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60 新教皇誕生


 七月十五日、エウロパ大陸最大の宗教都市カメリアは雲一つない晴天であった。

 途切れることなく純白の紙吹雪が舞っている。晴れ渡る青空の下、大聖堂の鐘が高らかに鳴った。民衆の歓声も最高潮だ。枢機卿会議コンクラーヴェにより選ばれた新たなる教皇が、神々しくも露台バルコニーに姿を見せるからであった。


 全世界に散らばる七十六人の枢機卿の内、今回の枢機卿会議コンクラーヴェには七十人までが参加した。規模は過去最大であり、開催期間も一月にも及んでいる。


 次期教皇になるべく立候補した者は四名いたが、結局はキーエフ帝国派のクレメンスと、新興勢力であるバルトライン連邦王国派のルクレール=ド=レアンの一騎打ちとなった。

 しかし最後はクレメンスが立候補を辞退する形となり、歴代で最も若い教皇――ルクレール一世が誕生したのである。


 だから群衆は熱狂した。教会改革がなされ、遠からず時代は変わる。でなくとも新教皇は、あのヴィルヘルミネ=フォン=フェルディナントと昵懇なのだ。となれば貴族上がりの欲望に塗れた高位聖職者など、存在とて許されなくなるだろう。


 しかし聖職者たちが恐れたのは、そうしたルクレールやヴィルヘルミネの正義などではない。むしろ女王が遠く離れたメンフィスの地から権謀術数を駆使してルクレールを教皇に押し上げたのだと、真に恐るべきは彼女の手腕なのである。


 特にクレメンスが立候補を辞退した理由については、様々な憶測がなされていた。

 例を挙げればキリがないが、前教皇マルケルスの死を隠匿した罪を不問にする代わり、立候補を取り消せと女王の直属機関が圧力を掛けた説、或いはヴィルヘルミネの走狗となった聖堂騎士団長トマ=ソナクが、より直接的な脅しを掛けた話など――様々な説が唱えられていた。

 

 けれど結局、真相は永遠に闇の中だ。それというのも彼が立候補を取り消した翌日、つまり新教皇選出の一週間ほど前に――……クレメンスが謎の死を遂げたからである。


 記録によれば浴槽に浸かっている所をナイフで心臓を一突き、それが致命傷とのことだった。犯人として逮捕されたのは女で、皇都では違法とされる娼婦である。

 だから、「故人の名誉の為にも真相は闇に葬った」というのが教皇庁直下の調査機関の見解である。ゆえにクレメンス枢機卿は、枢機卿として葬られたのだ――と。


 その後、犯人とされた女は獄中で死んだ。ロープで首を吊っての自死であったが、しかし壁には「わたしじゃあない」と血で書かれた文字が残されていたという。

 これに関して教皇庁直下の調査機関は、単に「事故死」として片付けている。明らかに何かを隠蔽しているのだ。


 一連のことにダランベル派に属さぬ枢機卿たちは、ルクレールの関与を疑った。でなくともヴィルヘルミネが組織する機関が、全てを闇に葬るべく動いたのだと言う者もいた。

 が――……彼等もある日を境にダランベル派へと鞍替えし、ルクレールを支持したのである。


 こうしてルクレールを教皇に選出した高位聖職者たちは、誰もが引き攣った笑みを浮かべながらも祝福の言葉だけを口にした。それだけが己の身を守る術だ、とでも言うかのように――……。


 ■■■■

 

 生まれながらに利かない左の足を引き摺って、ルクレールは宮殿の露台バルコニーに姿を現した。身に纏うのは白に金糸を散りばめた豪奢な法衣で、後ろに四人の側近たる枢機卿を従えている。

 中でも一人はヴィルヘルミネがバルトラインから連れて来た、一時は僧籍さえ剥奪されたアレクサンデル師であった。


「教皇聖下――……本当にクレメンス猊下を殺めたのは、あなたではないのですね?」

「はは、は、は、は。このような晴れの日に、一体なにを言い出すのかと思えば、アレクサンデル枢機卿」

「聖下、重要なことです。私は真実が知りたいのです」

「ほう、真実と申されますか。では、お教えしましょう。クレメンス猊下は神の教えに背き、自ら身を汚したのです。また犯人である女もまた、自らの罪に耐えきれなかった――……それが唯一無二の真実ですよ」

「では彼の死は、あなたにもヴィルヘルミネ様にも一切関わりないと、そう誓えるのですね?」

「ええ、ええ、当然です。あのような小物の死に私やヴィルヘルミネ様が関与するなどと、あろうはずも無い」

「小物? 小物ですと……? 仮にも枢機卿であった方を……」

「いや、失敬――……確かに故人に対し、小物という言い方は失礼でした。とはいえ、そのような些末事はどうでも良い。これで女王陛下の悲願であった、教皇の行幸も叶うわけです。

 さあアレクサンデル、あなたも喜びなさい、寿ぎなさい。なんとなれば、私がフェルディナントへ足を運べば良いだけなのです。

 ああ、そうだ、なんなら王都バルトラインを聖都と定め、私も共に暮らしましょう。それで我が主、ヴィルヘルミネ様は世界の誰より神聖不可侵な君主となるのですから――……はは、は、は、は」


 晴れやかな笑顔を浮かべつつ、ルクレールはカメリアの民衆に手を振った。

 しかし彼の内心には、神に対する信仰心など欠片とてありはしない。あるのはただ、赤毛の女王に対する歪んだ忠誠心だけである。

 そんな男が教皇になったからには、確かに既存の秩序は破壊されていくだろう。手始めとしてルクレールは千年の歴史を有する聖都カメリアを、さっそく捨てると心に決めたのであった。

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