77 特に何も考えていない女王様
「すべては計画通り、ということだが――しかし何という神算鬼謀! 流石です、ヴィルヘルミネ様ッ!」
十月一日、ダランベル連邦王国の首都バルトラインにおいて、若き美貌の宰相が自らの執務室で唸り声をあげた。
夏の残滓の短くなった昼が瞬く間に過ぎ去った――そんな夕暮れの時のことだ。プロイシェ王国で新たに国軍元帥となったジークムント王子が三万の軍を率い、北方よりキーエフ帝国の領土を侵したという情報が宰相府に齎されたからである。
むろん、そうなるように外交努力をしたのは当の本人、紫目の宰相ヘルムート=シュレーダーだ。
何しろルイーズが教皇にキーエフ皇帝の悪行を訴え、政治的に帝国が孤立するよう悪評を立てていたころ、一方でヘルムートはキーエフが軍事的に孤立するよう、列強各国に働きかけていたのである。
とはいえ彼は、それこそが主君ヴィルヘルミネの作戦だと勘違いしていた。ゆえに、同じく宰相府において同様の情報に接したラインハルト=ハドラーもポカンと口を開けて応じるしかなく……。
「ま、まさか陛下はルイーズ嬢をキーエフから解放することで、こうなることを予想していたってのかッ!? であれば我らが女王は、やはり神ッ!」
「ああ、ああ、そうとも、そうだとも! ラインハルト、やはり、あの方は我らの女神なのだ! なにせキーエフ帝国の卑劣な策略を逆手にとり、状況を逆転なさってみせた! それも遠く離れたメンフィスの地にありながらだぞッ!」
「つまりルイーズ嬢を救出することも含め、全ては外交においてキーエフ帝国を孤立させる為だったということか――……ああ、なんというお方だッ! 俺は今、猛烈に感動しているぞ、ヘルムートッ!」
「私もだ、ラインハルトッ!」
夕闇も迫るころ、執務室で宰相と内務大臣――ヴィルヘルミネの腐った目で見れば恋人同士のヘルムート=シュレーダーとラインハルト=ハドラーは、頷き合い祝杯をあげた。なんとなれば、つい二月前の連邦王国は絶体絶命ともいえる危地にあったのだ。それが今や、まったくもって覆りつつある。身も心も晴れやかな気分であった。
ランスを攻めていたキーエフの大軍が進路を変え、ダランベルの攻略に乗り出してきた時は二人とも肝を冷やしたものだ。しかも戦争の天才にして絶対君主(妄想)たるヴィルヘルミネは、軍の半数を率いて遠征の途上にある。
もちろんキーエフ軍との戦闘にあたり、参謀総長トリスタン=ケッセルリンクは「決して敗北はしない」と確約したが、それでも二人の内政家は不安を消すことが出来なかった。
何しろ王国始まって以来の二正面作戦だし、戦争が長引けば国家財政とて破綻しかねない。ましてやキーエフ帝国と自国の国力比は、良く見積もって八対一。であれば早期に軍事的勝利を手にし、適度な条件で講和するしかないと考えてもいた。
それが蓋を開けてみれば、政戦両略の天才ヴィルヘルミネが――すなわち敬愛する絶対君主たる赤毛の女王が勝利に通じる一手を打ったのだ。まさに針を糸に通すが如しで、僅かの隙間を突いたと言える。
ゆえにヘルムートは、全力で彼女の考えた作戦をサポートした。少なくとも彼は、そのように考えていた。だから――……
「世界の事象はすべて、ヴィルヘルミネ様の掌の上にある。近頃は本当に、そう思うようになったよ。なぁ、ラインハルト……君もそう思わないか?」
窓辺に立って空に浮かび始めた星々の欠片を見つめ、ヘルムートは隣で目頭を熱くしている親友ラインハルト=ハドラーに葡萄酒の杯を掲げて見せた。
ハドラーも頷き、「ああ……あの方こそ、我らの真なる女神に違いない」と、感慨に耽るのだった。
