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78 ランスから吹く風


 薄暗い屋根裏部屋で一人、ダントリクが新聞を握り締め落涙した。

 新聞の記事には、「ダランベル連邦王国女王ヴィルヘルミネ陛下、メンフィスにおいて奴隷解放を宣言」と書かれている。一方で同じ紙面に、それによりキーエフ帝国はランス制圧を後回しにしても、ダランベル連邦へ懲罰の為に軍を向けるだろう――との予測も書かれていた。


 かつてのダントリクはヴィルヘルミネに対し、才能に相応しく巨大な野心を持つ人物だと思っていた。けれどバルジャンは赤毛の女王こそ、崇高な理想を持つ人類の守護者に違いない――と語っていたのだ。


 むろんバルジャンにしてみればヴィルヘルミネこそ立身出世の原動力であり、強力な後ろ盾(勘違い)であったはずで、彼女を悪く言えるはずもない。


 とはいえ赤毛の女王は己の欲望に至極忠実だから、ある意味で純真無垢な夢想家なのだ。ゆえにヴィルヘルミネが腐乱した妄想に心を羽ばたかせている様をしばしば目にしていたバルジャンであればこそ、彼女が崇高な理想を胸に秘めていると誤解しても、それは仕方のないことだったのだろう。


「奴隷解放――これが目的だったなんて……ヴィルヘルミネ様はやっぱり、バルジャン閣下の仰る通りのお方だったべ」


 ダンドリクが震える声で故人の名を呼んだ瞬間、激しい打撃音と共に怒声が聞こえてきた。


「自分の足で歩け、この反革命分子がッ!」


 新聞をテーブルに置くと、ダントリクは窓に顔を寄せて下を見る。すると革命政府直属の警官隊が隊列を作り、政治犯と思しき数人の男女を引きずっていた。


 ――いつものことだ。


 己に言い聞かせながらも、ダントリクの美しい眉間に小さな皺が寄る。

 

 バルジャンが死に、アデライードや国王夫妻が処刑されたのちのランスは、まさに地獄であった。キーエフという外敵に領土を侵され、革命政府という病に内側を焼かれているのだから。

 あるいは双方に対する特効薬があったとするならば、それこそがマコーレ=ド=バルジャンであっただろう。そう思うほどにアリス=ダントリクの心は、深く悲しみの闇に沈むのであった。


 しかし、だからこそダントリクはバルジャンを死せる英雄として終わらせたくはない。ゆえに彼の名の下にオーギュスト=ランベールと協力をし、ある計画を実行に移すべく同志を募っていた。そして今こそ、時が来たのだ。


 ――――ダンダンダン。


 慌ただしく木製の階段を駆け上がる音が聞こえる。力強く、けれどもしなやかな美しい音だ。バタンと扉が勢いよく開き、銀髪の美しい青年が部屋に入ってきた。国民衛兵隊ガルドナシオナル予備役中将のオーギュスト=ランベールだ。


「アリス、新聞は見たか!?」

「――ん、時はきた、というべきだべな。それにしてもオラ、やっぱりヴィルヘルミネ様を見誤っていただ。政戦両略の天才にして史上まれにみる野心家だと思っていただども、真意が奴隷解放にあっただなんてなぁ」

「だからこそバルジャン閣下は唯一、あの方にのみ膝を折ったのだろうさ」

「それはランベール将軍、あなたもだべ」

「ああ、そうだ。あの方こそ世界を統べる君主として相応しい」

「……んだなや。今ならオラも、心からそう思えるだ」


 軽く頷き、微苦笑を浮かべながらダントリクは眼鏡をはずす。栗色の瞳が知性を湛え、同時に故人の無念を今こそ晴らすと決意に燃えていた。


「もう間もなく十月二十八日――国王ご夫妻が処刑されて一年になる。まさに運命と言うべきだな、ダントリク」

「――んだな。さっさと革命政府を潰して、二十八日に王政復古の宣言をして頂くしかないべ。民衆の代表よりもはるかに民のことを考えて下さる新たな女王、ヴィルヘルミネ様になッ!」


 近頃は美しくなりすぎて女性であることを誤魔化しきれなくなったアリス=ダントリクと、男性にしては美しすぎるオーギュスト=ランベールは頷きあった。

 こうして革命政府を打倒すべく、軍事クーデター計画はいよいよ主役ミーネを抜きにして始まったのである。


 ■■■■


 十月七日未明、エスケンデレイの港を警備していたエリザ=ド=クルーズの艦隊が、一隻の怪しげな商船を拿捕した。その乗組員の中に「ヴィルヘルミネ様に目通り」を望む美貌の少女がおり、「ダントリクが会いにきたと伝えれば、わかっていただける!」とだけ、彼女は頑なに言っているという。


 翌朝、要領を得ない部下の説明に辟易として、エリザは吸っていた葉巻を海へと投げ捨てた。

 雲一つない秋晴れの海で、旗艦リンドヴルムは朝の喧騒に包まれている。そんな中、報告を齎した哨戒艦の艦長をエリザはジロリと睨み据えた。


「そいつが美しい女だってこたぁ十分に伝わったよ。で、ほかに特徴は無いのかい?」

「あ、それならば……ランス訛りがあると言いますか、不思議な帝国公用語を喋ります。それに、陛下とはご学友である、とも」

「陛下のご学友で訛りのある言葉を話す女……ねぇ」


 深淵のような黒い瞳を宙へ滑らせ、エリザは記憶の糸口に触れた。そのような特徴のある男子ならば記憶にあるが、美しい女性となれば話は別だ――いや。


「――ああ、たしか眼鏡をかけてはいたが、たいそうな美少年ではあったか。ならば女装という線も……」


 実際のところはアリス=ダントリクが双子の兄セレスに成りすます為に男装をしていたのだが、その件をエリザは知る由もない。であればバルジャンの死後、彼の死の真相を探るべく地下へ潜ったダントリクが身分を偽り女装をしてきた、という可能性を考慮したのである。


「やはり、陛下のご学友なのでしょうか?」

「だからといって、確証は無いさ。となれば、いきなり陛下に会わせるわけにもいかないねぇ。いいさ――まずはアタシが会おうじゃないか」


 こうしてエリザ=ド=クルーズはセレス=ダントリク改め、アリス=ダントリクと数年ぶりに顔を合わせるのであった。

またしても大変お待たせいたしました!

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