61 氷菓子を食べよう
聖都カメリアからルクレール=ド=レアンが教皇に選出されたとの朗報がエスケンデレイへ届いたのは、七月二十五日のことであった。
まさに盛夏となったエスケンデレイの熱気にやられ、ヴィルヘルミネは大王宮殿に引き籠っている。中でも室内に噴水を設えた一室がお気に入りで、今も涼やかな水音を聞きながら氷菓子を美味しそうに食べていた。
シャク、シャク、シャク――「ぷはー、んまいのじゃ」
美麗なガラス細工の施された食器の上に、オレンジのシャーベットが乗っている。赤毛の女王は目の前で苦言を呈するゾフィーにも食べるよう勧めて、忙しなくスプーンを口へと運んでいた。
「――ですからヴィルヘルミネ様、わたしたちの目的は十分に達成されました。枢機卿会議が終わりルクレール=ド=レアンが教皇となったからには、もはやメンフィス戦線に拘泥する必要などありません。早々にご帰国あって、教皇の行幸を迎える準備を致しませんと――……」
「ルクレールを迎える準備であれば、ヘルムートが十全に整えてくれよう。ゆえに、まずはお菓子じゃ」
「準備が整ったところで、ミーネ様がおられなければ教皇を迎えることは出来ません。ですから――……」
「分かっておる、分かっておるから、ゾフィーも食べよ。ほら、こっちのメロンシャーベットをあげるのじゃ」
ヴィルヘルミネは空返事を繰り返し、目の前に幾つも並べた氷菓子の一つをゾフィーに差し出した。
金髪の親友は、食べ物なんかで釣られないぞ! と心を強く持とうと思うも、首を傾げる女王にキュンとして――「ヴィルヘルミネ様は、ずるいです」と一言。
スプーンでメロンシャーベットを一口食べると、それきり文句を言えなくなってしまう。
「そうは言っても、ドロテア少将。ダマール・テイマの街にテペデレンリ軍が居座っている以上、エスケンデレイを放置したまま全軍こぞって帰国の途につくって訳にも、流石にいかねぇッスよ。
敵さんの行動が活発化しているって話も、ライナー少将から聞いたッスからね。となれば女王陛下の武名が抑止力になっている今、帰国なんてしたらエスケンデレイがどうなるかは火を見るよりも明らか……――って、まあそんなこと、どうでもいいっちゃどうでもいいことッスけどね」
円形の白いテーブルを挟んで座る二人の美少女を眺めつつ、絵筆を立ててアンハイサーが言う。現在の彼女は師団長というより、ヴィルヘルミネとゾフィーを描く画家だった。
本国から遠く離れた地での任務であれば、五個師団の全てを常時稼働させ続ける――という訳にはいかない。緊張状態が続けば人は逆に弛緩するし、適度な休みが無ければ脱走兵も出るからだ。
ゆえにアンハイサーの第五師団は現在のところ休暇中で、ライナー師団が周辺地域の警戒に当たっている。エルウィン師団は警戒態勢のまま待機をし、ヴィルヘルミネとゾフィーの近衛師団が交互にエスケンデレイの防衛を担っていた。
むろん、非常招集は常にあり得る。だから幹部は必ず所在を明らかにしており、飲酒も休暇中の部隊にのみ許可されている。またムスタファ率いるサマルカード騎兵は補助部隊という名目で、第一近衛師団付となっていた。
メロンシャーベットをペロリと食べたゾフィーが、蒼氷色の瞳をアンハイサーへ向けて言う。
「分かっている、アンハイサー少将。それでなくともダマール・テイマ以南の穀倉地帯を取り戻さねば、またもや小麦の市場価格が跳ね上がる。となればキーエフ帝国は対ランス戦争の継続さえ、困難なものとなりかねない。どころかサマルカードが何らかの方法でランスへ糧食を送れば、キーエフに対し、より一層の打撃となるだろう」
「その程度で済めば良いッスけどね――……自分、奇妙な話をレオポルドから聞いたッスよ。もうエスケンデレイには食料の備蓄が無くって、穀倉地帯を取り戻さなきゃあ、ここの民衆が飢えるって話ッス」
「近隣住民を市内に受け入れた弊害か?」
「そっスね。周辺にある穀倉地帯からの収穫だけじゃあ、百万近くに増えた人口は養えないって。言われてみれば、もっともな話ッス。意外とあの人、現地人のことを真剣に考えているんスよね」
「現地人の妻を娶ったのだ、当然だろう」
「ああ――……たしか奥さん、元はメンフィスの王族とか言ってたッスね。それが、まさかの奴隷落ち。挙句の果ては総督の妻になるなんて、さぞやキーエフ帝国が憎いでしょうねぇ~」
絵筆をキャンバスにババッと走らせて、どうでも良い事のようにアンハイサーが言う。
ヴィルヘルミネはスプーンに付いたシャーベットをペロリと舐めて、「ふう」と小さな溜息を吐く。
餓死者が出るのは可哀想だが、暑いのはもう嫌だ。「さ、帰ろう」と思ったのだ。
けれど帰る前に、仕事が一つ。彼女は全ての奴隷を解放しようと思っていた。ならば今が、その時だ。だから、言った。
「明日、余の名においてメンフィスにおける全奴隷の解放を布告せよ」
ニィ――……とヴィルヘルミネは笑っている。「悪いな、愚民ども。余は帰るによって、せめてもの置き土産じゃ。あとは勝手にせよ」と思っていたからだ。ある意味、血も涙も無い。
なので、この布告が全世界に大きな波紋を齎し自身の運命を激しく揺さぶろうなどと、この時は露程も考えていなかった。




