69 西部国境戦線 1
キーエフ皇帝の命令を拝してランスから軍を後退させ、ダランベル連邦王国との国境付近へ部隊を展開させたオイゼビウスは溜息交じりに目頭を揉んでいた。
「やれやれ――……いくら公爵令嬢という人質がいるとはいえ、三万の公国軍は大きな不安材料だ。ましてや後背にランス軍を抱え込んだ現状でダランベル軍を叩けなどと、皇帝陛下も随分と無茶を仰る……」
オイゼビウスは父の代に昇爵したばかり、という新興の侯爵家だ。であればこそ帝室に忠誠を示すべく、ヴァレンシュタインを害した。
しかしだからといって彼の個人的な感情が必ずしも皇帝に対して好意的であるとは言えず、どちらかといえばヴァレンシュタインに対してこそ同情的である。
「東方には、狡兎死して走狗烹らる――という諺もある。ヴァレンシュタインの次が私ではない、とも言い切れんからなぁ。まったく父上も地方の下級貴族で満足していれば良いものを、無駄に出世の道を開いてくれたせいで、私が苦労をするハメになったではないか」
顎に手を当て静かなつぶやきを漏らしていると、天幕の入り口で衣擦れの音がした。いつからか部下が立っていたようで、考えに沈むオイゼビウスに声を掛けるべきか迷っていたらしい。
オイゼビウスはグレーの瞳で天幕の入り口を見やり、その士官を睨み据えた。己の迂闊さを嗤い、皮肉気に口の端を持ち上げている。
「どうした、そんなところに立ち尽くして。私のぼやきが面白くて、悦にでも入っていたのか?」
「い、いえ、まさかそんなッ! ダランベル連邦軍が不思議な動きをしていますので、そのご報告に参っただけであります!」
「不思議な動きとは、いったいどういう動きだ?」
「小官には分かりかねます。ともかく一度、ご覧になっていただいた方がよろしいかと」
「ふむ――いずれ軽装歩兵の部隊であろうが、ケッセルリンクあたりが策でも弄しているのか……」
片眉を吊り上げ、オイゼビウスは考えた。
ダランベルとランスの国境は漏れなく山岳地帯だ。となれば騎兵の運用は難しく、為に不思議な動きをするとなれば、歩兵部隊以外にはあり得ない。
「まあいい、考えていても始まらん。皆を集め、敵の動きが見える位置へ案内しろ」
「はっ!」
オイゼビウスは報告に訪れた士官を伴い、天幕の外へ出た。そしてヴァレンシュタインから引き継いだ幕僚たちを集め、前方の山でうごめくダランベル軍の部隊を眺めて問う。
「奴等は一体、何をしているんだ?」
「木を切っている――……以外の行動には見えませんな」
ぶっきら棒に答えたのは、三万に及ぶヴァレンシュタイン公国軍を纏める、イシュトバーン少将であった。彼は兄であり主君であった公爵の死に対し、確信に近い疑念を持っている。けれど人質とされたルイーズのことを思い、今は不承不承ながらオイゼビウスに従っていた。
「そんなものは見ればわかるよ、イシュトバーン少将。私が問うているのは、彼らの行動の意図だ」
望遠鏡から目を離し、オイゼビウスはイシュトバーンの顔を覗き込む。若き勇将は不愉快そうに眼の端をヒクつかせながら、吐き捨てるように言った。
「――……そんなものは、ご自身の参謀にでも確認なさればよろしいでしょう」
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イシュトバーンにしてみれば兄であるヴァレンシュタイン公爵を殺した帝国に従い続けるなど、まったくもって忸怩たる思いであった。
とはいえ兄が帝国に殺されたという明確な証拠は、今のところない。加えて年の近い姪のルイーズが皇宮に幽閉されていると知らされては、下手に軍を動かすわけにもいかなかった。
だが、このままではダランベル連邦軍と最前線で戦い、兵力を損耗されられる。結果として公国の存続すら危うくなることが見えているからこそ、焦燥感にかられながらも何とか帝国軍を離脱する方法を模索しているのだ。でなくとも極力後方へ部隊を展開させる為、無意味に目立ちたくもなかった。
