う。
「ヴィルヘルミネ様は、陛下はそこまでバルジャン将軍のことを評価して下さっていただか……」
「まさに英雄は英雄を知る――だ」
隣に座るダントリクに、オーギュストが頷いてみせる。その向かい、ヴィルヘルミネの隣でゾフィーが下唇を噛んでいた。
「バルジャン将軍……卿さえ生きていれば、アデリーだって死なずにすんだはずなのだ。卿こそ、ランスの庇護者ではなかったのか……」
ゾフィーの言葉に、ヴィルヘルミネの肩がぴくりと震えた。
ふいに、在りし日のアデライードの姿が思い起こされる。
――そうじゃ、アデリーとゾフィーは金髪の良いカップリングであったのに。余にもっと力があれば、アデリーもバルジャンも守れたかも知れぬ……ああ、余は、見守り要員失格なのじゃ……。
当時の力不足は否めないながらも自らの役割は大きく勘違いして、赤毛の女王は涙を溢れさせた。
紅玉の瞳から、ポロリ、ポロリ――大粒の涙が零れ落ちる。
馬車の外は、荒れ果てた街路だ。けれど女王の馬車を一目見ようと、女王の横顔だけでも拝もうと、多くの人々が沿道に並んでいる。
車窓から覗く女王の落涙する姿を見て、ランスの市民は皆が感動した。
革命政府が行った暴虐に、稀代の女王が涙してくれているのだと。
ならば今後は彼女こそ我らの主と信じ、グランヴィル市民の悲しい歓呼の声が響き渡る。
「「「女王陛下万歳!」」」
「「「我らが指導者ヴィルヘルミネ様、万歳!」」」
やがて誰が呼んだか――全ての言葉が一つに集約されていく。
「「「女帝陛下万歳!」」」
ここに歴史上初めて、ヴィルヘルミネ=フォン=フェルディナントは皇帝と呼ばれたのだ。
「ファッ!?」
女王は目を見開く。凛とした眼はギョッとしていただけなのだが、民衆には彼女が力強く視線を返してくれたようにしか見えない。カクカクと上下に揺れる美しい顎は、幾度も民の声に応え、頷いているようだ。
こうしてヴィルヘルミネはランスにおける人気を、いとも容易く不動のものにしたのであった。




