67 囚われのルイーズ
キーエフ帝国の首都リエンツは人口五十万、内陸にありながらもフェルディナントへ通じる大河テーレの水運を利した、機能的で緑豊かな大都市だ。
また、エウロパ大陸における最大の名家ランズベルグが治める帝国の首都として、見事な文化が花開いていた。ゆえに芸術を志す者であれば一度は目指す街こそ、このリエンツなのである。
しなしながら一方でリエンツは、一定の身分以上の者にしか居住を許していない。それが職人や工場労働者を数多抱えるランスの首都グランヴィルとの最大の違いであろう。
それでもリエンツは五十万の人口を誇るのだから、帝国がいかに巨大な国家であるかを示す、よい証左であった。
こうした帝国の中枢で、外交官として職務に邁進すること一年半。帝国有数の大貴族の令嬢であればこそ、ルイーズは既にして大きな権限を持つに至っている。現在の彼女は軍人であれば将官級の職位、特任公使という立場にあるのだった。
公使とは外交関係のある各国に赴任し、外交に関する限り皇帝の名代として現地の首脳と交渉をする権限を有する。ルイーズの場合は特任であり、外交関係を持たない国を担当する特別な公使であった。
現在の帝国において公式な外交チャンネルを持たない最大の国家と云えば、ダランベル連邦王国である。なのでいずれは彼女がダランベル連邦王国の正式な公使になるであろうと、キーエフ帝国政府の首脳陣は考えていた。そもそもヴィルヘルミネとルイーズの仲は良好である、と判断されていたからだ。
ルイーズ自身も、ヴァレンシュタイン公国とフェルディナント時代のダランベルとが結んだ密約を知っている。であれば公使としてダランベルへ行くことは、むしろ望むところであった。
そうしたことから、つまり今日までの彼女は帝国において、順風満帆の人生を送っていたと言える。それが――……。
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この日、ルイーズは朝から悪寒を覚えていた。風邪でもひいたかと思い着替えの時、侍女に分からぬよう額に手を当ててみたが、どうやらそうでもなさそうだ。窓の外を眺めてみれば見事な入道雲が見える、真夏の空であった。
――夜明け前に少し冷えたのかしら? ううん、きっと嫌な夢を見たせいね。お父様が誰かに害されるなんて、そんなこと、ある訳が無いのだわ。
ルイーズは明け方に、父が死ぬ夢を見た。これが、虫の知らせであったのかも知れない。
ともあれルイーズは気にしないよう頭を振ってから、朱色髪をツーサイドアップに纏めると、帝国外務官僚としての制服を身に纏う。新緑色の官服だ。
それから朝食を食べると、いつも通り身支度を手伝ってくれた侍女に礼を言い、午前七時には官舎を出た。馬車で外務省へ向かい、到着したのは十五分後であった。
外交官としてのルイーズは大貴族として内心を隠す術に長けていたせいか、どのような大物に対しても委縮せず、といって礼を失することなく自らの考えを述べることができた。有体に言えば、若さに似合わぬ有能さを示していたのである。
――帝国になるべく恩を売り、ヴァレンシュタイン公国を安寧たらしめるのだわ。それに外務省に対してわたくしが大きな力を持てば、それだけお父様の手助けができるもの。
そんな風に考え動いていたルイーズの執務室に、皇帝の執事長が現れた。セバスティアンと名乗る初老の紳士だ。彼は四人の部下を従え、彼等と共にルイーズの執務机を囲むように立つと、恭しく頭を垂れて言う。
「お父君が戦場において、敵に暗殺なされた由――……まことにもって遺憾にございます」
出仕後、執務机に向かいコーヒーを飲もうとしていたルイーズは、二度ほど目を瞬いた。皇帝の執事が、即ち帝国の暗部だとは知っていた。それが自らの前にやってきて、信じがたい事を言うからだ。裏がある――と咄嗟に思った。けれど声に出しては、「うそ……」としか言えない。それ以外の言葉が出てこない。対してセバスティアンは恭しく頭を垂れたまま、冷然と言い放った。
「いえ、真実でございます、公爵令嬢」
「バ、バカなこと言わないで、きっと何かの間違いですわ。だってお父様は帝国有数の剣の達人ですのよ……そのお父様を、誰が暗殺できるというのですか?」
「しかし、情報に間違はいございません。既に皇帝陛下も確認なさり、故にこそ公爵令嬢の保護をせよ――と、わたくしにお命じあったのですから」
「――……そんな」
ルイーズは、手にしたコーヒーのカップを落とした。机の上に黒い染みが広がっていく。茫然とした。涙すら出てこない。状況が全く信じられないからだ。
しかし彼女の明敏な頭脳は状況を正確に把握して、皇帝の思惑を看破した。
――全ては罠だったのだわ! お父様が暗殺されたのなら、それは敵の手によるものではない。きっと皇帝の手の者が、お父様の油断した隙をついたのだわ!
なんとなれば皇帝の手引きがあったはずだとルイーズは確信し、入口間近にいる自らが信頼する秘書官に視線を送ると、細眉を吊り上げて言った。
「そう――そういうことなら秘書官、まずはヴァレンシュタイン公国に対し、事実の確認を致します。もしも父上が本当にお亡くなりなら、わたくしが跡を継がねばなりませんもの」
「は、はい!」
秘書官も目を丸くして起立し、直立不動で承知した。
帝国における武の要たるヴァレンシュタイン公爵が亡くなった――という事実が諸外国へ与える影響は大きい。秘書官もそれが予測できるだけに、情報の真偽を確かめるべきだと考えたのだ。
「では秘書官、今からわたくしが言うことを、さっそく手紙にするように――……」
「それには及びませんよ、公爵令嬢。この情報は絶対的に正しく、ヴァレンシュタイン公国政府および公国軍にも、我々から使者を出しております。
……それほどに皇帝陛下は忠臣であられたヴァレンシュタイン公の死を悼み、もろもろ手筈を整えておられるのです。むろん、国葬の準備をせよとも仰せになりました」
鷹揚に広げた右手を持ち上げて、セバスティアンがルイーズの言葉を遮った。ルイーズは琥珀色の瞳に怒気を湛え、怒りと悲しみに肩を震わせている。
「国葬? 国葬ですって? それは一体、どの国の国葬なのかしら? 本当に皇帝陛下が父の死を悼んで下さるのなら、父の遺体ともども、早々にわたくしを本国へ帰して下さいますようお願い致しますわ、ね、セバスティアン殿」
「いやいや、ルイーズ様――……ヴァレンシュタイン公を狙った不逞の輩が、ルイーズ様をも傷つけることを皇帝陛下は心配なさっておいでなのです。ですから陛下は全力でルイーズ様、あなたを守るようわたくしめにお命じあったという次第にて……今、本国へお帰しする訳には参りませぬ。ご容赦を」
セバスティアンは目を細め、再び恭しく頭を垂れた。それを合図にルイーズは身柄を拘束され、皇宮の奥まった一室に移されて、誰と会うことも禁じられたのである。




