52 テペデレンリ=パシャ
サマルカードの真なる名将テペデレンリが別動隊五万を率い、エスケンデレイの南西五十キロの地点に姿を現したのはムスタファが敗北した翌日のこと。本来であれば既にしてエスケンデレイへ到着し、包囲を完了していなければならない日であった。
或いは計画通りに運んでいたならばムスタファがヴィルヘルミネを引き付けて、テペデレンリがエスケンデレイへ侵攻するという、この上ない見事な作戦になったであろう。けれど電話はおろか飛行機さえ無い時代のこと、双方の位置を互いが知る術は伝令に限られていた。
「定時の伝令が来ない時点で、何か手を打つべきであった。まさか二倍の兵力を相手にして、いかに軍事の天才と云えども多少は慎重になるかと思っていたのだが……」
テペデレンリとて、そう思わないではない。
けれどヴィルヘルミネの立場に立って考えれば、軍が二つに分かれていたからと、各個に撃破しただけのこと。十五万の兵力を合流させるより、どう考えても二分されている今の方がマシなのだ。
であればやはりテペデレンリは、自らの甘さを噛み締めねばならなかった。
とはいえサマルカード軍はアーシリア河の西岸を北上し、諸都市を落としながらの進軍だ。時間が掛かって当然だ。
ましてや歴史ある大国であったメンフィスを、キーエフは丸ごと植民地にしている。だからと住民たちはテペデレンリ率いるサマルカード軍を解放者として迎え入れ、各地で歓迎されたが故の遅れなのであった。
「後の統治を考えれば、住民の感情を無碍には出来ませんからね。その点は、ムスタファにも伝えたはずだ。だからこそ、待て――と」
テペデレンリとしては、忸怩たる思いであった。ヴィルヘルミネがエスケンデレイへ入ったという情報を得てからは、それでも急いだつもりである。
だというのにヴィルヘルミネには早々に手を打たれ、こうしてムスタファ率いる本隊を壊滅されられたのだから。
「やれやれ。このまま進めば、五万のダランベル連邦軍が籠城するエスケンデレイに、我らだけで挑まざるを得ない。まさかムスタファが、こうも容易く敗れるとは思いませんでしたよ」
今宵、幾度目になるか分からない溜息を吐き出して、テペデレンリは呟いた。彼と共にいるのは気心の知れた幕僚だからと、常ならぬ苦笑さえ浮かべている。
このまま北上すれば、だいたい二日でエスケンデレイへ辿り着く。けれどムスタファの軍勢を失った今となっては、東と南から敵を圧殺することは出来ない。ならば当初の作戦は崩れたことになり、安全を重視するなら撤退こそ常道だ。
しかし敗軍を全く見捨てることも出来ず、テペデレンリは全軍に対し一時停止を命じると、その地で夜営に入ったのである。
それから全軍に休息を命じ食事を済ませると、兵達が寝静まった頃合いを見計らい、テペデレンリは主だった幕僚を自らの天幕へと呼んでいた。
――何にせよ、情報が少ない。敗北したムスタファがどうなったのかも、残存兵力も。だいいちナセルから何も連絡が無いという点が、非常に気になりますからね。
ぽっちゃりとした顎に手を当てて、テペデレンリは「ふぅむ」と一人唸っていた。
天幕の中、テペデレンリを中心にして車座になり座るのは、四戦士と呼ばれるサマルカード屈指の指揮官の面々であった。
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「――だから我らをお呼びあり、密かに今後の方針を相談しようということなのですね、将軍?」
質問をしたのは四戦士の中でも最年長、巨漢の戦士リュステムだ。彼は短い黒髪を針金のようにツンツンと立たせて、ターバンもしていない。軍服の上からでも隆々と盛り上がった筋肉は、いっそ威圧的ですらあった。そんな彼こそ曲者揃いと云われる、四戦士の筆頭だ。
「ええ、ええ、そうです、リュステム。情報そのものも私が放った密偵が持ち帰ったもので、ムスタファ麾下からの正式な情報では無い、という事情もあるのですが――……」
