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51 アーシリア河東岸の戦い 16


 ゾフィーはヴィルヘルミネ本営の右翼に控えていたが、ムスタファがイルハン=ユセフの防御陣を突破する様を見るや即座に駆け出した。何故なら相手が一度は対峙した敵将であり、その強さを知っていたからだ。


 ――あの様子では、ジーメンスでも止められまい。

 

 むろん、一対一で戦いイルハンやジーメンスが敵将ムスタファに劣るとは思わない。しかしサマルカード騎兵の機動力は、そういう問題では無かった。

 彼等が戦わずに突破や逃走に徹すれば、ダランベル連邦軍には為す術が無いのだ。少なくとも現状では機動力の源たる馬を奪わなければ、女王の下へ到達するのは時間の問題であろう。


 だからゾフィーはムスタファが必ずや防御陣を突破すると考えて、少数の騎兵を率い女王の下へと駆け付けた。お陰でヴィルヘルミネの呼び掛けに応えることができ、ムスタファの攻撃を寸でのところで防げたという次第である。


 納得できないのはムスタファであった。


「小娘ェェェエエエ!」


 落馬した衝撃で地面をゴロゴロと転がり、土ぼこりを蹴立ててムスタファが身を起こす。お気に入りのターバンをかなぐり捨てて、編み込んだ頭髪が露になった。


「立ち上がることを許可した覚えは無い。跪けと言っている」

「尊大だな、小娘。これだから、苦労を知らぬ貴族というやつはッ! 自分の地位に胡坐をかいて、他者を見下すことしか考えておらんッ!」


 ムスタファの言葉に、ゾフィーの頬がピクリと揺れる。目の前の男と自分は、意外や同じ価値観なのかも知れない。であれば時と場所が違ったら、良き友にでもなれたのだろう。

 だがムスタファにゾフィーと同様の感慨など無く、鋭く踏み込み斬り掛かってきた。怒りを露にしただけだったのだ。


「エスケンデレイ奪取は、我が大王の悲願ッ! それを邪魔するのなら貴様もヴィルヘルミネともども、叩き斬ってくれるッ!」


 ムスタファの突き出した曲刀を、ゾフィーは左手のマンゴーシュで弾き上げた。続けざま右手の軍刀サーベルを水平に払い、攻撃に転じている。

 が――ムスタファも只者ではない。同じく左手の曲刀でゾフィーの攻撃を払いのけ、右足で地面を蹴る。土埃が舞い上がり、ゾフィーの目を晦ませた。


「大口を叩くわりに、つまらんことをやる」


 目を瞑ったゾフィーに対して素早く横に回ったムスタファが、大きく上段に構えて斬り降ろす。回避不可の一撃だと考えて、胴の防御はガラ空きだ。一刀の下、金髪の少女を両断するつもりなら、渾身の力が必要であった。

 けれどゾフィーは口元に笑みを浮かべ、体を開いて敵の斬撃を躱す。鼻先僅か二センチという紙一重の回避であった。

 

「なっ……どうやって……見えていたのかッ!?」

「先を読み風を肌で感じれば、この程度――どうと言う事も無い。もう一度言う。跪け」


 右目だけをチラリと開き、ゾフィーは口の端を吊り上げた。


「ば、かな……俺様が貴様なんぞの掌の上で踊ったと、そういうことなのか?」

「そういうことだ」


 茫然とし、たたらを踏んだムスタファの腹部はガラ空きだ。ゾフィーは軍刀サーベルを閃かせ、くるりと返して柄を敵の鳩尾みぞおちにめり込ませる。ヴィルヘルミネの命令でもあるし、不思議な好感を相手に抱いていた。であればもはや、殺意は一ミリグラムとて無かった。

 

「ぐほぉぉぉッ!」


 胃袋が腹から出そうだと、ムスタファは思わず曲刀を取り落とし、腹を抱えて蹲る。 

 ビュン――と双剣を振り抜き、鞘に納めてゾフィーは言った。


「それでいい。ようやく跪いたな」


 そうした姿を横目に見ながらナセルと対峙するエルウィンは、「強くなったものだ」と金髪の少女に内心で賞賛を送るのだった。


 ■■■■

 