「いや、そこはイシュトバーン少将。若くとも名だたる騎兵指揮官の貴殿にこそ、敵の動向を探って貰いたいのだよ」
帝国の高級幕僚が集まる高台で、敵の奇妙な動きを眺めながらオイゼビウスが言う。顔に張り付けた笑みは爽やかで、好意的に見えるものだった。
「私の部隊に偵察をしろ、と?」
「うむ、うむ。強硬偵察の任務はヴァレンシュタイン公がご存命の頃から貴殿の役割だっただろう。でなくとも現状を打開する為には、帝国への忠誠を示す方が得策ではないのかね?」
「――……承知しました」
イシュトバーンは目にかかる金髪を幸い、表情を消したまま踵を返す。暗に現状を示唆されれば、どれほど不快でも否とは言えないのであった。
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「いやしかし、勿体ないと思うがのう~~~」
「ウム、まったくだ。これほどの物量をそろえるのに、我が国がどれほどの国費を投じたかを思えば……」
老ロッソウが白く染まった口髭を撫でながら言えば、応じるオルトレップは自慢の禿頭を手の平でペシリと叩き頷いている。いかにも緊張感のない二人だが、ここは紛れもなく帝国軍との最前線たるダランベル連邦軍の司令部だ。
そんな二人の間に挟まり望遠鏡で伐採作業の進捗を見守っているのは、長身にしてオッドアイの参謀総長、トリスタン=ケッセルリンクであった。彼は二人を諭すよう、静かに口を開いた。
「すでに宰相閣下のご裁可は下りています。それに放棄する大砲は全て旧式ですから、ヴィルヘルミネ様にとっても不要でしょう。それを餌に敵を火攻めにできるとあらば、むしろお喜びになるはずです」
目深に被った軍帽の下に、二色の知性が煌めいている。トリスタン=ケッセルリンクは美貌の主君が喜ぶ様を想像し、僅かながら唇の端を持ち上げた。
「だからといってなぁー、こうまで敵を罠に落とし込む必要があるのかの? 血も涙もないというか何というか……あー、もうケッセルリンクってば――お主、悪魔の生まれ変わりではないのかぁ~? え、え?」
ロッソウが年甲斐もなく唇を尖らせ、トリスタンの軍帽を指先でツンツンと突いている。
「ロッソウ殿、やめられよ。我らは同格の中将とはいえ、職責はケッセルリンク殿の方が重いのだ。若いからと揶揄う姿を兵にでも見られれば、我が軍の鼎の軽重が問われることとなろう」
「ふん、オルトレップ。貴様も随分と分別くさいことを言うようになったの。腕に大砲が付いたからと、少し調子に乗っておるのではないか?」
「それとこれとは話が違う。だがまあ、これさえあれば私一人で一個連隊くらいなら――……ふふ、ふふふ、相手にできる気がしますなぁ」
「あー、あー! それじゃあワシなら、ハルバード一つで一個師団でも相手にできるんじゃもん!」
額を突き合わせて自らの武力を誇る猛将二人に目をやると、トリスタン=ケッセルリンクは珍しく肩を竦めて言った。
「むろん、私の小細工ごときで簡単に敵を撃退できるとは考えていません。ですから当然、最終的に敵の殲滅はお二人にお任せします。でなければ戦場まで、あなた方にわざわざ足を運んで貰うワケが無いでしょう」
参謀総長の言葉を聞くや白髪の老将と禿頭の猛将は頷き合って、眼光に強い輝きを宿す。
「もっとも――ヴィルヘルミネ様の深謀遠慮は私などが及ぶべくもない。今も目の前の敵に内部分裂をもたらすべく、作戦を進行中なのだとか。であれば我らの仕事は、存外と簡単なものになるのかもしれませんが……」
トリスタン=ケッセルリンクは遠くヴィルヘルミネがいるであろう南方に目をやり、吹き抜ける風に髪を揺らした。目深に被った軍帽も風に揺れて流れ、山の斜面を転がっていく。
風向きも上々、いよいよ火攻めには絶好の機会が整いつつあり、全ては参謀総長の思惑通り運んでいるのだった。




