62 奴隷解放宣言
エスケンデレイにおけるヴィルヘルミネの奴隷解放宣言は、瞬く間に全世界へと知れ渡った。
ランスでは自由主義を標榜する議員達が拍手喝采を送り、新聞各紙も女王の英断を褒め讃えている。強引に共和制へ移行しようとしているランス新政府としては、こうした動きを苦々しく感じていた。「だから、君主は必要なのだ」との論調が高まったからだ。
ましてやランスはヴァレンシュタインに対して、未だ防戦一方の状態である。これを打開する為にもヴィルヘルミネのような強い君主が必要だと、ここぞとばかり極右に位置する新聞は見出しも大きく書き立てた。むろん記事の執筆者は、名を伏せたセレス=ダントリクであった。
といってランス軍もキーエフ軍に対し、十分に善戦はしていた。特にヴァレンシュタインが王都グランヴィルに迫った際、これをオーギュスト=ランベールは見事に凌いでいる。
しかし、その彼をして強い君主こそランスには必要だとの見解を示したから、共和主義者にとっては悪夢のような話なのであった。
と――このように敵性国家となったランスでヴィルヘルミネ人気が爆上がりする最中、むしろ同盟国である筈のキーエフ帝国が、ヴィルヘルミネの暴挙をすぐさま糾弾したのである。
「そもそも、メンフィスはキーエフの植民地です! そこに住まう奴隷を解放する権利など、いかにダランベル連邦王国の女王と云えども無いでしょうッ! すぐさま奴隷解放などという愚かしい宣言は、撤回して頂きたいッ!」
国家としては当然の見解と主張だ。皇帝の代弁者たるキーエフのダランベル駐在公使も、自らの主張こそ正義だとばかりに猛然とダランベル連邦政府に抗議をした。
けれどヘルムートは公使を宰相執務室へ迎えるや、紫色の瞳に愉悦さえ浮かべて悠然と言い返している。
「キーエフ帝国の皇帝陛下こそ、いかなる権利をお持ちでメンフィス王国を植民地になさったのか。奴隷制度の存続も廃止も、本来はメンフィス王国が決定すべき政策でしょう。
しかるに、キーエフ政府はメンフィスの王族の悉くを奴隷に落とされたとか。であれば我らが女王とて、やむなく奴隷に落とされた人々を解放し、メンフィスに国家としての体裁を取り戻さんとなさっただけなのでは?」
「な、何という暴論を言うのだ、シュレーダー閣下は――……」
「なに、ごく平凡な社会的道徳観念に基づいた女王陛下の行動を、言動にて表現したに過ぎません。貴国こそメンフィスの植民地化について、是非とも道徳観念に基づいた正義を示して頂きたいものですな」
このときヘルムートは愛弟子にして最愛の主君であるヴィルヘルミネの意図について、大いに誤解をしていた。
もちろんヘルムートは女王が純粋な道徳観念に基づき、奴隷解放を行ったとは思っていない。何せ政戦両略の天才ヴィルヘルミネのやったことだ、深い意味があると信じていた。
――おそらく陛下はキーエフとの関係性を壊したとしても、メンフィスの利権を欲したのであろう。帝国の主力がランス軍と戦い出払っている今こそ、確かにメンフィスを独立へ導く大きな機会なのだから。
ヘルムートがこのように考えるのも無理はない。メンフィスは広大な穀倉地帯を抱えている。去年、一昨年と冷害続きのエウロパ大陸は、安定的な小麦の供給を欲していた。
その供給源となるメンフィスが、キーエフに独占されたままでは不味いのだ。だからヴィルヘルミネはキーエフからメンフィスを切り離し、自国の保護国とするつもりなのだろう。つまりはその先駆けとして、奴隷解放宣言がある。
――フフ、ハハハ。ヴィルヘルミネ様のお考えなら、よおく分かっておりますよ。私の為すべきことは帝国を外交的に揺さぶり、最終的にメンフィスが独立するまで派兵を許さぬことなのでしょう。
もちろんヴィルヘルミネは単純に、ふんわりした正義感から奴隷解放に踏み切っただけだ。これぞ啓蒙君主の鏡じゃもん! ていう程度の勢いであった。
けれどヘルムートの過大評価は凄まじく、彼は主君の才能に喜び瞳に愉悦の色を湛えながら、目の前で唇を戦慄かせるキーエフの駐在公使を見詰めていた。
「用件は、以上ですかな?」
「ともかく、女王陛下の真意を早々にお聞かせ願いたい。このままでは我等の同盟に罅が入るやも知れませぬからな!」
公使は憤慨したまま踵を返し、大股で宰相執務室を後にした。
むろん駐在公使の報告を聞いたキーエフの皇帝は、顔を真っ赤にして激怒したという――……。




