73 西部国境戦線 4
「ほう――……流石にヴァレンシュタインの薫陶よろしく、かの軍には我らの意図に気付くものがいたか。重畳、重畳」
砲兵陣地から敵軍の動きを眺めつつ、リヒベルグは唇の端を歪めている。
「おそらくはイシュトバーン少将かと」
上官の横に立ち、控えめな報告をするのは今年二十七歳になる青年だ。とはいえ彼もダランベル連邦王国においては情報部を統括する身であり、軍部においては相当な立場である。
もちろんヴィルヘルミネ好みのイケメンでもあるから、赤毛の女王にとってはリヒベルグと彼――ルードヴィッヒの組み合わせも中々にアリなのであった。
「余は基本的にリヒベルグ、トリスタン推しじゃが――……しかし相手がルードヴィッヒであればリヒベルグ受けが良いと思うのじゃ。してエミーリア、卿の考えはどうか」
「は……小官もルードヴィッヒ、リヒベルグには賛成であります。しかしながらリヒベルグ、トリスタンに関しましては少々問題が――……」
「む、む、それはなにゆえか? ことと次第によっては戦争じゃぞ、慎重に答えよ?」
「は……リヒベルグ中将は、隠れドMではないかと――……であればトリスタン卿の受けはあり得ませぬッ!」
「む、む……で、あるか。ふむ、余はだからこそのトリスタン受けが萌えなのじゃが、じゃが。しかし流石じゃの、エミーリア。見事な眼力じゃ」
「は、恐縮であります」
などという会話をヴィルヘルミネは、同好の士となったエミーリアと交わしている。
だからこそ新参でありながらエミーリア=フォン=ザルツァは女王に厚遇され腹心と目されたのだが、しかし一方で再び婚期を逃してしまうのであった。
ともあれ美貌の主従に腐った瞳で見られていることなど露ほども知らないリヒベルグは、端正な容姿の部下の肩に手を掛け、クツクツと笑っている。
「クック……流石は情報部の長だな、ルードヴィッヒ。であればそのイシュトバーンめを篭絡するも、容易いことなのだろう?」
「は――……ヴィルヘルミネ様の作戦が成功なされば、おのずと」
「つまりイシュトバーンは忠誠心過多の番犬、というのが情報部の見立てだな?」
「はっ」
丁重に頭を垂れたルードヴィッヒの頬にちょんと人差し指を当て、リヒベルグが苦笑した。
この姿を見れば赤毛の女王とエミーリアは目を皿にして鼻血を垂らし、パンを十個は食べられるであろう。ごちそうさまです。
「調べが足りんな、情報部長」
「と、申しますと――……?」
「イシュトバーンめはヴァレンシュタイン公爵令嬢の番犬であると同時に、我らが女王陛下に対して無粋な恋心を抱いている。つまるところアレは最初から、我らの味方だということさ」
言うなりひらりと愛馬に飛び乗って、リヒベルグは颯爽と背を向けた。
ルードヴィッヒは上官に及ばぬ自分に恥じ入って、思わず頬を赤らめている。けれど遅れてはならじと馬に乗り、リヒベルグの横に並んで言う。
「ともあれ敵が大挙して攻め寄せた以上、今は退き時――ですね、閣下?」
「そういうことだ。見ろ、五万の大軍が我らの陣地を目指して駆け上がってくる。あんなものの相手をしていては、命がいくつあっても足らんだろうさ。クククッ……」
こうしてリヒベルグは砲撃を中止し、適度な応戦をすると砲兵陣地を放棄した。
一方でキーエフ軍は五個師団を投入して敵陣を占拠したと意気上がり、オイゼビウスを称える声が上がっている。
「さすがはオイゼビウス侯! ヴァレンシュタイン公に勝るとも劣らぬ名将だ!」
そうした声の広がりと共に、「ダランベル連邦軍、恐れるに足らず!」という機運がキーエフ軍内で高まっていく。
だがしかし――その夜、キーエフ軍が占拠したダランベル軍砲兵陣地において火の手が上がり、一夜にして帝国は二万五千の将兵を失うことになるのだった。
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オイゼビウスは占拠した砲兵陣地が焼け落ちる様を見て、眉根を寄せながら頭を振っている。
「敵が失ったのは旧式の砲を五十門あまり。対して我が軍は一夜で一体、どれほどの人命を失ったのやら……まったく、してやられたわ」
夜空に燃え盛る赤い炎に頬を照らされオイゼビウスは今夜、何度目になるか分からぬ溜息を吐く。
ダランベル連邦軍の参謀総長といえばヴィルヘルミネの為に軍組織を改編し、参謀本部を整えた張本人だ。年少とはいえ、決して油断してよい相手ではない。そんなことは百も承知であった。
けれど、ヴァレンシュタイン以上の相手だとも考えなかった。それが自身の敗因だと思えば思うほど、オイゼビウスは帝国の末路を予見せずにはいられない。
オイゼビウスはトリスタンの罠を、戦力を集中させ、これに対して集中砲火を浴びせることだと睨んでいた。だから予想以上に早く大兵力を砲兵陣地へ送り、制圧することができたのだ。
しかしトリスタンは、オイゼビウスの行動を読んでいた。のみならずイシュトバーンの行動も予測済みであったから、リヒベルグに与えていた指示は「即時撤退」なのである。
加えてトリスタンの作戦を着実に実行したリヒベルグも、やはり非凡であった。だからオイゼビウスは、これ以上の罠の存在に気付けなかったのだ。それほどにリヒベルグは、無様な後退戦を演じたのである。
リヒベルグはすべての大砲と火薬を放置して、どころか牽引用の軍馬も捨て置き這う這うの体で撤退して見せたのだ。そんな有様で、更なる罠の存在など疑えるわけがない。
だからこそオイゼビウスは放置された大量の砲と火薬を利用し、新たな戦術を構築している最中であった。彼もまた、騙された勝利に酔っていたのだ。
そして酔いは、突然に醒まされた。
あり得ない距離からの砲撃が始まり、大量の火薬に火が付いた。
オイゼビウスがダランベル軍の誇る新型大砲の存在に気付いたころには、もはや辺り一面が火の海であった。東からの風により、瞬く間に山裾まで燃え広がってしまったのだ。
「してやられた……すべてが計算づくだというのなら、トリスタン=ケッセルリンクという男こそヴァレンシュタインに勝るとも劣らぬ名将だ。いや、それ以上かもしれん。そんな男を相手に、この私にどうしろと皇帝陛下は言われるのか……」
オイゼビウスは狼狽える幕僚たちを見まわし、苦笑を浮かべている。
「我らは敵の罠に嵌った。いや――……嵌りつつある、というのが正確なところであろう。であれば夜襲の第二派は、必ずやこの本営に来る。備えよ、そして打ち勝て。さもなくば明日の朝日に、我らは無様な死体を晒すであろうさ」
オイゼビウスは夜襲に備え幕僚に声を掛けた。その刹那、馬蹄の轟と共に雷鳴の如きロッソウの声が、夜の闇を切り裂き響く。
「ここが敵の本営じゃ! ものども、存分に暴れ蹂躙せよ! 突撃ィィィィィイイ!」
オイゼビウスは間髪入れず騎乗して、腰の軍刀を抜く。闇に生きた武人としては、最後を華やかな戦場で迎えられるのならせめてもの慰めだ。
陰湿な喜びが心に満ちて、オイゼビウスは向かい来るロッソウのハルバードに視線を向けるのであった。




