80 グランヴィル炎上
穏やかとは言えない秋の海を越え、ヴィルヘルミネがランスへ入ったのは十月も下旬に入ってからであった。といっても南部の港から首都グランヴィルまでが、また長い。長いのだが残された記録によれば僅か五日で、この距離を踏破したというのだから、赤毛の女王は殆ど眠らずに馬を飛ばしたことになる。
だが、どうあれ歴史的事実としてヴィルヘルミネは十月二十五日、首都グランヴィルへ入った。つい数日前までエスケンデレイにおいてサマルカード軍と対峙していたにも関わらず、だ。しかも彼女に同行したのは、ゾフィー率いる近衛の一個小隊とダントリクだけである。
「一国の主として、いったい何を考えているのか、無責任にも程がある」と良識ある王族ならば言いそうだ。
ともあれヴィルヘルミネの電撃行は当時、同業者にバレることなく完遂された。つまりは無事、夜陰に紛れグランヴィルの巨大な城門の前に辿り着いたのである。お陰で彼女は、懐かしい銀髪赤眼の青年に再会することが出来たのであった。
「ミーネ――……いや、ヴィルヘルミネ陛下。全ての準備は整っておりますれば、あとはご下命あるだけにございます」
国民衛兵隊の徽章を外し、赤毛の女王に敬礼を向けてオーギュスト=ランベールは言う。最初は少しくだけた、けれど恭しく言い直した口調であった。
そんな彼だが、表情は以前に比べて影がある。アデライードの死と、その復讐に燃える心がオーギュストに深く暗い影を落としたのだ。しかしだからこそ、イケメンっぷりは三点増しである。なので赤毛の女王は「ひゃ、百点超えぇぇ~~!」と叫び、うっかりキュン死にするところなのであった。
「……ひゃく……で、あるか」
未だ馬上にあり、乱れた赤毛をかき上げながら女王は頷いた。けれどすぐに顔を背け、大きなため息を吐く。胸がドキドキ、心はキュンキュンだ。
とはいえ正直眠た過ぎて、ヴィルヘルミネは自分の思考が理解できない。というか何でこれほどの急行軍だったのか、その点を未だ理解していない赤毛の女王なのである。
だというのにオーギュスト=ランベールはイケメン過ぎて、対比する自分の身嗜みが心配になってしまった。埃っぽい髪と顔、そして汚れた軍服が恥ずかしくてたまらない。
化粧がしたいとまでは言わないが、せめてお風呂には入りたかった。服だって着替えたい。着の身着のままというわけではないが、汚れた軍服ではちょっと可愛くないぞ、余――と思っていた。
――あ、そうか、オーギュは全ての準備が出来たと言うておったの。
全ての準備が出来たというからには、これこそお風呂の準備に違いないだろうとヴィルヘルミネは考えた。だったら着替えもあるのかな? なんて考える彼女は、相変わらずのお花畑脳であった。
「準備が整ったというからには、むろん新たなる衣も用意できているのであろうな?」
赤毛の女王は口の端を歪めて問うた。むろん正真正銘の着替えについてだ。凄惨に見える笑みは生まれつきである。
オーギュストは緊張感に身を震わせて、再び恭しく頭を垂れた。
「御意、万事ぬかりなく。まもなく新たなる衣が手に入りましょう」
「で、あるか。ならば早々に手配せよ」
ヴィルヘルミネは、お風呂に入ろうとした。ウキウキだ。お風呂に入って綺麗になったら、改めてオーギュとお話しよう。きっと眠気も吹っ飛ぶぞ。だから笑みも浮かんだのであろう。
しかし薄幸のイケメン、オーギュスト=ランベールはもちろん勘違いだ。絶対女王はきっと、僅かの失敗も許さない――そう思うからこその緊張感であった。
「女王陛下の思し召しであるッ! 王国の興廃、この一戦にあり。総員、一層の奮励努力をせよッ!」
言うが早いか、オーギュスト=ランベールが振り上げた手を勢いよく振り下ろす。すると砲声が四つ轟き――――ドン、ドン、ドン、ドン! 次の瞬間、グランヴィルの街中から赤く燃える炎が立ち上った。
「――王国の興廃? 余の着替えの問題なのじゃが、じゃが?」
ヴィルヘルミネは首を傾げ、「あれぇ? 何かが始まったけれど、あれでお風呂のお湯を沸かすのかな?」などと素っ頓狂なことを考えている。
――むぅ、着替えはどこじゃ?
