76 姉妹の絆
九月二十五日、ヴァレンシュタイン公爵令嬢ルイーズが西部戦線におけるダランベル軍本営に到着した。するとすぐにもダランベル連邦王国旗の横にヴァレンシュタイン公国旗が翻り、敵の陣営からどよめきが上がっている。
「あ、あれは公爵家の――……ということは、ルイーズ様がいらっしゃる……?」
当然イシュトバーンの下にも、そうした情報は伝わった。同時にダランベル連邦軍より使者として、ヴァレンシュタイン公国軍本営に上級士官が訪れている。僅かの人数を随伴しただけの、エミーリアであった。
「我が名はエミーリア=フォン=ザルツァ、栄えあるダランベル連邦軍の師団長である。今の我らは敵同士であると存じているが、本日は訳あってヴァレンシュタイン公国軍の司令官に是非ともお目通り願いたい」
エミーリアが使者として選ばれたのは、当人が帝国貴族でもあるからだ。
ダランベル連邦軍において高級士官は、むしろ平民や下級貴族が多い。その中にあって辺境伯の令嬢たるエミーリアは、むしろ異色の存在であった。ゆえに今回、ヴァレンシュタイン公国軍への使者として選ばれたのである。
一方で敵陣に翻る公国旗のことを思えば、エミーリアの到来をイシュトバーンとて無下には出来ない。というよりヴィルヘルミネがルイーズのことに関し、何らかの手を打っているのではないかと考えてはいた。そういう戦い方をダランベル連邦軍が行っていたからだ。
だからイシュトバーンは、エミーリアを快く司令部天幕へ迎え入れたのである。
「急な会談の申し入れを聞き届けて頂き、感謝致します」
肩口で切りそろえたブルネットの髪を揺らし、エミーリアが連邦王国式の敬礼をイシュトバーンへ向けた。かつては兜のバイザーを上げる動作であったという、右手を顔の横に持ち上げる仕草だ。洗練された動きであった。
彼女の隣には、謎の仮面をつけた小柄な士官が立っている。女性のようだ。どうやら副官らしい。彼女も同じくイシュトバーンに敬礼を向けたが、慣れない手つきであった。
エミーリアが彼女の覆面の理由を、手短に説明した。
「失礼かもしれませんが、随伴の彼女は戦闘で顔に酷い傷を負っています」
「それで、覆面を……」
「はい。まだ若い女性士官だから、このように……」
「わかりました、その件は結構。それよりも……そちらの陣営に我が公爵家の旗が翻ったとなれば、まずは説明を。その為に来られたのでしょう?」
イシュトバーンは覆面の士官に一つ頷き、それからエミーリアに椅子を勧めた。
「え、私だけ椅子に? こちらのルイ――……いや、では、失礼します」
エミーリアは驚きの表情を見せたが、覆面の士官が副官と思われたなら当然だ。イシュトバーンは気にせず従卒に水を二つ所望し、自分とエミーリアの分を机の上に置かせた。
イシュトバーンとエミーリアは向かい合う形で座り、覆面の士官が肩をプルプルと震わせている。が、イシュトバーンは見向きもせず、まずはカップの水に口を付けていた。エミーリアの表情が硬いからだ。害意が無いことを示したかった。
とはいえエミーリアは、決して緊張している訳ではない。ましてや覆面の士官がルイーズだからでもなく――……
――ヒェェェ、どうして最高指揮官がこんなにイケメンなのよ、もう~~~! ルイーズ様も、そうならそうと最初から教えてよね~~~~!