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十月も下旬に入り、メンフィスと言えども肌寒くなってきた。先日、十七歳の誕生日を迎えたばかりの女王は、エスケンデレイにある大王宮殿の露台に立ち遠く北方の海を眺めてる。その先に故郷、フェルディナントがあるからだ。
「……なかなか帰れないのぅ」
ジーメンスがルイーズを救出し、彼女が西部戦線に到着するやヴァレンシュタイン公国軍が味方に加わった。
状況がダランベル優位と見るや、プロイシェ軍が北方よりキーエフ帝国に対する攻撃を開始。これによりキーエフ軍は本国防衛の為に撤退を余儀なくされている。
となれば一先ずダランベル連邦王国の危機は去り、ヴィルヘルミネが帰国する準備は整ったかに思えるのだが――……残念ながらメンフィスにおいてテぺデレンリ・パシャの軍勢を未だ撃退することが出来ず、赤毛の女王は足止めを余儀なくされているのだった。
そうは言っても西部戦線においてトリスタンが勝利したとの報が齎されると、機を逸さずメディアを女王としてメンフィスには独立宣言をさせている。その上で奴隷解放を名目に軍団を徐々に南下させ、サマルカード王国に浸食された領土を取り戻してはいた。
しかしながら、戦局は一進一退の攻防だ。ムスタファに全てが二流と言われた男――テぺデレンリは、だからこそ部下を巧みに使い、戦っている。
加えて奴隷を手放したくない富裕層を味方に付け、メンフィス南部に拠点を築き国家を二分しようという方針に転換したらしい。
つまりテぺデレンリは八月以来攻勢に出ず、ひたすら南部の都市に籠っている、という状態なのであった。
「アール・テイマの暴動鎮圧といい、冷静沈着な用兵といい……テぺデレンリは敵ながら見事な男です」
雲一つない青空を見上げる女王の斜め後ろに立ち、ピンクブロンドの髪色をした青年が言う。このところ全軍の主将として軍を率い、テぺデレンリと相対していたエルウィンであった。
エルウィンとしては、敵を打ち破れない自分がもどかしい。赤毛の女王が出馬したなら、すぐにも決着が着くのではないかと思っている。
それでもヴィルヘルミネはエスケンデレイの大王宮殿に籠り、戦場に出ようとはしなかった。何かを待っているのではないか――と夜空色の瞳をした青年は思うのだが、だからと彼女が何を待っているのかはわからない。
――つまり僕は、やはりヴィルヘルミネ様に及ばない……。
海風に靡く長い赤毛を右手で抑える麗しの女王を見つめ、エルウィンは目を伏せた。これ以上彼女を眺めていたら、高まる気持ちを抑えることが困難になりそうだ。
ただでさえ十七歳を迎えた女王は、気高く美しい。ましてや今は潮風に交じり、彼女の好む香水の匂いが鼻孔を擽るのだ。しかしながら己の力量不足を嘆いている今、女王に対して邪な恋心を抱いている場合ではなかった。
「――で、あるか。エルウィンよ、だからこそ卿が倒さねばならぬ敵なのじゃ。なにせ余は、成さねばならぬことがあるでのぅ」
ヴィルヘルミネは振り向くと、唇の端を吊り上げて言う。眼光に宿る悪魔じみた愉悦の様は、エルウィンをして、その背筋を凍らせるものであった。
とはいえ女王自身は、単に「エルウィンが言うくらいじゃから、超怖い」と思っているだけである。ガクブルゆえに、思わず笑みも引き攣っただけなのだ。加えて「成さねばならぬこと」とは、「お家に帰る」ことだけであった。
けれどエルウィンは、「女王陛下には、きっと大望があるに違いない。だからこの程度の敵は、僕が打ち破らなければならないんだ!」と思っていた。
そして翌日、ヴィルヘルミネが待っていた大望を成す為の情報(みんなの勘違い)を、懐かしい人物が齎すことになるのである。
お待たせいたしました!