着替えがあるとすれば、それはランスという国家の政体という衣であろう。これを共和制から王政に――何なら同君連合という新たな衣に着替えさせることである。だから――
「さあ、皆、共和制という血塗れの服を破り捨て、女王陛下がお創りになる新たな衣に着替えるぞッ!」
「「「おおおおおッ!」」」
誰が言ったか知らないが、そんな言葉を合図に鬨の声が上がってしまう。
もちろんヴィルヘルミネの内心は、「そんなこと一言も言っておらぬのじゃが、じゃが?」というものだ。
けれど顔だけは端正すぎる程に端正で冷淡に見える女王のこと、「ぬるい」と言わんばかりの表情に見えたから、ダントリクも表情を引き締め進言をした。
「朝までに陸、海軍省、王宮、議会、銀行、行政府――その全てを軍事的に掌握する手筈はついているんさ。オラ、もう二度と失敗なんてしねぇだ」
「で、あるか……」
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実際、オーギュスト=ランベールとアリス=ダントリクの計画に抜かりは無く、反革命軍はグランヴィルの大半を一夜のうちに制圧した。しかしながら革命政府の本拠とも言うべき議事堂は、堅牢なバリケードを幾重にも巡らせ持ちこたえている。
むろん一夜のうちに数多の施設を制圧する必要があったから、首都に集めた王党派――というよりバルジャンが残した軍閥の残滓とも呼べる兵力八〇〇〇も必然、分散している状況だ。
したがって議事堂の防衛兵力五〇〇に対しヴィルヘルミネ側の持てる兵力は三〇〇であり、いかにも苦戦を免れないのは必然であった。
けれど、ここに至り眠気のピークに達した赤毛の女王は怒りの頂点にも達していた。だって、お風呂にも入れないのだ。話が違う。ぜんぜん違う。なんでサマルカードの野戦から解放されたと思ったら、ランスで市街戦に突入しているのか。
とはいえバリケードを破らなければ、お風呂にも入れない。そう考えたヴィルヘルミネは唇の端をひくつかせ、このように命令を下した。キレたのだ。
「砲の仰角を水平にし、バリケードを破砕せよ」
至近距離で銃撃戦の指揮を執っていたオーギュストは、思わず目を見開いた。ヴィルヘルミネがいるというだけで、こちらの士気は上がっている。だから敵の数が多いとはいえ、勝利は遠からず訪れるのだ。にも拘らず、赤毛の女王は容赦をするなと言う。それだけ怒りが深いということであろうか。
「し、しかし陛下――……敵軍も元はと言えばランスの民です。そこへ砲を直接向けるというのは……」
「余は、撃てと言うておる」
しっかりと座った紅玉の瞳に、銀髪の美将は息を呑む。これが二十歳にならずして、大陸を席捲する女王の威なのであろう。オーギュストは二の句を次げず、彼女の命令に従う他に無かった。
砲弾を放つと敵側はバリケードと共に、幾多の命が飛び散った。けれど大砲を持たない彼らに対抗する術はなく、結果として一撃で革命側を降伏させることに成功したのである。
であれば失う命も最小限であったのだとオーギュストは理解して、ヴィルヘルミネの凄みがいや増すばかりなのであった。
こうして十月二十六日、午前十時――グランヴィルは火の手が収まると同時に「王都」の称号を取り戻し、革命政府は潰えたのである。
とはいえ革命政府の首班であったマクシミリアン=アギュロン、およびファーブル=ランベールの姿は忽然と消えていたのだった。




