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81 理想の君主


 記録によれば十月二十六日のグランヴィルは、小雨が降っていたとある。しかしながら午前十時現在、曇天は未だ雨を降らさず、ただどんよりと女王の頭上を覆っていた。


 強行軍の後に軍事クーデターの神輿となって議事堂を陥落させたヴィルヘルミネは徹夜の甲斐もあって、今や疲労もマックスだ。彼女は湿った赤毛を手櫛で梳かし、大きなため息を吐く。燃えるような赤毛が、今にも鎮火しそうであった。


「――また、汚れてしまったのぅ」


 むろん、女王自身の髪のことだ。

 けれど傍で馬を並べるゾフィーは薄氷色の目を細め、感慨深げに頷いた。


「御意。どれ程の血が流れれば、この街は満足するというのでしょう。全てを雨が――洗い流してくれるというのならまだしも」

「うむ」


 いまいち会話が噛み合わなかった二人だが、とにかく眠たい女王は無言で頷いた。そう言われれば、そんな気もするからだ。


 ヴィルヘルミネはその後、旧フェルディナント公使館へと向かった。

 バルジャンの死後、革命政府側としても殊更ヴィルヘルミネと敵対する意思は示しておらず、またポール=ラザールが裏から手を回していた。ゆえに今回の騒動にあっても、旧フェルディナント公使館は戦禍を逃れていたのである。


 女王が公使館に到着すると、ポール=ラザールは玄関口で恭しく片膝を付いていた。その姿を見てオーギュストは、誰にも聞こえないよう舌打ちをする。

 どのような局面においても財を増やし、勝者の側にいる薄気味の悪い男――そんな風にオーギュストはポール=ラザールを見ていたからだ。


 けれどヴィルヘルミネは黒髪金眼の豪商にして政治家、そしてダランベル連邦王国の諜報員であったこの男に微笑み掛けた。だって八十八点のイケオジなのだ、無下に出来る訳がない。


「世話を掛けたの、ラザールよ」


 ヴィルヘルミネはポール=ラザールの金眼をじっとみつめ、それから手を取り立ち上がらせると彼の肩をポンポンと叩く。他意は無い。イケオジっぷりをしっかりと確認しただけである。


 だがこれを女王に値踏みをされたと勘違いしたラザールは、恐怖に高鳴る心臓の鼓動をひた隠し、震える声で静かに応えた。冷徹無比と評判のヴィルヘルミネだ、「世話を掛けた」などと言葉通りの意味にとれば命が危ないと考えた。


「とんでもございません、陛下」

「とんでもないことは無かろう、ラザールよ。褒美をとらす、望みのモノを言え」


 ヴィルヘルミネは衣食住を確保して待っていたラザールに対し、本当に感謝をしていた。ましてや相手はイケオジだ、褒美をやるのも吝かではない。だから当然のこととして今の言葉を言うのだが……。


「は……いえ、望みなど、何も。臣は勤めを果たしただけにございますれば……」

「ほう、望みなど無いと申すか? 卿は無欲じゃの」

「は、臣に唯一の望みがあるとするならば、いつまでも陛下にお仕えすることにございます」


 我知らず、我欲に満ちていたポール=ラザールは自身の言動に驚いた。ごく自然に自らを「臣」と名乗り、犬のような忠誠を示すなど、と――自嘲の笑みが浮かびそうだ。しかし目の前には女王がいる。だからこれを飲み込み、半歩だけ後ろへ下がると頭を垂れた。


 この姿を見て、オーギュストは目を見開く。我欲に満ちた男の望みが、ただヴィルヘルミネの臣下で居続けることだけだなどとは信じられないからだ。

 しかし彼の尽力なくして、今回の王政復古はあり得なかった。私財をなげうった、との話も聞いている。むろん彼がダランベル連邦王国と太いパイプを持っていればこそ、後々の回収も見込めるのであろう。

 

 だがこれが忠誠心ゆえのことであったのなら、話は大きく変わってくる。まさか――自ら「臣」と名乗るとは……けれどやはり、オーギュストにはラザールの言葉が断じて信じられなかった。

 だからオーギュスト=ランベールは女王の前から遠ざかり、自身の横に立つラザールをジロリと睨んで言う。


「ポール=ラザール卿、その心は本物か? であれば良いが、俺が貴様の背中に銃口をつきつけていること位は、忘れんで欲しいものだ」


 ここでようやく自嘲の笑みを浮かべ、ラザールは若き将軍に向き直る。


「野蛮だな、戦争屋。私の忠誠は金貨より重いよ。であれば当然、本心であろうさ」

「戦争や政治を商売のように言うな、ラザール」

「いいや、商売だよ、ランベールの弟。ヴィルヘルミネ様は私の忠誠を、誰より高く買ってくれたのさ。貴殿のように銃口によって忠誠を得ようなどと、野蛮なことは考えずに、な。だから私は、あの方の手足となる。自分が損をしない範囲で、な」

「ぬけぬけと言う。ならば今回の一件さえ、貴様は商売だというのか?」

「そうさ。それが分かっているからこそ、ヴィルヘルミネ様は一夜にして反革命を成し遂げた。逆に、そこを勘違いした者共――それこそ革命政府の輩こそ、無用の血を多く流しただけで得るものも無い」

「自らを正当化するな、ラザール。だからと金で流れる血を制御できるわけもない。少なくともヴィルヘルミネ様は、政治を商売になどしていないぞ」

「ふん……分かっておらんな、戦争屋。政治と金と戦争は、切っても切れん関係なのだ。その辺を分からぬのなら、オーギュスト=ランベール、君は永遠に戦争屋だ。弾道だけを計算して、狭い範囲で生きるがいいさ」

「分からないとは、言っていない。ただ、損得勘定を先にするなと言っている」

「そういう価値観は危ういぞ、ランベール。少なくともそれでは、いずれ女王陛下に損をさせる」

「違うぞ、ラザール。貴様の価値観こそ、いずれヴィルヘルミネ様に危険を齎すものだ」


 睨み合い一歩も譲らぬイケメンとイケオジを見て、ヴィルヘルミネはご満悦だ。

 しかしもう、本当に眠い。なので一言「双方、大儀である。じゃが下がれ」とだけ言い、颯爽と浴室へ向かうのだった。

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