月も中天に上る時刻であれば、他の将兵達は寝静まっていた。だから皆は額を寄せ合って、小声で語り合っている。というのもムスタファが敗れたという情報は、未だ極秘の扱いだからなのであった。
「将軍子飼いの『鷹の目』が見聞きしたことであれば、まず間違いの無いことでしょう。仕方がありません、撤退を進言します。一目散に尻尾を撒いて、さあ、皆さま逃げましょう。私の準備は万端です」
恥も外聞も無くひたすら逃げようと主張するのは、ハスキーな美声の持ち主、長身の女戦士ファトマであった。十人いれば九人が振り返るだろう美貌の持ち主だが、彼女は俗にいうビッチである。
そして王族の生まれでもある彼女は十六歳の時、道端のイケメンとキスをして強引に跨った――という理由で奴隷身分に落とされた。その後はテペデレンリに拾われ、奴隷戦士として頭角を現したという次第である。
「あ、いや、ファトマさん。まずは戦う準備をして下さいませんかね」
「もちろん戦う準備も万端ですよ、だって死にたくありませんからね」
「そうですか。それならば良いのですが……」
「ええ、まあ――……そんなことより、訊きたいことがあるのです、テペデレンリ将軍」
「ん、何でしょう。私に答えられることなら、何なりとお答え致しますが?」
「ンフ、ンフフ~~。将軍は一体どうして過酷な行軍に従事してさえ、ぜんぜん全く痩せないのです? そろそろ百キロの大台を超えたのでは?」
「え、いや、それは計っていないから、何ともですが……」
「ああー醜い、まるで黒豚のようですよ。だいたい私、細くて筋肉質な殿方しか好きじゃありませんから、こう近くで顔を寄せ合うと、何というか……息苦しくってかないませんね」
明後日の方向からツッコミを入れられて、思わずテペデレンリは狼狽えた。確かに目を下に向ければ赤い軍服の腹部がポンと突き出して、今にもボタンを飛ばさんばかりである。
分かっていた。太り過ぎは自覚していたが、だからと言って今言うことかとションボリし、くすん――少しだけテペデレンリは涙目になっていた。
「ファトマ、やめなさい。テペデレンリ様を愚弄することは、このあたしが許しませんわ」
隣に座るテペデレンリの顎肉をタプタプと触りつつ、眉間に皺を寄せて言うのはアルヴィゼだった。彼の神速は神出鬼没の用兵を可能とし、テペデレンリの作戦を大いに助けている。
また月明りに照らされて紫色に見える黒髪は神秘的で、奴隷戦士随一と云われる美貌の持ち主だ。しかしオカマのデブ専だから、そんな美貌も全くもって宝の持ち腐れなのである。
「アルヴィゼ! テペデレンリ様を愚弄しているのは、貴様の方だろう! しれっと顎の肉を触って、テペデレンリ様をオモチャにするな、離れろッ!」
「いや、いやなの、離れたくないの! だいたいね、ルトフィー。テペデレンリ様のお顎は、あたしのモノなのよ。いつでも自由に触って良いって条件で、あたし、四戦士になったんだから!」
「え、本当か? ていうか貴様、栄えある四戦士を一体何だと思ってるんだ! いや待て、だったら俺が腹を触っても問題ない訳だよな? ふわぁぁぁああ、やあらかい!」
アルヴィゼと角を突き合わせて口論しつつ、どさくさに紛れてテペデレンリの腹を触るのはルトフィーと言う名の青年だ。彼は奴隷戦士の中でも珍しい、砲撃、銃撃に特化した士官である。
片眼鏡を掛けていかにも理知的な美貌だが、四戦士の中で一番の馬鹿だった。なので今もテペデレンリの腹を触りはじめ、「エヘヘ、エヘヘ」と笑っている。
彼等四人の個性的な指揮官たちこそテペデレンリの切り札であり、ムスタファが持ちえなかったものなのだ。
――信頼こそ、全てに勝る武器となる。
そう信じるテペデレンリではあったが、自分のお腹や顎をプニプニ、プニプニと触り続ける彼等をジトリとした目で見つめ、「あれ、これ私――……もしかして舐められてるのかな」と思わなくもないのであった。