 敵将に横を抜かれた時は、どうしたものかと狼狽えた。けれどエルウィンの後ろにいたのは誰あろう、ヴィルヘルミネである。ならば自分如きが心配するまでも無く、女王は当然ながらに対策をしていたのだ。なんとなればゾフィーを呼び出し身辺の警護に当てていたのかと、エルウィン=フォン=デッケンは今更ながらに感心をした。


 ――やはり僕は、億の単位でヴィルヘルミネ様に及ばない。


 そうした失意が絶望に繋がるのではなく、喜びとして全身を駆け抜ける。だからエルウィンは目の前に対峙する若き敵の参謀長、ナセルに対してゆっくりと呼び掛けた。


「貴軍の指揮官は既にして敗北した。この上は無駄な抵抗を止め、武器を捨てて潔く投降されよ」


 そうでなくとも二合、三合と斬り合ううち、お互いの実力差なら分かっている。エルウィンの力はムスタファとナセルを合わせても、なお倒せぬ程に強大だ。

 といってナセルが弱いという訳では無く、強い。現にエルウィンに対し一撃を与えている。しかし、だからこそ彼は彼我の実力差を悟り、勝機など無い事を十分に認識したとエルウィンは考えたのだ。


 ――ああした油断があっても君では僕に、致命傷を与えられないのだから。


 事実ナセルは浅黒い顔を蒼白にし、冷や汗をびっしりと頬に張り付けていた。既にして生きた心地がしないということか、投降の呼びかけに対してゴクリ、緊張による乾いた唾を嚥下し喉仏が大きく上下に揺れている。


「私は栄えある奴隷戦士マムルーク……生きて虜囚の汚辱に塗れるよりは――……」

「ナセルッ! この敗戦は俺様の責任だ、潔く投降せよ!

 ヴィルヘルミネ様、俺様はどうなっても構いませんッ! どうか、どうか部下達には寛大なご処置をッ!」


 見ればゾフィーの足元にひれ伏し、身体を赤毛の少女が跨る白馬に向けたムスタファが、しっかりばっちり土下座で嘆願中だ。額を地面にめり込ませてまで願う姿は無様でありながらも、同時に何やら美しい。それは自らの助命を願うものでは無く、配下の為の行為であったからだろう。


 ヴィルヘルミネは紅玉の瞳でじっと相手を見据え、「ふむ」とつまらなそうに息を吐く。じっと顔面点数を査定して、ようやく漏れた言葉がこれであった。


「よかろう――……合格じゃ」


 ハッキリ言ってムスタファは、間近で見ても九十点を超えるイケメンだ。ナセルにしたって可愛らしいショタだから、カップリングとして最高である。

 もはや求婚された(勘違い)ことなど百億光年彼方へ投げ捨てて、ヴィルヘルミネはあちらの世界へ旅立った。

 

「髭イケメンとショタじゃと! なんと破廉恥な! フハハ、フハハ!」などと赤毛の女王は妄想も逞しく、早くも二人を一つの獄に繋ぎたい。だからもう嬉しくて楽しくて、今夜はちょっとしたお祭りなのだ。


「ヴィルヘルミネ様も卿らの降伏を許された。であれば今は命を惜しまれよ。そもそもこの状況下において、もはや貴殿が戦う意味など何処にも無い」


 女王の言葉を受け止めて、エルウィンは再びナセルに降伏を呼び掛けている。


「わかり……ました」


 ナセルは大きく息を吐き出して、ようやく曲刀を投げ捨てた。馬を降りると両手を上げて、生き残った部下達にも震える声で命令を下す。

 

「皆、武器を捨てよ! 我らは敗れた――……これ以上の攻撃、抵抗は無意味である。いたずらに死ぬなッ! これはムスタファ閣下ベイのご命令であるッ!」


 こうしてアーシリア河東岸の戦いは半数の兵力でサマルカード軍を破るという、終わってみればヴィルヘルミネの大勝利なのであった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] お疲れ様でした。 流石、ミーネ様だ! 王者の貫禄が眩しい(笑)
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