ただ単にエミーリアはこんなことを考え、相手と目を合わせられないだけであった。けれど暫し考えて、イシュトバーンが若すぎることから「守備範囲外」認定をすることに成功した。
エミーリアは着席するなり水を一口のみ、微笑を浮かべてこう言った。
「我が陣営にヴァレンシュタイン公爵家の旗が翻った理由であれば、それは余りにも明白でしょう」
「と、申しますと?」
「ヴァレンシュタイン公爵令嬢――……いいえ、新公爵たるルイーズ様が、我が陣営におられるからです」
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エミーリアは相手に下心さえ抱かなければ、持ち前の明敏な頭脳を活かすことができる。しかも生来が涼やかな美貌の持ち主だから、薄い茶色の瞳も説得力に満ちるってなモンだ。なのでエミーリアは滑らかに舌を動かし、美声をもってイシュトバーンに説明をした。
「――むろんキーエフ皇帝と同じくルイーズ様を人質にしている、などと思っては頂きたくありません。あくまでもヴィルヘルミネ様のご友人として、我が陣営に逗留頂いているのです」
エミーリアの斜め後ろに立つ覆面の士官が、高速で首を上下に動かしている。しかし、イシュトバーンは見ていない。覆面から溢れた朱色髪が、怒りで燃え上がりそうになっていた。
「だから我らに恭順しろと、ザルツァ少将の申し出はそういうことでしょうか?」
目を細めてイシュトバーンは言う。覆面の女性士官が、高速で顔を横に振っている。やはりイシュトバーンは見ていない。女性士官の頬が、ぷくっと膨れた。
「まさか、恭順だなどと。ただ、ルイーズ様はヴァレンシュタイン公国をして、ダランベル連邦王国の一員となる用意があるとのこと。であれば公国軍は我らの一員も同じであると、そのことを伝えに参った次第です」
エミーリアは、半ば笑いを堪えている。ルイーズには、ちょっと大人しくしていて欲しかった。
「そのような話を私がいきなり、信じられるとお思いですか?」
「ですからルイーズ様の書かれた書簡も、このようにお持ち致しました」
懐から封のされた手紙を取り出し、エミーリアがゆっくりと机の上に置く。蠟燭の炎が揺れて、手の影が大きく歪んでいた。
「確かに、これはルイーズの筆跡だ。しかし――……」
手紙を広げて二度、三度とイシュトバーンは読み込んだ。けれど歳の近い姪を目の前で見たわけでもない。いや、本当は目の前にいるのだが、気付いていなかった。なので、話の全てを鵜呑みにしようとは思えなかった。
覆面の女性士官は、もはや怒ったウサギの如く左足をダンダンと地面に打ち付けている。「わ・た・く・し・が・ルイーズ・で・す・の・よ!」と言わんばかりだ。
「手紙さえ信じて頂けないようでしたら、イシュトバーン少将、あなたが一度、我が陣営に足を運んでみては如何でしょう。どうぞ、ルイーズ様のご壮健な姿を確認なさって下さい。当然その間、私がここに留まります、人質としては十分でしょう?」
穏やかな微笑を浮かべるエミーリアの表情には、ある種の覚悟があった。もしも自分が嘘をついているのなら、いつでも殺せと長い睫毛の奥でぎらつく瞳が語っている。
一方でちらりとルイーズを見るや、思わず「ぷっ」と噴き出してしまった。
「はは、は、は、は。いや、あなたの言うことは、きっと全て真実なのでしょう。分かりました、つまり我が軍はまるごとダランベル連邦軍に寝返ればよいと――それがルイーズの、いや、女公爵ルイーズ=フォン=ヴァレンシュタイン様のお望みとあらば、私に異存はありません」
イシュトバーンも肩を竦め、笑って見せるしかなかった。なぜかエミーリアは笑っている。理由が分からない。だから「ただし――……」と言葉を続け、じっと彼女を睨みつけた。
「ただし?」
「ただし――……ルイーズ様を我が陣営にお引渡し願いたい。我らを心から味方だと信じて頂けるのなら、当然かと思いますが」
「もちろんです。あなたがそう仰るのを、今か今かと待っている人がいたんですよ……あは、あはは」
エミーリアが振り向くと、副官と思われた小柄な士官が謎の覆面を取った。
「お、お、お、遅いのだわ、イシュトバーン! ていうか最初からわたくしの存在に気付くのが、あなたの役目というものでしょう! ねぇ、叔父様! どうなっていますのッ!?」
「お、叔父様って――……」
つかつかと歩み寄ってくる覆面を取ったルイーズに、イシュトバーンは目を白黒させている。
まさかダランベル連邦軍が最初からルイーズを伴い、この本営にやってくるとは思わなかった。
「エミーリア殿、これは――……いったい我らにどうしろと……?」
「どうもこうも、ヴィルヘルミネ様のご命令は、ルイーズ様を救出なさることだけでした。むしろ我らが軍旗の隣にヴァレンシュタイン公国旗を掲げるよう要請されたのは、こちらのルイーズ様なのですよ」
エミーリアの言葉に頷き、相変わらず小さな胸をルイーズが反らしている。
「いいですこと、イシュトバーン! わたくしとヴィルヘルミネは血こそ繋がっていなくとも、姉と妹! ですからわたくしが困ればミーネが助け、ミーネが困ればわたくしが助ける、それは当然のことなのです! ゆえにダランベル連邦がキーエフと敵対してミーネが困っている今、わたくしがキーエフ帝国を敵とみなすことは当然なのですわッ!」
「なるほど」とイシュトバーンはひとつ、頷いた。
「つまりルイーズ、君は私に、こう命令をするんだね――……帝国軍を撃滅せよ、と」
「いいえ、違いますの。父の仇――キーエフ帝国をミーネに協力して亡ぼせ、ですわッ!」
「わかった――……任せて貰おう、ルイーズ。兄上の為にもヴィルヘルミネ様の為にも、必ずやキーエフ帝国を地上から消滅させてやる」
イシュトバーンはめきりと拳を握り締め、鬱屈した怒りを今こそ解放しようと決めるのだった。




