72 西部国境戦線 3
「オイゼビウスめ、いったい何を考えているッ!?」
哨戒行動から遭遇戦に突入し、望んでもいない味方の援軍を得たイシュトバーンは口の中で毒づいた。
彼がヴァレンシュタイン公国軍の司令部にいながらも周囲に気を使わねばならないのは、この場にオイゼビウス麾下の参謀がいるからだ。現に今も目を光らせ耳を澄まし、その参謀がしたり顔で言う。
「どうも敵は新兵が多いようです。オイゼビウス閣下もこれを見抜いたからこそ、増援を次々に送り込んで下さるのでしょう。まったく見事な用兵です」
「いや、参謀殿。これは敵の罠――……という可能性も考えられる。このまま戦力を集中させれば、思わぬ事態にもなりかねない。ここは閣下へ伝令を出し、一時後退して陣形の再編を提案しては頂けませんか?」
「弱気なことを仰るな、イシュトバーン少将。勇名轟くヴァレンシュタイン公国軍を主力に据えて、このまま大軍の利を活かし敵の傷口を押し広げましょう。さすればダランベル連邦軍など、ものの数ではありませんぞ!」
希望的観測を述べる中年の参謀に、イシュトバーンは舌打ちを禁じ得ない。なんとなれば、あのトリスタン=ケッセルリンクが状況を座視しているわけがないからだ。
どころか現状の裏に、どのような罠が仕掛けられているのかも分からない。であればここは兵を纏め、陣形を再編しつつ後退すべきだとイシュトバーンは考えていた。
そうでなくとも嚙み合った二頭の獣がごとき陣形は、無様に過ぎるのだ。遭遇戦というのもおこがましい。今は亡き名将ヴァレンシュタインの弟子にして血を分けた弟としては、耐えがたい現状であった。
「だからと何もここへ、二個師団も送り込むことはないでしょう。これでは歩兵に阻まれ、我が騎兵師団も本来の機動力を発揮出来ません。ゆえに兵力の有効活用を望むのなら、これ以上歩兵を密集させるべきではない。その程度の戦術も理解できませんか……?」
苦虫を三匹まとめて嚙み潰したかのごとき表情で、イシュトバーンが参謀を睨む。
「いやいや――……オイゼビウス閣下が遣わされた増援とヴァレンシュタイン公国軍三万を合わせれば、兵力は五万。となれば騎兵師団が機動力を発揮するまでもなく、戦域を制圧出来るという話です。
つまりこれは戦術論などではなく、単なる数の計算に過ぎません!」
「数の計算……ね」
得意満面に胸を張る中背の参謀に、イシュトバーンは不快の色を隠せない。オイゼビウスの意図が真にそれなら、将としてヴァレンシュタインの足元にも及ばない。
一方で敵の罠を知りながら増援を繰り出し、無能な参謀を送りつけてヴァレンシュタイン公国軍を泥沼の戦場へ引きづり込もうというのなら、類まれなる策士と言わざるを得なかった。
――要するに、我々とダランベル連邦の共倒れこそ奴の意図と考えるべきか。であれば、これ以上の戦闘は何としても回避しなければならない。
イシュトバーンが改めて決意をしたとき、公国軍司令部の天幕が耳を劈く轟音に揺れた。激しい砲弾が雷雨の如く降ってきたのだ。
「何事かッ!?」
イシュトバーンは叫び、副官に呼びかけた。
「敵砲兵陣地より、砲撃が開始されましたッ! 着弾は概ね増援部隊に集中している模様ッ!」
慌ててイシュトバーンに敬礼を向けた副官も、砲声に負けじと大声を張り上げている。
「フッ……そうか、そういうことか」
イシュトバーンは天幕の外へ出て望遠鏡で状況を確認すると、口元を抑え笑いをかみ殺した。
ダランベル連邦軍が狙っているのは、確かに増援のキーエフ軍ばかりだ。公国軍の旗が翻る箇所には、一発として砲弾が落ちていない。となれば、いよいよトリスタン=ケッセルリンクの意図は明白であった。
――なるほど、流石はダランベル連邦の参謀総長だ。オイゼビウスの意図など見越した上で、更に周到な罠を仕掛ける、ということか。
「イ、イ、イシュトバーン殿! 敵の砲撃が始まりましたぞ! これをどうにかせねば、前線の士気に影響しましょう!」
司令部天幕から転がるようにして飛び出してきた参謀が、口角泡を飛ばして目を白黒させている。当然ながら彼がダランベル連邦の意図に気づくはずもなく、イシュトバーンへ縋りつくように視線を飛ばしていた。
「ふむ――……敵はどうやら増援部隊を嫌っているようです。ならば、こうしてはどうでしょう。前線は我ら公国軍が支えますから、増援部隊をもって敵の砲兵陣地を制圧なさっては如何か?」
「おお、おお、流石はイシュトバーン殿、頼もしい発言です! では早速オイゼビウス閣下に伝令を送り、そのように計らって頂きましょう!」
顎に手を当て、イシュトバーンはダランベルの砲兵陣地を見上げている。山間を切り開き作り上げた要塞のごとき陣地は、いかにも堅牢そうだ。しかし一方で、数で押せば案外と容易に落とせそうにも見える。
――つまりはそこへ兵力を集中させろと、そういうことなのだろう、トリスタン=ケッセルリンク。望み通りにしてやるのだから、存分に腕を振るい料理するがいいさ。とはいえ私も不甲斐ない……兄上さえ生きておられたならば……。
もしもヴァレンシュタイン公が生きていたら――……そんな風に想いながら瞼を閉じて、イシュトバーンは下唇を噛んだ。
新たに主君となった歳の近い姪も救えず、同胞を無意味な戦場で死なせる現状が忌々しい。実力の限界を意識すればこそ類まれなる能力を持った敵将に期待する自分が、なんともやるせないのであった。




