71 西部国境戦線 2
八月下旬、ここ数日にらみ合いを続けていたダランベル、キーエフの両軍がついに戦端を開いた。哨戒任務に当たっていた小部隊同士の小競り合いが、双方ともに増援を呼ぶ形で五千人規模の戦闘に発展した形である。
「申し訳ありません、参謀総長閣下。兵力の逐次投入は止めよと部下を戒めていたのですが、このように無様な戦闘になりましたこと、深くお詫び申し上げます」
白馬に乗って颯爽と司令部へ現れたのは北部ダランベル方面軍の師団長、エミーリア=フォン=ザルツァだ。今回は国家存亡の時と、ダランベル全土に動員令が発された。よって北部ダランベル方面よりエミーリアとボロヂノの師団も西部国境防衛戦に参加する運びとなったのである。いうなれば今回は総力戦であった。
「いや、構わない。そもそも七割が新兵で構成された北部ダランベル方面軍だ、厳格な統制はまだ、望むべくもない」
トリスタンは望遠鏡を目に当て、山の麓で始まった戦闘を眺めて苦笑した。遭遇戦がいよいよ会戦の様相を呈している。そもそも期待などしていない――とでも言いたげだ。
下馬したエミーリアは所在なさげにうなだれて、ちらちらと美貌の参謀総長を見つめていた。むしろ自身の無能を指摘され糾弾された方が気も楽だ。いやむしろイケメンの参謀総長に責められたい。ぶって、私をぶって! と言いたくなるエミーリアは、若干だがМの気があるらしかった。
とはいえ己の性癖をさらけ出しはしない。エミーリアは現状についてさらに言及し、部下の失態を補うべく提言をした。
「しかしこのまま戦線が拡大すれば、兵力に劣る我らが不利は必定。であれば我が師団の総力を挙げて敵を一撃し、もって敵の後退を促したく存じます」
「部下の尻ぬぐいをしようという姿勢は評価する。だがな――……」
「参謀総長閣下、このままでは我ら北部ダランベルが全軍の足を引っ張ることになってしまいます。そのような無様はヴィルヘルミネ様の臣下として、到底許されることではありません。ですから、ぜひ!」
肩口で切りそろえたブルネットの髪を揺らし、力強い口調でエミーリアがトリスタンに迫る。
彼女も将軍として十分に優秀だ。したがって部下の失態を自らの実力で償い、戦況を変えることも実際に可能であった。
だからトリスタンも二色の瞳を思案気に揺らし、形の良い顎に手を当てている。しかし傍で話を聞いていたリヒベルグが皮肉気な笑みを浮かべ、二人の間に割って入った。
「まあ待てエミーリア殿、この状況は利用できる。そうだろう、ケッセルリンク中将。いや――むしろ卿のことだ、あえて訓練不足の北部ダランベル方面軍に哨戒任務を命じた意図も、その辺にあるのではないかな?」
「む……熟女好きの陸軍卿には聞いていませんよ!」
柳眉を吊り上げ、エミーリアがリヒベルグを睨む。以前ちょとだけ好きになった男が結婚するとあっては、彼女も複雑な心境であった。
エリザの過去を聞けば幸せになって欲しいなと思う反面、彼女よりもはるかに若い自分の方が魅力的なはずだと――つまらぬ自尊心が胸を締め付けるのだ。
というかエミーリアはイケメンが大好きであった。そういう点に関してヴィルヘルミネと彼女は人材の採用基準がピタリと一致しているから他者には二人が以心伝心に見えて、今では北部ダランベルにおける女王の腹心と目されている。
「ほう。私が熟女好きだとすれば、エミーリア殿は中年好きとなるのかな? とはいえ、またフラれたと聞いたが……少しはその猪突猛進気味の性格を改めんと、好かれるものも好かれんぞ」
「ぐ、ぬ、ぬ、私の恋人は剣! だから断じて、フラれてなどおりませぬ! そもそも、そういうことを参謀総長の前で言わないでいただきたいッ! だって参謀総長は中年ではありませぬッ!」
「ふむ、今度の狙いはトリスタンか――……この朴念仁を落とせるといいな」
「な、な、な! 私はただ、軍務を、軍務をぉぉぉ……!」
顔を耳まで赤くして、エミーリアが手をワタワタと振っている。リヒベルグは相変わらず唇の端を吊り上げて、クツクツと笑っていた。
長身過ぎる参謀総長は一人我関せず、現状を利用すべく思考を加速させている。確かに彼はリヒベルグが指摘したように、遭遇戦から戦線を拡大する形で敵を罠に誘い込む方法を脳内に思い描いていた。
「決して訓練不足の部隊を利用した訳ではないのだが、しかし、こうなっても良いとは考えていた」
慌てふためくエミーリアをオッドアイで制し、トリスタンは陸軍卿となった友人に向き直った。
「そらみろ、エミーリア殿には災難だったな」
リヒベルグは肩を竦めた。
エミーリアはきょとんと目を見開き、二人の上官を交互に見た。
「どういう……ことですか?」
「どうもこうも無い。戦力の逐次投入、そして無様な戦線拡大は、そこな参謀総長が画策したってことさ」
「どうして、そのようなことを!?」
「簡単なことだ。敵を罠の中へと引きずり込む為に他ならん」
「まあ、その点はあとで私から、エミーリア殿に説明をする。ともあれ今は砲兵部隊の指揮だが――……頼めるかな、リヒベルグ中将」
「ああ、もちろん。その為に来たのだ、久方ぶりの現役復帰を存分に楽しませて貰うとするさ」
「よろしく頼む――……陸軍卿として忙しいのに、すまんな」
「構わん。というより私としては書類仕事より、現場にいる方が好きなのだ。それに宰相閣下は人使いが荒くてな。閣僚としての仕事から解放されるというのは、私にとって有難いことさ」
リヒベルグは唇の端を皮肉っぽく歪め、それから騎乗した。山を切り開き旧式の大砲を設置した砲兵陣地へ向かう為だ。
現状で砲撃に関してトリスタンに比肩するのはリヒベルグだけであり、だからこそ彼を部隊指揮官としてトリスタンは呼び寄せた。
とはいえ参謀総長が陸軍大臣を使うなど、組織としては筋が通らないこと。それでも二人が気にせず軍務を遂行できるのは、ひとえにヴィルヘルミネへの忠誠という不動の結束があるからなのであった。




